メジャーデビュー前
(2002〜2004年)に綴っていた
自戒の覚え書きリスト
無名とて責任は同じ
素晴らしい出逢いにするために
ぬちぐすい
〜命の薬〜
歌力
〜歌に宿る魂とオーラ〜
反響の杖
〜名誉の中傷〜
喜怒哀楽すべてを養分に
作詞家としての私のカラー
結果で恩返ししたい
風を生み、夢を泳ぐ魚
再生紙の如く
誇り高き亀になろう
ヴァンパイアになってでも書き続けたい
〜夢の中で目覚めた夢〜
生まれることを許された証
raison d'etre
DNAの夢
生まれ落ちた宿命に寄り添う運命
Much rain wears the marble
世間のレールをはみ出した幸せのレール
千の人生、千の出逢い
〜5分間のドラマに〜
継続の才能
〜人は楽園では暮らせない〜
どうすれば作詞家になれるか
それを考える苦楽が血となり肉となる
コンペ、その彼方(をちかた)を
風が生まれる瞬間の波
幸せへの順路
〜回り道は宝探しの時〜
欠点は可能性の宝庫
日美という名の如く
〜日本の美〜
Rebirth
〜全てをクリエイティブに繋げて〜
 
2003.10.27 世間のレールをはみ出した幸せのレール

特に女性は、世間の一般的なレール、高校、大学、就職、結婚、出産、子育てといった枠組みにいとも簡単にはめ込まれてしまいがちです。
浪人したり、結婚しなかったり、離婚したり、子供を産まなかったりすると、
たとえそれが本人の意思でも、いえ、場合によっては本人の意思なら尚更、世間の物差しが首を捻ります。

でも、遺伝子も染色体も指紋も掌紋も声紋も全く異なった個が、なぜ一つの基準レールに収められると思うのでしょうか。
勇気を持ってはみ出した所にこそもっと素晴らしい人生があるかもしれないのに、なぜ見ようとしないのでしょうか。
なぜ「真っ当な」本能=自分が生まれてきた意味までを他人の目だけで封じ込めてしまえるのでしょうか。

幸せとは、他人の物差しが測るものなのでしょうか。
一定の物差ししか持たない他人に見せるためのモノなのでしょうか。

身内の反対や生活環境からどうしても夢を追いたくても追えない、と泣く泣く諦める人も多いでしょう。
その方は別にして、自分自身が一歩踏み出せば何とかなるのに、出来るところから始めればいいだけなのに、
世間の目を気にしたり、どうせダメだと諦めたりするのは、自分の人生なのに、何て勿体ないんでしょう。
世間は従えば幸せをくれるのでしょうか、
どうせダメだと諦めるよりもチャレンジ出来る喜びを知りたくないのでしょうか。

作詞を始めたことで、私も、無数の精子と卵子からたった一つがめぐり逢い、授かった生である、このpersonalを大切にしたい、と思えるようになった気がします。
一度きりの人生、人に迷惑さえ掛けなければ、打ち込めるものを探したい、結果は死ぬまで分かりません。
どの道を選んでも良いとき悪いときは訪れてくるでしょう。

それなら、自分が納得できる好きな道を選べば、例え悪い時でも乗り越えるパワーが持てるはずだと思うのです。

世間のレールをはみ出した幸せのレールを自らが築いていくことの喜び、それが生を授かったことへの喜びの実感なのではないでしょうか。






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