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2008年12月の見聞録



12月3日

 伊藤民雄・実践女子大学図書館『インターネットで文献探索 2007年版』(日本図書館協会、2007年)を読む。その書名通り、ネット上で文献検索するためのサイトを紹介している本。これは非常に便利だし、細かいところまで抑えられている。たとえば、私のサイトからリンクを張っている北欧の古書店の検索サイトであるAntiquarian Books in Scandinaviaまである。他言語入力ツール、辞書・百科事典・人物情報などのサイトも簡単に紹介されているが、何と言っても圧巻なのが文献検索。書誌・所蔵検索から、内容からの検索、新聞・雑誌、政府・学術機関・企業などが発行している電子媒体(灰色文献)、視聴覚資料まで網羅的に挙げられている。しかも欧米圏のサイトだけではなく、アジアや中東のサイトまで収録されている。巻末に索引も付いていて、これまた便利。早速、本書を参照して、出会いの玄関に新たにリンクを追加させてもらった。
 情報検索の授業などで、必ず参考文献に挙げられるべき本だろう。ただし残念なことに、この本はすでに品切れ状態に近く、新刊本は現時点では手に入らないようだ。こんな便利な本なので、すぐに再版して欲しいところなのだが。それとも、2009年版がすぐに出る予定なのだろうか。
 なお、国立国会図書館のレファレンス処理の統計によると、所蔵調査は1998年度で4万件以上あったものが、2001年度で3万5千件程度にまで減り、2002年度には5千件以下に急落している(13頁)。これは、もちろんインターネットの利用に伴うものであろう。B.L.ホーキンス・P.バッティン『デジタル時代の大学と図書館』の項でも書いたが、1998年頃には全国の大学図書館の蔵書目録であるNACSIS Webcatが個人でも容易に仕えるようになった記憶があり、これ以外の分野においても、個人によるウェブ上での検索が容易になっていったのであろう。その上での単なる根拠のない推測にすぎないのだが、インターネットの歴史において2001年から2002年は重要な意味をもっている年なのかもしれない。


12月8日

 道尾秀介『シャドウ』(東京創元社、2006年)を読む。小学5年生の我茂凰介は母親を病気で亡くした。時を同じくして、凰介の父親の医学部の同級生でもある精神科医の水城徹の娘であり、同じ学年の幼なじみであり亜紀も、母親を投身自殺によって亡くしてしまう。四者四様の思惑が入り乱れ、しかも疑惑が膨らむなか、凰介は父親がまた「病気」をぶり返したと考え、父親たちの恩師である田地へ相談を持ちかける…。
 終盤に至るまで、何か不合理に思えるつじつまの合わない展開や、登場人物が精神的に混乱しているかのような描写が続くため、もしかしてこれはホラーかな、と思っていたところ、最後にそれらの伏線を上手く回収していくところはなかなか巧み。ただ、最後の種明かしの部分が、登場人物の手紙というのはやや安易にも見える。じゃあ、どうすればいいのかというと難しいところなのだけれど。叙述トリックのようなところもあるが、騙してやろうという仕掛けに凝ったところはそれほどないので、すっと読める作品としてはオススメ。逆に、そういう叙述トリックに慣れすぎている人間からすれば、あっさりしすぎに思えるかもしれない。
 ちなみに、自分が不吉な夢を見たから亜紀の母親が自殺したと凰介が考えているときに、彼の父親は、夢を見た−死んだ、夢を見た−死なない、夢を見ない−死んだ、夢を見ない−死なない、という組み合わせがあると指摘し、さらに夢を見たという部分は歯を磨いたと置き換えることも可能だから、その気になればどうとでも関連づけることができる、といって、凰介の怯えを解消してあげている。これは、菊池聡『超常現象をなぜ信じるのか』で読んだなあ、と思っていたら、巻末の参考文献に挙がっていた。


