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2009年4月の見聞録



4月2日

 加藤陽子『戦争の日本近現代史 東大式レッスン! 征韓論から太平洋戦争まで』(講談社現代新書、2002年)を読む。タイトル通り、明治から終戦まで日本が関わった戦争について個々に眺めていく。ただし、戦争がいかなる原因に基づいてどのように行われたのかについて見ていくのではなく、為政者や国民が「戦争をしなければ」「戦争をしてもよい」という感じるようになるのはいかなる歴史的過程を経てのことなのか、ということに主眼を置く。トピック名を挙げておくと、「軍備拡張論はいかに受け入れられたか」「日本にとって朝鮮半島はなぜ重要だったか」「利益線論はいかにして誕生したか」「なぜ清は「改革を拒絶する国」とされたのか」「なぜロシアは「文明の敵」とされたのか」「第一次世界大戦が日本に与えた真の衝撃とは何か」「なぜ満洲事変は起こされたのか」「なぜ日中・太平洋戦争へと拡大したのか」。
 日本近代の特徴は、内にデモクラシーで外に帝国主義であり、しかも対外侵略は内部の単なるガス抜きや外部への優越感などからではなく、自らが救われるためという感覚が重要である、というのが本書の大きな主張といったところか。とはいえ、必要があって読んでみたのだが、私に基本的な知識が欠けているために、そもそもの全体的な状況について知らないこと多すぎて、残念ながらあまりピンと来なかったところが多かった。これはこちらのせいで、本書のせいではないのだが。ただ、それでも興味深い記述が見出せるので、それらをメモ的に。
 ロシアは自国民を幸せにできない専制国家だと評されていたが、だからこそその専制政府を敗北させるのは相手国の国民であるという理論が導き出された。それを明確に言葉にした人物として吉野作造が挙げられる。いわば、日清戦争で福沢諭吉が果たした役割を、日露戦争では吉野作造が果たしたことになる(151〜152頁)。
 1885年から90年の経済成長の要因は企業や政府による内需的なものであったが、1900年から1910年の成長要因は輸出の寄与率が高いことが明らかになっているとし、その証拠が総需要の中で輸出の占める割合が、1885年の4.9%から1910年の12.8%に上昇したことだとしている(142頁)。これは具体的な数字がよく分からないのでなんとも言えないのだが、確かに8%上昇したとしても、全体の13%弱にすぎないのであれば、それ以外の項目の方が重要ではないだろうか。それともそれ以外の項目は非常の細かく分類されていて、輸出が全項目の中でトップを占めるのだろうか。なお著者は、日本がこのように輸出を重視していたからこそ、貿易に関する解放を満洲で認めないロシアに非文明というレッテルを貼ったのだ、と述べている。
 第一次大戦後の講和会議にて、日本は人種差別撤廃をに関する条項の採用を訴える方策をとった。これは外国へ移民した日本人の差別問題の解消と、この後に設立されるであろう国際連盟が反黄色人種的団体にならないようにとの意図に基づくものであった。しかし、これに強く反発したのがアメリカであり、上院議員の3分の1以上が国際連盟に反対した。というのは、移民や帰化の問題を諸外国の決定に委ねるのは内政干渉だという意見が強かったためである(184〜188頁)。なお、上杉忍『二次大戦下の「アメリカ民主主義」』によれば、マイノリティに対する差別問題の解消に寄与したのは、彼らに活躍する場所を与えた戦争であったようである。結局のところ、戦争こそが身分的な問題が動く契機となったのかもしれない。
 第1次大戦後の日本海軍は、この大戦によってアメリカが速戦即決の必要性を学んだと判断していた。なお、実際のところ、アメリカでは長期戦の準備をしつつも短期決戦のことも考える必要があるという両論併記的な判断をしていた。もしこれが事実ならば、小林英夫『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ』で明確に示されているように、日本は戦略として短期決戦の立場をとっていたのだが、アメリカでも同じ思想がなかったわけではないことになる。


