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2004.11.23 反響の杖〜名誉の中傷〜 |
尊敬している作詞家の方が仰った、「自分の作品が世に出ると言うことは、一心にその責任を背負うことだ」と言う言葉。
極端な例とはいえ、実際に
「この作品を聴いたから自殺を思いとどまった」というリスナーの方の声、作家にとっては人一人の命を救えた、本当に嬉しい出来事。
でも逆に少年少女の気持ちを代弁したつもりの作品が、思いも掛けず一部の当事者たちの行動を誤らせてしまったという例がないとも言えません。
それらを怖れていては何も書けないわけですが、良い影響を与える可能性があるということは、逆に不本意な悪い影響を与えてしまう可能性もあるということを忘れてはいけないと思うのです。
ある人が何かに悩んでいたタイミングで、ふとしたフレーズがその人の背中を押して、何か重大な決断のきっかけを与えてしまうかもしれません。
作詞家だけに限らず、誰かが何気なく紡ぎ出す言葉は、もしかしたら、全く顔も知らない人たちの考えを変えてしまう、そんな怖い影響力さえ秘めているのです。
そう考えると、作品を世に出すと言うことは、やはり大きな責任を担ってしまう、ある意味矢面に立たされても仕方がないことなのかもしれません。
当然、ネット公開しているだけで掲示板を荒したり批評と称しただけの中傷紛いの行為は決して許されることではありません。
でも、逆に何らかの反響があるということは、理由を問わず、善悪を問わず、それだけ関心を集めている作品であると言うこと。
自分自身が身を削り、最高の物を差し出せた、と思えるなら必要以上に傷つく必要はないはず。
おそらくどこか自分の中に自信のなさがあればそこを抉られ必要以上に落ち込んだり、やっぱり、、、と認めたくない部分が露呈して傷ついてしまうのではないでしょうか。
今のレベルで満足という意味ではなく、きっと、自分が今ある精一杯の力を出し切って、
如何に全力を傾け、恥じない仕事をしたかの自負があれば、、、
実際にコンペを通過し、厳しいディレクターさんが太鼓判を押して下さったのなら、
「名誉の中傷」と受け流せる気がします。
そして逆にそれを越える次回作を、と闘志を燃やせるでしょう。
例えばファンの人が「あなたの作品は素晴らしいです」といくら慰めてくれてもある意味ファンの方は盲目だと思うんです。
ファンとは、優しく見守って下さる大切な方々。
でもそこで安心してしまってはそのファンにさえ見限られてしまうような気がします。
時にはつらくても、ファンではない、所謂外部の人たちの逆風に敢えて耳を貸し、賛否両論、しっかり受け止めて(それは認めるということではなく、客観的にそんな感想を持たれているのかと知ること)
その上で、それでもこれでいいんだ、この作品がいいんだ、と胸を張れるような作品を書き続けていきたい、そう願っています。 |
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