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2007年10月の見聞録



10月3日

 パオロ・マッツァリーノ『反社会学の不埒な研究報告』(二見書房、2005年)を読む。『反社会学講座』の続編にあたる。前著と比べて、ネタそのものは面白くないわけではないけれど、少し小粒になった気がする。というのは、個々のトピックの主たる題材そのものよりも、そこに盛り込まれた補足的な記事の方が印象に残ることの方が多かったので。なお、いちばん印象に残った提言は、勲章の活用方法に関してで、危機に瀕している年金制度を救うために、年金を放棄した老人には勲章を授与するというもの(160頁)。勲章授与に必要な金額よりも年金の額の方が高く、年をとればとるほど名誉欲の強い人間は出てくるし、金持ちならば年金もそれほど必要じゃないだろうから、これはいい案じゃないかなあ、と。以下は個別のネタをメモ的に。
 雑誌記事の見出しや小説での使用例を検索するかぎり、「くよくよ」という言葉は、1999年に『小さいことにくよくよするな』がベストセラーになってから、メディアでの使用例が急激に増加しており、それまでは頻繁に用いられていたわけではない(33〜40頁)。一方、「こだわる」という言葉は、他人から見ればどうでもいいことにとらわれることの意味で、どうでもいいことを気にし続ける「くよくよ」とさして変わらない。ところが、70年代後半に文芸批評でプラスの意味で使われるようになり、ファッション関連からグルメ関連へと広がり、1997年ごろには国語辞典にも新たな用法として収録されるようになった。なお、『美味しんぼ』には、『こだわり』という言葉が20巻までで10回しか出てきていない(47〜59頁)。
 GDP統計は、理論上では国内総生産と国内総支出は同じ似るはずだが、実際には誤差がある。これを「統計の不突合」と呼んでいるが、その金額は多いときで名目GDP全体の約1%に上り、平成14年度が1%だったと仮定すれば、GDPは約498兆円だから、「統計の不突合」は5兆円弱に上る計算となる。したがって、ニートの増大や地球温暖化などの何らかの要因で1%以下の増減が生じたとしても、大した意味はなくなってしまうことになる(64頁)。GDPは、サラリーマンも企業経営者も投資家も、個々の行動の指針とすることはまずない。GDPを必要としているのは、GDPの数値の増減を気にしている経済学者とシンクタンクである。そして、シンクタンクの半数は公益法人で占められており、天下り先でもある。自治体のアンケートもシンクタンクに丸投げされることが多く、しかも入札ではなく随意契約である(80〜84頁)。
 「読売新聞」が明治41年に全国の小学生を対象に行った理想の人物を挙げるアンケートで、のべ6600人のうち、両親答えたのは3名、父親は13名、母親は3名にすぎなかった。昔の子供がいまの子供に比べて両親を敬っていたわけではないと言える(93〜94頁)。宮負定雄『民家要術』(天保2(1831)年)では、強欲で孫の世話をいやがる姑の話が出てくるし、佐久間義隣『一夜雑談』では、物見遊山や美味しい料理を食べられなくなるから、子供を産まない女性がいると記されている。昔の人間は皆が子育てを立派にやっていた、というわけではない(163頁)。江戸時代までは間引きが普通に行われており、江戸末期の農学者・佐藤信淵は、出羽と奥州で毎年1万6〜7千人、上総で毎年3〜4万人に上ったという。明治時代に入ると、国家を支える人材を増やすために間引きは殺人罪となり、子供を学校へ通わせることが義務づけられる。その費用の9割は地元負担であったため、日本各地で小学校の焼き討ちが発生した(171〜172頁)。
 なお、最後のネタは完全な小説になっているのだが、ビジネス本を皮肉っているネタそのものはいいと思うのだけれども、もう少しコンパクトにまとめた方がよかった気がする。清水義範の小説を間延びさせて内容を薄めたような感じだ。


