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2007年3月の見聞録



3月1日

 北村薫『ターン』(新潮文庫、2000年(原著は1997年))を読む。版画家である真希は、夏のある日にダンプと衝突する。気がつくと自宅の座椅子でまどろんでいた。しかし、この世界には自分以外の誰もおらず、しかも定刻がくると座椅子でまどろむ時間へとターンして戻っている。いつ元の世界に帰れるのか分からないなかで、150日を過ぎたとき、電話が鳴ったのだが、それはたまたま電話した編集者であった。こうしてわずかなつながりを確保したのだが、もう1人別の男もこの世界へとやってきて、少しずつ事態は動き始める…。
 『スキップ』と同じく時間ものであるが、可もなく不可もなくといったところか。真希へと語りかける一人称による語りかけという文体で書かれているのだが、この優しさにあふれた語りかけが、個人的にあまり肌に合わなかったという理由もあるのだが。


3月3日

 菊池聡『超常現象をなぜ信じるのか 思いこみを生む「体験」のあやうさ』(講談社ブルーバックス、1998年)を読む。超常現象そのものを取り扱ったり否定するのではなく、そうした現象をなぜ信じてしまうのかという心理学的な観点から論じていく。そもそも間違った考えは、外部からの情報よりも自分自身の体験に由来する方が多い。それは霊的体験やUFOの存在においても同様である。そして誤った認識は「知覚」「記憶」「思考」の3つの段階において生じる。
 人間は感覚器官がとらえた情報によってのみ知覚を成立させているのではなく、それまでの知識や経験による推論を情報に加えることで知覚を行っている。したがって、知識や経験にバイアスが含まれていれば、知覚も変質してしまう可能性がある。たとえば、12枚のトランプを一瞬だけ見せてその中にスペードのエースが何枚あるのかを報告させる実験を行ったところ、実際には5枚あったのだが、そのうち赤く塗られていた2枚のスペードのエースを、被験者の多くは認識することができなかった。赤いスペードのエースなどないという知識が、視覚にバイアスを掛けてしまったわけである(53〜54頁)。そして、同じ満月でも地平線から上りかけているときには大きく見えて、天空にあるときには小さく見える。また月の近辺で雲が動いていると、月が動いているように見えてしまうことがある。こうした錯覚によって、金星をはじめとする恒星がUFOに見えてしまうことが生じてしまうわけである(67〜71頁)。
 記憶が当てにならないことは、見慣れたはずの百円玉の両面を描こうとしても、簡単に思い出せないことからも明らかである(79〜80頁)。さらに人間の記憶は事後情報によって改変されてしまうことがある。ある出来事を目撃したとき、それに関するソースも一緒に記憶されるが、これは失われてしまいやすい。こうして出来事のみが記憶に残っているときに、事後情報として別のソースが流入してくると、両者の混同が生じて、他人から聞いた話を自分が経験してかのように錯覚してしまう。
 そして、仮説の反証を考える作業が欠如すると、予知夢や虫の知らせを無条件に信じてしまう思考へと至ってしまう。たとえば、夢で見たことが本当に起こることの妥当性を検討するためには、夢で見た・起こった、と言う組み合わせだけを見るのではなく、夢で見た・起こらなかった、夢で見なかった・起こった、夢で見なかった・起こらなかったという3つの組み合わせよりも可能性が高いことを検証しなければならない。また、偶然が生じる確率は母集団の大きさによって異なる。たまたま頭に思い浮かべた人が、偶然にもそのとき死んでいたということが、たとえ10万分の3の確率でしか起こらないとしても、日本人全体で考えれば、年間3000件起こることになる(162〜163頁)。
 こうした考えは超常現象を否定しているわけでもなく、それを信じる人をおとしめる者でもないとする。認知の弱点を謙虚に把握することこそ、不可思議な現象を考える上で必要な姿勢であると主張している。
 非常に分かりやすく、つい不可思議な現象を信じてしまう心理的な傾向の問題点が指摘されている。U.ヌーバー『<傷つきやすい子ども>という神話』は、心理療法の観点から記憶がつくられてしまうことを例証していたが、超常現象を題材にして同じことをした書と言える。下条信輔『<意識>とは何だろうか』は、「錯誤が正常な精神機能と特殊な環境状況との相互作用の結果」と主張しているが、超常現象に対する認識もこれに当てはまるだろう。
 以下、上で挙げたもの以外の実験の事例に関して、いくつかメモを。自動車が衝突するシーンを見せて、その速度を聞いた場合、「自動車が衝突した速度は?」と尋ねた場合と「自動車が接触した速度は?」と尋ねた場合では、平均速度が約10キロメートルほど異なり、1週間後にガラスの破片を見たかと尋ねたところ、実際には破片は映っていないにもかかわらず、前者は後者の2倍以上の人物がガラスを見たと答えた(90〜91頁)。被験者の大学生を2つのグループに分け、ある出来事に関して、情報性の高いソースと低いソースをそれぞれのグループに示したとき、ソースに基づき自分の意見を変えたのは、前者が24%、後者が7%であった。ところが、4週間後に意見を変えたかどうかもう一度訪ねてみると、前者は13%に減少しているのに対し、後者は14%に増加していたという。長い時間がたつと、信頼性の低い情報も説得力を発揮してしまったと言える(97〜98頁)。40人のクラスの中に、誕生日が一致している2人がいる可能性は低そうに見えるが、実際には約90%である。なぜならば、全員の誕生日が一致しない確率は、365/365から326/365(分子は365から39を引いた数)までを掛けた数字であり、それは11.9%にすぎないからである(153〜154頁)。