4月7日

 倉知淳『過ぎ行く風はみどり色』(創元推理文庫、2003年(原著は1995年))を読む。不動産業によって一代で財を成した方城兵馬は、引退後にかつて蔑ろにした亡き妻に会いたいという思いが募り、家族からは少しおかしくなったと思われていた。そしてついには、長男が連れてきた霊媒師を信頼しはじめた。しかし、兵馬は邸宅内の離れにて密室状態で殺害され、超心理学の専門家である大学助手たちも参加するなかで実施された降霊会にて、霊媒師までもが殺害されてしまう…。
 『日曜の夜は出たくない』の探偵役である猫丸先輩が、同じく探偵役として登場する。三人称的な視点で物語が進む中で、たまに兵馬の孫の成一や佐枝子たちの一人称によるモノローグが入るので、これは何か意味があるのかなと思うと、叙述トリックの変化球のようなタネが仕込んであった。ただし個人的には、おっとは思わされたけれども、少し小粒だったかな、と。同じ著者によるものならば、『星降り山荘の殺人』の方が驚かされる度合いは強かった。
 ちなみに、何人か大学関係者が登場するのだが、全員が喋り出すと止まらない人物だったりする。専門的な分野だったり、大学内の派閥だったりするのだが、このあたりが妙にリアルだなと。


