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2007年4月の見聞録



4月4日

 小笠原喜康『議論のウソ』(講談社現代新書、2005年)を読む。少年非行の増加、ゲーム脳、携帯電話の電波の悪影響、ゆとり教育批判など、現時点でよく見聞きする題材を基にして、もっともらしい議論の誤りを指摘する。
 少年非行に関しては、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』と同じく統計資料の見方の問題を取り上げているが、少し視点は異なっており、検挙率に焦点を当てている。刑法犯少年検挙人員は、1980年代前半をピークとして1990年代前半までには減少傾向にあったが、それ以後ピーク時には及ばないものの増加している。だが、検挙数はあくまでも警察が捕まえた人数であり、犯罪率そのものではない。さらに、検挙数の増減はは初犯者の数の増減とほぼ一致しており、凶悪犯罪が増えたとは言えない。また、ここ10年の中で検挙数が一番少なかった2000年は、検挙したものの不処分となった人数の比率が最も高い年でもあった。
 ゲームをしすぎることの脳への悪影響を提言したゲーム脳理論は、脳科学の権威に拠って議論をもっともらしく見せるという手法を用いている。その権威付けを取り除いて実験手法を見てみれば、ゲーム脳の根拠はゲームをしている人間と痴呆者の脳波が似ているという点しかない(なお、ゲーム脳に関しては、外部リンクも含めてWikipediaの記事(「ゲーム脳」)が簡便である)。
 携帯電話の電波は、確かに携帯電話の普及当初には医療機器などへの影響が見られたが、現在は両者の技術の改善により、その危険性はごくわずかなものとなっている。にもかかわらず、現在でもその電波の危険性が強く訴えられている。だからといって全面解禁にしてもよいという意味ではなく、社会的行為の規範を定める場合には、一律に押しつけるのではなく、常に見直す必要がある。
 OECDの学力調査において日本は順位が落ちたという結果に基づき、日本の学生の学力が落ちたのはゆとり教育のせいという意見がある。確かに数学的リテラシーでは、2000年度の1位から2003年度の6位へと落ちているが、報告書によれば1位から6位までの間に統計的な有意差はない(ただし、数学を有意義なものと見なしていない比率は高いので、将来的にはどうなるか分からないという懸念は確かにある)。読解力に関しては、下位層の成績が落ちているため、平均点が落ちている。しかし、問題なのはOECDが行った学力調査の問題を読めば、日本ではこれまでまったく行われていないタイプの読解力を問う問題が出されていることである。したがって、OECDの成績低下に関していえば、ゆとり教育と結びつける直接的な因果関係は導き出せない。そして、ゆとり教育はポスト産業社会にふさわしい個性重視の教育であるから、成績が下がるのもある意味では当然と言える。なお、産業社会時代の教育の第一の目的は規律正しい人間を育てることであり、それが高度成長期の日本に合致していたという見解は、中井浩一編『論争・学力崩壊2003』における、宮崎哲弥の主張と重なるだろう。
 最終的に、著者は正答主義を廃し、暫定的な理論を構築しつつも自分の見方や意見に自覚的であるしかない、と述べている。これはまさしくその通りなのだが、そうすることは難しいだろう。なぜならば、私たちは近代的な学校の義務教育を経ているからだ。柳治男『<学級>の歴史学 自明視された空間を疑う』が喝破したように、近代の学校制度では司牧と化した教員の言葉を生徒が受容することが求められ、正解することが必要とされるからだ。ただし、近代の学校制度が基礎学力の全体的な向上に役立ったのも、疑いようのない事実である。現在の学校に問題が噴出しているのは、生徒や教員の問題だけではなく、近代的な学校制度そのものが揺らいでいるからなのかもしれない。ならばどうするのかというと、学校を利用した地道な努力しかない、という漠然としたことしか言えないのだが。