3月5日

 小野不由美『屍鬼』(新潮文庫、2002年(原著は1998年))全5巻を読む。人口1300人の山村・外場村。村のはずれに唐突に建てられた洋館へ、深夜の引っ越しが行われた後、山奥の集落で3体の腐乱死体が見つかる。これをきっかけとして、次々と突然死が生じると共に、突如として引っ越しして行方しれずになる住民までも頻出する。医師である尾崎はこの奇病を解明しようと試みるが、引っ越してきた沙子と深夜に邂逅した住職の静信は、奇妙な共感を覚える。しかし、行方不明の人物に代わって正体不明の人間が村へ住み着き始めることで、生き残った人間は疑心暗鬼へ追いつめられていく。彼らこそが「屍鬼」であった…。
 そもそも、プロローグの時点で破滅的な結末が示されているので、そこに至ることは分かっているからこそ、追い詰められていく描写が絶望的なものとして映る。そして、1人や数人を中心とした描写ではなく、主役級の人物は当然いるものの、村人全体が事件に引きずり込まれていくので、村そのものが徐々に蝕まれていく様相がリアルに迫ってくる。そのため、村人として大量の人物が出てくるので、ややこしくなるところもあるが、鍵を握る主要な人物は書き分けがきちんとなされているので、名前は覚えていなくても何となく把握できるので、大きな問題とはならない。
 私自身は読んだことがないのだが、解説の宮部みゆきによると、本作はスティーヴン・キング『呪われた街』(集英社文庫)のオマージュだそうである。宮部の解説を読む限り、『呪われた町』では吸血鬼という絶対的な悪との対決へと向かうようだが、本作は少し趣が異なっており、屍鬼の側にも何らかの理がある。というよりも、人間であるのか屍鬼であるのかということは、善悪を定める基準としては働いていない。どちらの側も、自分自身の感情をむき出しにして行動する者がほとんどであり、そのほとんどが自分では納得できない最後を迎える。そして、それとは対照的に、いい意味で言えば冷静な者、悪い意味で言えば傍観している者もやはり、理不尽な形で巻き込まれる。これは何の怖さかというと、岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』と同じ、村社会の怖さではなかろうか。と言っても、『ぼっけえ、きょうてえ』のような、ねっとりと絡みつくような因習的なおぞましさではなく、村という閉鎖空間の持つ寂寥感としがらみを持つ団結である。
 舞台となる外場村は自然環境が豊かな、それでいてやや寂しげな場所として描かれており、序盤ではその村社会的な古くからの住民と新しい住民とのねちねちとした対立や、村の中での立ち位置の問題などが、くどくない程度にゆっくりと描かれる。だが、屍鬼という異物が登場することで、村人たちが実は閉鎖空間の中で孤立していることが際だつ。たとえ都市であろうとも、夜の暗闇は恐怖を引きたてる。しかし、本書での暗闇は、人間のいる空間が密集しているのではなく、闇に中に浮かぶ小島のように散らばっているという、本当の意味での孤独に住民も気づいてしまうわけである。一方で屍鬼を排除することが村人の中で決定すると、村人たちは団結して徹底的な根絶へと突き進む。それは村社会が持つ排他性が、危機に際して表面化したとも言える。本作において、物語そのものは、外場村という舞台装置に屍鬼という異物が投げ込まれて進んでいく。しかし、その構造としては、外部から入り込んでくる屍鬼こそが舞台装置であり、閉鎖空間である外場村と人間が変容する物語なのではなかろうか。


3月7日

 貫井徳郎『崩れる 結婚にまつわる八つの風景』(集英社文庫、2000年(原著は1997年))を読む。その名の通り、結婚に関する8つの短編集なのだが、平和なはずの家庭から湧き出る恐怖を描いている。ただし、どれもつまらないわけではないが、面白いと言えるほどのものでもない気がする。なんとなく気になったシーンを1つ挙げれば、表題作の中で、主人公の主婦のパート労働について疲れ気味に描かれている部分。彼女と違いイラストレーターの夫は何もしないのだが、彼女は生活費を稼ぐためにベルトコンベアの前で単調な作業を強いられる。まあ、ありがちな描写なのだが、こうした仕事をしながらも楽しいと思える生活を送ることは可能なのだろうか、とふと思った。


