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2007年8月の見聞録



8月1日

 村上春樹『アフターダーク』(講談社文庫、2006年(原著は2004年)を読む。深夜のファミリーレストランで出会った男女。二人はかつてたった一度だけ友人の付き添いでダブルデートめいたことをしたことがあった。この邂逅をきっかけに、両者の人間関係と絡む一夜のちょっとした出来事が始まる…。
 著者の作品を一度も読んだことがなかったので、読んでみたのが、止まることなく一気に読めたし、面白くないわけではない。ただ、抜群に面白いのかといえば、特にそういうわけでもない。何よりも、会話がまったくと言っていいほど肌に合わない。気の利いたウィットなのかもしれないが、単に回りくどくてきざったらしいだけにしか思えない。こういうのがオシャレな会話というのであれば、たとえそれを理解できないダサイ奴と言われても、その方がいい。
 また、結局のところサラリーマンが女性を殴った理由は何なのだろうか。もしかしたら単に私が読み飛ばしただけかもしれないが、たぶん明確な理由は書かれていなかったと思う。もちろん、明確な叙述をしなければならない、ということでは決してない。だが、物語の主題に近いことならば許されるだろうし、そして逆にものすごく細かいことならば気にならないだろうけれど、ストーリーの本筋に関わる補足的な出来事が不明瞭だと、単に説明不足に思えてしまう。もしかして、ぼやかして書かれていることを読みとるのが文学とやらの流儀であるのかもしれないが、そうであるとすればポイントがずれていると思う。たとえ文学を分かる教養がないと批判されようが、そういった文学には近づきたくもない。「「手紙を書くよ」と高橋は言う。「昔の小説に出てくるような長い奴を」(282頁)とあるが、この小説こそ、昔の小説である気がしてならない。