10月6日

 宮部みゆき『クロスファイア』(光文社文庫、2002年(原著は1998年))上を読む。念力放火能力者である青木淳子は、自らの能力が悪を裁くための武器だと考えて、拉致団の青年たちを処刑していく。理解不能の焼殺事件に困難を感じながら警察が追うなかで、謎の組織「ガーディアン」が淳子に接触を図って、組織への勧誘を行う…。
 本書を読んで感じたのだが、この人は意外な犯人やトリックを最後に明らかにするタイプの小説には向かないな、ということ。言葉を換えると、ストーリーとしてのどんでん返しは読ませるのだが、トリックとしてのどんでん返しはいまひとつと言える。というのは、語りすぎてしまうため、あまりにも簡単に想像が付いてしまうのだ。それがこの人の持ち味なので、いけないと言いたいわけではなく、人には向き不向きがあるのだなあ、ということ。
 ただし、『火車』『模倣犯』と同じく、現代人の気質へ触れる箇所は相変わらず鋭い。「いつか淳子が片づけたあの四人組、あいつらもそう言っていた。世の中が面白くないと。なんか刺激的なことをしたい、と。何をやってもいいじゃないか、自由が第一の社会なんだ、と。オレがつまらない思いをしているのに、いい思いをしてるヤツがいるなんて面白くない」(上巻・96頁)。「(てめえじゃ何様だと思ってるかしらねえが)(おめえらこそクズ)現代の若者たちにとっては、この言葉こそ本当に恐ろしいものなのだ。何者でもない自分への恐れ。何不自由ない育ち方をして、不足はなく、豊かで満ち足りている自分。しかしその豊かさを享受しているのは自分じゃない。隣のあいつも、後ろのこいつも、みんな同じだ。だけどこんなに満足している自分は、きっと隣のこいつや後ろのあいつとは違う存在であるはずで、そうでなければならないはずで−。それなのに、その『違い』が見つからない」(上巻・204〜205頁)。浅羽通明が、『教養としてのロースクール小論文』『天皇・反戦・日本』で指摘している、宮部みゆきは現在で最大の大衆思想家であるという評言は、確かにその通りだと思える。