3月9日

 中井浩一編『論争・学力崩壊2003』(中公新書ラクレ、2003年)を読む。2001年に出た「中央公論」編集部・中井浩一編『論争・学力崩壊』の続編。私自身は、学校で教える上限と見られる指導要領を最低基準と見なすような見解を、文部省が2000年秋頃から出したということを、吉沢由起子『大学サバイバル』を読んではじめて知ったのだが、その方向転換とも言えるような政策を踏まえた上で、前書以降の主な言論を収録している。前書よりは、興味をそそられる見解が多い。以下、取り上げてみる。
 そもそも、知識偏重の詰め込み教育を批判していたのは、進歩派の教員たちであった。だが、ゆとり教育を推進したのは、彼らが敵対視してきた政財界や文科省であった。後者は、変化する社会へ対応する人材養成のために、知識偏重教育ではなくゆとり教育を必要とした。これは道徳的な観点から教育を考える限界が露呈したと言え、進歩派は現実を見抜く力がなかった。そして、進歩派がゆとり教育の導入に対してほとんど意見を発することができなかったのもこのためである(中井浩一、32頁)。ただし第W部では、ゆとり教育に関する現役教員の座談会や実践活動が報告されているが、インドカレーから始まってインドの文化そのものへと題材を広げていくという授業や、植物の種を様々に観察していくうちに命に関する内容まで踏み込むことになったという活動例など、生徒にとって学ぶものがあった教育を紹介している。これを見る限り、教育に対して真摯な教員は、ゆとり教育に反対する必要がなかったとも言える。
 なお、以上の近代的な学校教育観に関しては、近代の学校は規律正しい兵隊と勤勉な工場労働者を作り出すためのシステムであったが、産業構造の転換によってそうした育成は不要になった、と述べる宮崎哲弥の主張(161頁)とも重なる。さらに、近代日本の教育制度は、失敗の確率が高いために起業家の育成は放棄して、大学卒の人間で近代化を遂げようとした、と述べる青柳正規も同様だろう(174頁)。
 文科省の寺脇研によれば、平成3・4年頃の進路指導では、偏差値に応じて進む学校が決められて、倍率が1倍になるようにと談合めいた行為が行われていたという(55頁)。
 汐見稔幸は、学力低下を語っているのが、大学教員と一部評論家にすぎないとしているが、吉沢由起子『大学サバイバル』の項でも書いた、「この人たちは学生時代に勉強を進んでやっていた特殊な人で、周りの普通の学生は勉強をしてなかったという可能性もある」という私の推測に近い。また、子供たちは親が計算機を使っているのを見て、自分たちも計算機を使うにすぎず、筆算の計算力で点数が下がっても、それは潜在的な知的能力が下がっていることを意味するとは限らない、とも疑問を呈している(132頁)。
 さて、私にとって最も興味深かったのは、この議論から透けて見える大学教員の立ち位置だったりする。「教育改革の処方箋」と題して提言を行っている佐藤学・刈谷剛彦・池上岳彦は、学力低下を防ぐための手法として高等教育にも言及している。大学・短大・専門学校を含めた高等教育への進学率は70%を超えているが、そこでの教育についていけないレベルの学生が増えたとしている。この現状を改革するために、教育における最終的な選抜のウェイトを高校卒業から大学院入学時点へとシフトさせて、学士レベルでは基礎教育や教養教育を行えばよいのではないか、との提案を行っている。それと同時に、より高度な大学院大学では定員を絞り高度な教育を行う、としている。そして、大学院への進学に関して、学部時代の成績を考慮するというのだ。私が関心を持つのは、その改革案の是非ではない。そうではなく、これは著者たちが属する大学という機構の存続案にしか見えないということだ。大学院への進学で大学の成績を加味することにすれば、大学教育の質の改善につながるというが、単に底辺校の高校が底辺校の大学へとシフトするだけであろう。そして、底辺校の大学では、さして今と変わらぬ授業が温存されるのは目に見えている。そんなことをせずとも、基礎教育や教養教育を学校教育にて充実させたいのであれば、それらを高校へとシフトさせて、大学の定員を絞ればよい。その方が既存のシステムを用いるのだからコストがかからない。著者たちに自覚があるかどうか分からないが、自分たちと自分の後継者となる教え子たちに、大学のポストという分け前を残すための延命措置的な改革案にしか見えないのである。
 したがって、東大の教員から議員となった有馬朗人は、全く反対の改革案を示す。つまり、東大の現在の定員は多すぎるから減らすべし、と提案して、大学進学率が増加したから平均学力が低下した、と述べている。「大学生の学力を低下させた最も大きな原因は、私も含めて大学人が作り出したものである。大学人が大学生の学力について発言するときは、この辺の自覚が必要である」(186頁)。ただし、私は大学の定員を減らせばよい、とは考えていない。大学の進学率が上昇したのは、それだけ社会が余裕を持っている証拠とも言えるからだ。むしろ改革すべきは大学教員の意識であって、自分の授業を理解できない学生が増えたと嘆くのではなくて、自分の学問に引き込むようにレベルを調整すべきなのではないか、ということだ。大学がレジャーランド化する是非に関しては長くなるのでやめるが、浅羽通明『大学で何を学ぶか』(幻冬舎、1996年)が強調しているように、自由な時間があるというのも、学生にとって何らかの経験を積むいい機会とも言えよう。
 なお、「教育改革の処方箋」では、伝統的な一斉教育の手法は、東アジア以外の国や地域ではもはや古くさいものとなっている、と書かれているが(95頁)、本当だろうか。


3月11日

 小森健太朗『ローウェル城の密室』(ハルキ文庫、1998年(原著は1995年))を読む。森に迷い込んだ高校生の保理と恵は、森の中の白い洋館にて老人と会う。老人は二次元の世界で三次元のごとく活動する「擬三次元的二次元生物」を研究している、と不思議な言葉を告げ、その例として『ローウェル城の密室』という少女マンガを二人に差し出した。そして、老人にせがまれて「三次元物体二次元変換器」を使って、マンガの世界へと入り込んだ二人は、登場人物であるローウェル城第2王子のホーリー王子と、第1王子のレイクに求婚されたメグという女性にそれぞれなってしまい、物語へ関わることになる。やがて、ローウェル城の塔の密室において、殺人事件が起こってしまう…。
 はっきり言って、「擬三次元的二次元生物」に関連したあり得ないトリックのために書かれた小説で、それ以外の9割5分の部分は、そのための前ふりにすぎない。犯人は「摂理」に反していると評されているが、そんなのありか、と思う人も少なくないだろう。私はそういう手もあったか、と思ったが、そのトリックを活かしてもう2、3個ほどひねりが欲しい気がする。また、「擬三次元的二次元生物」という表現の仕方で、マンガの独自性を示しているが、マンガ論と言えるほどの深みはない。マンガ独自の表現について、老人はデフォルメという言葉では説明しきれないと言っているが、別に表現のレベルに踏み込んでいるわけではない。マンガ論を生かしたものになっていれば、単なるトリック一本勝負ではなく、深みのあるものになっていた気もする。もっとも解説の著者の言葉を見る限り、そこまで深く考えて書く気はそもそもなさそうだったようだが。


