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2009年3月の見聞録



3月3日

 本郷和人『武士から王へ お上の物語』(ちくま新書、2007年)を読む。武士たちはまず自立して君臨することによって支配を確立していき、自律して統治に臨むようになっていったという過程ことこそが、中世の武家政権の成立であったとする。 鎌倉幕府が成立した時点では、武力を備えていても官僚組織はまだ存在していなかった。そのため、朝廷の制度を真似しつつ、それを徐々に確立していく。それを示す一例が土地制度であり、中世初期には土地を抑えているかどうかという事実と能力こそが、その土地を保有している根拠となっていた。国土全体を覆う統一的な権力がない時代であるため、それも当然であった。源頼朝は、武士が実力を持って保有している土地を認め、その代わりに軍事奉仕を求めた。こうしたなかでは、武士は武力を持つのみで、統治に気を配っているとはとうてい言えない存在にすぎない。しかし室町期になると、将軍や守護たちの武力を源泉とした権力は政治権力へと歩みを進め始める。そのことは、彼らが自らが直接的に臣民へと古文書を発行して命令を下そうとする態度が強くなることからも窺える。
 土地をめぐる状況は、まずは土地を保有するという「実情」があって、それは法的に認めていくという「当為」へと至る流れだが、これは中世の他の分野においても窺えるとする。たとえば経済に関しては、宋との交流を通じて貨幣経済が急速に浸透したが、朝廷はたびたび渡来銭の禁止令を出した。だが、貨幣経済の流通と浸透を前に、朝廷とその後の幕府も禁止令を撤回していくことになる。そして、中世では公権力が未発達であるにもかかわらず為替が発達したが、たとえその運用に関して危機が訪れたとしても、それを必要とするほど民間での経済活動が活発になっていた事実を示す。
 これらの経済活動は、西から土地を重視する東へと入り込んでいくのだが、そうなっていくにしたがって、王権は領域性をも伴って変化し始める。最終的に武家の権力統制へ徐々に組み込まれたのが、在地の村落であった。村落は、強力なリーダーを生み出すツリー型の体制ではなく、横の連携を重視するリゾーム型によって形成されており、その内部にて刑罰も自ら行っていた。兵農分離やキリスト教の弾圧はこうしたリゾームのつながりを断ち、武士の王権への下部へと組み込む作業であったと見なす。
 さて、大まかに紹介してきたが、個別事例の実証にとらわれず、史料に基づきながらも、中世の枠組そのものに新たた見方を示そうとする意欲的な書物と言える。ただし、決して実証を軽んじているわけではない。たとえば、著者の専門である古文書学の観点から指摘しており、初期には武士たちが法令を発するたことへ不慣れであったことの証拠として、当時の武士の筆跡が非常に汚いことを挙げているのは、面白い。
 細かい部分を見ていけば、きっとそれぞれの専門家から突っ込みどころはあるだろう。とはいえ、大きな流れから中世を理解するという視点は、現時点においてかなり意義があるのではなかろうか。というのは、マルクス主義的な発展史観に変わるものが、いまだ提示できていないように思えるからだ。網野善彦は、中世のあり方や海洋を通じた外部交流に関しては大きな成果を残したが、通時的な枠組という意味では、特に意識していなかったように感じる(というよりもその必要性を感じていなかったというべきか)。その意味で、こうした新たな枠組の提示を試みるのは重要だろう。
 また、網野善彦が『「日本」とは何か(日本の歴史00)』などで積極的に主張してきた百姓=農民ではなく、海を通じて活動した者たちの存在を排除すべきではない、という説を武士にも適用すべきと述べている。つまり、瀬戸内海で活躍していた海の武士団は、陸の領地である石高を持って評価することはできないと主張する。そして、こうした海に生きる人々には権力の統制を受けることなく活動していたとして、ここにも実情が先行していたと見なす。この見解が正しければ、池上裕子『織豊政権と江戸幕府(日本の歴史15)』にて描出された信長・秀吉・家康による水運ルートの重視は、海の勢力を統制下に入れるためであったと言えるのかもしれない。
 なお、南北朝・室町時代というと「わび・さび」や「幽玄」などを思い浮かべるが、実際には中国からの輸入品などを用いてきらびやかに飾り挙げることがしばしば行われた。ごく彩色や金色などの派手な色彩で飾られた空間での遊びが茶の湯であったようである(114頁)。


