香西秀信『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』(光文社新書、2007年)を読む。人間は偏った力関係の中で議論する場合の方が多いのだから、人間関係を考慮の外において真理の追究や正しいことの証明を行う論理学ではなく、相手を説得することレトリックこそを武器とすべきと主張する。したがって、言語表現においては自分の思想や価値観、嗜好等による断定を排した中立的な立場にあるべき、という考え方を否定する。そもそも、正しいと思うテーゼを多くの論拠で理論武装すると論理的には説得力があっても、同時に発想し得ないような論拠が入り込むために、心理的には正しく思えないことも生じる。
事実を口にするときにでも、実際には何らかの意味で聞き手を説得しようとしており、そこには意見が込められている。だからこそ、議論にて問いを出す側は、言葉を自分に都合良く選べる。たとえば、死刑制度に賛成する人物が反対論者に「国家に人を殺す権利があるのか」と問われると、「ある」とも「ない」とも答えにくい。こういうときには、「国家に複数の殺人を犯した人間に対し、裁判によって詩を与える権利はあるのか」と表現し直したり、「では国家に人を監禁する権利はあるのか、または強制労働させる権利はあるのか」と問い直せばよい(62〜63頁)。もし相手が評価を与えて問いを発したのであれば、その理由を説明する責任は相手側にある、と考えないと、問われた側は次第に追い詰められてしまう。
そもそも人と論とは別ではない。たとえば『新約聖書』に、罪を犯した女性に石を投げている群衆に向かって、イエスが「この中で罪を犯したことのないものが石を投げよ」と言うと人々は立ち去っていった、という逸話があるが、これを詭弁であるとは見なす人はおそらくいないだろう。だが、論理学に基づけば人に訴える議論であり、論理のすり替えであると見なされてしまう。これが、道端でタバコを吸っている人間が、同じ道でタバコを吸っている人間に「くわえタバコは止めよ」と言った場合には、自分も悪を犯しながら平然と相手の悪を指摘している、という不公平さを攻撃することができるだろう。「ある言葉の意味や価値は、それが誰によって語られたかによって変貌するのである」(147頁)。
論理よりもレトリックを、という考え方は、実際に人と議論することに必要となるものであるという、著者の理屈は非常に分かりやすい。上でも述べていることであるが、それを踏まえておかないと、議論にて発問を相手にふっかける手法が、悪い意味で武器として用いられてしまう場合もある。というのは相手の発言から適当な言葉を拾い出し、逐一その言葉の定義や意味を細かく突いていき、相手が詰まるとその揚げ足をとって勝ち誇ることができるからである。
ディベートは論理的思考を磨くのには重要だけれども、それが完全に客観的なものとなり得るわけではなく、逆にどのような理論をも弁護することが出来る危険性があるのでは、とかねてから考えていたので、そうした個人的な考えを補強する上で、本書からいろいろと有益な思考法を学ぶことが出来た。ただし著者は、プラトン『国家』のなかでソクラテスが子供に討論の仕方を教えてはならないと説いたことを、こうした悪しき例に対する批判的な文章としてあげている(91頁)ことについては疑問も覚える。なぜなら、ソクラテスはこうした悪しき実例だと思うからだ。プラトンの著作を読む限り、ソクラテスは何らかの用語や概念について対話を行う際に、弁証法にて答えられなくなるまで相手を問い詰めていき相手を混乱に陥れ、自分自身は「知らなかったことをすでに知っていた」という立場から優位に立とうとしている。プラトンやソクラテスのやり方を擁護してしまうのは、彼らがギリシア哲学の偉人なのだからという前提に立った思いこみにすぎない。もし、そのように考えているならば、関曠野『プラトンと資本主義』(北斗出版、1982年(リンクは1996年の新版))を是非読んでもらいたい。彼らがルサンチマンの固まりとも言える人物であったことが分かってもらえるかと思うので。そして、彼らが「教師」の原型であり、だからこそ学校教員には褒めそやされるのだということもよく分かる。
