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2003.10.20 継続の才能〜人は楽園では暮らせない〜 |
創作に限らず全てに言えることだが、継続していくことは本当に大変なことだと思う。
たとえ類い希な才能を与えられていたとしても、実際に人から頼まれたり期限を切られないと、作業に取りかかったり完成させることは困難なことではある。
才能に過信してしまって努力を怠る、ということもあるかもしれないし、
才能があったらあったで、最初はおもしろいように捗っても、次第に飽きてくるかも知れない。
人間というのは、おそらく楽園では暮らしていけないような気がする。
不幸は絶対にイヤだけれど、恵まれすぎているのもいけなくて、要は身体さえ元気であれば、少々お金がなくても何とかやっていける。
でも、何か目標がなければ生きる気力を失くし、生きた屍となってしまう。
何かを継続するには、それだけの強い意志を生み出せるような大きな目標がなければならない。
夢を叶えて勝利に酔いしれても成就してしまうと、目標を失い、そこでほーっと力が抜けてしまう。
また一歩先の夢が出来るまで、気力を奪われてしまう。
だから人間の欲望は涸れることがないのだろう。生き続けるために何らかの理由が必要なのだ。
人間は何らかの夢を期待を見つけてそれに向かって邁進することで生き甲斐を、自分の存在意義を見いだそうとしているに違いない。
作詞家であるということは、仕事があってもなくても一生、書き続けなければならない、
それだけの覚悟がいるのだ、、、
と仰って下さった方に感謝をしつつ、
最近、才能や実力の有無に関わらず、継続できることこそ、ある種の才能なのではないかな、と思い至った。
本来、才能は元々備わったもので、実力はあとからついてくるもの。
ではあるが、
継続の才能に限っては、相当量の努力の果てに手に出来るものではないかと思ったのだ。
例えば同じ300作品のストックを持つ人でも、
1年目150作品書いて、2年目殆ど書かず、3年目150作品書いた人や、10年前から書いたり止めたりしながらやっと300作品書いた人は、一端中断して全く書かない時点で振り出しに戻ってしまっていると思うし、
3年前から今も尚、同じペースで書き続けていて、300作品に到達した人とでは勢いとついてくる実力の可能性が比べものにならないと思うのだ。
だから、与えられた仕事に、〆切が2時間以内だろうが、仕上げて間に合わせられるのはプロならばおそらく業界の方から見れば、誰でもチャンスを逃がしたくなければ出来る
最低限の行動なのだろうと思う。
なのにチャンスをただぽけーっと待っているだけで普段さぼっているくせに、
「チャンスさえあれば、いつだって量産出来る、どんな〆切の速度にも対応できるのに」
なんてチャンスのないことを愚痴っているだけならきっと作詞家にはなれない。
逆にチャンスのない時こそ、コツコツ書き続けることが出来て才能が無くたって、何らかの小さな結果を残せるほどの実力さえあればきっと作詞家として生きてゆける道を見つけることが出来ると思う。
ネットが普及し、今まで考えられなかったことに、誰もが手軽に掲示板やメールを通して、知り得なかった憧れの人とコンタクトが取れる時代になった。
そこで、作詞家のサイトにお邪魔するとたまーに、いとも簡単に「どうすれば作詞家になれるのか」という問いかけをBBSやらに書き込んでいる人を見かける。
作詞家のどなたかが、やはりそういう質問を受けたようで、
「そんな質問をするような人はきっと作詞家になれない。と自分は思うんだ」と日記か何かで書いてたけどその通りだと思った。
資格試験を受ければいいなどの決まった道筋がないからこそ、自分で手探りで探り当てて、自分だけの方法を見つけていく、
そのことで思い悩み苦しみ、それがまた自分の血となり肉となり、創作に深みをもたらしてくれる。
そう信じて私も分からないなりに、未だに足掻いているけど、だからこそ「きっかけ」は掴めたのだと思う。
ここから先、どうチャンスを広げてゆくか、は形は変われどおそらく永遠の課題なのかもしれない。
どれもこれも尊敬している方のお考えに感動し、共感し、学んだ所が大だけど、これらの初心を忘れるべからず、自分に厳しく、一歩一歩前進していきたいと思う。
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