3月8日

 道尾秀介『ラットマン』(光文社、2008年)を読む。結成14年のアマチュアバンド。メンバーであったドラムの女性がスタジオ内で死亡する。彼女の妹とメンバーの思いが交錯するなか、本当の真実の扉が幾つも開かれていく…。
 ちなみに、表題の「ラットマン」とはだまし絵の一種で、同じ絵なのに人の顔のイラストの中にあれば人の顔に見えるし、動物のイラストの中にあればネズミに見えてしまう絵のこと。その絵に、人間の心と物の見え方の違いを掛けているといったところ。
 この人の作品は、前に読んだ『シャドウ』も含めて、改心のガッツポーズというよりは小さく拳を握るような作品な気がする。柔道でいえば会心の一本というよりは、渋い有効といった感じだ。もう少し大きい仕掛けを読みたい気もするが、そうしてしまうと、この人独自の人情とでも言える味わいが消えてしまう気もするし、難しいところだな。


3月13日

 小林正幸『学級再生』(講談社現代新書、2001年)を読む。1970年代初頭までの子供たちと異なり、現在の子供たちは学校へ来ることそのものが決して楽しいと感じていない場合が多い、という事実を踏まえて教育現場に立つ必要があるとする。その原因として、高校への進学が当たり前になったため、高校は卒業したら特をする場所から、卒業が当たり前の場所になった状況を挙げる。また、地域間で異なる年齢の子供たちから構成される集団で遊ぶことがなくなったことも、その原因と見なす。なぜならば、こうした集団で上下関係を学ぶこともあったのに、それが消失したために社会性を養う空間が消滅したためとする。
 その上で、荒れた教室を再生する際に最も重視すべきは、問題の原因を追及することではなく、問題でない部分を重視することだと、様々な実例を挙げて強調する。これは、問題を起こしていない生徒を味方につけるという意味でもある。さらには問題を起こしている生徒がいても、上述した子供たちの変化から、そうした者たちを無理に引き込もうとしないことでもある。教室に来なかったり、行事に参加しない生徒がいても無理に参加させようとせず、所在を確認するだけにとどめる。その際に、そこにいない生徒について他の生徒たちへ連絡する場合には、別のところにいるという最低限の報告と共に、「本当はここに来たいけれども何らかの理由で来られない」という言い方で、その子たちを心配しているメッセージを込めるとよい、とアドバイスしている。ただし、きちんとその場にいる生徒たちのことも大事だから、通常通りの活動を行うとも伝えねばならない。これは、先に見た問題を起こしていない部分を重視する態度へとつながる。また、それが行事の場合には、生徒自身が楽しめないのであれば、やめるべきだとも提言する。
 同じようなことは様々な場面にも応用できる。たとえば、不登校児のキャンプなどを実行した際にも、全員が一緒に参加するような催し物を企画せずに、選択ができるように並行して実行し、気が付いたら自然に参加していたという結果にすべきである。これは実際のカウンセリングでも重要で、相手に何かさせようとするのではなく、問題のない部分に注目して褒めることが肝要である。
 この際に、上手く相手との応答が成功する確率は、プロと初心者の間で、それほど差はない。異なっているのは凡ミスをしないということである。たとえば、生徒が怒っている際には、怒りがおさまった瞬間に注目し、怒りが治まることが気持ちいいと認識させる。これもやはり、問題がない場面を重視することの原則に適う。
 もちろん、教師の側が方針を変更しないという決意で臨むことが大事である。加えて、教員全体で意識を共有することも必要である。たとえば、保護者に対する対応である。保護者に対しては、どのような行為をしてきて、それがどの程度達成され、まだどの部分が問題となっているのかを伝え、その上で今後の方針とその効果を話すべきである。実際に保護者会を開く場合には、傍観者である保護者の意見を引き出して全体のものとする必要がある。そのため、まず教師を記録係につけた小さなグループへと分けて、保護者全員から学校のとるべき対応や家庭の状況などの意見を募る。その後、記録係から重なっている意見の多い順に要約して紹介してもらい、今後の指導に意見を生かしたいとまとめた上で、アンケート用紙を書いてもらい、子供に持参してらったものを学級通信で過程へ届けるという手法を紹介している。
