雑想庵




(2000年10月10日開設)

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2017年2月7日更新<見聞録>)

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最近の見聞録


2月7日

 芦辺拓『異次元の館の殺人』(光文社、2014年)を読む。検察内部の不正を告発しようとしていた老検事が、別居中の妻を殺害する容疑で逮捕された。「私」こと後輩の菊園綾子は、ライバルのような存在である弁護士の森江春策に協力を仰ぎ、証拠品の放射光による鑑定と、関係者が集った洋館ホテルでの事情聴取を行っていた。そこで新たに殺人が起きてしまうのだが、放射光鑑定のさなかに起きた事故の影響によって、菊園が真犯人を告げる推理を開陳した直後にパラレル・ワールドへと飛ばされてしまう。しかも、その推理は別世界では明らかに成り立ち得ないものになってしまっていた。そこで新たな推理を組み立ていくのだが、そのたびに新たな世界へと飛ばされていく…。
 『グラン・ギニョール城』と同じく「森江春策の事件簿シリーズ」というシリーズものの一作らしいことを読後に知った。繰り返される世界の中で真相を目指すといういわゆるループものだが、その真相としてあの作品(あまりにもネタバレになるので、ここでは名前を出さずにリンクだけ張っておく名前は出さない)を、このような形で使うとは思わなかった。あの作品はアガサ・クリスティー『アクロイド殺し』(リンクはハヤカワ文庫版)などと異なり、同じ手法を模倣と批判されるのに使うのは難しいと思ったのだが、こういう使い方があるのか、とちょっと唸らされてしまった。ミステリ好きならば途中で真犯人には気づいてしまったかもしれないし、そのアクロバティックな密室トリックには好みも分かれるかもしれないものの、それでも十分に楽しめるとは思う。
 ところで『グラン・ギニョール城』での森江は、完結を欠いている物語にて未完に終わっている部分まで至れば、全てが最初に戻るのではないか、という恐怖を感じているが、本作では正しい推理に至るようにパラレルワールドを繰り返させるという点で、終わりには向かっている。「正しい推理にもとづき、真犯人を指摘していたなら、こうしたことは起きなかったのではないかということだけです」(136頁)。うまく言えないのだが、やはり物語とは、絶対の真実を確定するものではなく、もっともらしい結論を提示して終わらせるという過程こそが重要なのではないか、と思う。


