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2007年12月の見聞録



12月1日

 倉知淳『星降り山荘の殺人』(講談社文庫、1999年(原著は1996年))を読む。広告代理店に勤める杉下和夫は、職場で上司を殴ってしまったために芸能部へと回されて、スターウォッチャーとして著名人になった星園のマネージャーとなる。そして新たにリニューアルする山荘のPRの仕事のために現地へ訪れたところ、その会社の社長が殺される。雪に閉じこめられて音信も不通となったところへ、今度は部下も殺される。杉下は星園のアシスタントとして事件の解明を手伝うことになる…。
 裏表紙に「あくまでもフェアに、読者に真っ向勝負を挑む本格長編推理」と書いてあって、物語が展開する場面にはその説明文のようなものが挿入されており、推理クイズのような体裁を取っている。たとえば、「和夫は早速新しい仕事に出かける。そこで本編の探偵役が登場する。探偵役が事件に介入するのは無論偶然であり、事件の犯人ではあり得ない」といった感じ。正統的な推理ものとして進んでいって、それほど面白みを感じないなあ、と思っていると最後にひっくり返される。こうした体裁にもトリックが仕込まれているとは思いもよらなかった、といったところ。ちなみに、星園が「紀元前のローマの天文学者、ピルタルゴス」などといういい加減な知識を披露するので、これは酷いと思っていたのだが、もしかするとわざとかもしれない。


12月5日

 倉本一宏『奈良朝の政変劇 皇親たちの悲劇』(吉川弘文館、1998年)と、辰巳正明『悲劇の宰相長屋王 古代の文学サロンと政治』(講談社選書メチエ、1994)を読む。共に、少し必要性があって読んだもの。『奈良朝の政変劇』は、書名通り奈良時代の政界での動きを追ったもの。天武天皇は、政治を担える適当な人物が少なかったため、皇族に政権を担当させる政策をとったのだが、奈良時代を通じて天武系の皇族は政界から退くか、陰謀に巻き込まれて刑死していき、外戚が政治を担うようになると、天智系の皇族による平安朝へと移ることになる。コンパクトにまとまった実証的な概説書といったところ。
 『悲劇の宰相長屋王』は、こうした奈良時代の動向のなかで、謀反の疑いを掛けられて自殺した長屋王に焦点を当てたもの。長屋王は乞食僧を笞打ったことがあり、その因果応報として不幸な死を迎えた、と史書にて語られている。こうした仏教的な逸話で長屋王の末路が理解される一方で、「左道を学び国家を傾ける」というのが長屋王に掛けられた嫌疑だが、左道とは道教のことである。そして、長屋王の死後には藤原四兄弟が急死し、長屋王の骨が流された土佐では、死者が相次いで出たという。ここにおいて仏教に帰依した聖武天皇は、国分寺と大仏建立に長屋王の供養をも託したわけである。
 素材として面白いのだが、もう少し構成を練ればさらに読みやすかった気がする。たとえば、上記の流れに続いて、藤原四家の政治・文化と長屋王のサロンである作宝楼の話が記されているのだが、ここの話は興味深くても、個別エピソードが並列されていると印象が強い。終わり方が唐突な気もして、何となく長い補論を読んでいるような感じだ。また、大山誠一『<聖徳太子>の誕生』にて述べられていた、彼の失脚によって『日本書紀』で「創造」された聖徳太子から道教の要素が薄れていった、という話からすると、たぶん長屋王の死によって、道教の勢いはそがれて仏教の勢いが増すことへとつながったと思うのだが、そのあたりについてはあまり触れられていない。この後の時代も視野に含めた道教と仏教の状況および政治史との関わりを含めれば、より話に広がりが出たようにも思える。
 以下、本書に関してメモ的な事項を。持統天皇は、吉野へ頻繁に行幸しており、遺体を土葬ではなく火葬にしている。これは持統天皇が道教に関心があったためと考えられ、吉野への行幸は役の小角から呪法を学ぶため、火葬にしたのは屍解仙となって昇天する方法と説明を受けたと推測される(94〜95頁)。幼少時の藤原不比等は、天智天皇と大海人皇子が不仲になるのを見越した鎌足によって、山科へと送られてそこで育った。状況が変化したのは持統天皇の時代であり、天武天皇の意志を継承しながらも天智天皇の娘であった持統天皇は、天智朝へと回帰し、天武天皇の逆賊だった藤原氏に連なる不比等を政界へ登用した(163〜164頁)。藤原総前が詠んだ漢詩は、おそらく日本で最初に秋の悲しさを歌ったものであった。そしてその歌が詠まれたのは、長屋王のサロンにおいてであった(190〜192頁)。藤原宇合は政界の重鎮となったにもかかわらず、自らの不遇を漢詩で歌っている。これは理想の政治を志しながら、長屋王を誅殺した現実を悲しんでその思いを漢詩に託したと考えられる。「文学が個人の哀しみを慰める道具として、ここに登場してくる」(202〜204頁)。


