雑想庵




(2000年10月10日開設)

当庵は、見たり・読んだり・聞いたりした色々なものについて考えたことを
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2019年4月18日更新<見聞録>)

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本日の呟き(7月26日) (バックナンバーへ

「今のままじゃ、Jリーガーになれても日本代表としてW杯に出るのは無理」スペインで活躍する柴崎岳が変わるきっかけとなった青森山田高校・黒田監督の言葉サカイク
「褒められ慣れてしまうのは、すごく危険だと思います。なぜなら、自分ができること以上の要求をされたことに対して、ストレスを感じるようになってしまうからです。今まで70%、80%の力でプレーしていたことに対しても、安易に褒めてしまうと、それを100%のプレーだと勘違いして「これが自分の全力のプレーなのだろう」という思考が働いてしまいます。安易に褒めてしまう指導は「無責任」なことです。さらに向上できるよう導くことが適切な指導だと考えています。」
 教育において大事なことは褒めることだと思っていたが、それだけでもダメだというのは肝に銘じる必要があるな、と。
*

当庵の覚書(2008年3月更新)
  最初にお読みください。

見聞録の書斎(4月18日更新) (追記の更新目録はココ
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最近の見聞録


4月18日

 宇佐美寛『教育哲学』(東信堂、2011年)宇佐美寛『議論を逃げるな 教育とは日本語』(さくら社 2017年)を読む。著者による他の本と共に、細部へのこだわりこそが本質へ迫る指摘となりうる事例がいくつもある。たとえばカギカッコによる引用に際して句点を省略してはならない、という指摘。たとえば夏目漱石の『坊ちゃん』における「西の方だよ。」「箱根の先ですか手前ですか。」を引用するにあたって句点を省略してしまえば、「「西の方だよね。」や「箱根の先ですか手前ですかが気になります。」の傍線部分を省いて引用した可能性を否定できないのである。」(『議論を逃げるな』、39頁)とする。著者がしばしば訴える「勝手にまとめるのではなく引用すべし」という主張の正しさを、細かい点からさらに深めたわけである。
 なお、2冊の本について一緒に書いているのは、この2冊で触れられている教育哲学の研究方法について気になったから。両書を読む限り、「教育哲学会の大会で行われる研究発表のほとんどは、西洋人の教育思想の単なる祖述・紹介にすぎない」(『教育哲学』、87頁)らしい。学問研究は先人を批判して新たな見解を提示するものだと思うのだが、そうではないというのは個人的には驚きだ。ただし、教育史学に関してこういう指摘もある。「教育史を専門としてきた大学教員は、日本の教育現実に対処する教育学においては、かなり無知である。教育実践も調査も実験する気にはならないようである。」(『議論を逃げるな』、69頁)。「「歴史を知るからこそ、現実が分かるのだ。未来への見通しも出来るのだ。」というお題目も所詮はお題目にすぎない。現代の技術を洗練させるために、過去のすでに古くなった技術を学ぶ必要はない。例えば医学において「歴史情報は不要だろう。私はこの十年、病院の世話になり続けである。医者と知り合った。彼らは、そんな歴史情報には無関心である。」(『議論を逃げるな』、65頁)。だとするならば、実際の政治や外交に役立たないような歴史学は所詮趣味にすぎないのであろうか。現代史ならばともかく古代史が、役に立つ場面は皆無である。私自身は、以前から述べているとおり趣味であると考えている。役に立つことはほとんどない、ただし役立つ場合もあると考えてはいる。それでも、こうした主張の前には、実用性がなければ存在意義がないくらいまで追い詰められてしまう気がする。
 なお、後者にはアクティヴ・ラーニング批判も収録されている。私自身も、この言葉が単なる新しい言葉を持ち出しただけで、画期的な教育方法であるようには思えない、とは感じていた。もしかするとアクティブ・ラーニングに基づくこれまでとは明らかに異なる授業法の具体例を示しているものがあるのに、不勉強で知らないだけという可能性もあるのだが、教育の理想論めいた総論や概念を述べるに留まったものしか見たことがない。
 なお、amazonのレビューの指摘(ワッフル「期待したんですが、主題のアクティブラーニング批判は空振りだと思います」)によれば、「active learningという教育用語が90年代から存在します。Wikipediaの英語版にもactove learningという項目が2006年に作られました。」とのことだが、これに対するコメントに、「「Active learningという英語はない」との言は見当たりませんでした。「ナンセンス」とは書かれていますが。」とあるのが正しいだろう。確かに「「アクティブ・ラーニング」という不出来で、つじつまが合わない英(米)語だから、定訳も付けられない。」(11頁)という文章はあるが、そのような言葉そのものがない、とは言っていない。