12月13日

 岩下哲典『江戸の海外情報ネットワーク』(吉川弘文館、2006年)を読む。いわゆる鎖国の状況下においても、海外の情報を伝えるネットワークが存在していたことを、江戸後期から末期のいくつかの実例から明らかにしていく。
 徳川吉宗の希望により、江戸へ象がやってきたことがある。これまで象がもたらされた場合には寄贈であったが、吉宗自身が望んだという点が大きく異なる。ここで重要なことは、ベトナムから象を連れて来るという吉宗の希望を、実現できるだけの海外とのネットワークのつながりがあった事実である。
 また、ナポレオンが皇帝になったことも、すでに19世紀初頭の江戸期に伝わっている。幕府の捕虜となったロシア軍人ゴロヴニンの部下であったムールは、日本に帰化したいと思い「獄中上表」を1812年を記したが、その中で世界情勢について語る箇所にナポレオンが登場している。逃亡して帰国したゴロヴニンは『日本幽囚記』を記してヨーロッパで出版したが、日本に対しては辛口であった。ヨーロッパ各国で翻訳したこの書の日本語訳を行っていた幕府の天文方はムールの「獄中上表」とかなり内容が異なることに気づき、こちらをオランダ語に翻訳してヨーロッパで出版しようとした。結局、1828年のシーボルト事件により天文方の人材が獄中にとらわれたため、この計画は頓挫したものの、当時の世界とのつながりを垣間見ることができる。なお、ナポレオンの自由に在野の有志が立つべきという「草莽崛起」の理論を結びつけたのは、吉田松陰であった(74頁)。
 ペリーは1853年6月に来航しているが、実は丁度その1年前の1852年6月に、老中の首座であった阿部正弘のもとへその情報はほぼ正確に伝わっていた。オランダ商館庁から長崎奉行を通じての情報である。だからこそ幕府は、ペリーに対して1年後に返事をすると約束して一時的に混乱を免れることができた。
 そして、ペリー側は日本側に白旗の使い方を教えて、白旗と共に書簡を添えたと言われ、これが日本人が白旗を知った最初の事例といわれている。だが実際には、1844年に浦賀奉行所は白旗を常備する伺い書を老中に提出している。結局、長崎奉行の反対で実現しなかったものの、白旗に関する知識をオランダからすでに得ていたことが分かる(なお、白旗書簡は今のところ偽書の可能性が高いようである)。
 ただし、本書を読む限り、そうしたネットワークが有効活用されていたようには見えずに、政策的に後手に回っていたような事例にが多いように思える。たとえば、ペリー来航の情報を得て激論を交わしたものの対応を決められず、長崎奉行に相談することになったのだが、長崎奉行は「情報をもたらしたオランダ商館長は貪欲な人物であり、虚偽情報を流してますますオランダに依存させて、貿易量を増やしたいという思惑があり、信用できない」と結論づけたという。
 それ以外にも、アヘン戦争の情報は、水野忠邦の管理と封鎖のために、彼が失脚するまではそれほど拡散しなかったというのは、その一例だろう。さらに水野は西洋流の砲術を導入するための切り札としてこの情報を利用して、長崎商人も武器の商売で儲けを得ようと、旧式大砲を用いた清の敗北を強調したらしい。このあたりは推測のようなので、本当にそうだったとまでは言い切れない。だが、いずれにせよ、ネットワークがあるということと、その情報を判断して活用するシステムは別の分野に属しており、両者が共にそろわないと、結局のところ情報は役に立たないのだな、と感じた。
 以下メモ的に。開港された横浜は、土産物の版画の図像にしばしば描かれて売り出されたのだが、これには開国政策を雰囲気によっても進めようとした幕府が、無言の圧力をかけた結果ではないかと推測している。明治政府による同じような目的が「東京土産開化版画」にもあて、こうしたプロパガンダ的な機能があった時事的なものだからこそ、現在はほとんど残っていないのではないかと見なしている(30〜33頁)。
 ナポレオンが皇帝になったとき、幕府蕃書和解御用の大槻玄沢はオランダ商館長に事情を尋ねたが、なかなか事情を語らなかった。「もしオランダがカトリックのフランスの半途に組み込まれたことを幕府が知ったならば、オランダとの交易を断絶しかねないと危惧したためである」(61頁)。「泰平の眠りを覚すじょうきせんたった四杯で夜もねられず」という短歌の初出は、1878年に出版されたの斎藤月岑『武江年表』であり、江戸時代ではないそうである(120頁)。


12月18日

 北村薫『空飛ぶ馬』(創元推理文庫、1994年(原著は1989年))>を読む。読書好きの女子大生である「私」が日常で遭遇する様々な謎を、噺家である円紫師匠が鋭い推理で解き明かす、というのが基本的な構成である短編集。いずれもちょっとした発見の楽しみを教えてくれるのだが、個人的にはやや落語への絡め方がやや強引に見える部分もあるし、少し蘊蓄めいた部分が前面に出過ぎているように思える箇所があって、あまり楽しめなかった。シリーズのようだが、次作はどうするかな。