4月12日

 井上勝生『開国と幕末変革(日本の歴史18)』(講談社、2002)を読む。タイトル通りの内容であるが、幕末に至るまでの社会を成熟した社会であると見なしたうえで、論述が展開しているところは、現在の江戸学の動向なのかもしれない。仕事上の必要からつまみ食い的に読んだだけなのだが、それでも一般的な見解をひっくり返すような興味深い記述が随所に見られる。それらをメモ的に。
 18世紀末の村では、村役人や富農が政治主体へと成長し、それぞれが国訴を起こして幕府に要求を突きつけ、幕府はそれに従うこともしばしばあった。その際に、幕府から村役人への試問が行われて、それを踏まえて政策が実行されることもあった。これは近代の代議制が、すでに在地において底流として存在していたことを示す(80〜81頁)。
 江戸期の日本では米穀市場が未成熟のまま明治維新を迎えたと考えられてきたが、たとえば堺などを見ると分かるように、幕末期よりも明治期の方が米穀の取引規模は縮小していることが多い。江戸期の農民は自作米を年貢として納め、他国米を買い入れて食料にしていたが、明治になり租税は金納となったため、他国米を買わなくなったがゆえに市場規模は縮小したのである。また、瀬戸内や畿内で用いられた金肥の原料となる干鰯は、安価な蝦夷地のものが輸入されていた。そして、その漁に従事していたのがアイヌと出稼ぎの和人であった。このように江戸の経済システムはかなりの発展を遂げていたのだが、それと同時に、東北や蝦夷地からの収奪も生じていたことも見落とすべきではない(61〜63頁)。速水融『歴史人口学で見た日本』によれば、都市では人口は横ばいのままで、増加していた農村からの人口流入がなければ都市の経済を支えることはできなかったようだから、この点においてもすでに近代の先駆けになっていると言えるのかもしれない。
 開国以後の日本では、外国商社による産地買い付けは成功しなかった。三都商人と在地商人との間で為替取引が行われるほど発達した信用機構を背景とし、現金取引を行って、外国商人に内地侵入を断念させた。また、綿織物の輸入は在来産業を衰退させたものの、商人が流通の主導権を握っていた地方では、輸入綿糸による綿織物行が再編されて発展していった(297〜298頁)。
 薩摩藩は、中国唐物や松前の海産物の密貿易、奄美の砂糖の独占貿易などで藩財政の半分以上を占める利益を得ていたが、江戸末期になると蝦夷地の海産物は上海へと輸出されるようになる。また横浜で生糸の密貿易もしていたが、アメリカ南北戦争で綿花が高騰すると、大坂などで綿花を買い集めていた。そして、薩摩藩のみならず長州藩や佐賀藩なども上海へと向かい貿易を拡大しようと試みた(276〜277頁)。
 日米和親条約を結んだ後に、船上パーティーへと招かれた武士たちは、大食漢ぶりを発揮し、乾杯の音頭をとりつつ酒を飲み、大声で叫び続けるなど、大いに楽しんでいたという。武士たちが西洋人にコンプレックスを抱き萎縮していた様子は全く窺えない。蘭学への弾圧にもかかわらず、在村の蘭学が人々の要望によって広まったことで、日本人の西洋人感はすでに普遍化していた。江戸時代に欧米の情報がすでに伝わっていたたことに関しては、岩下哲典『江戸の海外情報ネットワーク』も参照のこと。
 戦前に文部省維新史料編纂会で編纂された『維新史』は、現在でも通用するほどかなり精度の高い資料ではあるものの、元老の朱筆が入れられたため、史料の中に歪みと言える箇所も存在している(230頁)。たとえば日米修好通商条約の承認について、軟弱・卑屈な幕府に対して、日本の世論を受けた天皇や朝廷が諸外国へと抵抗した、という史観などがその代表である。実際には、徳川斉昭のような譲位論者ですら天皇に承認を求めたにもかかわらず、条約を断って打ち払いを行うべき、という無責任な冒険主義に走ろうとしていたにすぎない(248頁)。幕府には日本が弱国であるという冷静な認識があったが、孝明天皇は、万世一系の神話に基づいた神国であるとの思想があった。その背後には、孝明天皇が血脈の弱い天皇であったために、万世一系の血脈を強調するという要因があった(251頁)。神国思想に関する全体的な流れは、佐藤弘夫『神国日本』に詳しいが、知識人からではなく権力に近い人間からの働きかけが、神国思想の確立に大きな意味を持っていたとも言えるのだろうか。
 その他に、『維新史』に基づく通説では、フランスが幕府に近づき、イギリスが薩長と親しくなったとされるが、最近の研究はこれに懐疑的である。そもそもフランスのロッシュが徳川慶喜に示した外交意見は、決して取り入れられていない。また、イギリスの対日外交の基本は、ただ貿易の発展のみであり政治的には介入する意欲はなかった。したがって、本国政府は日本への内政干渉を繰り返し禁じた(337〜338頁)。さらに言えば、そのイギリスの外交公使パークスを、様式で謁見した慶喜は、会見においてパークスを圧倒したほどであった。「「内憂外患」の体制的危機による「不安と恐怖」論は、わたしには、背伸びした「万国対峙」を国是に突進していた、その後の近代日本のエリートたちがつくり出し広めた、一面的にすぎるイメージだと思えてならない」(353頁)。
 そもそも、諸外国の行動によって日本が植民地化の危機にあった、とは簡単に言いがたいようである。生麦事件に際して、外交商人たちは報復を訴えたものの、イギリス外交部はこれを抑えつけ、当時のキューパー海軍提督は外国商人の動きに関与することすら断ったほどである。また、薩英戦争での英軍の砲撃に関して、本国の議会では非人道的であると追及され、外交部や外務省の責任も問われた(300〜301頁)。なお、長州藩は攘夷実行の際に、豪農を中心として民兵組織を形成できた。だが、地域民衆は攘夷を災厄と捉えていたというアーネスト・サトウの証言があり、実際に欧米連合軍の艦隊の眼前で一揆が生じていた(318頁)。
 以上のように、幕末の日本を、退廃した江戸から新たな時代の明治へ、または尊皇攘夷から開国という単純な進展で捉える視点から離れて、より複合的な要素から再構築しているので、興味があれば一読して損はないだろう。


4月17日

 谷川流『涼宮ハルヒの溜息』(角川スニーカー文庫、2003年)を読む(前巻はココ)。ハルヒの思いつきで映画撮影をすることになったSOS団。行き当たりばったりのストーリー展開と撮影に苛つくキョンであったが、撮影と共にハルヒの想像した設定が現実化していく中で、ハルヒの能力をめぐる各自の思惑がキョンに語られていく…。
 オチも含めて、面白さがやや縮小したように感じる。どこかで、第4巻までが一区切りと読んだ気がするので、とりあえずは読んでみるつもりだが。
 ひとつだけ興味深かったのは、しゃべれるようになった猫が「私にとって時間の感覚など存在しないに等しい。今がいつなのか、いつが過去なのか、私には興味のないことだ」と語ったところ。時間を意識しないものにとっては、歴史を感じることもないということだろうか。