8月3日

 浅羽通明『右翼と左翼』(幻冬舎新書、2006年)を読む。右翼や左翼という言葉は特定のイメージが湧く言葉であるものの、その概念は時代と状況に置いて微妙に違う曖昧な言葉でもある。たとえば、左翼が平和的であるかと言えば、ソ連は軍事国家であったし、右翼が体制的で与党かと言えば、日本社会党が政権を執ったときの自民党は野党である。
 そもそも、右翼と左翼という言葉はフランス革命時の議会にて、左側に急進派が集まったことに由来する。右側は、はじめは王党派、彼らが追放されて右側が空くと立憲派とジロンド派が続いて右側へとスライドする。最終的にもっとも急進的であったモンターニュ派が実権を握ることになり、その政権が倒れた後には、より過激なバブーフ一派が登場した。これらはそれぞれ順番に「自由左翼」、平等のために独裁を強いた「権力左翼」、直接行動に訴えた「反抗左翼」へと分類することができ、それぞれ、人権派やリベラル派、旧ソ連や日本共産党、過激セクトやマイナー文化人などにあてはめることが出来る。
 一方、反革命でまとまったヨーロッパ諸国に対抗するため、フランスではナショナリズムが高まる。しかし、19世紀末になり自由や平等が確立されると、解決すべき問題は労働者にのしかかる格差の不平等となる。そのスローガンは共産主義であったが、これは各国が独立するのではなく、国境を越えて団結することで、労働者階級として戦うという方針となる。ここにおいて左翼は国際的となり、左翼が捨てたナショナリズムを固有の伝統として旗印に挙げる国粋的な右翼が、対立概念として生じる。
 こうした概念を受け継いだ明治期以後の日本では、戦後まで変わらず、体制か反体制かという縦軸の対立に、当時の時代背景を踏まえた横軸の対立が組み合わさった4つのグループへと、大まかに分けられる。ただし戦後には、右翼も左翼もその理念を実際の行動によって突き詰めることはせず、経済格差や公害問題などの不備を左派が突き、その不備を修正していく右派という役割分担で、経済成長へと邁進していくことになる。
 現在の左翼が、大多数の国民の支持を得られない状況には、こうした歴史的背景も関連している。経済成長を成し遂げてしまったがゆえに、日本国内の不備をあげつらえなくなった左翼は、大戦期の日本の戦争犯罪や日本経済の土台となっているアジア諸国の貧困を突きつけて、自己批判や道徳的反省を迫ることになる。「加害責任に無責任な者つかまえては、彼らより早く自らの悪を自覚している自らを特権化して、倫理的恫喝をする快感に甘んじて」(214頁)、そのために自分自身もいかなる対価を払うことで理念を成し遂げられるのか(たとえば、消費税を何十倍にも上げて、それをアジア諸国への補償として差し出す)を提言しなかったがゆえに、左翼の訴えは広まらない。現在は右翼が勢力を増しているようにも思えるが、左翼に対するカウンターパンチとして、ナショナリズムや国粋主義という考え方が生じたにすぎないため、「左翼」という敵に依存した存在にすぎないと言える。
 第1章の冒頭に、学生から右翼と左翼とは何か、と聞かれる機会が増えたとあり、それに対する説明を俯瞰的かつコンパクトにまとめるという意図で執筆されたようだ。特に独創的な思想が語られているわけではないものの、あとがきでも述べられているように、右翼と左翼について初心者にも分かりやすくその歴史と背景を説明した本は今までなかったので、その意味で有用と言える。というよりも、これもやはりあとがきを読めば分かるのだが、アカデミシャンたちが論理的厳密さや実証的客観性にこだわるあまり、非専門家が知りたいことを伝えられなくなってしまっている現状に対し、「世界史を、たとえ高校教科書程度であれ学べば、何かが分かるようになるのか。本書は計らずともその解答を提示してはいないでしょうか」(253頁)という著者の自負は、まさにその通りであろう。何も私は、アカデミシャンは論理や客観性を捨て去るべきだ、と言いたいわけではない。もちろん本書のスタンスに基づく活動も行えれば一番よい。それが無理ならば、アカデミシャンはせめて分業体制の重要性を認識し、こうした立場をジャーナリスティックと蔑むような考えは捨てるべきだと思うのだ。
 ただ、本書を読みながらふと考えたことがある。たとえば、史料の捏造はせずに、現代人の目から見て史料をいかに面白く解釈するのかという立場から執筆することで、過ぎ去った過去に意味を見出そうとしたとする。これは歴史学に意味を持たせる行為としては有効であろう。ただし、それを成し遂げるためには、独りよがりな解釈を避けるセンスと、自分の立ち位置を組み込んだ上で現在の世界を把握する知性も必要となる。その両者がなくても可能なのが、史料を積み重ねた実証的な手法なのではなかろうか。実証的な研究は、近代社会のシステム化と一致した現象なのかもしれない。オートメーションがたくさんの製品を生み出すように、実証的手法はたくさんの業績を生み出したのではないかと。しつこいようだが、実証的手法をあげつらっているわけではないので念のため。そうでないと、これを単にひっくり返したカウンターパンチの近代批判へと陥り、それは本書で主張されている右翼と左翼の対立と同じことになってしまうので。


8月5日

 垣根涼介『ワイルド・ソウル』(幻冬舎、2006年(原著は2003年))上下巻を読む。1961年、衛藤一家は外務省が進めるアマゾンへの移民計画に参加し、豊かな大地を夢見て旅立つ。しかし、実際にはどうしようもない荒れた土地が広がるだけの場所にすぎず、さらに移民者たちは外務省に見捨てられた。40年後、衛藤の息子ケイは移民者であった松尾や山本と組み、さらにはテレビ局記者の貴子を巻き込み、外務省の襲撃と関係者の誘拐を実行に移す。政府に過去の過ちを認めさせるために…。
 戦後にアマゾン移民政策が行われていたことは、恥ずかしながら知らなかったが、もしここに書かれていることが事実に基づいているならば、政府の失策としか言いようがない。移民者たちがおかれた事情の説明に物語の半分近くを費やしているのだが、決してベタベタしていないことがかえってその悲惨な状況を上手く物語っていると思う。
 ちなみにこの本では、警察の組織の有り様が割と肯定的に描かれている。たとえば、キャリアとノンキャリアという区別については、長年の警官根性が染み込んだ者では柔軟性に欠け、若い時期から管理官になる者がいなければ組織として活性化しない、と記している。また、自分の出世にしか興味のないキャリアもいるが、たとえ自分の気にくわない人間でもその仕事ぶりを評価して使い続ける者もいる、とノンキャリアの登場人物に語らせている。小川勝己『彼岸の奴隷』あたりとは対照的だが、どちらかが間違っているのではなくて、表と裏なのだろう。
 ただ、1つ細かい注文を付けるとすれば、首都高と富士樹海周辺図の地図は、上巻ではなく下巻に付けるべきだったのでは?