12月9日

 矢作俊彦『ららら科學の子』(文春文庫、2006年(原著は2003年))を読む。学生運動の最中に、殺人未遂に問われて中国へ密航した男は、文化大革命と開放政策を経て、30年ぶりに日本へと帰国した。彼の知る東京はそこにはなく、すべてが変わり果てた町並みを彷徨する…。
 裏表紙の説明文や書名から、30年という時間の流れのギャップを視座に据えて、社会史的な感じで物語が展開するのかと思いきや、浦島太郎状態の男によるノスタルジー小説だった。たとえば、こんな感じの文章。「最初の印象とは裏腹に、礼子はあのころ大学に大勢いた娘たちを思わせた。身振り手振りがどれほど違おうと、カタカナ言葉を英語で発音しようと、関係なかった。あのころの娘たちのはつらつとした匂いが、少なくとも渋谷からは一掃されていたことに気が付いた」(308頁)。というわけで、個人的には全くと言っていいほどピンと来なかった。まあ、好みの問題なので、こういうタイプの小説が好きな人はどうぞ、ということで。


12月13日

 夏目房之介『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』(NTT出版、2004年)を読む。マンガに関する小論を集めた評論集といった趣だが、マンガの批評論を中心に据えて、それに市場と社会におけるマンガへの視座を加えてある、学問的枠組としてのマンガ学の概説書とでもいった感じでもある。「これからマンガ研究にかかわろうとする人々への問題点の整理に役立てばとてもうれしい」(9頁)とあるが、その役割を十分に果たしうるだろう。以下、個人的に興味を覚えた箇所をメモ的に。
 著者が出演している番組である「マンガ夜話」は、マンガ愛読者を主人公として成り立つようにとの意図があるらしい。「番組ファンの多くは『オレもあそこでしゃべりたい』と思い。『私ならもっとうまく話せるのに』と感じ、喫茶店や学校でのマンガ話の高度な延長のようにして番組を消費しているはずなのだ」(23頁)。その「マンガ夜話」では、番組で取り上げられることを拒否するマンガ家がいるそうだが、著者の経験では少女マンガ家に多いという。これには、特に少女マンガ家は、伝統的に社会から切断されて純粋培養的に育てられていることが反映し、小説などに比べて批評を含む知的な伝統が未だ醸成されていないためではないか、と推測している(77頁)。
 本宮ひろしやさいとうたかをは、プロダクション制でマンガを制作しているが、これはハリウッドのような分業体制とは異なり、むしろ前近代的な工房制に近い。「集団制作と自己表現性は、場合によっては反比例的に働くファクターかもしれないが、作品の中の要素として読みとることも可能な相対的なものでもある」(97頁)。ただし、「マンガ夜話」の出演者仲間であるいしかわじゅんは、『漫画の時間』のなかで、マンネリ化した保守勢力とさいとうを評しており、工房制が量産工場になっていると言えるのかもしれないが。