10月9日

 ジャック・マイルズ(秦剛平訳)『God 神の伝記』(青土社、1997年(原著は1995年))を読む。山本弘『神は沈黙せず』で引用されていたのが気になって読んでみた。そのタイトル通り、『旧約聖書』を神の伝記と見立てて、読み直していく。ものすごく簡単に言ってしまうと、『旧約聖書』の神には、他文化のいくつかの神々が融合しているため、性格はやや混乱しており、やがて末尾に至れば至るほど、神の姿は隠れていってしまう、といったところか。特にその転換点となったのは「ヨブ記」であった。これに関しては、『神は沈黙せず』でもラストの展開に絡む形で引用されていたのだが、やはりこの部分は面白い。
 「ヨブ記」では、神への信仰を試すためにヨブからすべてを奪い去り、災厄を掛けられ、神を非難する態度を取り始めるも、最終的に神の厳かな言葉によってヨブは神の正しさを認めて、幸せな状態を回復してもらった、とされている物語である。そのヨブの言葉の最後の部分は、一般的に以下のように訳されている。「わたしはあなたのことを耳にしておりましたが、今我が目はあなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしはわたし自身を貶め、塵と灰のなかで悔い改めます」(「ヨブ記」42・5-6)。つまり、神の正しさに対して自分の過ちを完全に認めていると解釈されるわけである。だが著者は、ヘブル語の読みにしたがえば、訳はこう変わると主張する。「あなたの言葉がわたしの耳に達しましたが、わたしの目があなたを見た以上、わたしは死すべき肉体を悲しんで身を震わせるのです」(425頁)。つまり、神の行為や言葉に対して、深い失望を覚えたことになるとする。そして最終的に神は、ヨブに彼の元々の財産を2倍にして返す。これまでは、神がヨブの信心深さを認めたからと考えられていたが、そうではなくて神は財産を2倍にすることで自分の過ちを認めてヨブへ償ったことになる。「ヨブ記が証拠として置いているスキャンダラスな真実は「主はよいことだけをする」ではなくて、「主はよいことを行い、そして悪いことも行う」である」(428頁)。
 こうした敗北を喫した神は、「ヨブ記」以降になると傍観者であるか存在が見えなくなっていく。実際に、「エステル記」ではユダヤ人虐殺を命じる勅書に対して、ユダヤ人のは誰も神への助けを祈り求めていない。そして、「エズラ記」では、エズラが巻物を見せると、人々は主に対してするように頭を下げる。神はもはや語る必要はなく、神の心は律法を知っている指導者たちが認識しているので、彼らが神の代わりを務めることになる。
 特に信者でもない身からすると、『旧約聖書』には物語的な面白さはあるかもしれないが、思想的には『新約聖書』の方が面白いと勝手に思いこんでいたものの、より深い知識があれば、これほどまでに面白く読みとれるのだな、と自分自身の不勉強に気づかされた。他にも、数多くの事例を紹介して解読しており、以下は興味を引かれた箇所をメモ的に。
 「創世記」において、死ぬから食べてはいけない神から言われていた木の実を、食べても大丈夫と蛇にそそのかされて食べても、男も女も死ななかった。つまり、蛇は真実を言っていたことになる。もし『旧約聖書』のモチーフとして用いられた従来の多神教であれば、蛇をライバル神として攻撃すればよいが、『旧約聖書』においては蛇は神の創造物にすぎない。したがって神は、蛇を叱責すると同時に、多神教ならば他の神々へ向けられる怒りを、自己の内面に向けられた後悔に変えねばならない(51〜52頁)。
 創造の後に世界は洪水で破壊されるという神話は古代バビロニア神話にも見られ、ノアの箱船のエピソードはここからの影響があると言える。ただし、両者が決定的に異なるのは、前者では洪水を起こす神とそれを終わらせる神とが別々ということである。『旧約聖書』では、多神教的な物語が一神教に流用した結果、創造者と破壊者が同一人物ということになった(66〜67頁)。同じく、「出エジプト記」の後半では、神はシナイ山で人々に雷鳴でよって自分の力を誇示するが、これは、戦争の神であり火山の神であるカナンのバール神の性質である(158〜159頁)。
 「サムエル記」において、主から遣わされたナタンが、子羊とパンの喩えで、権力を乱用していたダヴィデ王を諫める場面がある。ここに、遊牧社会から定住社会への移行の証拠を見出すことができる。定住社会での土地の所有と富の蓄積が、遊牧社会では予期されていなかった権力の濫用を可能にしたわけである。「ここにおいて主は、それまでとは異なり、貧しい者と弱い者は彼の保護を優先的に受けられることを当然視しているように見える」(234〜236頁)。
 神は愛を見せることがなかった。たとえばモーセとの契約は、優しい愛というよりは、主君と領民を縛り付ける相互の厳しい忠誠心である(315頁)。「「永遠の愛」と訳されてきたヘブル語の語句の「愛」をあらわす名詞は、ヘセッド(hesed)である。すでに述べたように、契約の「揺るぎない愛」、すなわち「思いやりと信義」であるヘセッドは、優しい感情や個人的な感情ではなくて、主君と領民を縛り付ける忠誠である」(322頁)。もしこれが事実ならば、「神の愛」という言葉に、一般的に考えられているような神の慈愛という意味は、少なくとも原初のユダヤ教には存在していなくて、後世になって意義づけられたということになる。
 なお、個人的にいちばん印象に残ったのは以下の言葉。「神のスピーチはどれも人間に向けられており、そして多くの場合、それは人間指向である。神は小説家に似ている。自伝や評伝は苦手で、登場人物を介してはじめて自己の物語を綴る小説家に似ている。さらに、彼は創造的にしか登場人物を扱えない。彼らを扱う彼の唯一の創造的な戦術は指図である。彼はそうなって欲しいと願うものに彼らがなるよう、何をすべきか彼らに告げる」(120頁)。この一節を読んだとき、マンガを描いていると「一種の造物主みたいな気持ちになれる」と述べた、手塚治虫を思い出した(手塚治虫『ガラスの地球を救え』(光文社新書、1989年、現在は光文社知恵の森文庫))。
 以上はごく一部のエピソードにすぎず、上下二段組みで500頁以上に及ぶ本書には、これ以外にも数多くの事例が紹介されている。聖書学の専門家は非常に厳密なので、本書にも突っ込みどころはたぶんあるのだろうが、それでも『旧約聖書』に少しでも興味があれば、つまみ食い的に読むだけでも十分に楽しめるだろう。