8月7日

 ジル=A=フレイザー(森岡孝二監訳)『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店、2003年(原著は2001年))を読む。1990年代以後のアメリカにおいて、ホワイトカラーは圧倒的な仕事量に忙殺されており、しかも辞めさせられないためにはそれをこなすしかないという状況を、ルポ形式でまとめている。D.E.ウェストレイク『斧』は、失業中の男性が職を得るためにライヴァルと目される人物を次々と殺していくという小説だが、1997年に書かれており、当時のアメリカは好景気と聞いていたので、それでもこんなことをしなければならないのは、アメリカがドライな契約関係に基づく労働条件だからなのだろうか、と漠然と思っていた。しかし本書を読めば、『斧』は当時の状況を反映した小説だと分かる。社員は休みなく働き続けて、企業が収益を上げてトップの人間は莫大な収入を得ていても、社員個人の経済や福祉状況はそれに見合うほどにはまったくと言っていいほど上昇していなかったのが、1990年代のアメリカだったようだ。ちなみに、主要企業のリーダーと労働者の平均収入の格差は、1978年には30倍であったが、1995年には115倍になったという(216頁)。
 本書には笑えないエピソードが数多くある。たとえば、リーマン・ブラザーズの女性部長はリストラを実行しつつ、それが自分自身に降りかかることを恐れながら、顧客の前では陽気な上辺を装わねばならなかった。しかし社長はこの女性に対して、「きみがまだ仕事に就いていられることをどれほど感謝しているかが人々にわかるように、もっとよく笑うようにしなさい」と指示したという(14頁)。これ以外にも、これでもかと辛いエピソードが収録されている。
 そして、どうやら現代の日本は、この当時のアメリカの後追いをしているということに気づかされる。というのは、現在の日本と同じようにアメリカでも、福利厚生費が高く付く正社員よりも、パートや契約社員を雇おうという方向へと動いていったらしいからだ。1980年代から90年代において、過去10年間で職が増えたのは大企業よりも、小企業か新興企業だったそうである(45頁)。アメリカと日本では状況がもともと違うのではないかというと、決してそうではない。1970年代のアメリカでは、大企業は出来る限り人員削減を行わないようにしており、IBMなどは、完全雇用を維持しようとする姿勢を前面に押し出している(114頁)。だが、1993年にバンク・オブ・アメリカは、15億ドルという利益を報告する一方で、8000人のホワイトカラーを週19時間のパートタイマーへと格下げすることで、医療保険・有給休暇・退職金を削ることができ、7億6千万ドルを節約できる、という声明を発表した(186頁)。アメリカの企業も昔は、終身雇用とはいかないまでも、社員として出来る限り留まらせるような態度をとっていたのだから、日本と構造がまったく異なっていたわけではないと言える。
 グローバル化はアメリカ化であるとよく評されるが、まさにそれをネガティヴな意味で実証していよう。


8月9日

 重松清『疾走』(角川文庫、2005年(原著は2003年))上を読む。干拓地の側の町に暮らすシュウジは、寡黙な父と気弱な母、進学校へ通うことになる兄と暮らしていた。町にリゾートの開発計画が持ち上がる中で、進学校で落ちこぼれていった兄は犯罪を犯し、シュウジの運命は大きく変転する。精神病院へ収容される兄、自分たちを捨てて旅立った父、生活費を稼ぐための博打で借金をこしらえて夜逃げした母。残されたシュウジはリゾート計画が中止された町で一人だった。自分を受け入れてくれる教会の神父と、教会に来る少女エリがいたとしても。シュウジは故郷を捨てて大阪へと出るのだが、そこでもシュウジは安息を得ることが許されず、人を殺さなければならなくなる…。
 書いているだけで痛々しいが、この小説にはどこにも救いがない。これでもかと希望を打ち砕くシーンが連発で出てくる。『旧約聖書』の「ヨブ記」が随所で引用されているが、前触れのない不幸の連続はそこに重ね合わせられていることは明らかだろう。
 東京へ出たシュウジがエリに電話を掛けて、会うことはできなくても「いつでも声を聴ける人がいる」と考えるシーン(下・167頁)は、福本伸行『賭博黙示録カイジ』(ヤングマガジンC)8巻の超高層鉄骨渡りでの、「誰かが自分の側にいることそのものが希望」とカイジに認識させた場面を思い出した。