 また、日本の漫画の発展の要素の1つとして、編集者制度があるのではないかと推測している。かつてマンガ産業の規模が小さかったときには、読者と作者の共同体めいたものが存在していたが、その巨大化と共にその関係は崩れていく。そうしたなかで、新たな媒介項となったのが、終身雇用制のなかでマンガ家と社会や市場との窓口になるノウハウを蓄積・伝承させていった出版社の編集者ではないか、とする(119〜121頁)。
 少年マンガ誌と成年マンガ誌の発行部数の比率は、1980年代初頭では前者が後者の2倍であった。しかし、1980年代後半には成年マンガ誌が伸び始め、1989年には横ばいであった少年マンガ誌の発行部数である約6億7500万冊を、成年マンガ誌は7億2900万冊と追い抜き、以後はやや成年マンガ誌が多い状態がほとんど続くことになる(136〜137頁)。
 日本の著作権は欧州大陸系の自然権に由来しており、自然に権利が発生する。他方、英米系の著作権は登録して初めて権利侵害への訴訟が認められる。この違いが、アニメやマンガのアメリカ進出で誤解を生む背景になっていると考えられる(158〜160頁)。
 ところで、ひとつだけ気になるのは、「マンガ夜話」で『編集王』を取り上げたときの部分。このなかで、マンガ家が商業主義の犠牲になるのをカリカチュア的に描いた場面があるのだが、その部分に音楽界と重ね合わせて深く思い入れを語った大槻ケンヂを、ステロタイプ的な枠組にとらわれている、と評する。そこに、自らを含む論者によるマンガ界を語る言説の蓄積を見ているのだが(62頁)、それは少し違うのではなかろうか。もちろん、マンガ界ではそのような対立は少ないのかもしれないが、音楽界ではそのようなことが生じている可能性はある。音楽界ではそうした状況があるというのも、大槻の勘違いなのかもしれない。しかし、ここですべきことは、自らの言説の優位性を語るよりも、外部との関係性から自己を見直すという作業ではなかろうか。いわば、外部の人間を知的水準が低いと見なす、悪い意味での学問化に見えてしまう。


12月17日

 宮部みゆき『R.P.G.』(集英社文庫、2001年)を読む。刺殺されたサラリーマン所田は、その3日前に絞殺された女性と不倫関係にあった。その捜査線上に浮かび上がったのは、所田がネット上でつくっていた疑似家族の妻・娘・息子であった…。
 本書のタイトルは、当然のことながら疑似家族に掛けているのだが、彼らを呼び出した取り調べそのものの手法にも掛かっていることが、最後に分かる仕組みになっている。ただ、『クロス・ファイア』と同じように、ストーリーとしてのどんでん返しは上手くても、意外な犯人という点では上手くない。やはり、語りすぎて途中で分かってしまう。
 ちなみに、本書の中心となる刑事は、その『クロスファイア』に出てきた石津と、『模倣犯』に出てきた武上である。