1月27日

 山室恭子『大江戸商い白書 数量分析が解き明かす商人の真実』(講談社選書メチエ、2015年)を読む。サブタイトルにあるように、江戸時代の商人に関する一次史料の調査データから、江戸の商人のリアルな姿に近づこうとする。江戸の町奉行は人口調査を行っているが、どの街に何人暮らしていたのかの内訳は失われてしまっている。ただし、「市中髪結沽券金高取調書」という史料から人口分布の推測が可能である。これは髪結たちの営業の権利証の額面の総計を列記したものである。髪結の料金は江戸全域で同一であるため、その額面は人口比に比例することになる。その結果、日本橋地区に45%の住民が住んでいたと判明する(16~17頁)。それをさらに小間のデータ(詳細な出典は本書にあるが省略)と組み合わせれば、人口密度も判明する。結果として、やはり日本橋は10坪あたり4.1~4.2人となりかなり窮屈である。これに対して浅草になると2.5人に減り、隅田川の向こうの深川や本所は0.7~1.3人とかなりゆったりとなる(22~23頁)。
 そうしたなかで商人はどのように商売を営んでいたのかについては、刊行されたばかりの『江戸商家・商人名データ総覧』に収録されている7万4千件のデータの統計から、その姿を推測できる。その中から、それぞれ屋号数で1位・2位・6位である伊勢屋・万屋・越後屋の3つの屋号について調べてみると、個々の屋号の存続年数は平均で15.7年にすぎない(40頁)。したがって、代々にわたって暖簾を受け継がせていくというイメージからはほど遠い。それを示すかのように、店舗の株も全体の49%は譲渡によるものであり、相続は9%にすぎなかった(46頁)。ただし、種類ごとに存続年数の違いはある。たとえば、最長の56.5年である石灰等仲買や、51.1年である公儀限定の金融業である札差に対して、炭薪仲買等は12.9年、米を扱う舂米屋は8.1年にすぎない(60~61頁)。前者は株の新設・廃絶も少ないが、後者はそれも多い。舂米屋や炭薪仲買等は生活に密着していて、江戸の各地に分布していた。舂米屋や炭薪仲買等は専門的な知識も必要ないために、需要が増えればそこに吸い寄せられるように新たに店を開いて参入し、それが減れば店を閉めて別の場所へと移る、というのを繰り返していたと考えられる。
 これを踏まえた上で、様々なミクロの商売の歴史物語を再構成していく最終章が続く。この部分は読み物として面白いのだが、まとめるのが難しいので省略する。
 いずれにせよ、江戸時代は専門性が高い商売を除いて、くるくると人が変わり続けていた、ということがメインテーマと言える。これは、これは、速水『歴史人口学で見た日本』にて示されている「都市アリ地獄説」に合致する気がする。この説は、江戸や大坂といった都市部は人口が増えておらず、都市は絶えず農村部より人を惹きつけなければその発展を維持することが出来なかったと、いうものである。代々続くことがなく人が変わり続けるのは、実は華やかな都市に潜む過酷さを物語っているのではなかろうか。なお、新雅史『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道』によれば、近代に至るまでは商家そのものを存続させるために親族以外の奉公人が経営を引き継ぐ場合も珍しくなかった。これに対して近代に入ると、あくまでも血族という意味での親族しか後継者にならなくなった。結果として、跡継ぎがいなくて廃業という事例が増加した、とある。血族的世襲が前近代的でそこから離れるのが近代的、というよくある見方とはまったく逆であるのが興味深い。
 以下メモ的に。薬屋は盛んに広告を出していて、しかもかなり店ごとに異なっている。薬は利幅が大きいので参入希望者が多く、同業者間の競争が激しい。しかも軽くて運びやすく、日常的に消費する商品でもないので、消費者の近くに店舗がなくてもよい。そのうえ様々な種類が多い。こうした事情から日本橋北地区に集中して存在して、顧客がやって来ては色々な薬屋を見ていくという形態になったと考えられる(94~95頁)。これは、現在のショッピングモールに様々な服屋が固まっていることに近いように感じた。
 飲食店は1軒あたりの人口が204人とかなり低い。同様に居酒屋は275軒、菓子・甘味屋は171軒である。ちなみに、炭薪仲買は1軒あたり402人で、髪結は671人であり、飲食業はかなり少ないことが分かる。1日20人が店舗の採算ラインとすると、すべての人が6日に1度は暖簾をくぐってもらう必要がある。このデータからすると、江戸には外食の習慣がかなり根付いていたことが分かる(156~157頁)。
 なお、それよりもさらに低いのが古道具屋で、1軒あたりの人口は126人にすぎない(154頁)。これは江戸において人口の入れ替わりが激しかったことを意味する。これも、速水融『歴史人口学で見た日本』にて示されている「都市アリ地獄説」に合致するものであろう。江戸に惹きつけられるアリたちに対する商売によって潤う者がいたとわけである。
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便利な商品コーナー

かつて、「茶の間の呟き」で紹介したことのある商品の中から、
個人的に使い勝手のいい物をピックアップしています。

SX-CL02MSV (2009年5月7日)
 ノートパソコンの背面下部に置いてUSBにつなぐと風を送ってくれて、ノートパソコンの底面を冷やしてくれる(なお、バスパワータイプのUSBハブにつないでも作動してくれている)。これはかなり劇的な効果があるので、パソコンの熱さにお悩みの方は是非。なお、これはB5サイズ用で、A4サイズ用はSX-CL03MSVになる。


ブックストッパー (2009年5月7日)
 洗濯ばさみに分銅のようなおもりが付いたようなもので、見た目はかなりショボイのだが、本の両端にはさんでおけば、常に見開き状態にすることができる。文庫や新書、ペーパーバックなどを見ながらパソコンに情報を打ち込むのに便利。2つ一緒に用いないと使いづらいので、買うならば2つ一緒に。


桐灰カイロ 上からはるくつ下用 5足入 (2014年2月25日)
 靴下の裏から貼るカイロだと、冷たくなったときに硬くなってしまい、歩いていると足の裏が痛くなってしまうのだが、上から張るのだとそうならくて便利。


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