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2003.11.17 生まれ落ちた宿命に寄り添う運命 |
お世話になっている作曲家の方から窺った中国占星術の話では、
人には与えられた宿命があって、知らず知らずのうちにその本来与えられた正しい方向へ何とか進もうとしているのだそうです。
だから、それに気付かず違う方向へ進むと、病気をしたり、アクシデントに見舞われたり、自分では気付かなくても方向転換を図ろうと警告を送ったり、
体が信号(シグナル)を送ったりするのだとか。
確かに、私も作詞家を目指し東京に出るようになってから、たとえ短くてもいろんな方に出逢えて、
偶然空いていたある日のある時間帯に直前にジグゾーパズルのように予定が埋まっていったことも一度や二度ではありませんでした。
作曲家の方も「そう、だからね、日美さんはゼッタイにこの道を進む宿命だと私は思うんだ」と仰って下さいました。
信じる信じないは人それぞれですし、私自身も占い自体はそれほど信じない方で、良いことだけ信じる程度の活用です。
それでも、この世に産まれたことは奇蹟だと思うんです。
何故私はこの現世にいるのか、そう考えると人には分からない力は確かに存在しているのだと思えたりします。
無宗教ながら、輪廻転生とか、そんな考えはとても興味はあります。
宿命か運命か、何かは分からないけど、生を得たという何らかの理由はあるのではないかと思いたいのです。
私が生まれ落ちたと同時に与えられている宿命、それが、作詞をも包括した、広範囲で何か、言葉をひたすらに書き綴る作業だという気がしてなりません。
現実の厳しさよりも何よりも、表現したいという気持ちが勝っている限り、一生創造する喜びと向き合っていられる、そんな気がします。
また、こうして一人でも、信頼出来る方が、私が作詞家としての道を歩むことはきっと正しい、と信じて下さる、
それだけでも非常に嬉しく心強いことです。
自分を信じてあげよう、という想いが益々深まりました。
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