石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫、2001年(原著は1998年))を読む。池袋で起こる事件と若者たちによって結成されたストリートギャングに、便利屋のように関わっていく「おれ」こと真島誠を主人公とした物語。こう書いてしまうと、実につまらなそうに聞こえてしまうのだが、若者の視点をもとに軽快な文体で描かれた描かれたクライムノヴェルは、深みがあるというわけではないし、意外性のある展開というわけでもないが、テンポよく読み進めることができる。この物語そのものが今の若者にとってのリアルなのだろう。それは「現実」という意味でのリアルではなく、自分たちが生きている場所の延長線上にありそうなリアリティという意味でのリアルという意味だ。それを示す言葉をストリートギャングのリーダーが語っている。「ガキどもにはモデルがない。身近なところに目標となる大人がいないし、夢も見せてもらえない。おれたちはモデルと絆を用意する。自分が必要とされている充実感、仲間に歓迎を受ける喜び。規律と訓練。今の社会で生えられないものを、力をあわせて見つける」(255頁)。なお、貶しているのではなく、現実ではないのに現実感を描ける点を評価しているので、念のため。
ただし、少しだけ気になることがあって、最終的に誠がストリートマガジンに自分自身の経験をもとに連載を持つようになったというところ。「おれにしか書けないことがある」(354頁)と考えて、それを実施すること自体は大切なことだと思うのだけれど、それをマスコミという媒体を使うやり方は、ありきたりではないのかな、と。
なお、1点だけ細かいツッコミを。女にはっきりしないところは父親譲りであるといった後で、「悲しい劣性遺伝」(237頁)とあるが、劣性遺伝とは劣った性質という意味ではなく、「ある形質が双方の純系同士の交配においては現れない形質のことを指す」にすぎない(引用はwikipedia「劣性」の項目より)。
宮下志朗『本を読むデモクラシー "読者大衆"の出現』(刀水書房、2008年)を読む。18世紀から19世紀のフランスを中心に、読書文化がどのように栄えて変貌していったのかを探る。簡単にまとめると、19世紀に入ると識字率は上昇を続け、特に後半には女性の識字率が伸びていき、彼らの読書を支えたのは貸本屋だった、となる。そして、その時代には、著作家はパトロンに作品を謹呈することで生活するというそれまでの様式とは異なり、作品を買う一般読者によって作品の対価を判定される時代へと変わっていく、といったところか。ただし、興味深いのは、こうして書物と読書が「民主化」していくと、文学マーケットでの勝ち組は市場の原理にすべてを委ねればよい、というネオ・リベラリズムの思想を打ち出してくるところだろう。
それぞれの章が、基本的に独立したトピックを取り上げているので、これ以上は本書を全体としてまとめるのは難しい。そこで、所々コメントも交えつつ、メモ的にピックアップしていく。
モリエールの喜劇『女学者』のなかで、裕福な町人が妻の読書に文句を付けて、裁縫が昔の女性にとっての本だった、と語るシーンがある。これはおそらく、女性は本など読まず家事をやるべき、という当時の男性たちの本音を反映したものであろう(13〜14頁)。
19世紀になると庶民も教育を受けるようになっていき、それが立身出世に結びつくという考えも広まっていく。19世紀の石工の回想録であるマルタン=ナド『ある出稼ぎ石工の回想』には、読み書きを息子に学ばせようとする父親に対して、畑仕事の方が大切だと母親が反対し、祖父も猛反対した、というくだりがある(18〜19頁)。
ルイ=セバスチャン=メルシエ『タブロー・ド・パリ』(1781〜89年)には、貸本屋の描写があるのだが、そのなかに汚くなってすり切れている本ほど最良のものであることを物語っている、という一文がある。というのはそれだけ借りられているからであり、これは当時の読書が貸本によって成り立っていたことを示している(23頁)。
まだ、著作権の概念が存在していなかった19世紀後半までのヨーロッパでは、本国以外の地域での海賊版の出版が盛んであった。フランスではイギリスの海賊版が、ベルギーではフランスの海賊版がそれぞれ販売されており、それぞれの国民は外国へ海賊版を買いに出掛けた。フランスでこれを行っていたのが、現在でも有名なガリニャーニ書店であった。ガリニャーニ書店は、イギリスから来る観光客への英語版パリガイドも発行していた。ただし、19世紀も後半に入り、書物や新聞の価格が低下して読書室というレンタル商売が衰え、著作権保護の動きが活発化すると、ガリニャーニ書店は本を売る時代だと考えて方向転換を行った(47〜49頁)。なお、バルザックは海賊版と読書室のために、出版部数が低く抑えられていると批判している(104〜105頁)。