8月11日

 しりあがり寿『表現したい人のためのマンガ入門』(講談社現代新書、2006年)を読む。マンガの描き方というよりは、自伝を含めたエッセイの印象の方が強い。著者は楽しんでマンガを描いてることが、文章からものすごく伝わってくる。もともとサラリーマンとマンガ家の二足のわらじを履いていたそうだけれども、サラリーマン時代でさえも何となく楽しそうに見えるほど。楽しんで描けることこそが得難い才能なんだな、ということがよく分かる。それでいて、マンガを作品でもあり商品でもあると認識する、商売人めいた感覚も持ち合わせていることも読みとれる。マンガ家になるのは簡単ではないということを教えてくれるという意味で、入門書とは言える。
 マンガのメリットとして、第1に制作コストが安い点を挙げているのは興味深い。とはいえ、アシスタントを雇うと人件費がかさむという点も指摘されているが(84頁)。著者はここでも、プロダクション制ではなく、誰も雇わずにたくさんの人に少しずつ手伝ってもらう、助っ人制とでもいうやり方で、わいわいと楽しくやっているようで、ここでも楽しんでマンガを描く、という特徴が現れている。
 ちなみに2番目と3番目は、表現サポート力と感動アクセススピードがそれぞれ高いということなのだが、4番目はのインタラクティブ性というのが少し気になる。マンガは読者の好みが反映しやすく、ストーリーや中心人物が変わる双方向性が高いということだが、これはよいことなのかもしれない。だが、映画や小説は完成品として評価される一方で、マンガはどんなにラストシーンが凄くても、読者がそこまで付いてこなければ日の目を見ない、とする。ただし、「バランスや一貫性、統一したテーマなどを欠きやすく、完成度が乏しくなることも出てくる」(39頁)。実は、マンガの大きな問題点はこの点ではないかと思っている。著者はアクセスしやすいから暇つぶしに向いているがゆえに、携帯電話をはじめとする他のメディアに奪われる可能性がある点を気にしているようだが、中野晴行『マンガ産業論』の項でも指摘した、連載形式ゆえの完成度の低さが、雑誌とを中心とする生産形態へボディブローのように効く気がする。


8月13日

 石持浅海『月の扉』(光文社文庫、2006年(原著は2003年))を読む。沖縄・那覇空港で旅客機をハイジャックした柿崎・真壁・村上。彼らの要求は、問題を抱えた子供を迎え入れるキャンプを運営しているものの、親からの訴えで拘束された「師匠」を空港まで「連れてくること」。しかし、機内のトイレで乗客の一人が殺害される。それだけではなく、その人物は「師匠」のキャンプを非難した人物でありながら、なぜかキャンプに参加した証をもっていた。三人はたまたま現場近くに居合わせた座間味のシャツを着た男に捜査を依頼する…。
 「師匠」が主張する「月への扉が開く」というミステリアスな設定と、殺人事件というミステリーを組み合わせているのだが、正直言って唐突な印象を受ける。特に後者に関して探偵役である座間味君が最後の最後まで単なる傍観者にすぎないので、ミステリでもあるという物語の都合上に必要な人物を取って付けたような感があるのがマイナス。ミステリアスな設定に興味があればどうぞ、といったところか。


