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2006年10月の見聞録



10月1日

 森博嗣『スカイ・クロラ』(中公文庫、2004年(原著は2001年))を読む。「スカイ・クロラ」はsky crawlerで飛行機乗りの話。未来の日本らしき世界で、飛行機に乗って戦闘を繰り返す「僕」。「僕」は、大人にならず死なない人間、そして戦争で人を殺し続ける「キルドレ」であった…。
 戦争に関する寓話のようなものであり、戦場なのだから本来ならば殺伐とした状況であるにもかかわらず、人生に飽いているかのごとく普通に生きる「僕」の日常が、淡々とした筆致によってうまく描き出されている。とはいえ、戦うことは人の世の常であり、だからこそどこかで戦っているという現実感が世界には必要なので、「キルドレ」に戦争をさせている、という設定のはかなり使い古された設定な気もする。まあ、「万人の万人に対する闘争」の概念は、使い回しがきくだなあ、と。浅羽通明『教養としてのロースクール小論文』の見取り図にしたがって、社会契約論のロックとコミュニタリアンのヒュームの思想もさらに絡ませて設定を作れば、何となく奥深そうに見える舞台が出来上がるのだろうな、という意地の悪い考えが浮かんだりもした。


10月4日

 恩田陸『ドミノ』(角川文庫、2004年(原著は2001年))を読む。保険会社の社員、舞台のオーディションに参加した子役の少女、俳句クラブの集まりに参加する老人、その俳句クラブを構成する警察OB、付き合っている女性と分かれようと画策する青年実業家とそのいとこの女性、次期部長の座をめぐって対決する推理クラブのメンバー。各自がそれぞれの目的と意志を持って東京駅へと集まってきていたのだが、少しずつ交錯していく中で、やがて過激派をめぐる事件へ全員が結びつくことになる…。
 物語の主軸を主人公たちに置くのではなく、舞台設定に置く手法で物語を構成することで、1つの事件には主人公以外の色々な人間が絡んでおり、それぞれの行動が予期せぬ結果を生むという現実感を、うまく醸し出している。ちょっとした出来事の積み重ねによる予期せぬ展開という意味では奥田英朗『邪魔』、複数の登場人物による舞台という意味では宮部みゆき『模倣犯』に、それぞれ近いが、それらを混ぜてコメディタッチにしたような作品とも言える。欲を言えば、過激派や伝説の暴走族のような、どちらかといえば日常的にはあまり見られない人物を出さずに、ごく普通の人間だけが絡み合って非日常的な事件が起こるような展開だと、さらに起伏に富んだ作品になった気がする。


10月8日

 清水義範『博士の異常な日常』(集英社文庫、2005年(原著は2002年))を読む。久しぶりに清水義範の小説を読んでみた。まあ、そこそこかなと思うけれど、「鼎談 日本遺跡考古学の世界」だけは、個人的に抜群に面白かった。121世紀、つまり1万年後の考古学者が日本の考古学を題材にして鼎談を行う、というもの。この世界では日本は21世紀頃に沈没して、鼎談の50年ほど前に再浮上したことになっているのだが、日本沈没の時代の説として1973年説が挙げられている。その根拠がコマツ卿という地質学者らしき人物の手になる文書なのだが、当然のことながら、これは小松左京『日本沈没』を指している。つまり、明らかにフィクションである小説が歴史文書と見なされて、真面目に議論されてしまっている。今の歴史家も同じことをやっているかもしれないというパロディをいきなりかましてくれる。こうした歴史学に対するシニカルなパロディが随所に見られる。一番面白いのは東京都庁に関する議論(131〜133頁)。「トチョーシャ」と呼ばれている正体不明の建物に関して、「トチョーシャ」は「盗聴舎」であり政治を司っていると推測したり、海底に沈んでも壊れなかったのだから、無駄に金をかけて頑丈に建ててあったと言え、権力者が権威をひけらかすためか、神殿として作ったと主張している。さらに、「トチョーシャ」では、厚底ブーツが出土しているが、これは実用的ではなく、より天に近づくための道具であるとして、神殿説を補強している。これなどは、史料からの推測が的はずれなのに本人は至って真面目、という滑稽な構図を、ものすごく分かり易く示している。
 また、東京で見つかったミイラ化した男性、通称「ロンゲ君」は膝が破れた青いズボンを履いていたのだから、当時の衣料は貧しかったのだろうと見なしたり、イラン人が残した日本に関する文献に「コンビニ文献」という通称が大まじめに付けられていたり、福岡で出土した落書きにあった「王さん優勝ありがとう」という文章を、この頃の日本には王がいたという証拠にしたり、と笑える見解が次々出てくる。まあ、歴史学の立場からすれば笑えないかもしれないが。「二十世紀なんて聞くと、科学文明も何もない原始の生活と考えがち」(130頁)という台詞は歴史学者ならではのものいいとも言える。歴史学を志す者は、自分自身の営みを再確認するという意味で、読んで損はないだろうし、堅苦しく考えなくても十分に面白い。