4月7日

 塩野七生『黄金のローマ 法王庁殺人事件』(朝日文庫、1995年(原著は1992年))を読む。1530年代のローマを舞台とした歴史小説。公職を追われたヴェネツィア出身の貴族マルコ・ダンドロが、愛人の遊女オリンピアと共にローマへやってくると、帝国の過去を持つローマに魅せられ、彼女と結婚してローマで暮らすことを決意する。彼女には、教会軍総司令官であり幼い頃からの愛人ファルネーゼがいたものの、彼女が結婚を承諾すると、自分は結婚することができないので身を引いた。しかし、本国からの召還命令が下りマルコが帰国を決めたのだが、それは公人に戻ることを意味し、遊女であるオリンピアと結婚できないことを意味する。それでもマルコについて行こうとするオリンピアを知ったファルネーゼは、彼女を殺害してしまうのであった…。
 と、あらすじだけを述べれば、こんな感じの別にどうといったこともないラブロマンスにすぎない。しかし、この小説が優れているのは、ローマという歴史の舞台を、極限にまで魅力的に描いている点である。古代地中海を支配した帝国の首都ローマとルネサンス期に新たな命を吹き込まれるローマとが重なり合う情景を、目の前へと浮かび上がるかのように描き出し、それを背景としながら貴族や政治家、文人や教会関係者が艶のある文体で造形されている。少しでも旅行に興味がある人間ならば、この本を片手に自分もローマの遺跡を見て回りたいと望むのではなかろうか。
 ただし、その巧みな筆致は称賛に値するものの、本書は歴史小説というよりも歴史を舞台にした紀行文のように思えてしまう。なぜかというと、登場人物の意識が現代的すぎるからである。確かに当時はルネサンスの時代だから、主人公をはじめとする文人や政治家が「文芸復興」という言葉をすでに使っていたのかもしれない。しかし、主人公の遺跡巡りを案内している、自分自身で「学がない」といっている老人まで文芸復興という言葉をさらりと使っているのはどうか。当時の人々が「今の16世紀を生きる」という言い方をしていたのだろうか。また「反動宗教改革」などという用語はこの時代に用いられていたのか。それが説明的な地の文で出ているのならまだいい。そうではなくて、登場人物の台詞の中に出てくることが、そこかしこに当たり前のように見られる。さらには、彼らの心情を彼らの視点から語っていたのが、いつの間にか第三者的な説明っぽい文章へと移行し、現代から見た説明になってしまうことも珍しくない。だからこそ、ローマの魅力を語る物語になっているとも言える。だが、歴史小説であるならば、後世の人間が名付けたいわゆる「中世」の時代からルネサンスへの移行期において、人々の意識はどのように変動したのか、そして新たに生まれた価値観と古くからの価値観が渾然とした時代であるからこそ、その融和と衝突を鋭くえぐるように描いて欲しいのだ。
 想像したことがいけないのではない。歴史家にとって、現代とは異なる時代と場所の意識をすくい上げることは、重要な役割である。しかし、歴史家は史料に基づいて時代を再構成をして、その史料の行間に埋もれた意志や感情を想定することはできても、無数の言葉を想像して描き出すことはできない。それをできるのは歴史小説家のみであり、それこそが歴史小説家が歴史家に決して負けることのない部分ではなかろうか。そういう意味で本書は、歴史上の人物を借りて創り上げた、極めてレベルの高い紀行文にとどまってしまっている、と言える。