4月8日

 ライアン・エイヴェント(月谷真紀訳)『デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか 労働力余剰と人類の富』(東洋経済新報社、2017年)を読む。
 産業革命期に機械が人間の仕事を奪うとされたが、結局のところそれによってもたらされる新たな仕事が現れて、高齢労働者がいても稼いだお金を消費に費やすことが財やサービスの需要を作り出し、そうした結果とはならなかった。しかし現代社会ではデジタル革命による自動化、インターネットの急速な発展による膨大な情報の入手性、グローバリゼーション、スキルの高い少数の人間の生産性向上により、労働力が余る時代となっている。ただし、そもそも社会や下位者が上手くいくノウハウはその共同体で蓄積されてきた社会資本(ソーシャルキャピタル)によって決まる。共同体の構成員が社会資本を共有することでうまくいくのだが、ただしある環境で抜きんでるのに最適化されてしまった社会資本は、まったく異なった流れが必要となったとき、その脅威には上手く対応できなくなってしまう。たとえば、紙媒体のジャーナリズムがウェブ化に上手く成功していない事例がその例である。
 人類全体を豊かにするために現代社会がどのように対処すべきなのかについて、現在の政策のほとんどに何らかの欠点があると示されており、じゃあどうすればいいのか、と途方に暮れてしまう。たとえばベーシックインカム。もし、その額が多ければ下層にいる人々は働くのをやめてしまうし、少なければ「稼ぎが平均所得の成長に追いつけない低スキル労働者は貧困から這い上がれない」(283頁)。働かなくても住む豊かさがある人にやりがいのある仕事を提示するとなれば、もはや宗教めいたものになってしまいかねない。どうすればいいのかで途方に暮れてしまいそうになるが、現在の労働をめぐる問題をとりあえずおさえておくのには便利だと思う。
 なお、本書のタイトルから想像したものを期待していると少し期待はずれになってしまうかもしれない。確かにメインタイトルに関連する話もあるが、デジタル化やAIによる働き方の変化といった点を突き詰めていくわけではない。むしろ主題となっているのはサブタイトルの方だろう。そもそも本書の原題もThe Wealth of Humans, Work Power,and Status in the Twenty-First Centuryなので。
 ただし、一箇所だけ興味を引かれたのが大学教育に関する記述。オンライン教育では討論は出来ないが、凡庸な教授がありふれた教材を使って大教室でしている講義は、オンライン講座に簡単に置き換えられる、と述べている(98~99頁)。「反転授業では、学生がオンラインでほとんどの授業を受けてから、討論したり分からないところを教授やアシスタントの大学院生の指導を受けたりするために教室に出向く」(99頁)ともある。答えの決まっている問題ならば反復学習を自習で行えばよいし、ただ持論を展開するだけならばネットで行えばよいので、大学教員も高をくくっていたら、あっという間に置き換えられてしまうかもしれない。
 以下メモ的に。コンピュータの世界を刷新したのは、第2次世界大戦だった。暗号解読や核爆発のモデル計算を行える新型機の開発を、各国が競って進めたためである。結果として構成部品の小型化を進めるコンピューター産業が誕生していく(45~46頁)。
 アメリカでは1980年頃、平均的な大卒の初任給は高卒よりも40%高かった。2000年にはさらに倍近くまで開いている。ただし、分野による違いがある。高卒の給料と比べた場合、英文科卒であれば1.5倍程度だが、経済学部ならば2倍、電気工学卒は2.5倍になる(75~76頁)。
 1996年から2000年までのシリコンバレーの起業率は、アメリカの他の経済圏のそれを下回っている。当時は人手不足に悩んでいた大企業の労働条件があまりによく、飛び出して新しい会社を始めることがそれほど魅力的に見えなかったためである(110頁)。
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便利な商品コーナー

かつて、「茶の間の呟き」で紹介したことのある商品の中から、
個人的に使い勝手のいい物をピックアップしています。

SX-CL02MSV (2009年5月7日)
 ノートパソコンの背面下部に置いてUSBにつなぐと風を送ってくれて、ノートパソコンの底面を冷やしてくれる(なお、バスパワータイプのUSBハブにつないでも作動してくれている)。これはかなり劇的な効果があるので、パソコンの熱さにお悩みの方は是非。なお、これはB5サイズ用で、A4サイズ用はSX-CL03MSVになる。


ブックストッパー (2009年5月7日)
 洗濯ばさみに分銅のようなおもりが付いたようなもので、見た目はかなりショボイのだが、本の両端にはさんでおけば、常に見開き状態にすることができる。文庫や新書、ペーパーバックなどを見ながらパソコンに情報を打ち込むのに便利。2つ一緒に用いないと使いづらいので、買うならば2つ一緒に。


桐灰カイロ 上からはるくつ下用 5足入 (2014年2月25日)
 靴下の裏から貼るカイロだと、冷たくなったときに硬くなってしまい、歩いていると足の裏が痛くなってしまうのだが、上から張るのだとそうならくて便利。


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