10月12日

 筒井康隆『大いなる助走 新装版』(文春文庫、2005年(原著は1979年))を読む。同人誌『焼畑文芸』に参加した市谷京二は、自作の批評をしてもらった主催者の保叉から、自分が勤める大企業の内情に関する小説を書くように薦められて、自分の経験に基づいた暴露小説を執筆した。そして、同人誌発行の編集会議のどろどろした人間関係に辟易しながらも、市谷は処女作の掲載を認められる。すると、それがメジャー文芸誌の編集者の目にとまり、直廾賞候補になる。こうして市谷は、内情を暴露した会社から阻害され、同人誌仲間からは嫉妬を受け、さらには直廾賞をめぐる選考委員への工作にも巻き込まれていく…。
 誰がどう見ても文壇のカリカチュアなのだが、著者が後書きで記しているように、選考委員から連載をやめさせろという抗議がくるのも頷けるほど、とんでもなく毒が効いている。賞をとるために、パーティで編集者に土下座したり(ちなみに、パーティに参加している作家がそれを見て全員土下座する)、選考委員に金を提供したり、男色家の委員に自分の尻の貞操を提供したり、不倫関係にある人妻までも差し出したりと、これでもかと描かれており、こんなことはあり得ないと分かっていても、何か基になる事実があるのだろうなと推測させてしまうので。斎藤美奈子『読者は踊る』には、芥川賞は文壇の就職試験であり、選考委員は人事部として自分たちへの仲間入りを認めるかどうかを話し合っているとの指摘があるけれども、それを下品に描けばこうなるとも言える。
 こうした文壇内部の暴露めいた描写やクライマックスの暴走も面白くもあるのだが、それよりもむしろ本書の核となっているのは、解説の大岡昇平も述べている通り、文壇予備軍の中央文壇への「助走」を記している部分であろう。印刷物やネットなどの媒体の違いはあれ、何らかの形で自分のメッセージを発したことのある人間ならば、自分自身の醜い姿を他人の目を通じて見せつけられている気がして、後ろめたくなるであろう記述が満載である。
 たとえば、『焼畑文芸』編集長の保叉。彼は、自宅の文房具屋の営業を妻に任せているが、売り上げを勝手に持っていっては文芸活動に精を出している。妻がそれをとがめると暴力的に暴れ出す。その一方で、新たな会員を勧誘して金を得ようとし、市谷が受賞候補になったときには、前祝いの宴会を開き主役のはずの市谷に金を出させようとする。文芸活動とやらにのめり込む徳永美保子を心配した父親が面談にやってきたときも、文芸のために性交をして子供が生まれ、死なせさえしても女流文学者として得難い経験になると言い放つ。「文士を気取る人間が社会的責任を免れようとするときに装うごく一般的な態度であったが、保叉はそうは思わず、自分が見出した文学者的処世術と思っている。〔中略〕典型的俗物文士のポーズを借用しただけなのだということに、保叉自身はまったく気づいていないのだった」(56〜57頁)。
 『焼畑文芸』執筆陣から地方名士になった鱶田は、幾つもの締め切りを抱えていることを自慢して「流行作家を気取っているわけであるが、掲載誌紙名や枚数をきちんと憶えているところなど逆にまったく流行作家らしくなく、鱶田自身はそれに気づいていない」(10頁)。会員である主婦の山中道子は、自分の幸せな生活を自慢して他人を貶すという、箸にも棒にも掛からない作品を書きながら、友達への見栄のために掲載を迫る。高校生の徳永美保子は、本で得た文芸知識を同世代と共有したいとの思いから、大垣義朗に処女の体を許す。その大垣は、女を食い物にしてそれを文芸活動に生かしているつもりだった。徳永は妊娠しても文芸理論とやらにとらわれているために、妊娠している自分を現実のものとして捉えられず、大垣はその間も他の女と交わることをやめない。
 これらよりも強烈なのは、誰かが成功することへの凄まじいまでの嫉妬である。メジャーな文芸は堕落しているとくさしつつ、自分の世界を確立するために書いているので、他人の評価を気にしないとしながらも、そのメジャーへの拭いがたい憧れを持つルサンチマンの構造が嫌というほど出てくる。たとえば、同人誌に書くことが目的といいながら、メジャー文芸誌の動向に詳しい者、メジャー文芸誌での候補歴や受賞歴を名刺に事細かに記載する者など、これでもかと出てくる。
 そして、彼らに対するメジャー文芸誌の編集者である牛膝の罵倒とも言える反論がまた強烈だ。小説中では1時間ひとりで喋り続けたことになっているが、これが延々と10頁以上続く。強引にまとめてしまえば、人に読んでもらいたいから作品を発表するのであり、文壇ジャーナリズムから評価されなければ、それを批判するなどというのは、初心を忘れた不純な発想である、そして同人誌は新人から小説を書く一次的動機を奪っている、メジャーな文壇での競争は賄賂に収まらず、醜聞めいた身を切る行為もしなければならない場所である、といったもの(ちなみに、SF作家は長老や仲人が初夜権を持っている、というのはどこまで実話に基づいた話なのだろうか?)。
 最終的に主人公の市谷と女子高生の徳永が自ら破滅への道を辿ると、その自負心は奇妙な方にねじ曲がる。そして、『焼畑文芸』の面々は自分たちにマスコミが取材に来て批判するのでは脅える一方で、鱶田のようにコメントを求められることを期待する者もいる。他の人間は、自分たちの作品はたいていゴミ箱行きであり、文化に何ら貢献していないどころか、ろくでもない人間を育てているにすぎないのでは、と自嘲する。
 以上のような読んでいて嫌な気分になることが間違いない場面の連続だが、それとは少し違った形で、興味を引かれるのは、市谷の執筆時の描写である。市谷は、自分の会社をモチーフにして小説を書きはじめると、結局のところ自分の会社の内情を次々と暴露していくのだが、その方がかえって筆が進んでいく。「組織というものを描写しているうちに、自分でも組織の本質、なんてことを考えているんだろうなあ。ふだんなに気なく見聞きしていることを一貫したストーリイのある文章に書き直すというか、再構成するというか、そういう作業をしている間に、だんだんその意味するところや本当のことがわかってきたりして」(69頁)。実は、この場面を最初に知ったのは、浅羽通明『ニセ学生マニュアル死闘編』(徳間書店、1990年)を通じてだった。浅羽が指摘する通り、自分の所属している場においてその問題点を解決しようと試みず、文壇で状況を暴いたのは、アフター5、つまりは趣味への逃避なのかもしれない。これに加えて、最後の場面は、同人について疑問を持った保叉が各地の同人誌にアンケートを送りそれを特集記事にしようと考えているところだが、最後の文章が次のようであることは、まさに趣味への逃避を示唆する文章として象徴的だ。「そんなことを考えはじめたのがそもそも念頭をかすめた破産という目前に迫った現実からの逃避であることに保叉はまだ気づいていなかった」(349頁)。
 とはいえ、新堂冬樹『鬼子』での売れない純愛小説家が死ぬ前に書き残した自家の家庭内暴力と同じく、市谷の作品、そしておそらく保叉のアンケートも、その状況を作品として残すことで、他人に意識させることだけは成功した、とも言えるのかもしれない。『鬼子』の袴田と同じく市谷も破滅していくので、手本とすることはできないのだが。