12月23日

 溝口敦『パチンコ「30兆円の闇」 もうこれで騙されない』(小学館、2005年)を読む。2003年のパチンコ市場規模は29兆6340億円であり、中央競馬の年間売り上げである3兆円よりも遙かに規模は大きい(なお、宝くじは1兆円、コンシューマーゲーム市場は4460億円)。そこに群がる警察、悪徳ホール、中国人犯罪グループ、ゴト師、攻略ビジネスなどをルポ形式で探る。
 パチンコ産業の裏事情については、伝聞的な噂やネット界隈ではよく聞くものの、まとまった紙媒体の記事はそれほど多くなかった気がする。その意味で、本書は基礎的な文献になるのではないだろうか。実のところ、私自身はパチンコを全くやらないので、ただ興味本位で読んだのだが、一番印象に残っているのは、警察がパチンコ業界と密接に関わっていること。パチンコ人口は1995年には年間2900万人だったけれども、2003年には1740万人に減っているにもかかわらず、売り上げはほぼ変わっていない。これは、1人当たりの投資金額が増えている、つまり射幸性が高まっていることを意味するのだが、警察はそれを認めもせずに、さらに推し進める政策すら採ってきたことが、本書を読むとよく分かる。
 よく知られていることだが、パチンコは三点方式による換金を黙認している。三点方式とは、店で得た出球を特殊景品に交換して、それを近くの景品交換所に持っていくと現金で買い取ってもらえ、特殊景品は景品問屋を経て店に納品する、という換金手法である。この黙認の代価として、管轄の各署長や生活安全課課長・係長などは金銭を受け取って、接待も受けている。そして、パチンコ台の認可は財団法人の保安電子通信技術協会が行っているのだが、新規の台を1機審査するにあたって、パチンコ機は152万円、パチスロ機は181万円が必要となり、試験検定料だけで年間約13億を稼ぎ出している。この協会は警察庁とつながりがあり、OBも勤務しているだけではなく、会長は元警察庁長官や元警視総監が務めている。
 また警察は、パチンコ会社に自社の上場について尋ねられると、それを認めるような回答をしておきながら、証券会社や銀行からの打診には、換金が法制化されていないから待って欲しい、と言うらしい。上場すると、取締機関が同時に所管を担当するのはおかしくなり、そうなると警察の手から離れるので、利権が逃げると考えるのである。
 なお、一番えげつなく感じたのは中国人犯罪グループ。これは別に中国人の犯罪を専門的に取り上げた本ではないのだが、こういうやり方で日本人が食い物にされているのだな、と知ることができる。ちなみに、この本に登場する中国人によれば、パチンコ関連で一番仕事がしやすいのは、警備が手薄で出球を等価交換するホールの多い北海道だそうだ(今は変わっているのかもしれないが)。
 先にも書いた通り、私はパチンコを全くやらないし、周りにする人も特にいないのでよく分からないのだが、パチンコは儲かるから面白いのか、儲からなくても面白いのか、どちらなのだろうか。後者ならば特に口を挟む筋合いはないけれども、前者ならば、本書を読めばやる気を無くすのではないかと。それとも、自分は儲かっているとか、今回は負けたけれども、ツキの偏りがあるから次は勝つ、と考えているのだろうか。博打で儲ける人間はそもそも負けることがない人間だと思うので、負けている人は辞めた方が賢明だと思うのだが。私自身は、そう考えて一切の博打を辞めたのだけれども、こんな風に考えてしまう人間はそもそも博打について語る資格などないのかもしれない。


12月28日

 西澤保彦『複製症候群』(講談社文庫、2002年(原著は1997年))を読む。出来の良すぎる兄を持つコンプレックスを持ち、常に比べられることに嫌気がさしている下石貴樹。そんなある日、同級生との帰宅途中に、突然空から振ってきた七色に輝く光の幕によって遮られた空間の中に閉じこめられる。その幕は触れた生物を複製してしまうという奇妙な幕であった。しかし貴樹は、その時助けてくれた担任が、自分と兄を重ね合わせたことに強い殺意を抱くのだが、事態は思わぬ方向へと進み、次々と殺人が生じる極限状態へと陥る…。
 クローンをつくることが出来るという舞台装置がミステリに持ち込まれると、清涼院流水『Wドライヴ 院』とも共通して、「代わりがいるから、1人ぐらい殺してもいいか」と登場人物が考える設定になるようだ。ただし、その味付けはかなり異なるものであり、ある程度の意外性はあるもののオーソドックスな本書の方が個人的には好み。本書では、七色の幕が最初は殺人に利用されて、ラストでは何とかそれを回避するために使われているが、どんな技術といえども、それは悪用することも善行をなすために使いうるのであり、ありきたりな言い方だけれども、技術や道具そのものの善悪を単純に決めつけることは避けるべきなのだな、と。


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