4月10日

 福田和也『悪の読書術』(講談社現代新書、2003年)を読む。面白ければよいという読み方や、教養書を読んでいないことを隠そうともしないような考え方は程度の低いスタイルなのであり、それを恥ずかしいと思うようなスノッブを意識した読書によってこそ成熟した大人になれると説き、それにふさわしい書籍とその読み方を伝授していく。
 私は文芸作品や小説に疎いので、この本によって読んだことがない本を知ることができた点と、こういう読み方を個人的にはしたくないな、ということを確認できた意味において有用だった。本書で述べられているような見栄を張るようなスノッブな読み方は好きではないが、そういう読み方があってもいいと思う。ただ、そういう見栄を張るような読み方こそが、近代の読書のよくないところであるような気もするのだ。それに対する反動として実用ばかりが重んじられるのもよくないので、こうした方向への揺り戻しをすることも必要であろう。ただし、そうするのであれば、著者がこうした読書をすることで、他の大学教員や知識人、評論家に比べていかに成熟した大人であるのかを具体例と共に示すべきではなかろうか。つまり、本書で提示するような読書をすることで、カッコいい大人であることを身をもって提示してもらう必要がある。残念ながら、本書ではカッコイイ読書は提示できているかもしれないが、カッコイイ自分の実生活を提示できてはいない。少なくとも、ブックカバーの著者近影を見る限り、そう見えないので。もちろん見栄を張った読書による成熟とは、そういう表面的なものでないことは承知している。それでも、本書から著者自身の渋さやかっこよさがにじみ出てくるものでないと、単なる読書オタクの自負にすぎないのではなかろうか。恩田陸『三月は深き紅の縁を』に出てくるミステリマニアのように、自分はアングラでハイソと思っている読書オタクと重なって見えてしまうのである。
 そもそも、まったく異なる職業に就いている人間や下位にいる人間に、見栄を張ってもどうしようもない。見栄を張るにしても、それは同業者もしくは同じ身分に属する者同士の間ですべきだろう。特に教員と学生という立場でやるのは、単に自分は学生からは本質的な意味で攻撃されないという地位を確認しているようなものに見えてしまう。
 いくつかメモを。小熊英二『民主と愛国』を面白いと読む若者が多いことを評して、これ1冊を読めば戦後思想史を勉強できると考えて、1冊であらゆることがわかるようになっている本をこそ、今の若い読者は求めている」(14頁)と述べている。
 もし、女性が塩野七生『ローマ人の物語』を読んでいると、一般的な男性はこの本を一種の帝王学と見なしているので引いてしまうかもしれないし、「こんな小娘がオレ様と同じ本を読むなんて」と思わせてしまう。「バカバカしいかぎりですが、社交の前提はこのばかばかしさ、特に虚栄の尊重の上に成り立っているのですから仕方がありません」(39頁)。行き場のない教育欲は恋愛や友情と結びつくことが多く、好意を寄せている女性に、知的に生きるための読書リストを渡してしまう人もいる(116〜117頁)。この2つの事例などは、著者のいう見栄を張るための読書の悪い側面であるということを、意識的に記す必要があるのではないか。どうも、自虐的に書いているように見せかけて、「まあ、そういうことは自分にもあることを俺はちゃんと知ってるから、大丈夫」という、自分だけは分かっているかのように書いているところが、やはりあまり好感を持てないのだが。
 今から20年以上前のフランス文学の教員は世界文学全集の類の翻訳によって、かなりの収入を得て別荘を持つものも珍しくなかった。しかし、こうした全集のインテリア的な価値は高度成長期に急速に衰退して、それらは野暮ったくて邪魔なものと見なされるに至った(161〜162頁)。この辺は、大崎滋生『音楽史の形成とメディア』に挙げられていた、近世ヨーロッパでは楽譜を「所持」することが宮廷社会の一員であるというステータスになっていた、と考えられるのと類似しているだろう。