19世紀後半には、新聞連載小説が盛んになっていくが、バルザックは『農民』という作品が不人気で第1部で打ち切られた。その後に連載されたのは、売れっ子作家であったデュマの歴史小説『マルゴ王妃』であった(72〜74頁)。私はこの辺の文壇事情に全くと言っていいほど疎いのだが、名前が知られているビッグネームでも、人気がなければ打ち切りの憂き目にあうのは、今も昔も変わらないのだなあ、と。
こうした新聞小説は、貸本で主流を成した「青本」も廃れていく。青本は、騎士道物語や昔話などを中心とした様々なジャンルのリサイクルだったのだが、そこには大きな物語やアクチュアルな物語はなく、版元の安易な発想や編集によって送り出されたジャンルにすぎなかった。したがって、新聞小説が勃興するとあっという間に取って代わられた(86〜87頁)。
19世紀には女性が読書をすることなどとんでもない、という男性の側の理屈が盛んに語られた。女性が恋愛小説などを読んでいる場面を描き、なおかつその女性の目が邪悪であるように見える絵画作品に付けられたタイトルは「禁断の果実」であった。恋愛小説を読むことによって、女性は純潔を汚されると、勝手な男性側の妄想が押しつけられたというわけである(125〜126頁)。このあたりは、現在にも窺える問題点ではなかろうか。
なお、日本の貸本屋も取り上げている。日本でも江戸時代には貸本が盛んであった。滝沢馬琴は、酒は下戸には迷惑だし、琴は免許を取るのに金がかかるが、書物だけは貴賤の区別無く友達になってくれると語り、長女の婿養子に貸本屋を営ませようとしたほどである(ただし、結局は上手くいかなかった)。19世紀になると、勧善懲悪が大筋となった伝記的長編物語は民衆に広く愛され、貸本屋が企画を立てて版元となる場合がしばしば見られた(60〜62頁)。
ヨーロッパでほとんど用いられなかった板木本が、日本では明治維新まで使われ続けた。これは製版ならば返り点やふりがななどがつけやすく、また挿絵が多かったという江戸の文芸に向いていたためだろうとしている。ただし、「こうした伝統が現在の漫画(コミック)に連なる」と、安易に日本の伝統と漫画を結びつける姿勢は、大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』で批判されていることでもある。
以上、とりとめもなくつらつらとメモ的に触れてきたが、読書習慣に興味があるものならば、ちょっとした知見を得られるのではなかろうか。
辻村深月『ぼくのメジャースプーン』(講談社ノベルス、2006年)を読む。小学4年生の「ぼく」が小学校で飼っていたウサギが、医大生に殺されたショックで、「ぼく」の幼なじみである「ふみちゃん」は、すべての感情を封じ込めしゃべらなくなってしまった。一人につき一度だけ制約とそれを破ったときの罰を科せられるという不思議な力を持った「ぼく」は、医大生にその力を使おうとするが、親戚であり同じ能力者である大学の先生の元で、その力の詳しい説明と本当に使うべきかどうかを学ぶことになる…。
小学生である「ぼく」の一人称で物語が進み、大人である先生が彼を諭すという児童小説のような感じなのだが、最後の最後で推理小説のような感じで展開し、それまでに仄めかされていた伏線が明らかにされる形式となっている。最初の部分でかなりのページを割いて、しっかり者でありながらも内面には密かに弱い部分を持つ「ふみちゃん」と、彼女の強さに憧れつつ、弱い面をさらけ出した彼女に能力を使う「ぼく」という2人の関係と、その間に生じた出来事をじっくりと描いているので、「ぼく」が能力を使うに至るまでの過程を積み重ねていく全体の流れに説得力がある。ただその割に先生の内面については今ひとつ描写が弱いので、超越者のような感じになってしまい、そのあたりが感情移入しにくい。しかし、先生はあくまでも助言者の役割を与えられているにすぎないのだし、さらに私が先生の立場に近いからそう思うのであって、もし子供がこの本を読めば全く違った感想になるのかもしれない。そう考えると、絵本を書くというのは、もの凄く難しいことなのではないかとも感じる。
ちなみに、この本では先生が「ぼく」に論理を教えるような箇所が割と多い。そのなかで、禁煙ではない場所で、タバコの煙が苦手な人の横でタバコを吸ってしまう人についてどう思うかを聞き、その後で実はそのタバコを吸った人が先生自身だったら、今度はどう思うか、と聞き返す場面がある。これを読んだときに思い起こしたのは、香西秀信『論より詭弁』だった。