追記:2008年3月8日〕
 久々に筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫、2000年(原著は1992年))を読み直したのだが、扱う舞台は違えど『大いなる助走』と同じような構造を持っていることが分かる。権威に拠って威張り散らす人間が嫌いで、それを嘲るようにカリカチュアするのが好きなのだな、と。あと、記号論のところで、「だいたい批評家って人たちは、本来は作家がいるからこそ生きていける人たちなんで、最初から作家に負けているわけなんだけど、どうしても作家に勝とうとするの。でもやっぱり作家にはかなわない」とあり、「そんならお前が小説を書いてみろ」といわれた批評家が、絶対に反論されない批評の方法を文学以外の難しい理論から持ってくる、と唯野教授に講義でしゃべらせている(258頁)。これはもちろん著者の本音だろう。
 なお、10年以上経ってから読み直したことになるのだが、笑える形にものすごく大げさに書いてはあるものの、根本的な部分で事実ではないとは言い切れないことがよく分かる。ただ、誰が読んでも明らかに現在の事情と異なっていると気づく箇所は、5回や6回の休講ならば問題ない、という描写。あと個人的には、昔はあまり理解できなかった唯野教授の講義が、何となく把握できるようになったことは少し違う。これは、いいことなのか悪いことなのかよく分からないが。