4月13日

 谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』(角川スニーカー文庫、2003年)を読む。アニメ化されてから(…といってもそれ自体がすでにだいぶ前だが)、特に話題になっているので読んでみた。「ただの人間には興味がありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学して最初のクラスの挨拶で唖然とすることを言い放った涼宮ハルヒ。キョンは、彼女に巻き込まれて新しい同好会結成へと動くと、ハルヒは強引に部員を集めてきてしまうのだが、それらの部員は、本当に宇宙人、未来人、超能力者であることをキョンへ打ち明ける。それはハルヒには自分が願ったことを実現させてしまうという能力があり、彼女を監視するためにここに来ており、さらにはハルヒの能力の鍵を握っている人物こそキョンであるという、受け入れがたい事実であった…。
 学校を舞台にした非日常系+SFのライトノベル。キョンという人物の一人称で物語は進んでいき、彼の本名は分からない。なるほど、まずまず面白い。宇宙があるべき姿をしているのは人間が観測することによってそうであることを知った、という量子力学っぽい(と思うのだが、間違っているかも)知識をまぶしつつ、自分は1億分の1のちっぽけな存在にすぎず、どこでもある普通の日常を送っている、というハルヒの告白に見られるような悩みをも除かせつつ、最後は世界が確実に面白い方向へ向かっているとキョンに言わしめて、希望を見いだせるようにするラストへと持っていく。何かと自分自身について悩みがちなハイティーンが見れば、喜びとカタルシスが得られそうな内容がうまく盛り込んである。ライトノベルはほとんど読んだことがないので、本書だけがそうなのか、他の作品もそうなのか分からないのだが、なるほど、これが今の若者向けのエンタテインメントなのかな、と。
 ちなみに、やはりこの作品も米澤穂信『春季限定イチゴタルト事件』と同じく、佳多山大地・鷹城宏『ミステリ評論革命』が現代の中高生向け作品の特徴としてあげた、学校を舞台としながら教員はほとんど重要な役割を果たしていない、というものを備えている。