12月21日

 赤澤威編著『ネアンデルタール人の正体 彼らの「悩み」に迫る』(朝日選書、2005年)を読む。ネアンデルタール人に関して、化石、脳、言語、遺伝子などの専門家が、それぞれの分野の最新の知見から解説する。なお、1997年にネアンデルタール人のDNAを抽出することで、彼らと現代人の祖先は60万年前にアフリカの地で既に分かれていたことが明らかになっている。まずは、印象に残った箇所をメモ的に。
 ネアンデルタール人の骨格は、エスキモーと類似している。これは、ネアンデルタール人が寒い気候に特化したタイプであったことを物語っている。そして、現代人よりも大きな脳をしていた事実とも整合する。というのは、現代人も寒冷地で暮らす人間の方が脳は大きいからである(72頁)。なお、ネアンデルタール人の脳の容積は平均1465ミリリットルであり、現代人の平均である1350ミリリットルを上回っている(169頁)。ただし、前頭葉の容量の割合は、ネアンデルタール人の方が40%ほど少ない。おそらくこれは、言語系がそれほど発達していなかったことを示す(249〜250頁)。
 人類は二足歩行を獲得した代わりに、瞬発力やスピードといった身体能力を失った。その結果として、肉食獣に襲われやすくなってしまい、それを裏付けるかのごとく餌食となった人間の人骨が見つかっている(92頁)。スーダンのヌビア砂漠のジャバル・サハバ117遺跡で見つかった1万2千年〜1万年前の人骨には、石器を伴った人骨が58体中24体あったが、これらは武器によって殺傷された人間と考えられる。つまり、この頃には人間同士の争いがあったことを物語っている。これは旧石器時代の末期だが、このころには土地をめぐる争いが既に生じていたことを窺わせる(104〜111頁)。イスラエルの遺跡において、ホモ・サピエンスの集落から出土する動物の歯は乾期のものに集中していたが、ネアンデルタール人の集落からは雨期のものも含まれていた。これは、後者が1年を通じて同じ遺跡に居住したのに対し、前者が季節的に移動していたためと推測されている(132頁)。
 さて、色々とネアンデルタール人に関する知見が紹介されているのだが、ネアンデルタール人は図鑑的でものに興味があるタイプであり、クロマニヨンは物語型で人間関係に敏感な気質をもっているのではないか、という見解が提示されている(278頁)。また、ネアンデルタール人には過去の経験を知識として伝達するという蓄積が少ないのではないか、という推測もなされている。とはいえ、ネアンデルタールのようなタイプの現代人がいてもおかしくないのではなかろうか。確かに生物学的に見れば、現世人類と彼らには違いがあるのかもしれないが、果たしてそれほど文化的に大きな違いがあるのかな、という気もする。


12月25日

 歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫、2007年(原著は2003年))を読む。何でもやってやろう屋を自称する成瀬は、同じフィットネス倶楽部に通う愛子から、自分の「おじいさん」の事故死が悪徳な霊感商法を行う蓬莱倶楽部によって仕組まれたものだ、と調査の依頼を受ける。そんななか、自殺を図ろうとした麻宮さくらと運命の出会いを果たし、蓬莱倶楽部への調査を行うなかで、事件は意外な方向へと動く…。
 本書の仕掛けを読んでいて思い出したのは、大日向雅美『母性愛神話の罠』に出てくる育児相談アンケートだったりする。まあ、確かに上手く描写はぼやかしてあって見事に騙されたけれども、単に「ふーん」という感じで終わってしまったのは、謎解きの本筋にとってさほど重要ではない設定だからだろう。さらにいえば、そういう状況は高齢化社会では別に珍しくもなく、せっかくの仕掛けも「ああ、実際にありそうなことだなあ」と思えてしまっただけなので。何か特別なプレゼントがあるのでは、と期待していたら、ものすごく美味しそうなお茶漬けが出てきた、といったような感じ。確かにお茶漬けは美味しいけれど、特別なものといえばそれは違うだろう、と。なお、この仕掛けゆえに、本書の映像化はおそらく無理だろう。
 ところで、本書の冒頭に「射精した後には動きたくない〔中略〕射精した直後に乳など揉みたくない。たとえ相手がジェニファー・ロペスであってもだ」(9頁)という文章がある。これはオトコの心理を的確に示しているのだが、果たしてこのように考えている男性は、たとえ作り話であっても、オンナの心理を的確に表現できるものなのだろうか、とふと気になった。それとも、女性である吉田秋生が『河よりも長くゆるやかに』(小学館文庫(フラワーC))で、性に対するオトコのがっつきぶりをとてつもなく上手く描いたように、可能なものなのだろうか。