10月15日

 乙一『GOTH』(角川書店、2002年)を読む。人づきあいの良さそうな外面とは異なり、殺された人間とその状況に強い興味を抱く高校生の「僕」。その「僕」と同じ様な趣味を持ち、「僕」の匂いをかぎつけた同級生の少女である森野。二人はいくつもの猟奇的な殺人事件へと、自ら関わっていく…。
 私はこの著者の作品を初めて読んだのだが、どうやらそれまでは感動系を書いていた人らしい。短編連作であるが、猟奇的な事件を取り上げているものの、各短編ごとにトリックの趣向を凝らしてあり、その意味では正統派とも言える(叙述トリックもあるが)。死体の分解や、死ぬ前の人間に話をテープに吹き込ませて、殺した後に家族に少しずつ聞かせるなど、グロテスクな内容が多い。それに加えて、筆致は極めて抑えがちなので、不気味な怖さを増加させている。猟奇的なサスペンスが好きな人にはお勧め。箱に詰めた人間を土に埋めていく「土」が個人的には面白かった。ところで、「リストカット事件」の手首を集める犯人は、『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影そっくりだが、あれほどぶっ飛んではいない。この辺のバランス感覚が、かえって人間の本質的な怖さを描き出しているように思える。


10月17日

 宮崎市定『雍正帝 中国の独裁君主』(岩波新書、1950年(リンクは1995年の中公文庫版))を読む。清の第5代皇帝である雍正帝に関して、その即位から治世までを述べていく。康煕帝と乾隆帝という長期政権を維持した有名な皇帝に挟まれているため、一般的にはそれほど注目されない皇帝であるが、著者は近世の代表的な独裁君主として雍正帝を挙げている。確かに本書を読めば、雍正帝がとてつもなく勤勉に政治へと携わっていたことが分かる。
 康煕帝の第4子として帝位に就いた雍正帝は、10人以上いる他の兄弟に対して粛正も含めた厳しい態度で臨むが、これは彼が独裁君主であり、兄弟であっても君臣関係をなおざりにはできない事情によるものであった。ただし、遼・金・元などの征服王朝には見られぬ団結心もあったために、皇帝が即位して君臣の分が定まれば、あえて武力を用いて自分の欲望を達しようとする皇族もいなかったことも事実である、とする。
 帝位に就いた雍正帝は、科挙を輩出できる上流階級が特権階級として派閥政治と金権政治が蔓延していた状況の改善を、天命を持つ者という意志でもって断行する。そのために採った政策は、官吏各自に自分の元へ文書でもって逐一報告させるというものであった。そして、臣下には見せずに自分自身で見聞し、さらに自分自身で返事を書くことで、細部にわたる政治の運営に自ら手を下し続けた。また有能な人材を積極的に登用し、昼夜を通じて勤勉に政務に精励することで、派閥政治と金権政治を廃していく。しかしながら、これは皇帝個人の能力と健康に拠るところが大きく、維持し続けるのは難しい。また、地方の上流階級の反発を抑え込み続けるのもまた困難である。そのため以後の清朝は官僚政治へととけ込んでいくことになり、これは「独裁政治の限界」と言える、と結ぶ。
 実は、恥ずかしながら宮崎市定の本を今まで読んだことがなく、何が面白いかを友人に聞いたところ、この本を推進してくれたので読んでみたのだが、確かに抜群に面白い。新書サイズの歴史書として兼ね備えるべき分かりやすさと、学術的な興奮を同時に満たしてくれる。少しでも歴史に興味があれば、一読をお勧めする。
 なお、天命に関して鋭い主張を雍正帝は行っていたようだ。清朝は異民族であるので正統な王朝ではないとの非難に対し、天命を受けた君主であれば異民族であっても構わず、『経書』の中にも堯は東夷の人なり、とある、と雍正帝は反論したという(139〜140頁)。


