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2002.3.30 Rebirth〜全てをクリエイティブに繋げて〜 |
憧れ尊敬し続けた作家にお会いして〜全てをクリエイティブに繋げたい〜
学生時代から憧れ崇拝し続けていた作家の方が今日、私の目の前に座っていらっしゃる、、、信じられない思いだった。
事の始まりは私のサイトを閲覧して下さった先生が感想を送って下さったことに遡る。
その後、私が作詞活動をしていることから、作品も機会があれば見てみたいとおっしゃって下さり、それなら是非と厚かましくもメールで送らせて頂いた。
「可能性は充分にある方だなと思った」と書いて下さって、それは何よりも勇気が湧く嬉しいお言葉だった。
続いての文には厳しくもお心のこもった総合的なアドバイスがびっしりとしたためられていた。
これからの作詞家のあり方も含めて、抽象的に実情からご自身のお考えを述べて下さり、目を見開く思いがした。
それから数ヶ月経った今月初め、ちょうどBBBライブで東京に伺う予定になっていたことから、ご多忙なスケジュールの合間を縫って、数時間貴重なお時間を頂くことが出来た。
先生のお話は静かな口調でいらっしゃるにもかかわらず、クリエイターとしての情熱と厳しさが全身から伝わってくるようだった。
特に嬉しかったのは、私自身、作詞家を目指しているには違いないけれど、作詞家だけに拘るのではなく、広くいろんなことにチャレンジしていきたい、と願ってきたその思いを受け止めて頂けたことだ。
元々モノを創造する、ということ全般に深い関心があった。
クリエイティブな活動、モノを創作する、ということは、詞だけでなく、小説、エッセイ、ポエムに始まり、プロデュース、企画、作曲、アレンジは勿論のこと写真、CM、映画、ゲーム、アニメ、ビデオ、全ての物が今は音楽に密接に繋げていけるものだと思う。
チャンスさえあれば何でも首をつっこんでいろんなことを体験していきたい、と願っていた。
5歳の頃からピアノを習った。
小学生ではクラスの班ごとに発表する『お楽しみ会』で落語を紹介するアイデアを提案したり、自分の創作した物語を提供したりしてそれらを皆で演じたりと、活発に意見を出した。
バドミントンサークルでもはりきった。
中学では油絵をつまんだり、Beckyというオレゴン州のペンフレンドを紹介して貰って文通をしたり人数の少なかった演劇部に最終学年ぎりぎりで入部してすぐ、最初で最後の文化祭で舞台に立たせてもらった。
高校ではコーラス部に入り、ほんのちょっぴりだけソルフェージュもかじった。
確かにどれも思いっきり下手で体験したとは言い難いものばかりではある。皆の足を相当引っ張ってきただろうが、でも、楽しくてたまらなかった。
私の中では作詞家が到達地点でもスタート地点でもいずれでも構わないと思っている。
クリエイティブな空間に自らを置き、それら全てを一生の仕事とすることが出来れば、これほどの幸せはないだろう。
また、作詞を取り巻くあらゆるお仕事を経験することが、結果的に作詞に跳ね返ってくることにもなると思う。
勿論、技術を学ぶことから始めないとすぐには取り組めないことも多々あるだろうが、出来る所から機会を見つけ、貪欲にチャレンジしていきたい、と願っている。
私の周りにはそういったアドバイスを下さる方が沢山いる、そう思えば何も怖い物はないはずだ。
唯一で最大のネックは東京への距離だろう。
これはかなり手強い。
私としては、必要とあらばいつでも東京に飛んでいける環境にはある。
だが、二ヶ月、三ヶ月、缶詰状態で、となると現段階ではちょっと不可能かもしれない。
しかし、人生どうなるかは分からない。ここで悩んでいても始まらない。出来ることから始めていく。
この世の中、ゼッタイにないと言い切れる物など何一つないのだ。今、与えられた環境の中で貪欲に、出来ることから取り組んでいこう。
憧れ尊敬し続けた方を前に、誓った。今日から生まれ変わったつもりで、心を入れ替えて頑張ります、と。
自分の一生の全てを賭けて取り組めるものに出会えたことこそ、最大の幸せだから。 |
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