4月16日

 石原千秋『国語教科書の思想』(ちくま新書、2005年)を読む。国語の教科書をテクスト論の素材として読み解いていき、そこに隠された思想を焙り出していく。国語の教科書では、取り上げられる題材の定番化が生じており、これは教え慣れた教材を使うことで自己の負担を減らそうとする教員側の要望に応えるためでもある。だがさらに、『羅生門』・『山月記』・『こころ』・『舞姫』といった題材は、「エゴイズムはいけない」という道徳的な思想を教えられる教材でもあり、国語教育の目的が読解力の育成ではなく、道徳教育であることを物語っている。2004年の教科書の多くは、吉本ばななの短編集『体は全部知っている』から「みどりのゆび」を掲載したが、この短編集においてこれだけがセックスを感じさせない作品、つまり「道徳的な」作品だからであることは、そうした状況を示している。このような問題点はPISA(生徒の国際学習到達度調査)にも現れており、日本の生徒の成績を見てみると、読解力は一般に言われているほど低下しておらず、むしろ論述能力の低下が著しい。これは、国語教育が道徳教育となっているため、文章から「道徳」や「教訓」の正解を引き出すことに長けていても、批評的に読んでそれを記述することができないためである。一方で、教科書は道徳的なものから情報的なものへとシフトする傾向も見られる。それは文学作品が教科書から消えていくことを意味するが、それはそれでよくない。文学を道徳的な正解を読みとる道具にするのではなく、生徒同士の多様な解釈を認めることで、生徒の個性を伸ばす道具として使うべきとする。
 これを踏まえた上で、小学校と中学校の教科書を俎上にあげて、道徳的な教育として用いられている実例を紹介している。小学校に教科書には、「自然に帰ろう」や「動物へ戻ろう」というメッセージが強く窺えることから、与えられた環境に従順な人格を作るために役立てられているとする(なお、ここでの見解にて、ポストモダンは自然との逃走を持たないオタク化であると論じた、東浩紀『動物化するポストモダン』を参照している)。さらに、自然=母と見立てて、その対象となる文明=父を否定する思想も無意識に隠されていると主張する。また、中学校の教科書には、「わたしたち」の問題を「ひとりひとり」の問題へと還元し、社会や政治の責任を免責させてしまうレトリックが隠されている、と批判する。
 国語の教科書が道徳教育へと用いられているという批判は、かなりの説得力を持っていると思われる。ただし、引っかかるところもある。たとえば、ゆとり教育の間違いを指摘するところで、内容を削減してみんなが満点を取れるようにしたことが根本的な誤りであり、教室は間違えることに意味がある空間である、と主張している(36頁)。学問や教育の意義としてはその通りと思う。しかし、そもそも学校の教室は間違えることが許されぬ空間として成立したのではないか。このあたりは柳治男『<学級>の歴史学 自明視された空間を疑う』が詳しい。もちろん、それを改善することで、状況が変化することもあるだろう。著者自身はそれを試みようとしているようである。しかし、間違ってくれれば議論が深まるが、「当てた学生が私の想定していた『正解』を答えてしまえば、それで終わりになってしまう」(40頁)という文章は、結局のところ正解が用意されているという考えと変わらないのではなかろうか。そもそも生徒の側からすれば、教員と生徒という上下関係であるかぎり、対等の立場で発言できる定められたゴールのない対話によってお互いが学び合う関係に近づきえても、それと同一になることは極めて難しい。このあたりは教育が孕む根元的な性質とも関連してくるので、簡単に論じることは難しいのだが。
 そして、小学校の教科書と中学校の教科書での主張に、わずかであるが思想的なぶれを感じてしまう。上述のように小学校の教科書では「自然に帰ろう」という考え方が背後に見られるとしている。そしてそれが中学校の教科書では「自然」が「ふるさと」へと変化し、さらには「ふるさと」は「我が国」を愛する教育へと転用される、と述べている(196頁)。だが、そもそも自然に帰ろうという主張はエコロジーに近く、元々は(あまりこういったレッテル張りはしたくないのだが)左翼系の主張であったのではなかろうか。つまり、このままだと「自然に帰ろう」のレトリックが従順な人間を育てるのに使われたのは左翼の責任ということになりかねない。実際に、社会主義国家が辿った道を見てみれば、あながち間違いとは言えまい。いわば、教科書に書かれていることは、使いようによってはどちらにも使えるのであり、そのときの体勢によってどちらへもなびくのである。となると、結局のところ教員次第ということになる。西尾幹二(他)『市販本・新しい歴史教科書』の項目でも書いた通り、変えるべきものがあるとすれば、それは教科書ではなく教員の意志である。教科書が頑迷な保守主義だろうと旧態依然とした左翼的なものであろうと、教員の意志さえ伴えば、学生を染め上げることさえできてしまうだろう。となると、道徳的な教科書から抜け出すのに必要なことは、生徒に教員自身さえ疑うように促すしかないのではなかろうか。それは学校の本質的な転換を迫るものとなってしまうかもしれないが。
 ちなみに、中学校の教材として取り上げられているる手塚治虫に対して、「手塚治虫はもう古い」(189頁)と評している。手塚治虫が古いのであれば、教科書に載るようなほとんどの文学作品は、基本的にすべて古いことになる。「近代が生み出した小説という文化財の読み方は、現代の子供たちにとってはもはや教えなくてはならない過去のものとなっているのではなかろうか」(64頁)とも自身で書いている。手塚治虫は古いからと一概に決めてしまうことも、性急に正解を求める態度であろう。
 なお、興味深い指摘を。「よく「国語ができる子供に育てるためには読書をさせなさい」というアドバイスが行われる。もちろん、適切なアドバイスだ。しかしこのアドバイスには、たとえば漫画は含まれていないし、三島由紀夫のマゾ小説が含まれているわけでもない。大人はよく「うちの子は漫画ばかり読んで、ちっとも読書をしない」と言うではないか。子供用に書かれた童話や児童文学だけを想定して「読書をしなさい」と言っているのである。決して無条件で「読書をしなさい」と言っているわけではないのだ。そして、童話や児童文学には、たいていの場合「教訓」が含まれている。子供たちはそれらの童話や児童文学から、学校の外で、道徳を学ぶのである。だから、「読書」には「国語ができるようになる」効用があるのだ」(26頁)。このあたりは、山中恒『児童読物よ、よみがえれ』を読めば、30年ほど前に批判されていた状況と何ら変わっていないことが分かる。