10月15日

 河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』(岩波書店、2004年)を読む。交通関係を除いた犯罪発生率は、戦後から1980年代まで減少していったが、それ以降には微増し、1998年以後には急増している。1980年以降の微増は、自転車盗の発生件数と同じような曲線を示しているため、この影響が考えられる。また、殺人を除く、傷害・恐喝・脅迫・暴行は2000年に発生率が急増している。だがこれも、逮捕できる可能性が低い場合、書類を作らずにすませて、より逮捕の可能性が高い案件へと力を注ぐ「前さばき」を、2000年にやめたためだと推測される。実際に、2000年を境に認知件数は急増している。
 にもかかわらず、体感的には治安が悪化したように思える原因は、繁華街に留まっていた犯罪場所が住宅地にまで広がり、夜だけではなく昼にも犯罪が行われるという拡散化現象にこそある。そもそも日本の犯罪に対する態度は、法の前での平等や普遍性を重んじるヨーロッパ社会とは大きく価値観が異なる。古来より日本では、共同体の未来の平和を最大の関心事としたため、敵意や悪意をなくすことを重大事項としてきた。そのため、犯罪に関係する人を共同体から排除するという方策がとられてきた。これを踏まえれば、それまでは犯罪とは関係ない世界に住んでいると考えていた人々にとって、犯罪地域の拡散化は安全神話の崩壊と捉えられるわけである。それを示すように、犯罪の加害者は謝罪することが重視されるものの、それは被害者に対してよりも、刑事や判事に対しての方が重要であり、いわば共同体内での権威に服する必要性があると言える。
 と、ここまでに関しては非常に説得力を感じたのだが、第3部で述べられている提言についてはそれほど印象に残っていない。決して、それほど分量が割かれていないわけではないにもかかわらず、である。浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』と似たような感じで、やはりどうしても理想論に思えてしまうのだ。じゃあどうすればいいのか、と言われるとよい考えを思いつかないので、こうした物言いはよくないとは分かってはいるのだが、難しい。なお、その『犯罪不安社会』では、著者が2006年に行ったアンケートとして、自分の居住地域では犯罪が増えたと考えているのは30%弱にすぎず、60%強は以前と変わらないと答えた、という結果を挙げており、本書のいう犯罪の拡散化とは食い違っている。もっとも「自分の周り」という限定があるため、こういう結果になったのかもしれないが。
 以下、メモ的に。強姦の認知件数は1996年より急増しているが、これは1996年2月以降に、それまでは性犯罪被害者の話を聞く警察担当者が男性であったことを改めた時期と一致している。つまり、強姦は被害者が告訴する必要があるので、担当者が女性になることで認知件数が増加したと考えられる。なお、2002年で認知件数は約2000件強だが、戦後最大の1964年は約7000件であり、1958年から1968年までは6000件を超えている(36〜37頁)。また、強制猥褻の認知件数は、1998年の4000件弱から2002年には9000件強へと急増しているが、これは痴漢に対するキャンペーンと痴漢被害者への扱いを丁寧にすることで、それまで暗数であったものも表に出てきたことが原因だろう(38〜39頁)。
 犯罪白書も警察白書も、統計数値に関して操作を行うことはないものの、必ず犯罪情勢の悪化に懸念を示す記述が見られる。これは新たな状況に対応するためと称する予算請求に関連していると考えられる(100〜101頁)。
 マスコミの記事においては、犯罪の状況に関して記事そのものは冷静に記しているのに、見出しは不安を煽るような書き方をしていることが多い。これはおそらくデスクに責任があるのだろう(104頁)。マスコミ内部での世代の違いが、善い方向へと働いてくれることを期待したいのだが、どうなるだろう。
 欧米は人権擁護の先進国であるイメージが強いものの、決してそうとは言い切れない。死刑が廃止されたフランスでは、正当防衛による殺人が増え、警察官の誤認による射殺も問題化している。そのフランスやベルギーでは、取り調べにおける暴行が珍しくなく、自白偏重である(192頁)。


10月18日

 舞上王太郎『煙か土か食い物か』(講談社ノベルス、2001年)を読む。アメリカのERで働く奈津川四郎のもとに、福井の実家に住む母親が事件に巻き込まれたという連絡が届く。それは連続主婦殴打生き埋め事件という奇妙な事件であったが、その事件と共に、奈津川家の父親と兄弟との間に生じた忌まわしき確執もよみがえる…。
 事件の謎に関してはかなり突拍子もないネタをもってくるが、それよりも本書の特徴と言えるのは、その独特な文体であろう。どう形容していいのか分からないのだが、ものすごいスピード感のあるパンク的な文体でも言えようか。裏表紙に「ミステリーノワールを圧倒的分圧で描ききった」とあるが、まさにその通りとしか言いようがない。この文体が肌に合うか否かで、受け入れられるかどうかは決まるだろう。個人的には、肌に合わないことはないが、これで十分かな、と。