4月22日

 近藤好和『騎兵と歩兵の中世史』(吉川弘文館、2005年)を読む。タイトル通り、中世日本の騎兵と歩兵が実際にどのように戦っていたのかを、当時の文献史料から探っている。日本の騎兵は、6世紀に成立して以来、律令制下から中世前期の武士まで一貫して弓射騎兵の伝統が続いていた。歩兵は古代においては制度的な部分でしか確認できない。だが、中世前期をすぎる頃には、歩兵による弓射が増加していく。こうした中で、騎兵は弓射から太刀や鑓などの打物を主たる武器として用いるようになる。これは、戦闘目的が敵の掃討や殲滅から領地の争奪へと変化したことに由来していると考えられる。後者の目的の場合には、拠点の支配や防衛を行う常設された城郭が必要であるため、騎射よりも歩射の方が必要になるからである。
 手堅い実証的な本。史料から具体的な例が引かれており、また武具に関しても写真やイラストなどを付しつつ解説されているので、その辺りに興味があれば、楽しめるだろう。
 ただ、ひとつだけ気になった箇所があって、中世には弓矢が用いられたいたことを、古文書に記された負傷者の傷跡から推測するのは問題があると指摘した箇所。攻撃がどのように行われたのかということをまずは踏まえるべき、という著者の主張にはなるほどと思うのだが、それに対する批判の仕方がどうも気になる。具体的な文献を挙げずに、傷跡に関する史料は「公平を欠く不完全な史料なのであり、古文書だからといって、これらの分析結果を金科玉条のように扱うことはできない」(100頁)とある。この批判は、鈴木眞哉『刀と首取り』(平凡社新書、2000年)に対するものだと思うのだが、なぜ名前も挙げずに攻撃的な書き方をしたのかよく分からない。確かに、攻撃側から見るという視点は大事だが、それでも結論の方向性は変わらないのだから、そこまで批判的にならずともいいと思うのだが。こういう書き方だと、両者の間に何か個人的な感情のもつれでもあるのか、と邪推されてしまうのでは?


4月27日

 打海文三『裸者と裸者 (上) 孤児部隊の世界永久戦争』『裸者と裸者 (下) 邪悪な許しがたい異端の』(角川文庫、2007年)を読む。応化2年、軍事クーデターが起こった日本は内乱へと突入し、各地で政府軍や独立軍、マフィアが抗争を繰り広げる状況が続いた。親を亡くした孤児である佐々木海人は妹と弟を養うべく、軍隊へと入り、幾多の戦場を駆け抜けて指揮官にまで成長していく。一方、かつて海人に助けてもらった月田椿子と桜子の双子の姉妹は、東京で女性だけの戦争グループであるパンプキン・ガールズを結成し、渦中へと乗り込んでいく…。
 上巻は海人が中心に、後半は椿子と桜子が中心に描かれている。もちろん戦争の悲惨さが描かれているのだが、どちらかというと淡々と物語は進んでいく感じ。特に下巻はその印象が強い。終わり方はあっけなく、続編へと持ち越されるらしいのだが、著者は執筆中に亡くなってしまったようだ。
 戦争のように自分にとって身近ではない物語を読んだときに一番印象に残るのは、現在の自分に近いことへと触れている部分ではないかと思うのだが、私の場合は教育について。ごく一部の場所を除いて、教育機関は壊滅状態にある。戦争中であれば当然なのだが、内田樹『下流志向』について批判した「苛立つ神学者のご託宣」でも書いたように、アフリカの子供たちは学ぶこともできないのに日本の子供は…というような物言いは、平和な時代に教師として教えることの出来る自分の幸せを分かっていないのだな、と改めて実感した。
 ちなみに、海人はある時から家庭教師に勉強をならうのだが、初めて読んだ小説が夏目漱石『夢十夜』であり、「生まれてはじめて小説を読むという現実に、彼はいたく感激した」(上巻・274頁)という。面白く読んだのではなく、読むということそのものに感激した、という点が何だか興味深い。


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