3月13日

 村上宣寛『「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た』(日経BP社、2005年)を読む。血液型占い、心理テスト、ロールシャッハテスト、性格診断などに対する批判書。
 血液型占いに関しては、それぞれの血液型の特徴とされるものを60項目ほどピックアップして、各血液型に属する人ごとにアンケートを採ったところ、有意差がある回答は3項目しかなかった。さらに、今度は各血液型に当てはまるとされる気質を4つずつピックアップして、血液型検査と意識させずに調査をした後に血液型を記入させたところ、有意差の見られた回答はAB型の性格である「まじめな」という項目のみだった。そして、血液型や星座占いを信奉する人間が行う調査の問題として、それらをある程度信じている人をサンプルとするがゆえに有意差が結果として出てしまうことを意識していないことが挙げられる。
 心理テストには、誰にでも当てはまるような一般的な性格記述を、自分だけに当てはまると見なしてしまう、バーナム効果の危険性がある。実際に、大がかりな心理テストを行うふりをして、被験者全員に同じ分析結果を返すと、ほとんどの場合、それを自分の性格と判断してしまう実験結果がいくつも報告されている。
 それ以外に関しても、信頼できる検査とは言えない。インクのシミで占うロールシャッハ・テストも検査者によって結果が変わり、その妥当性は厳しく批判されている。今でも使われることがあるYG・YM性格診断テストは、現在までその妥当性が証明されたとは言い難いし、性格を12種類に分類するそれらと異なり、現在の心理学の主流は、外向性・協調性・勤勉性・情緒安定性・地制の5つに分類する手法である。クレペリン検査は、検査の練習をすると非定型と判定される確率が上がってしまうため信頼性が低い。
 タイトルがやや軽めの印象を受け、実際に文体はそのような感じであり、特に後半はエッセイ風の調子が強くなる。しかし、書かれている内容そのものは、コンパクトでありながらも指摘すべきところはおさえているため、手っ取り早く心理テストの問題点を知るためには有益だろう。
 ちなみに、ロールシャッハ・テストにおいて専門家の解釈のデタラメさを批判する際に、男根イメージをこれでもかと強調したある研究者に対して、凄まじい罵倒を投げかけている。「〔京都大学教育学部という〕偏差値の高い頭の良い学生が、このような人の講義を受けることくらい、不幸なことはない。残念ながらその不幸は十数年は続いたのだろう。今や母校の臨床心理学の水準は口に出すのが恐ろしいほど低下してしまった」(102頁)。
 あと、エピローグ部分でSPIをはじめとする適性検査を使う企業の人事部をけなしているが、これも面白い。曰く、SPIが正しいかどうかを知るには、点数を数年間保存して、勤務成績や営業成績と突き合わせればよいのにそれをしない、そして成績優秀者を選抜してどの検査問題で差が出れば調べればいいのにそれをしない、と(なお、後者に関してはSPIではそのような差が出ないようにつくられているだろうと推測している)。


3月15日

 R.エンゲルジング(中川勇治訳)『文盲と読書の社会史』(思索社、1985年(原著は1973年))を読む。中世後期から20世紀初頭に至るまでのヨーロッパにおける読書状況について述べる。読書は活版印刷以降も決して広く普及していたわけではない、というロジェ・シャルチエ編『書物から読書へ』と主張は近いのだが、あちらがフランス中心に対して、こちらはドイツ中心といったところか(永峰重敏『雑誌と読者の近代』も参照)。簡単に内容をまとめると、書物の印刷は18世紀に至るまで増大し続けるが、識字率はイギリスの都市部のような例外を除けば、かなり低いレベルにとどまっており、それが19世紀に入って学校教育の普及によって急激に上昇した、といったところか。
 15世紀における大衆の読書は、自分の目で読むこと、他人の朗読を聴くこと、書物を眺めることであったが、宗教改革以後には、目で読むことが耳で聞くよりも盛んになる(49頁)。ルターは、読書とは1人の作者を選んでその作品を繰り返して読むべきであり、散漫な読書は何も教えず心を惑わすだけ、とした(57頁)。カトリックの勢力が強い地域では、ラテン語の有意が18世紀に至るまで続いたため、商工業や手工業に従事する中流階級の人々も、自分の子供に普通以上の学校教育を受けさせようとラテン語学校に通わせた。ただし、授業は子供の要望と合致しなかったため、大半のものは卒業前に学校をやめた(84頁)。三十年戦争から18世紀半ばのドイツにおける貴族たちの教育は、ダンス・剣術・乗馬が中心で、社交や対面の維持の関心事に比べると、書籍や学識は低い意味しか与えられていなかった(100頁)。ただし、18世紀のドイツにおける読書生産は、40万点から50万点に達したと概算され、これは17世紀の生産を倍以上も上回っている(105頁)。このころの読書は回し読みが一般的であり、1冊につき10人の読者がいたことはまちがいなく、当時は40人ほどにも達するとの発表もあった(111頁)。19世紀の識者の中には、職人たちの読書を批判する者もいた。「頭と心を掻き乱し、狂わせ、堕落させるような代物を読むくらいならば、本などまるっきり読まない方がましだ」。「濫読は人々の頭を駄目にする。職人は口頭で話し合う方がずっと利口になる」(156頁)。
 最後の事例は非常に面白い。現代ではマンガやネットなどばかりしていては駄目で読書をすべき、といわれているわけだが、ほんの100年ほど遡れば、その読書も害悪と見なされていたわけである。


3月17日

 加納朋子『ガラスの麒麟』(講談社文庫、2000年(原著は1997年))を読む。通り魔に襲われた女子高生・安藤麻衣子と同級生の娘を持つ野間。しかし、その娘の直子は、突如として「あたし殺されたの」と麻衣子の口調で語り出す。途方に暮れる野間の前に現れた、直子を知る養護教諭の神野菜生子は、彼女の心に隠された事実と感情を解きほぐすのだが、それは菜生子の周りで連続して起きる奇妙な事件の始まりにすぎなかった…。
 『ななつのこ』『魔法飛行』『月曜日の水玉模様』『掌の中の小鳥』と同じく、バラバラに見えるかの短編が最後に1つへとつながる連作。前二者ほどの巧みさはないが、後二者よりは格段に読ませる。そして、殺人事件が明確に物語の中央へと据えられているからだろうか、前二者のような暖かさはなく、冷たいような儚さを伴った繊細な部分が前面に出ている。これは言葉では表現しにくいところもあるので、実際に読んでみるのが早いだろう。というわけで、無意味に派手ではない推理小説を味わいたい人にはおすすめと思う。