 この他にも、有用な指摘が随所に見られる。たとえば、著者は、ある件の研修会に講師として参加したとき、その件ではいじめ問題の頻度がワースト5であったことについて、ゆゆしき問題であるという主催者の挨拶とは反対に、これだけ多く報告されていることは素晴らしいと述べたという。先生たちが子供の実態をしっかり見ながら対応している証拠である、というのがその理由だった(29頁)。すべてを見せればよいというわけではないが、ひた隠すことが最悪の対応であることは間違いない事実だろう。また、褒める技術を磨くために、グループを作って褒め言葉を書き出してもらい、次は全体で自分のもの以外の言葉を選んで横の相手を褒めるという行為を行うことで、褒め言葉のバリエーションを増やす、というのも非常に有効な手段であるように思える(232〜233頁)。
 著者は、長年にわたって学級問題や不登校児の問題に携わって、どのように状況を改善すべきかということを実践し続けてきたために、非常に示唆されるものが多い。教育に何らかの形で関わっていれば、読んできっと損はしない。
 ただし、唯一気になったのは、現代の子供たちは昔と違って様々な年齢から構成されている集団での遊びをしていない、という事実を、どうも退化現象であると感じているかのような意識がほのかに見られること。もちろん、著者は時代が変化していることに留意して、さらにその変化した現在において必要な対処法が本書では述べられている。だが、「今の子どもたちは、互いが信頼感を持って寄り添う体験もそれほど多く味わえなくなっている」という物言いに、そうした意識をうっすらと感じるのだ。もちろん、昔に比べて悪くなっているところもあるだろうが、よくなっているかもしれないところもある。そして時代は変化するものなのだから、その時に応じてやり方を変える必要もある。そして、昔はよかったという物言いは、著者がいうところのよいところに注目すべきという対処法とは逆なのではなかろうか。たとえ、良いところを褒めていたとしても、昔の方がよかったという態度が透けて見えてしまえば、生徒たちは反発してしまう気がする。


3月18日

 近藤史恵『サクリファイス』(新潮社、2007年)を読む。陸上選手から自転車レーサーへと転向した「ぼく」。彼は自分自身が自分自身が勝たなくても、自身を犠牲にしてエースを勝たせればよいというロードレースに惹かれていた。そうしたなかエースをめぐる不穏な噂が彼の耳に入る。曰く将来有望なチームメイトと衝突事故を起こし、再起不能にしてしまった、と。しかし、ヨーロッパのロードレースで再び事故は起こる。だが、その背後にあったのは、思いもよらぬ「犠牲」の精神であった…。
 何だかだいぶネタばれに近いところまで書いてしまったのだが、ちょっとしたどんでん返しが何度かやってきて、しかもそれが単に驚かせるという趣向のものではなく、爽やかな感動を呼び起こすところは技ありといったところか。自転車レースについては、曽田正人『シャカリキ』がとてつもなく熱く描いていたが、あれはあくまでも個人競技といった印象であった。それとは異なり、こちらはチームプレイという点に重点を置いて描かれている。どちらにしても、自転車レースの内容を物語の謎の真相と絡めながらも、自転車レースという日本では決してメジャーではない競技を魅力あるものとして提示していて、単なる設定として自転車レースを用いただけに終わっていないところは、かなり好感が持てる。割と短めなので、すこし軽めの推理ものが好きならば、十分に楽しめるだろう。