12月29日

 竹熊健太郎『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』(イースト・プレス、2004年)を読む。書名になっているマンガの原稿料について扱ったのは、冒頭の論のみであり、それ以外はマンガに関するエッセイとなっている。ただし、後者も面白いので、マンガを考えたり語ることに興味のある人は、読んでも騙されたと感じることは決してないだろう。
 その冒頭の「マンガ原稿料の秘密」には、マンガ家の収入がリアルな計算と共に記されている。そもそも、90年代のマンガバブル期でも、マンガ家の原稿料はさほど上がらなかった。これは、オイルショック期の不況を乗り切るために、雑誌売り上げの赤字の補填を、もともとはそれほど刊行されていなかった連載をまとめた単行本で行うという路線に切り替えた結果、原稿料は据え置かれてしまったためである。それでもマンガ家は、単行本の印税で利益を得ていたため、さほど文句が出てこなかった。バブルがはじけてもマンガ誌の採算が何とかとれているのは、原稿料が据え置かれたためではないかと推測している。そして、そのマンガ家の収支の内訳がなかなか凄い。著者の試算によると、原稿料が1ページ1万2千円で、1回18ページ、月4回発行だとすると、源泉徴収を引いて収入は777,600円。アシスタントの給料や仕事場の家賃、食費や資料代などの支出の合計は656,400円、つまり月収は121,200円にすぎないことになる。そのための提言として、マンガ誌は薄利多売をやめ、また出版社のもとでマスプロダクション制を行うべきではないか、と述べている。この辺が、夏目房之助『マンガ学への挑戦』に見られた主張に近いのは、偶然ではないのかもしれない。ただし、「アメコミの作り方のように」(38頁)と述べているのは、小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか アメリカンコミックスの変貌』の論からすれば、やや安易なレッテル張りかもしれない。
 マンガにおける過剰なキャラクター主義は、70年代中盤以降の週刊連載を前提とした作品制作にある。この状況では、話を全部決めてから執筆することはシステム上困難となり、キャラクター重視になることもやむ得なかったからである。これは中野晴行『マンガ産業論』でも述べた「個々の話は面白くても、1つのトータルの作品としてみた場合、完成度が下がる」という私見と似ている。これと関連して、荒木飛呂彦のマンガはキャラクターが立っているけれども、それよりも荒木の興味は以上に凝った「トリック」にあるのではと指摘しているのが興味深い。な、荒木のデビュー作である『魔少年ビーティー』に描かれた消失トリックの説明部分を読んで、著者は白戸三平の忍術の解説を思い起こしたそうである(105頁)。
 島耕作シリーズは『のらくろ』と類似した構造をもっていると指摘している。軍人として出世していくのらくろに、軍国少年が明日の自分と重ね合わせたように、サラリーマンは自分の出世を島耕作に見出していた。そして、両者は共にトップの人間と個人的な面識をもちつつ派閥に属さない人間であるという点も似ている、とする(108〜113頁)。
 手塚治虫、シリアスなシーンの中に脈絡を無視したユーモラスなキャラを登場させることがある。いわば自分でパロディをしていると言える。それゆえに手塚のパロディは他人には困難であった。それを行った田中圭一『神罰』は、もはやパロディを超えた1つのオリジナルのスタイルと言える(158〜159頁)。
 宮崎駿は『風の谷のナウシカ』において、観客に空間を把握させることに腐心したものの、地図上での位置感覚を認識してもらうことはできなかったと悔しそうに告白した。しかし、どんな観客でも「飛ぶ」や「降りる」といった上昇と下降の感覚だけは分かってもらえる、と述べた。こうした感覚は『千と千尋の神隠し』でも徹底して守られていた(169〜170頁)。ただし、大塚英志『「まんが」の構造』が指摘するように、その努力が物語の方向性を決めてしまっているのかもしれない。
 手塚治虫と石森章太郎を比べれば、前者の泥臭さに比べれば、後者は近代的自我の持ち主と言える。そのために、あまりにも理性的で葛藤が感じられないこともある、とする。逆に、杉浦茂は前近代的なドロドロとしたものを完全に肯定する(182〜183頁)。
 赤塚不二夫は常に新しいギャグを使おうとする。あるとき、アシスタントを募集したとき、ギャグマン募集という文章もあった。これはハリウッドのブレーンシステムと同じとも言える(188頁)。


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