10月21日

 岩田正美『現代の貧困 ワーキングプア/ホームレス/生活保護』(ちくま新書、2007年)を読む。格差社会によって貧困層が生まれたのではなく、70年代からバブル時代に至るまで、常に貧困問題は存在していたと主張する。その際に著者が最も重視するのは貧困の固定化である。つまり、一度貧困状態に陥ると、そこから抜け出せない場合が非常に多いということを、データに基づいて示す。それ以外にも、シングルマザーや孤独老人、ホームレスなど様々なパターンを挙げていくのだが、著者の貧困に対する認識は確かに正しいと思う。貧困問題が格差問題によってはじめて現れたわけではない、ということは事実であろう。そして、貧困層と富裕層の分裂は社会の不安定化を生む要因なので、貧困に対する対策は社会全体の問題として必要であるということも認める。だが、別に努力している人を貶めたいわけではないのだが、すべての人を経済的に満足させることはおそらく不可能であろう。そうなってくると必要になるのは、心の持ちようのケアなのかもしれない。もちろんそれすら許されない状況ならば、それは救うべきだが、それ以上はどうしようもない気がする。そして、貧困を救うことが絶対的な正義であるとみなしていれば、おそらくどこかで破綻する気もする。施しを行った際に生じる、相手への憐れみと優越感という感情を否定してしまえば、貧困を救おうとする意志を阻害するのではなかろうか。上手く言えないので、変な文章になってしまうのだが…。


10月24日

 荻原浩『神様からひと言』(光文社文庫、2005年(原著は2002年))を読む。喧嘩して大手広告代理店を辞めてしまい、「珠川食品」に再就職した佐倉涼平。しかし、新製品の販促会議でまたもやトラブルを引き起こし、リストラ要員収容所と噂されるお客様相談室へと異動させられてしまう。どうすればいいか分からないままにクレームの処理をしていたのだが、いい加減に見える篠崎がいざとなると鮮やかにクレームを処理するのを見て、少しずつ仕事に取り組んでいくと、新製品のための交渉役に抜擢されて…。
 最終的にすかっとした終わり方をするのだが、冒頭部分での主人公が、かっこよく描かれているようで、単にわがままでいけ好かない奴に見えてしまったため、どうも入り込めなかった。途中から後半に至るまでのはみ出し者たちのちょっとしたサクセスストーリーに、自分自身は我慢させられているサラリーマンが自己投影させて元気づけられるための小説、といったところかなあ。なんだか偉そうで嫌な言い方になってしまうのだが、単に個人的に肌に合わなかった、ということなので。