10月27日

 鯨統一郎『邪馬台国はどこですか』(創元推理文庫、1998年)を読む。カウンターだけの地下1階のバー。バーテンダーの松永が働くこのバーには、日本古代史を専門とする温厚そうな三谷教授と、日本史・東洋史・西洋史を統合した世界史を標榜する美人助手の早乙女がちょくちょく出入りする。早乙女の切り出した話題に雑誌ライターらしき正体不明の壮年男性の宮田が、歴史談義に早乙女を巻き込むことで、いつも物語は幕を開ける…。
 6つの短編から構成されている歴史ミステリであり、宮田が自説を主張して早乙女を圧倒していくという構図は、どの話にも共通している。宮田の説はどれも大胆であり、通常の歴史学会では受け入れられないような説ばかりである。「仏陀は悟りを開いておらず、常に救いを求めていた」「邪馬台国は東北にあった」「聖徳太子は推古天皇であり、この頃の天皇家の二大派閥争いを隠すために、蘇我馬子と聖徳太子が創り出された」「織田信長は自殺願望があり、最終的に明智光秀に自分を殺させた」「明治維新は勝海舟の催眠術によって引き起こされたものだった」「イエスは処刑前にユダと入れ替わった」など。ただし、いずれの主張も史料を駆使したものであって、でたらめを並べたわけではない。実際に、大山誠一『<聖徳太子>の誕生』は、聖徳太子を創り上げられた人物であるとしており、本書で展開されている議論はあながち的はずれなわけではない。そして、本書の論理展開は非常に面白い。バーテンダーの松永に「宮田の手に掛かると、松永のような素人にも歴史は俄然面白いものになる」と言わせて、宮田を歴史エンターティナーと呼ぼうとしているが、歴史家はついストイックであろうとするあまり失っているものを、本書は教えてくれている気もする。たとえば、山本英二『慶安御触書成立試論』は、「慶安御触書」という日本史の知識が少しでもあれば知っているような史料の実在性を疑うという、なかなか刺激的な主題である。だが、正統派の実証主義の本であり、その論証過程に面白さを感じる人もいるだろうけれども、決して万人向けの面白さとは言えない。必要に応じて、より広範な読者を引きずり込んでしまうような文章も書けねばならないのではないだろうか。つい先日取り上げた、宮崎市定『雍正帝』は、まさにこのお手本だろう。
 皆神龍太郎『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』の項でも述べたが、研究の部分においてはスペシャリストであっても、語りの部分ではジェネラリストにもなる訓練の必要性は、いまのアカデミズムの人間にとって切実な問題なのかもしれない。