3月19日

 橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書、1988年)を読む。構造主義の中でも、特にその元祖であるレヴィ=ストロースの紹介を行い、そこに至るまでのルーツをヨーロッパの思想史の流れのなかでおさえていく。レヴィ=ストロースは、1955年に上梓した『悲しき熱帯』において、ヨーロッパにとっての植民地を未開の地と見なすことをやめるべきで、西洋とは異なる理性的なものを持っていると主張した。その背後にあったのは、言語学者ヤコブソンを通じて知った、言語学者ソシュールの理論であった。ソシュールの理論に従えば「個々の言葉や記号がいかなるものかは、記号のシステムの内部の論理(だけ)によって決まるので、それより外部の現象(実態)には左右されない」(52頁)。そして、ヤコブソンは音素同士の間に質的な違いがあるのではなく、単に対立関係があるにすぎないと考えて、母音三角形と子音三角形の理論を打ち立てた。レヴィ=ストロースはこうした理論を人類学に応用する。
 それまでの人類学は、現地での詳細な調査に基づき、その社会の慣習をそれが備える機能から理解しようとした。しかし、たとえば近親相姦のタブーのようにそれでは説明できない事象もある。レヴィ=ストロースは、この難問を解き明かすために、ソシュールやヤコブソンの理論を利用する。モースの『贈与論』によれば、価値があるから交換するのではなく、交換するから価値があるとされるが、結婚も女性の交換であると見なす。そして、このとき男性にとっての女性は、結婚できる妻であるか結婚できない姉妹であるかのどちらかであり、それは質的な違いがあるのではなく、単に対立関係にあるに過ぎないというヤコブソンの主張に近いものとなる。これを取り入れれば、近親相姦のタブーが構造的に理解できたのである。やがてレヴィ=ストロースは、同じ方法論を用いて神話をも解読していくことになる。
 ただし、構造主義にとってもっとも重要なルーツとなる学問は数学である、とする。そもそもギリシア人は証明を重視することで、後のヨーロッパの学問にとっての基礎とも言える幾何学上の公理をほぼ完成させてしまった。これはヨーロッパ人にとっての真実であり続けたが、相対性理論の登場と共にその立場は失われて、絶対的な真理は存在せず、制度によって真理は定められると見なされるようになる。そうしたなかで、抽象代数学も発展していくことになるのだが、この中で打ち立てられたクラインの四元群は、近親相姦のタブーの原理とほぼ同一である。つまり、近代数学の理論が、未開と呼ばれる社会の中で実践されていたことになる。つまり、人類の思想は未開から文明へと一直線へと発展するのではなく、思考の種類は決まっていて、それが並び替えられているに過ぎないと言えることになる。思想の中に眠るそうした普遍の構造を神話から探ろうとしたのが、レヴィ=ストロースであった、と主張する。
 そして、もう一つのルーツが遠近法と射影幾何学である。遠近法は人間の視点によって事物を主観的に描くが、それは世界を主体と客体とに分けることへとつながる。しかし、遠近法で描かれた平行線は実際には交わることはない。そこで視覚に忠実に考えてみたのが射影幾何学である。これに従えば、構造は目に見えることは決してないものとなり、それは主体の視点の差異を無視する構造主義へと至ることになる。
 ちなみに、本書を読んだのはとある事情があったからなのだが、そうでなければずっと読んでなかった可能性が高い。学生時代に読んだ浅羽通明『ニセ大学マニュアル死闘編』(徳間書店、1990年)にて、この本はギャグが寒いというようなことを書いてあるのを見て、構造主義に興味もなかったので、特に読む気が起きなかったのである。だが読んでみると、そんなに寒くないように感じなかった。これは、自分自身がオッサンになったからかもしれない。それはともかく、構造主義だけではなく、少しでもヨーロッパの思想史に興味があれば、基礎的なものをつかむために読んで損はない。ただし、本書はどちらかといえば推理小説のように伏線を張っておいて、忘れた頃にそれを解決するようなスタイルでもあるため、「構造」そのものは分かりづらくもあるのだが。


3月21日

 鯨統一郎『新・世界の七不思議』(創元推理文庫、2005年)を読む。前著である『邪馬台国はどこですか』と同じような構成を取りつつ、今度は世界の古代史の謎を題材として取り上げる。「アトランティスは、アテナイ人によって攻撃されたソクラテスをプラトンがイメージ化したものであった」「ストーンヘンジが巨大なのは、天を支えるものと見なされていたから」「ピラミッドが巨大なのは、ナイル河を制御する装置とみなされていたから」「ノアの箱船伝説は、洪水によって逃げ込んできた動物や民族がいたことを暗示している」「始皇帝は名君であったが、後世の人間に暴君と歪められてしまった」「ナスカの地上絵は魂が戻ってくるための目印だった」「モアイ像は、日本と同じ血を引くイースター島の住民が祖国を思って作った」など。
 前著と異なり、考古学的なものを題材に取り上げているため、乏しい資料を基にかなり想像に頼っている部分が多く、発想は面白くてもやや説得力が薄いと感じるところも多い。たとえばピラミッドに関して言えば、なぜ古代エジプト後期にあたる新王国時代になると大規模なピラミッドが造られなくなったのか、ということがこのままでは説明できない。このあたりに関しては、ミロスラフ・ヴェルナー(津山拓也訳)『ピラミッド大全』(法政大学出版局、2003年)マーク・レーナー(内田杉彦訳)『ピラミッド大百科』(東洋書林、2000年) を参照してもらえば分かる通りだ。
 それ以外についても、参考文献を具体的に挙げられないので憶測にすぎないのだが、疑問を感じる箇所が多い。ノアの箱船に関しては、高山ではなく高地でもいいというのであれば、メソポタミアでもエジプトと同じように年に一度は洪水があったはずだから(エジプトは雨期の水でメソポタミアは雪解け水という違いはあるが)、特別な物語を導く必要もないように思われる。始皇帝に関しては、漢王朝の正当性を主張するために、始皇帝の不徳を喧伝した可能性はあるが、中国では正当性を主張する場合、基本的に創始者の子孫が暗愚であるがゆえに新たに王朝を建てるという大義名分を打ち出すはずで、創始者については、本当に悪逆な人物ではない限り、わざわざねじまげては書かない気がする。ナスカの地上絵が魂が戻ってくるときの目印かどうかについては、現地の人々が魂と天界に対する信仰を持っていることを、まずは説明しなければならないだろう。
 また、オチの部分において日本の事物へと絡めるところは、やや強引さが目立つ。先に書いたように面白くはあるものの、やや面白さへと傾きすぎているような気がする。