10月27日

 宮崎市定『謎の七支刀 五世紀の東アジアと日本』(中公文庫、1992年(原著は1983年))を読む。石上神宮に伝わる七支刀に刻まれた文字の読み方を、従来の考古学的なアプローチのように摩滅した文字を再現しようとする手法では限界があるとして、漢文の文献学的なアプローチによって、その文章全体の流れから意味を読みとろうと試みる。具体的にどのように解釈しているのかについては、とうてい要約できそうにはないので、南朝宋の泰始四年(468年)説を主張しているということ以外は省略してしまうが、漢文のルールから文章を読みとり、当時の東アジアの情勢と文献学的な根拠からの推測は、素人目に見てもかなりの説得力を持っているかと思う。
 しかし、実は最も印象に残ったのは、こうした解釈とは関係ない余談の方だったりする。刻まれた文字の現物からだけでは、その本当の意味は分からないというのが本書のアプローチだが、それと関連して、まるで未来を予見するかのような文章がある。少し長くなるがそのまま引用する。
 「私にはもう一つ年来の主張がある。それは世上にしばしば見かける、根本史料への誤った尊信である。たとえば高松塚の古墳壁画のような珍しい発見があると、群衆がわれもわれもとおしかける。こういう場合、物によっては一般に公開できない性質のものがある。きわめて脆弱で、壊れやすい危険があるからだ。管理者の方には保管の全責任がある以上、参観に制限を設けるのは当然だ。ところがややもすると、これは国民全体の宝物を特権者が私するものだ、などという非難がおこりかねない。とくに研究者のあいだからすら、そんな声が聞こえるのは、きわめて遺憾なことだ。その実、多くの人がこわれやすい宝物を見にむりに割り込んでいって、ちょっとかいま見たところで、そんなことは科学の普及とはなんの関係もないことなのだ。もし顔料とか、塗料とかの特殊な研究家でない一般の人には、複製で十分に事たりる。私はついぞ高松塚に立ち寄ったこともなく、またのぞいて見たいという気をおこしたこともない。さらにもしも、直接史料に接することが、なんらかの意味で、その発言や談論に重みが加わるのを期待してのことならば、その態度は公平ではない。研究者はすべて均等の機会に恵まれ、同一の条件において作業することが、根本的な原則でなければならない。自分だけが特別な便宜を求める権利があると思ったならば、そこに学問の堕落が始まるかもしれない」(24〜25頁)。
 「いったい学術研究のために、現物、原本をぜひ見なければならぬという場合は、どれだけあるものだろうか。それはおそらく百万人に一人、千万人に一人ぐらいのものではないか。じつは、その一、二人の人に見てもらうためにこそ、現品は大切に保存せねばならぬのだ。かく申すのは私の体験からもいえるので、私はこれまでも他人の秘する宝物を、むりやり見ようと企んだことは一度もない。そんな必要を感じたことが一度もないからである。もちろん見たくないことはないのだが、そういう際にはむしろ遠慮するのが学者として学問に協力するために取るべき態度であると思うからだ。私の研究はまた、ごくありふれた史料、二番手、三番手の史料で十分なのだ。それはお前の研究がまだ至らぬせいだ、といわれたらそれまで。そのとおりとあやまるほかはない。だが他人からの情報によりながら、情報提供者よりも、誰よりも正確な事実を発見するのが歴史学だという、私の信条は変わらない」(175〜176頁)。
 これをごく普通の学者が言えば傲慢だと批判されるのかもしれないが、宮崎ほどの碩学な人物が言うとさすがに説得力がある。学問は、やろうと思えば誰でも自由に研究できるが、誰もが成果を生み出すまでの努力と忍耐を兼ね備えているわけではない。その場合、現物をこの目で見るというのが、知的なことに興味があるという自負心を満足させる一番簡単な手段なのかもしれない。この2つの文章は、学問の能力は万人に備わっていないということを、暗に仄めかしているとも言えるだろう。
 1つだけメモを。剣と刀はもともと用途が異なっていたらしい。件の原始的な形状は幅が広く短めだったことから、古典的な器物として尊重されていた。これに対して刀は、実用的な道具として発達し、製鉄の技術が発展すると、武器として一般化して、剣であっても長尺のものは刀と称せられるようになった(212頁)。


10月30日

 筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋、2007年)を読む。筒井康隆『大いなる助走 新装版』の新装版のあとがきに連載中と書かれていた続編。前作では同人作家を主役に添えていたが、こちらではプロの作家たちを中心に据えて、出版産業をも視野に含めた文学界を描こうとしている。さすがに、前作ほどの狂気とも言えるような熱さはなく、文学界を巨大な船にたとえつつ、その中の淀んだ空気をねっとりと描いているといった感じか。ただし、自身の作品を無断転載した北宋社に関する部分だけはやたらと濃いのだが。
 印象に残ったのは、ノベルス作家に関する言及。ノベルスに書くような若手の新人作家は、編集者からの指摘を嫌っていた。彼らにしてみれば、1ヶ月に1冊か2冊は書き飛ばさねば生きていけない。しかし、人気作家のものを除いては数千部しか売れないので印税収入は1冊につき数十万円にしかならない。さらに、読者はその無内容さに呆れて二度と買おうとはしなくなり、ますます部数は低下し、量産を強いられるようになる。そして出版社はノベルスから撤退する。その代わりに各社が競って出し始めた教養新書が並ぶようになってしまった(165〜166頁)。ふと思ったのだが、新書を書く人たちは、主として教員かそれ以外に何か本業をもっているような人たちだから、出版社も育成や援助のことを考えなくていいというメリットがあるのかもしれない。エンタテインメント系の小説よりも新書の方が、少し高尚な感じがすると考えている読者もいるだろうし。


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