8月15日

 東ゆみこ『猫はなぜ絞首台に登ったか』(光文社新書、2004年)を読む。ダーントン『猫の大虐殺』でも取り上げられている、18世紀フランスでの事件を、神話や思想史の観点からもう一度読み直す。
 1730年代後半のパリのある印刷工場で、職人たちが猫を皆殺しにするという事件が生じた。猫が夜中に騒ぐからという理由だったのだが、工場主の妻が可愛がっていた猫も含めて、猫を裁判に掛けて絞首刑に処した上に、職人たちはそれを大笑いして見ていた。一方、1750年頃のロンドンを舞台にホガースが描いた、処刑される盗賊の生涯を4枚の連作形式で綴る「残酷の四段階」においても、動物に虐待を行う場面が見られる。
 当時のロンドンやパリは、郊外から人々が流入してきて大都市となったため、見知らぬ人が集うコミュニティが形成されていく。しかし彼らは、土着の祝祭の風習を受け継いでいた。特にカーニヴァルでは身分の上下がなくなり、人々は楽しみながら、あるいは他者を嘲りながら、笑って祭りに参加していた。そして猫は、ヨーロッパのフォークロアでは、女性であり女性器でもあり魔女でもあった。これを踏まえれば、猫の処刑はカーニヴァルの延長線上にあり、「ブルジョア」対「労働者」という背景を元に生じたと言える。
 以上は、主としてダーントンの解釈だが、著者はより歴史を遡って神話学的な背景をも主張する。中世ヨーロッパでは、絞首刑を行うと風が吹くと考えられていたが、これは風の神ヴォータンが起こすと考えられていた。このヴォータンは北欧神話ではオーディンなのだが、オーディンへの供物は木にぶら下げるのが常であった。さらに、オーディン自身も木にぶら下がることがあり、それはイニシエーションのための行為を意味していた。加えて、収穫の最後に、穀物の霊と同一視した動物を犠牲として食する習慣もあった。つまり、猫の処刑はヨーロッパ古来の民族的な習慣が反映したものである、とする。
 大学での講義をまとめたものらしく、非常に読みやすくかつ面白い。ただ個人的には、猫の処刑の深層的背景に神話を結びつけるのは、そういわれればそうとも言えるというものに見え、論理展開がやや強引である気もする。個別の事件の文化論的背景を見出すのはいいのだけれども、逆に個別の事件にあてはめるときには、もう少し慎重な方がいいのではないかと。とはいえ、ヨーロッパ文化論の入門書としては十分おすすめできる本と言えるだろう。


8月17日

 山本弘『神は沈黙せず』(角川書店、2006年(原著は2003年))上を読む。幼い頃に災害で両親を失って以来、神に不信感を抱くようになった和久優歌は、ルポ・ライターとして世界中で起こる超常現象を取材するうちに、自分自身も幾度か超常現象に遭遇する。そして、「神」が人類の前に顔を見せた2012年、画期的な進化に関するプログラムの開発者であった兄の良輔は、「サールの悪魔」という謎の言葉を残して失踪する…。
 本書は、優歌が2033年に書いた手記という構成になっている。両親を偶然の災害で失った優歌と良輔が、神は本当にいるのかということを探るなかで、優歌と付き合ったこともある加古沢黎という小説家がカリスマ的人望を得ていき、「神」に絡む野望を達成していくというのが、主たる筋書きだ。だが、それよりも物語に関連して披露される、近代科学と超常現象に関連する逸話こそが、本書のメインだろう。UFO、進化論と創造論、心霊現象、超能力、臨死体験などの、超常現象のうさんくささを片っ端から論理的に批判していく。ただし、どうしてもその謎が解明できない残されたものから、「神」の理論を再構成していくのが、本書の最大の狙いだろう。たとえば、ヴォイジャーの減速問題とウェッブの綱目、オールトの雲、アープの橋、ファフロッキーズ(空中から落ちてくるもの)などであり、その核としてジョン・サールの理論が据えられる。なお告白しておくと、これらの用語に関して、本書を読むまで私はまったく知らなかった。