4月19日

 雫井脩介『犯人に告ぐ』(双葉社、2004年)を読む。神奈川県警の警視である巻島は、児童誘拐事件の捜査指揮を執る中でミスを犯し、しかも記者会見でマスコミと衝突してしまう。数年後、神奈川県で児童無差別殺害事件が連続して発生するが、神奈川県警はその事件を解決することができない。新たに県警本部長に就いた曾根は、ずば抜けて検挙率の高い所轄で指揮を執っている捜査官を呼び寄せて事件に当たらせることを決める。その人物こそ、曾根がかつて自分の手で左遷させた巻島であった。曾根は巻島に対して、連続殺人犯が自分を批判するマスコミに脅迫文を出した劇場型犯罪であることに対抗して、巻島自身もテレビに出て捜査を公開して犯人に訴えかける「劇場型捜査」を命じる…。
 マスコミに頼った劇場型捜査が、華やかに描かれていれば間違いなく陳腐な物語になっていただろうが、そのようなことはなくマスコミを利用しながらもその危うさもそこかしこに現れてくるため、安っぽいヒーローものに堕することは防がれている。とはいえ、犯人は被害者と関係ない人物であるためにその状況を描くのは難しいとはいえ、2人の「犯人」の様相がほとんど分からないため、劇場型犯罪の舞台と舞台裏に描写が集中して、犯人も座っている観客席の印象が薄い。観客席の動向をもその視点に組み込んだ宮部みゆき『模倣犯』を読んでしまうと、いささかスケールが小さく感じてしまうのは否めない。