3月23日

 サイモン・クーパー(柳下毅一郎訳、後藤健生解説)『サッカーの敵』(白水社、2001年(原著は1994年))を読む。ジャーナリストである著者が、東欧、欧州、アフリカ、南米・北米などへ実際に赴きながら、その地で見聞したサッカーについてルポ形式で綴る。欧州といっても、イングランドやイタリアといったようなサッカー大国は基本的に含まれておらず、どちらかといえば辺境諸国をめぐる。正直に言って、サッカーにそれほど詳しいわけではないので、よく状況が理解できないところも多い。それでも、つまみ食いするだけでも面白い部分はちょくちょく見つかるので、サッカーに興味があれば読んでみてもよいだろう。
 以下メモ的に。スパルタク・モスクワは、CSKAやディナモと異なり、国家のバックを持たずに創設されたクラブであった。その創設者のメンバーたちは、スパルタク・モスクワが1938・39年とソヴィエト・チャンピオンになると、スターリンの暗殺を企てたと連行され、数年間にわたって尋問を受けたり懲役刑を喰らったりした(50〜52頁)。
 アフリカ勢の台頭に対して、1990年代のヨーロッパでは、まだそれが身体能力のおかげだと考えられていたし、アフリカ人は戦術を知らずに自由に楽しんでいると説明する解説者も多かった(165頁)。「槍投げ連中が我々の地位を奪い取るなんて」とアフリカ人を侮蔑する者すらまだいた(173頁)。ヨーロッパで成功するアフリカ人のプレイヤーの多くは英国植民地出身者だとする説がある。英国植民地では、アフリカ人を差別的に扱ってきたため、ヨーロッパに行っても人種差別に耐えうるだけの心構えができているから、というのがその理由である。逆に、フランス植民地では名目上はフランスの一部であり、アフリカ人をフランス人にするのが目的であるため、人種差別になれていない、とする(193頁)。これは面白い説だけれども、現在ではもう成り立たないだろう。
 本書を読むとよく分かるのは、言い方は悪いが政治体制が安定していない国であるほど、サッカーは人々の生活の中心を占めて、時には政治すらそれに左右されるということだろう。たとえば、1994年のアメリカ・ワールドカップにて、スタジアムで観戦していたボリビアの大統領は、国内に優先すべき課題があるのでは、と尋ねられると、「ボリビアでは、ワールドカップが最優先の課題である」と答えたという(320頁)。しかし、この法則は、アジアには当てはまらないはずだ。これは単純に文化のせいなのか、それともその他の要素があるのかということは気になる。


3月28日

 小笠原慧『手のひらの蝶』(角川文庫、2005年(原著は2002年))を読む。児童精神科医・小村伊緒が勤める児童福祉センターに母殺しの容疑者である9歳の少年が保護された。時を同じくして、連続吸血殺人事件を追う刑事の薮原と西澤。両者の間に、昆虫というつながりが発見されていき、意外な犯人が姿を現す…。
 意外な真犯人がいるというところはなかなか読ませるのだが、そこまで警察が騙され続けることはあるのかな、という気もする。こういう意外などんでん返しの時にはいつも思うのだけれど。とは言っても世の中には未解決事件もたくさんあるのだから、そうとも言い切れないのかな、やっぱり。
 ちなみに、伊緒の上司が単なる嫌なやつにしか見えないので、この人物にもう少し共感できるような部分があれば、物語として深みが出る気がする。こういう脇役の描き方の差が、物語としての深みの差になるのでは、と今さらながら気づいた。


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