なお、動物の命は重いのかについて先生が「ぼく」を諭すために、生類憐れみの令を導入的に使っているのだが、この法令が決して単純に動物の命を大事にしようとしたものではなく、殺伐とした戦国時代以来の慣習を抑制して、安定した社会を築くための法令であったことについては、大石慎三郎『将軍と側用人の政治』を参照のこと。
小林登志子『シュメル 人類最古の文明』(中公新書、2005年)を読む。そのタイトル通りの本で、シュメルの歴史や文化をトピックごとに語っていく。基本的には概説書なのだがシュメル文明に対する作者の思い入れがいい形で文章に反映していて、シュメル文明はこんなにも面白いのだ、という著者の語りかけが随所で聞こえてくるようで、読んでいて気持ちがいい。こういうのは、下手をすると空回りをして、読んでいて何となくうざったくなることもあるのだが、本書は熱意が上手く昇華されている。また、シュメル文明を現在の文化と比較する際にも、その例の出し方が分かりやすく、しかも皮相な比較に陥っていない。シュメル文明について詳しくは知らなくても、どんな文明なのかについて少しでも興味があれば、読めばきっと得られるものがあるだろう。以下、時折コメントを交えつつメモ的にトピックを。
まず、我が国では「シュメール」と表記されることが一般的だが、アッカド語では「シュメル」の方が原音に近い。では、なぜ「シュメール」が通例のかというと、第2次大戦中に、天皇を指す「すめらのみこと」は「シュメルのみこと」であるという俗説が横行したため、シュメル学の先達であった中原与茂九郎が音引きを入れて「シュメール」と表記したためだそうである(viii頁)。
ティグリス川はギリシア語であり、「尖った」を意味するペルシア語「ティグラー」からの借用語で、ゾロアスター教の聖典『アヴェスタ』で用いられるアヴェスタ語では、「矢」を意味する「ティグリ」となり、ティグリス川は「矢のように早く流れる河」の意味となる。ギリシア語の「ティグリス」には「虎」の意味もあり、「矢のように速く走る動物」に由来し、英語の「タイガー」の語源でもある。古代オリエント世界に虎はいないが、中央アジアやインドとの交流から虎の存在を知ったのであろう(7〜8頁)。
文字の発明の理由として有力なのは、交易活動を記録として残す必要から生まれたという説である。当時の交易活動は物々交換であったため、何がどこからどれだけ持って来られ、誰と何を交換したかという記憶を、文字によって目に見えるするためであった(34頁)。
楔形文字が粘土板に記されたのは、古代オリエント世界には紙はないものの、泥ならばどこにでもあったからである。粘土板は保存性の優れているが、崩れているので持ち運びには不便であり、そのため手紙などに用いる際には粘土板を焼いた(50頁)。
シュメルでは女神官と王が「聖婚儀礼」を行う。この儀礼そのものは、世界中で広く見られるものであり、「男女の交合により、混沌から秩序を回復し、不毛を豊穣に変えることなどを意味する」(76頁)。また、この儀礼は元旦に行われたが、古代社会では元日は宇宙の始まりに重ね合わされる日であり、新しい循環の始まりであった(同)。この辺りについては、ミルチャ・エリアーデ(風間敏夫訳)『聖と俗 宗教的なるものの本質について』(法政大学出版局、1969)を思い出した。ちなみに、古代地中海の人々は生没年にさほどこだわらないような気がするのだが、こうした循環する時間に生きていることを意識していたからなのではないかと思っている。ただ単に、年代を知ることが難しかったからだけなのかもしれないのだが。
円筒印章は、いわゆるはんこの役割のみならず、護符としての機能もあった。貴重な石材には意味があり、ラピスラズリは権力と神の恩寵、水晶は富と名声を招くと考えられていたらしい。当時のモザイクパネルには、真ん中に穴を空けた円筒印章を首からぶら下げている人物の姿も描かれている(89頁)。
シュメルの図像では英雄が動物を従えている場面が描かれているが、英雄、草食獣、肉食獣、合成獣はそれぞれ自然の諸処の力を現しており、これらの均衡が世界の秩序を保証するという概念のあらわれだった。それゆえに、戦っているようにも抱き合っているようにも見え、勝者と敗者ははっきりとしないように描かれている(99〜100頁)。
シュメル語で「自由」は「アマギ」と言うが、これは母(アマ)に子を戻す(ギ)を意味し、本来あるべき姿に戻すことを意味する。同様の考え方は『旧約聖書』にも受け継がれており、7年ごとの安息の年を7回経た後の50年目の「ヨベルの年」には売られた土地は戻され、負債は免除され、奴隷が解放された(153〜154頁)。