3月23日

 本田由紀・内藤朝雄・後藤和智『「ニート」って言うな!』(集英社新書、2006年)を読む。ニートに対する言説の虚構を暴くと共に、それがいかにして形成されたのかを論じる。なお、著者のうち、本田・内藤は大学教員、後藤は大学生であり、本田のブログのコメント欄で本書の作成への合意がなされたとのこと。全3部構成であり、各部を各執筆者が順番に担当している。
 本書の優れている部分は、第1部の第1章と第3部の実証的な検証である。第1部第1章では、ニートの定義そのものの曖昧さから、その言説の問題点を鋭く衝く。「ニート」は、学生でもなく働いてもいない若者という意味で使われており、2004年以後に若者の問題としてメディアへの露出が極めて増えた用語である。確かに、内閣府が行った「青少年の就労に関する研究調査」に基づけば、1992年から2002年の間に、仕事に就きたいが仕事を探していない「非求職型」のニートは約25万6千人から約42万5千人へと増加している。だが、同じ調査によれば、仕事に就きたいとさえ思っていない「非希望型」のニートは、約41万1千人から約42万1千人へと増えたにすぎない。さらに言えば、同じ時期の「就業に向けた活動を行っている」失業者の人数は、63万8千人から128万4千人へと増加している〔この部分は後に訂正した部分である。「追記」を参照〕。つまり、ニート問題は若者の雇用が抑制されてしまっていることが主たる要因と言えるそして、ニートという言葉の発祥となったイギリスでは、貧困層や低学力層をいかにして救うのかという議論のなかでそれが現れたのに対して、日本では引きこもりへとイメージが重ね合わせられた。いわば、これは若者を雇う側の問題が隠蔽されてしまっていると言える。
 第3部では、ニートを悪者に祭り上げるかのような言説が、いかにしてマスコミの中で生産されていったのかを、様々なメディアの実例を取り上げることで暴いていく。第1部と同じように、企業福祉のあり方を問題視しないで、若者の態度に働かないことの原因を求めて、それに便乗するかのように若者を批判する言論界や識者のあり方を痛烈に批判している。
 「ニート」という言葉も、これまでよく見られたのと同じように、年長者が自分と異質な若者を下に見るための言葉として消費されている構造が、しっかりと描き出されている点は高く評価されるべきである。ただし、本書が優れているのはここまでであり、これ以外の部分には首を傾げざるを得ない。まず、細かいことからいうと文体と構成は統一すべきであろう。第1・2部は敬体、第3部は常体であるし、第2部は発表原稿のような感じでもある。最低限の文体のすりあわせはすべきだろう。そして、第3部には参考文献が挙げられている一方で、第1・2部にはない。付けるなら付ける、付けないなら付けない、とすべきであろう。そもそも、大学生が執筆した第3部にはきちんとした参考文献一覧があるのに、大学教員が執筆した第1・2部にはないというのは、どうかと思うのだが。
 そして、この参考文献がないという問題が、非常に良くない形で現れてしまっているのが第2部である。第2部で少年犯罪が増えていないということを述べつつ、佐世保小学生事件をとりあげて、例外的な小学生を子供や若者の代表例に仕立て上げる現状を批判し、実際には若者による凶悪判事は減少しているデータを提示し、自分たちには理解できない若者への憎悪が若者全体へ向いている、という内容なのだが、問題なのは最初の部分である。といっても議論の持って行き方ではない。そうではなくて、これはパオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』に収録された「キレやすいのは誰だ」の剽窃に近い点で問題である。両者共に、戦後における少年による強姦と殺人の検挙数をグラフ化しており、その内容はそっくりである。『反社会学講座』では人数そのものを挙げているのに対して、本書では10万人あたりの人数に変えている点が、逆に小細工であるようにしか見えない。本書には典拠が載っていないが、グラフはより細かいので、数字そのものは自分で調べたのではないかと思う。しかし、その手法を明らかに参考にしているのに、何も書いていないのは、研究者として不誠実と言わざるを得ない。
 なお、知らなかったという可能性もある。しかし、それはそれで問題である。というのは、第3部の参考文献には、きちんと『反社会学講座』が挙げてあり、第3部を読んでいれば、それに気づいていて不思議ではないからだ。研究者であれば、いかなる文献を読んだ場合にも、そこに挙がっている参考文献を見て、場合によっては自分で確認するのはごく基礎的な行為だからである。そして、そして著者同士で打ち合わせをきちんとしていたならば、参考文献に挙げられている文献の確認はしているのはごく当たり前であろう。上述のように、文体が統一されていないことから、こうした打ち合わせがなされていなかったことが推測できる。
 マスメディアが作り出しているネガティヴな若者像が、たいていの場合は言いがかりであることへの批判は、具体的な例証を挙げ分かりやすいものになっている。しかしながら、こうした問題点がそれらの優れた点を台無しにしてしまっている。
 そして、広田照幸『教育言説の歴史社会学』や加藤徹『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』の項に書いた、「研究者が現状改革者たりえるわけではない」という感想が、本書にもあてはまる。まずは第2部。ニートを増やさないために若者へボランティアを義務づける、という議論の持って行き方はプチ徴兵制である、との批判は、まだ理解できないこともない。しかしながら、年長者が自分に理解できない若者を教育しようとしていると批判して、教育は阿片である、と言っているのはどうだろうか。これもやはり、そうした言説が問題なのではない。自分自身が大学教授という教育へ携わる立場にあるのではないか、ということだ。自分だけは違うと思っているのであれば、自由な社会という理想を掲げる前に、自分自身はどのような教育をしているのか書いて欲しい。
 そして、こうした自分自身はどうなのか、という問題は第1部にもやはり当てはまる。フリーターや失業者が増加する不安定な状況を生み出した要因として、学校を経由した就職が一般的であることと、教育の職業的な意義が欠如していることを挙げて、若者がいくつかの職を移動する期間をおいて、その後に正規採用へと至る状況をつくり、学校では専門的な職業能力を育成する教育を行うべきとする。それ自体は正しくとも、大学教員である自分が何を行うべきか、という実質的な改革案がない点では、第2部とあまり変わらない。そして、ニートの定義の曖昧さを統計でついていながら、こちらに関しては自分がインタビューした少数の事例しか示していないのは、下手をするとニートを声高に批判する論者の印象論と変わらず、方法論としてあまりよくないのではなかろうか。
 なお、職業教育に関しては、第6回世界青年意識調査では、学校教育には職業教育の意義があるか、という設問に対する肯定率が、日本は異常に低い(71頁)。イギリスなどは極めて高いのだが、これは単にイギリスが格差社会であり、職業訓練の学校と高等教育の学校が別だからではなかろうか。つまり、大学への進学率を減らせば、日本でも肯定率を高めることは可能なのである。それは著者をはじめとする大学教員のポストを減らすことを意味するのだが。このあたりは、中井浩一編『論争・学力崩壊2003』に収録された佐藤学・刈谷剛彦・池上岳彦「教育改革の処方箋」と同じ構造を持っている。
 本田は、ニートの研究が評価を得られるものと見なされて、研究者によって格好の素材として取り上げられたのでは、ということを自戒を持って触れている。けれども、大学産業という構造を背景にしている自分自身も、そこから逃れ切れていないように見えるため、歯がゆさも感じてしまうのである。