4月22日

 橋本健午『有害図書と青少年問題 大人のオモチャだった"青少年"』(明石書店、2002年)を読む。タイトルと副題が示す通り、戦後の有害図書問題は、青少年のことを考えてというよりも、政治的な問題として処理されてきたことを、関係資料から読み解こうとする。ただし、関係する資料は膨大に挙げられているのだが、羅列に近い方式で引用しているにすぎないため、読みにくいだけではなく、論点が多岐にわたってまとまりがなく、上記の主題がぼやけてしまっている。しかも、引用の典拠の記述が曖昧で、どこから引用しているか正確に分からないことも多い。
 ただし、興味深い事例が数多く引用されている点は非常に優れており、これらを丹念に発掘した努力は十分な評価に値するとも言える。以下、それをメモ的に羅列してみる。
 1946年、出版界はGHQ検閲当局から不良出版物のリストと警告を受けて、出版綱領を制定した。基本的に猥褻な出版物を対象としたその綱領は、出版物が民主主義に役立つものではならないと記されていた。そして、「民衆の無知を利用し、或いはその低俗なる趣味に迎合して、我が国の文化水準の向上を妨げるごとき出版物の刊行を抑止」すべきとされた(33〜34頁)。
 1951年7月14日付けの朝日新聞に、「国語・算数能力の実態」という記事が掲載された。このなかで評論家の中島健蔵は、『日本人の読み書き能力』(東大出版界)に触れて、成績のひどさを糾弾している。また、同記事の別の報告では、横浜市立小学校の10校700名の6年生に対して、1930年に東京都内で行ったのと同じ問題をテストしてその成績と比較したところ、加算では1930年の5年生に劣り、減算は4年生並み、乗除算は4年生に劣るとの結果が出た。その傾向について「教師が昔のように熱心に正解ということを強調していないためと解せられる」とある(53頁)。
 1955年に警視庁防犯部少年課が作成した『愛のみちびき−親の悩み、子のうったえ−』では、少年の非行行為が列挙されているが、そのなかに古本屋へ行くことが含まれている(81〜82頁)。
 1955年3月31日付朝日新聞夕刊では、児童雑誌に対する批判記事が掲載された。その中で小学校教諭のコメントとして、力道山は相手をぶちのめす怪物として称えられている、破壊や残虐性が少年読み物には共通、少女マンガに登場する少女は不幸な境遇にいるところを金持ちに救われる、というようなストーリーが多い、などが挙げられている(87〜88頁)。もしこれが事実であり、これらが悪影響を及ぼすのであれば、このころ児童雑誌を読んでいたであろう現在60代前後の人間は、好ましくない人格を備えていることになる。
 1956年4月13日付読売新聞には、出版物の回収を行っていた東京母の会連合会が、より大々的な運動を展開するために、まずは家庭からの性雑誌の一掃を徹底させる、とある。つまり、悪書はまず大人が買っており、それを家庭の中で子どもが読んでいたことを暗に認めたことになる(91頁)。
 1955年8月号の『学校図書館』に掲載された警視庁防犯部少年課「不良出版物の実態」によれば、親は自分がそうした出版物を読んでいると知っていると思うか、という問いに、「知らない」「知らないと思う」が65.1%とされ、これは家庭が子どもに無関心で放任していることが原因と分析している。しかし、著者が述べるように、「いつの世も、このようなものは隠れて読む。つまり、子どもたちは興味を持つ一方で、後ろめたさを感じているわけで、彼らはそれだけ健全だという証拠」であろう(97〜98頁)。
 直木賞作家が非良心的な読み物を書いていると非難された柴田錬三郎は、1956年2月25日の『鋭角』第6号において、「私は冒険小説を書き続ける」と題した記事で、以下のように反論した。「私は、少年に対しては、どんなに飛躍した空想でも与えてやるべきだと思っている。(中略)私などの書く空想的冒険小説を批評する連中よ。十円玉を拾ったら猫ババする根性のくせに、少年には交番に届けろと教える偽善的態度を、まず反省しろ。主婦連合などという金棒引き的烏合の衆のお先棒を担ぐのをやめてもらいたい。この世の中に残っている唯一の『夢』を、少年から奪い去って、一体代りに何を与えようというのか。君らは、少年たちに、グローブ一つ与える力があるか。鳩山一郎が、空想冒険小説を書くな、そのかわりに、天皇を追い出して皇居を少年遊園地にしてやる、とでも確約したら、私は、今日からでも書くのを止めてみせる。わかったか隣組的批評屋ども」(104〜105頁)。
 1956年1月25日の『鋭角』第5号には、小学校教諭の意見として、戦後の作文教室は自分の経験をありのままに書く様に指導してきたが、もっと児童に空想や夢を与えてもよいのであって、それができるのは児童雑誌ではないか、とある(105頁)。
 1963年12月号の『学校図書館』にて、神崎清は「悪書追放運動の諸問題」と題されたインタビュー記事で次のような発言をしている。荒川区の婦人会は、このころに悪書を追放するといってマンガをはじめとする書物を焚書にした。しかし、その婦人会の会長は競輪は健全娯楽だと発言した。その会長の家では自転車の部品を作っていたのである(110頁)。
 1963年5月の『教育じほう』において、東京都教育庁青少年教育課の藤田博は、保護者は雑誌やマンガの内容を見ずに、その内容の影響よりも、子どもたちは勉強をしなくなるという理由で排除することが多い、と述べている(143頁)。
 1964年3月21日の朝日新聞によれば、青少年をめぐる社会環境において、都市の「匿名性」が挙げられている(242頁)。
 作家の開高健は1964年4月17日号の『週刊朝日』に、「私は少年たちが非行の動機の説明を求められて”映画や週刊誌にそそのかされました”と答えているの見聞すると、これは言葉の選択に慣れていないか、焦眉のあげくか、過大な”自己”を持てあましたあげく精力を使わないで、他者に責任をすり替えようとする短い工夫の成果だと想像する癖を持っている」と述べた。さらに別の機会には、鑑別所所長から、悪書によって少年少女が非行に走ったケースはないとは言えないが、まず考えられない、という証言を得ている(253頁)。
 1960年代より、青少年保護育成条例の規制対象になぜ新聞・ラジオ・テレビが含まれていないのかについてしばしば問い質されているが、関係者から明確な理由が述べられたことはないようである。「新聞社もテレビ局も、地元住民にとっては”権威”であって、犯すべからざる聖域なのである」(255〜257頁)。この辺は、岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』で触れたように、マスコミは権力であることの裏返しであろう。
 2000年末に参議院へ自民党が上程を予定していた「青少年社会環境対策基本法案」に関連して、事務処理の委託先として全国防犯協会連合会へ依頼している。年間15億円の予算を請求されたためこの話はなくなったが、「真っ先に警察と密接な関係にある全防連を思い浮かべるあたりは、この法案の本質が”取り締まり”を前提としていることを物語っている」(269頁)。
 1970年、猥褻表現として永井豪『ハレンチ学園』が、残忍であるとしてジョージ秋山『アシュラ』などが有害図書として指定される動きがあったが、同じ頃の少女向きジュニア小説もセックス描写は当たり前であった。そうした雑誌として『ジュニア文芸』(小学館)、『小説ジュニア』(集英社)、『女学生コース』(学習研究社)などが代表的なものとしてあげられるが、それぞれが毎号20〜30万部発行されていたという(284〜286頁)。
 1970年4月22日付の朝日新聞には、子どものしつけを幼稚園や保育園にお願いする傾向が強いことが紹介されている(291頁)。ただし、「このころから、すでに親子の会話もない”家庭崩壊”状態」というのは少し状況が違うであろう。広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』を参照して述べれば、このころは共同体で行われていたしつけが家庭へと任されてしまっていく転換期だった、と考えられるからである。