ハンムラビ法典からイスラムに受け継がれる法観念では、「目には目を」という復讐法の考え方が一般的である。だが、それ以前のシュメルでは復讐法を採用して折らず、あくまでも障害は賠償で償われるべきという考え方が採用されていた(162頁)。またシュメルの法では、男性奴隷と自由身分の女性との結婚が認められていた。さらに、女性は財産を所有でき、契約を結ぶこともできた。ただし、男女が平等であったわけではない(164〜166頁)。
アッカド王朝の初代国王であるサルゴンという名前はヘブライ語であり、アッカド語ではシャル・キンという。この名前は「真の王」を意味しているが、生まれながらの王族であればこうした名前を名乗らないはずであり、出世してからこの名前が付けられたこと、つまりは成り上がった人物であることを物語る。『サルゴン王伝説』によれば、サルゴン王の母は子供を産んでは行けない女神官だったらしい(173頁)。
シュメルにも中華思想に似た考え方があり、自分たちの外側にいる民族を野蛮な民族と見なしていた(186頁)。
東アジアでは国のトップにいる人間は文字の読み書きができることは当たり前であり、その文才こそが問われた。だが、古代オリエント世界では、識字能力は君主の必要条件ではなく、文字の読み書きは書記の仕事であった。それゆえに、読み書きのできる君主はそれを誇ることもあった(202〜203頁)。図像のアッシュルバニパル王の腰帯の辺りに描かれている2本の棒は葦のペンを示している。アッシュルバニパルは自叙伝を残しており、掛け算や割り算ができたことや、アッカド語もシュメル語も読めたことを自慢している(276〜278頁)。なお、葦のペンは片端が三角形になっており、もう片方が円形になっていて、それぞれを押しつけることで書いていく(41頁)。
シュメル人は世界を天、地、地下に三分し、天に神々、地には人間が住み、地下には地上の生命の源である深淵と冥界を置いた。生前の行いの善し悪しにかかわらず、死者は一律に冥界へと赴いた(238頁)。キリスト教やそれに影響を与えたゾロアスター教における最後の審判および天国と地獄の概念は、こうした地下にある暗い冥界と、オシリスの審判を経て到達する死後の世界とが融合したものではないだろうか。
エジプト最初の王とされるナルメル王(リンクはWikipedia)のナルメルパレット(リンクは英語版Wikipedia)に描かれているキリンのような首の長い2匹の動物が首を絡ませている図像に類似しているものとして、シュメルの出土品では今のところ最古のものは前3000年紀はじめの円筒印章に描かれたものがある。これはエジプトの交流を物語るものだろうと(239〜240頁)。ただし、オリエントの方が文明としてから歴史が古くエジプトが影響を受けたといわれることが多いものの、ナルメル王のパレットは前3100年頃のものとされているので、それよりも明らかに古いと判明している証拠があるとよかったのだが。
ナツメヤシは耐塩性が強く、穀物が不足でもナツメヤシがあれば飢えをしのげた。そのためメソポタミアの美術ではしばしばナツメヤシが描かれた。なおナツメヤシは、日本でもパンやクッキーの隠し味、濃厚ソースの原料として使われている。けれども1991年には湾岸戦争のために入手が困難になった。そのときに難儀したソース会社は備蓄するようにしておいたため、2003年のイラク戦争の時には倉庫に半年分のナツメヤシがあったそうである(64〜65頁)。
なお、本書では何カ所かで「学校」という表記が用いられているが、これは子供が通うことを義務づけられる近代的な公教育を思い起こさせるので、あまりよくない気がする。おそらくだが、この当時の教育は義務教育ではなかったはずなので。
キャロル・オコンネル(務台夏子訳)『クリスマスに少女は還る』(創元推理文庫、1999年)を読む。クリスマスも間近なある日、2人の少女が行方不明となった。かつて同じように双子の妹がさらわれて殺されてしまった刑事のルージュは、この事件の捜査に加わるのだが、彼の過去を知るという法心理学者、かつての事件の犯人として刑に服している神父などの人物が絡み、そして2人の少女の脱出劇が交錯する中、本当の犯人が徐々に暴き出されていく…。
いろいろな舞台設定や心理劇で意外な犯人を浮かび上がらせるというタイプの小説で、解説を読むと評判もよいようなのだが、個人的には犯人が意外であるというところの他には、あまりピンと来なかった。
本筋とは全く関係ないのだが、何らかの情報を知っている少年と野球をしようとすると、仕事で疲れているはずの警官たちが、ゲームに参加しようと集まってくるシーンが、アメリカ人にとっての野球の重要性を物語っているようで興味深い。