〔追記:2008年9月11日〕
 この部分は、就業へ向けた活動を行っている失業者の人数と、ニートの人数を混同していたため、誤った数字を挙げてしまっていた。さらにニートの定義についても間違っていた。本文中ではすでに訂正しているが、もともとは以下のように書いていた。「1992年から2002年に無業者の若者は約130万人から約213万人に増えている。だが、その増加の要因となっているのは、働きたくても働けない「求職型」のニートであり、約64万人から約128万人へと増加している。一方で働く意欲がなく働いていない若者は、約67万人から約85万人へと増えたにすぎない」。

3月25日

 多島斗志之『症例A』(角川文庫、2003年(原著は2000年))を読む。精神科医の榊は、17歳の美少女・亜左美を患者として受け持つ。周りの人間を振り回し、治療スタッフの精神をすり減らす彼女を「境界例」と見なした榊だが、女性臨床心理士の広瀬は「解離性同一性障害」、すなわち多重人格を主張して対立する…。
 精神病を取り上げるだけだと普通の小説だが、さらにここへ博物館の展示品をめぐるミステリを絡めている。これがなかなか巧みで、読ませる作品に仕上がっていると言えよう。また、多重人格についても、それが存在するという前提にはじめから立って話を進めるのではなく、じっくりと書き記していくことで説得力を持たせている。そのあたりのリアリティは、井上夢人『プラスティック』よりも確実に上かと。広瀬の理解者である医師に「世間にはびこっているのは相も変わらぬ猟奇的な趣味ばかりです。ばかげたサイコ・ホラー映画や小説の類いが、未だに後を絶たない。まったく困ったものです」と呟かせているのは皮肉だろうか。
 ただし、U.ヌーバー『<傷つきやすい子ども>という神話』を読んでいると、幼児期のトラウマを重視する心理療法すら安易に信用してはならないとも言えてしまうのだが。


3月27日

 R.シャルチエ(福井憲彦訳)『読書の文化史 テクスト・書物・読解』(新曜社、1992年)を読む。『フランス革命の文化的起源』やロジェ・シャルチエ編『書物から読書へ』よりも視点を広げて、より一般的な叙述を行ったと言える。黙読の登場を活版印刷という技術的な改革の登場した時代に置くのではなく、古代末期のキリスト教から、修道院とその筆者室、そして13世紀には学者や大学へ広がり、その後に貴族階級へという流れで普及したのではないかという推測などもあり、これまで著者の著作を読んだことのない人で書物に興味がある人は、興味深い知見をいくつも得ることができるだろう。巻末のインタビューは、アナール学派の動向や考え方を簡単に知るには便利である。
 翻訳は平易で読みやすいのだが、唯一「プラチック」という言葉がそのままカタカナ書きになっていて、ほとんど説明がないのは気になった。どちらかといえば、入門書に近い性格の書であるから、重要なテクニカルタームなのだから、「慣習行動」くらいの日本語に翻訳するか、初出の際に補足の説明は加えておくべきではなかろうか。


3月29日

 西澤保彦『七回死んだ男』(講談社文庫、1998年(原著は1995年))を読む。すべての経験の記憶を保持しつつ、ある1日を9回過ごさねばならないことがたまに起こるという、不可思議な能力を備えてしまった高校生・大庭久太郎。年始の挨拶に向かった祖父の家では、祖父の事業の後継ぎをめぐる一悶着が起こったのだが、それと関わりたくない久太郎は、祖父にしたたかに酒を飲まされて泥酔して帰宅することになる。しかし、その日が9回過ごさねばならない日になってしまい、さらに1週目の時には起こらなかった、祖父の死という予期せぬ事件が生じてしまう。何とかそれを阻止しようとするのだが、努力してそれを回避する度に予期しない人物が祖父の元へ赴き、祖父が死んでしまうということが起こり続けてしまう…。
 『人格転移の殺人』と同じく、SF的な設定を、エンタテインメントとしての推理小説に持ち込んでいる。そして、何度も同じ時間を過ごすという設定を生かして、どうにかして祖父の死を阻止しようとする、普通の推理小説ではできないような努力や、その中で張られていく伏線が少しずつ解きほぐされていくところなど、やはり面白い。この何度もやり直すという設定は、『ひぐらしのなく頃に』(7th Expansion)に近いものの、『ひぐらしのなく頃に』が推理ものとしては批判が強いのに対して(私は決してそうは思っていないが)、こちらにはそうした批判は生じないのではなかろうか。もっとも、何を描きたいのかという構造的な違いがあるので、両者を一概には比べられないのだが。