10月30日

 森谷公俊『王妃オリュンピアス アレクサンドロス大王の母』(ちくま新書、1998年)を読む。古典史料において、アレクサンドロス大王の母・オリュンピアスは野心と権力欲にまみれた女性として描かれている。夫であるフィリッポス2世の暗殺を背後で操り、王族の女性を次々と殺害し、アレクサンドロスを偏愛するなど、希代の悪女のごとくである。これらについて、史料を綿密に検討し直すことで、マケドニア史の中に位置づけつつ、その全体像の再構成を行う。
 オリュンピアスはモロイソス王国から嫁いできたのだが、両国は共に一大勢力となっていたギリシアに取り入ろうとするために、王国の起源をギリシア神話に結びつけようとしており、彼女の名前にもそれが反映している。しかし、フィリッポス2世は北方からの異民族の侵入を撃退し、内政改革を進めることでマケドニアの国力を増大させていく。やがて、オリュンピアスは7人いるフィリッポス2世の4番目の妻として、アレクサンドロスを生む。マケドニアの一夫多妻制はギリシア人に野蛮な風習と捉えられることもあったが、王国の立場からすれば近隣の妻をめとることで近隣の王国との同盟関係を結び得る点で重要であり、そもそも彼らは正妻や妾という区別をしていなかった。しかし、恐らく王が相手にするのは彼女たちが子供を産むまでであり、新たな妻がやってくれば、放置される可能性がある。オリュンピアスは、7番目の妻をフィリッポス2世が強引に娶ったときに、このような状況に陥ったと考えられる。フィリッポス2世が暗殺された後、オリュンピアスはこの女性を死に追いやってしまうからである。
 即位して東征を行っているたアレクサンドロスに、オリュンピアスはこまめに手紙を送り続けて、部下に対する注意を怠らないように盛んに訴えていた。これは母親としての愛情に由来するだけではなく、マケドニアを与る支配者としての立場からの行為でもあったが、そのために麾下の将軍であるアンティパトロスと衝突することになる。一方、アレクサンドロスも、自身が進める東方との融合政策に反対するマケドニア人勢力とアンティパトロスを見なしたために、彼を解任する。
 だが、アレクサンドロスが亡くなり、後継者争いが激しくなると、これに巻き込まれたマケドニア王家の女性は、オリュンピアス自身も含めて次々と悲劇的な最後を迎える。マケドニアでは、フィリッポス2世の別の妻の子供である夫婦がクーデターのような形で王位に就いていたが、オリュンピアスは別の将軍と手を結びこれを壊滅する。しかし、その将軍も彼女の元を離れ、捕らえられて処刑されてしまう。その処刑した将軍こそ、後のマケドニア王となるカサンドロスであり、以後のマケドニア王家は彼の血筋となる。
 以上が本書の内容だが、幾つかメモを。アレクサンドロスの誕生がフィリッポス2世にとって好ましくないかのごとく描かれている史料があるが、これは妻であるオリュンピアスとの関係が破綻をきたした事情と、アレクサンドロスが彼を越えていってしまうという現実から後世に付け足されたものと考えられる(55頁)。フィリッポス2世を娘の結婚式の場で殺害した男性は彼の愛人であり、彼を陵辱するように仕向けた将軍を用い続けたことへの反感が、この事件の引き金になった。これについて、オリュンピアスによる陰謀という説もあるが、後に彼女がライヴァルの女性を殺害するときにも密室で行っているため、白昼に殺すような策は取らないはずとして、この説を否定している(112〜115頁)。オリュンピアスに捕らえられた王家の女性は自ら縊死した。これは古代ギリシア人が王家の女性に相応しい死に方を縊死と見なしていたためであり、逆に男性が自殺することは不名誉と考えられていた(189〜190頁)。
 ある事情からこの本を読んだのだが、抜群に面白かった。アレクサンドロスの帝国とその解体を、オリュンピアスという女性を論の中心に添えるという従来とは異なる切り口で鮮やかに描き出し、学術的でありながらも全体の流れがスムーズにつながっている。先に読んだ宮崎市定『雍正帝』に、勝るとまではいかなくても、劣ることはないと思う。難点を挙げるとすれば、見慣れない人名が頻出して、ギリシア史の専門家でもなければ読んでいるうちに混乱してしまいそうになることくらいか。この本がどうやら品切れというのは惜しい。
 ちなみに、岩明均『ヒストリエ』の主人公であるエウメネスは、オリュンピアスが将軍たちと衝突したときに、オリュンピアスと手を結ぶ唯一のマケドニアの将軍として、本書にも現れている。ここまでくるのにあと何年かかるか分からないが。


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