 正直に言うと、あくまでも個人的な印象にすぎないが、その蘊蓄めいた情報量はともかく、いくつかの理論を組み合わされて構築された「神」の正体とその意図に関しては、その組み合わせ方の巧妙さにはうならされるものの、本書の序盤で触れられているフェッセンデンの宇宙の練り直しのようにみえて、それほど意外性のあるものではない。優歌と良輔の物語も、超常現象の知識を取り除いてみれば、それほど感情を揺さぶるものには思えない。ただし、その無神経とも言える「神」の意図が、最後の場面で2人の悩みにシンクロしていって、序盤で出てきた「ヨブ記」の再解釈から、共にある種の悟りと救いを得た箇所を読むと、それまでの情報を上手くまとめて物語を終わらせているなと感じる。そのあたりの構成は上手いと思うし、読後感も爽快でよい。そして、2人にアドヴァイスを与える大和田という超常現象の研究家が、超心理学者は有意差が出る実験しかしなくなると指摘し、確信を抱くのではなく自分は間違っているんじゃないかと問いかけることが、道を誤らない方法だと告げていることこそ、本書に込められた著者からのメッセージではないかと思う。
 興味深かった事項をいくつか。人間の目のような緻密な構造を持った器官は人間が高度な知性によって設計された証拠である、という主張がある。しかしこれは、視細胞と視神経を結ぶ網膜神経節細胞が、なぜか視細胞の前にあることから否定できる。というのは、視細胞が感じた刺激が脳に入っていくとき、網膜神経節細胞が視細胞の前にあるので、情報が遠回りをして伝わっていることになり、高度な知性が設計したとするならば明らかな設計ミスだからである(上・124〜125頁)。加古沢は、代筆者を使って膨大な量の小説を執筆していることを公言しているが、それへの批判に対して、自分には書きたいものがたくさんあるし、マンガ家もアシスタントを使っているのだから、小説家も同じことをして構わない、と答えた(上・204頁)。この箇所を読んで、中野晴行『マンガ産業論』では、マンガが少数生産体制である問題点が指摘されていることを思い出した。その加古沢が、あっという間に流行が移り変わる世の中を評した後で、「その点、歴史はいい。いくら勉強しても時代遅れになるってことがない。だから俺は歴史小説を書くんです」(上・209頁)と答えているのも興味深い。
 さらに、文献資料は電子化されてネット上で閲覧できるのだから、図書館は無用の長物になる、とも言っており(上・214頁)、また別の箇所では、優歌の文章として、ネットのハイパーリンクを上手く使いこなせば、ページに沿って順番に読み進める本とは異なり、情報を有機的に結びつけることができる、というのもある(上・373頁)。ネットの優位は認めざるを得ないものの、それでもB.L.ホーキンス・P.バッティン『デジタル時代の大学と図書館』の項で指摘した、見たいところまでパラパラめくるという利便性を、超えるような技術が確立されるだろうか、と個人的にはやはり思う。ネットの発展で出版業界ではポルノが打撃を受けた、と加古沢は指摘していて、これは実際の世界でも起こっていることだが、ポルノは本の利便性と最も関係ないからだろう。辞書がやはり同様の状況なのも、同じ理由だろう。良輔が、技術を進化させるのは、かつては戦争だったが、今はゲームとエロだ、と言い放っているが(上・250頁)、これはそうであって欲しい。少なくとも、その方が平和なので。あと、チューリングテストに関連して、適当な論拠を放り込んでおけば、ネットで自動的に文章を考えて煽る「無敵くん」というフリーソフトが出てくるが(上・260〜62頁)、これはそのうち誰かがつくるのではなかろうか。
 ちなみに、まったくどうでもいいことだが、私にとって山本弘といえば、「と学会」の会長というよりは、『盗賊たちの狂詩曲』(富士見文庫、1989年)『モンスターたちの交響曲』(富士見文庫、1990年)『終わりなき即興曲』(富士見文庫、1991年)というスチャラカ冒険隊3部作での、ソードワールドRPGリプレイのゲームマスターの印象の方が強かったりする。