4月25日

 本田和子『変貌する子供世界 子どもパワーの光と影』(中公新書、1999年)を読む。戦後の子どもに関するデータに基づき、子供観と子どもと大人の関係の変遷を探る。第1章は教育を取り上げているが、一言で言えば、義務教育のみならず保育所や大学に至るまで、幼年期から青年期まで学校世界が膨張していき、子どもたちがそこに取り込まれたのが戦後日本である、という内容。第2章は食料状況が改善されて、逆に栄養過多になっていく過程を指摘といったところで、データ的には簡便だが、特に目新しいものはない。第3章はメディア論、その流れを簡単におさえられるが、やはりそれほど新しい論点があるわけではない。第4章は娯楽雑誌(および図書)に関してであるが、橋本健午『有害図書と青少年問題 大人のオモチャだった"青少年"』や山中恒『児童読物よ、よみがえれ』がより詳しい。
 戦後の子供論について、ダイジェスト的にデータや言説を知るのにはそこそこ便利だろう。


4月28日

 小川英雄『ローマ帝国の神々 光はオリエントより』(中公新書、2003年)を読む。タイトル通り、ローマ帝国下の神々について、特に東方に由来するものをとりあげたもの。イシスとセラピス、シリア系の神々、キュベレなど小アジアの神々、ミトラス教、ユダヤ教、キリスト教、グノーシス派、占星術などがそれぞれコンパクトにまとめられている。図版も適度に挿入されており、それらについて手っ取り早く知りたい人には役立つだろう。
 なお、ミトラス教の図像では、獅子の頭を持つ神像がよく見られるが、ローマのサトゥルヌス神も、古代ローマ人の記述に拠れば「時として超低温のために蛇の姿で、また時として炎熱のために大きく口を開いた獅子の姿で表される」という(126頁)。ギリシア・ローマの神話に属するもので、基本的に半獣半身のものはミノタウロスのような怪物のみだと思っていたので、少々意外に感じた。


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