3月31日

 J.ル=ゴフ、A.コルバン他(小倉孝誠・後平隆,・後平澪子訳)『世界で一番美しい愛の歴史』(藤原書店、2004年)を読む。ジャーナリストであるインタビューアが、各時代の専門家へその時代の愛について尋ねる構成を取っている。総合して言えることは、現代的な意味での恋愛的な愛は19世紀に入って成立した、というものであろう。ただし、どうもこのインタビューアが曲者で、現代的な恋愛が昔からあったということを専門家に語らせようとする気配がある。そうした方向性に持っていこうとするのを専門家が軽く受け流しているというように見えて、どうも会話が噛み合わない場合が見られる。それでも各専門家の受け答えの中には、興味深い知見が散見されるので、以下メモ的に。
 旧石器時代は一夫一妻制であった。男性1人が2人の女性と共に埋葬されている事例があるが、男性のお供として一緒に埋葬されたと考えられる(33頁、ジャン・クルタン)。旧石器時代の女性を描いた壁画や彫像は、性器が強調されているが、これは性的な理由ではなく豊穣のシンボルである(39頁、同)。新石器時代のローヌ渓谷の墓から、1人の男性が複数の女性と共に埋葬されているのが発見されたが、この女性たちは男性が死んだ際に一緒に殺されて埋葬されたと考えられている(43頁、同)。ローマ人にとって結婚とは軍務と同じ死民としての義務であった。また、妻から持参金をもらうことも結婚の目的であった(52頁、ポール・ヴェーヌ)。ローマの男性は少年の頃から売春宿へ行っていた。性愛も軍隊の規律と同様と見なされており、家庭内に揉め事を持ち込まないことが重要であった(61〜62頁、同)。中世においては肉欲が人間の原罪と考えられた。その考えは、「時は差し迫っている。これまで妻を持っていた者たちは、もう妻がいないかのように暮らすように」(コリント人への第1の手紙、第7章第27節)というパウロの言葉からも窺える(92頁、ジャック・ル=ゴフ、92頁)。
 16世紀の富裕階層においては、結婚から恋愛感情が排され、さらに女性は売買される家畜のような扱いですらあり、17世紀には持参金の多寡に応じた結婚一覧表が成立した。一方で貧困層の女性は結婚するために、働きながら持参金を貯めていくのだが、その結果として女性の役割に対する評価が高まり、出会ったときから同等と思われるようになる。そうなると夫婦の絆が形成されるときに情緒が役割を持つ、すなわち恋愛結婚をするようになった(ジャック・ソレ、108〜110頁)。国家は性に対する締め付けを強化し、姦通どころか、人前で人妻にキスをしただけで死刑になる地域すらあった。売春婦は鞭で打たれ、強制労働をさせられることもあった(同上、113〜114頁)。
 フランス革命において、国王の圧政に反対したのであれば、父親や夫の専横に抵抗すべきという気運が高まり、家庭は国家と同じく自由と平等によって支配されるべく法律が定められる。この結果、民事契約による結婚が創設されて、結婚は宗教から独立する(モナ・オズーフ、141頁)。
 なお、先にも書いた通り、現代的な恋愛は19世紀に入ってから成立したようだが、性欲に関しては20世紀後半にはいるまでは、ネガティヴに見なされていたようでもある。19世紀の医師は、オナニーをすると性欲が減退し、想像力が加熱状態にもなるので危険であると見なしていた。特に女性が快感を得ることは忌避され、稀にではあるものの、クリトリスを切除する手術すら行われていた(アラン・コルバン、170〜171頁))。しかし、19世紀後半には、女性も含めて家庭外での遊びが盛んになる。このときキスや愛撫によっても楽しむという手法が現れ始め、それが家庭内に持ち込まれていくことになる(同上、177〜178頁)。
 なお、現代に関しても本書で述べられているが、この辺は、橋本治『蓮と刀』(河出文庫、1986年(原著は1982年))で、オナニーに害はないと言われるようになったのはここ30年ほどであり、「オナニーに害はない」という暗黙の了解路線から、「毎日5回はやりすぎ」というアッケラカン路線に変わったのはここ10年ほどの歴史にすぎない、と書いているのが一番実態に近い書き方だろう。後世から見れば、20世紀後半は「愛と性」に関する価値観が急激に変化した時代、と位置づけられるのかもしれない。
 なお、トロキストは人間の解放を早めるためには、男女の労働者が成功によって一緒にエクスタシーに達しなければならない、と考えるようになった(パスカル・ブリュックネール、215頁)。これは、倉塚平『ユートピアと性 オナイダ・コミュニティの複合婚実験』(中央公論社、1990年)にて詳細に描かれた、フリー・セックスを指針としたオナイダ・コミュニティの思想の基盤になっているのかもしれない(だいぶ前に本書を読んだので、私が忘れているだけで、きちんとその辺も書かれているのかも知れないが)。「愛は民主主義的でない」(同上、231頁)と述べているのは、オナイダ・コミュニティの失敗を踏まえての言葉だとすると理解しやすい。この辺は、別冊宝島『天下国家の語り方 日本と世界、政治と経済をめぐる「神話」の検証!』(JICC出版局、1990年)に収録された、呉智英「愛は陶酔し、愛は差別し、そして愛は“地球を壊す”テロリズムとなる!」の主張とも重なるが。


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