8月19日

 小田中直樹『歴史学ってなんだ?』(PHP新書、2004年)を読む。歴史学を生業としない人に歴史学は役に立つのか、という疑問への回答を模索する。歴史学の解釈の正しさは、あくまでも相対的なものにとどまるのであり、史料批判を通じて「より正しい」解釈を求めることこそが、歴史学の役割になる。そうして提示された解釈は、個々人のコミュニケーションを円滑にするための、または教訓となる史実を知るための個人的なツールとして役立つ、とする。
 歴史学の枠組や現在の様相を知るためには最適の本であり、上で述べたような歴史学のあるべき姿に対する著者の提言にも同意する。ただし、だからといって、著者の態度に対して納得できるかというと、そうではない。著者は、個人的なツールという概念をより詳しく説明する際に、浅羽通明『大学で何を学ぶか』(幻冬舎、1996年(リンクは文庫版))へ言及し、教養とは考え方のモデルのカタログである、という考え方を引用している。浅羽は、自分自身がどのような実践をしたのかについて、痴呆老人の世話をするヘルパーをどのように励ましたのかという具体例を語っている。本書にそれがあるのかというと、それはない。最終的な結論は、「どんな「コモン・センス」が得られるかを考えてみること」であり、しかも「どちらの枠組を選び取るかは、一人ひとりの判断に委ねられるべき」(192頁)であるとする。歴史学は役に立つのだろうかという疑問を持つ者にとって、ここまでのことはおそらく自分のなかでも漠然と考えている気がする。もちろん、それを分かりやすく提示したことは意義のあることだろう。だから、上述のように「提言」には同意する。しかし、本書の読者が知りたいのは、その先、つまり歴史学から得たコモン・センスが実際にどう役立ったことがあるのか、という著者自身の具体例ではなかろうか。もちろん、それぞれの立場によって役立ち方が違うのは当たり前で、著者の具体例がそのまま使えることなど期待しているのではない。それでも、具体例があればそれこそが何よりのヒントになるはずだ。これではまるで、武器の使い方だけを教えて、あとは臨機応変にしろと伝えて戦場へ放り込む教官のようだ。
 ちなみに、このコモン・センスの部分で題材として取り上げられているのは、他の箇所でも幾度か触れている従軍慰安婦の問題である。「従軍慰安婦の「強制徴収はあったという蓋然性が現在のところは高いのであれば」、そのことを認めて、そこからどんなコモン・センスが得られるかを考えてみることに意味がある、とする(192頁)。著者は、自分自身の見解に対して謙虚であるべきだとしており、それは確かに正しい。だが、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999年)を読めば分かるように、強制徴収を訴えた論者は、たいてい直接的な強制という意見をすでに捨て去っている。つまり、「強制徴収はあったという蓋然性」は、それほど高くない。もちろん、自発的に慰安婦になったとしても、やむにやまれぬ事情でいやいやながら日本軍のための慰安婦になった者もいるだろう。その悲劇性を否定して、「日本人は世話をきちんとした」という、自虐性をひっくり返しただけの自惚れ鏡を持ち出すつもりはない。そうではなくて、著者のいう「蓋然性が高い」という意見でさえも、すでにバイアスが掛かっており、そうしたバイアスから逃れることはできない、ということだ。そこを意識せずに「一人ひとりの判断に委ねられるべき」という言い方をすることこそ、悪しき相対主義ではなかろうか。
 そして、個々人にとってのツールの具体例という可能性を、著者自身が捨て去っている場面がある。戦後日本の歴史学史を述べている箇所で、社会史に触れた場面である。角山榮・川北稔編『路地裏の大英帝国』(平凡社、1982年(リンクは平凡社ライブラリー版)の感想として、面白くとも、現在の社会に役に立つという感じはしないと述べて、「一九世紀のイギリスで温泉浴がすたれた理由が分かったからといって、そのことがぼくらの生活に影響するとは、ほとんど思えません。もちろん、温泉浴業界の人にとっては別かもしれませんが」(161頁)と記す。だが、それこそが著者のいう、一人ひとりのコモン・センスを磨くための材料ではないのか。イギリスの温泉浴が「温泉浴業界の人」に役立つ可能性があるように、イギリスの紅茶の話は喫茶店を経営する人や、家族に美味しい紅茶を入れたいと考える人に役立つかもしれないのだ。歴史的事実から、個々の読者や聴衆に必要に応じて知のカタログを提示する方法、それこそが歴史学がどう役に立つのかについて著者が語りたかったことだったのではなかろうか。その手前で止まってしまえば、結局のところ、歴史家は歴史像を提示することをして、それをどう使うのかは読む人に任せたと、やはり戦争へ放り込む教官のようになってしまうにすぎない。
 つまるところ、著者の意識は、本書から何かを学ぼうとする読者の意識とややずれている気がする。そして、そのずれこそが、歴史学のみならず現在の人文学が抱え込んでいる問題でもあるように思える。本書を読んでその考えはますます強くなってしまった。


8月21日

 栗本薫『ネフェルティティの微笑』(角川文庫、1986年(原著は1981年))を読む。失恋の傷心旅行でエジプトへやってきた森岡。それほど親しくない知人のそのまた知人である佐伯の家へ転がり込んで、観光がてら立ち寄ったカイロ博物館のネフェルティティ像の前で、那智という女性に出会う。エジプトの金持ちと結婚した那智に近づくな、という佐伯の忠告を無視して、森岡は那智と再び会う。しかし、クフ王のピラミッドのなかで、彼女は誰かに連れ去られてしまう…。
 外国から嫁いできて、夫の死後はその息子と結婚したとされるネフェルティティを、那智の存在と重ね合わせるというモチーフで物語は描かれている。ただし現在では、ネフェルティティは外国人ではなくエジプト人という説が有力なようなので、この設定はあまり意味をなさないことになってしまっている(イアン=ショー・ポール=ニコルソン(内田杉彦訳)『大英博物館古代エジプト百科事典』(原書房、1997年(原著は1995年))を参照のこと)。誘拐と殺人に関するトリックは特筆すべきようなものではないが、エジプトの雰囲気を描写したという点で、そのあたりに興味があれば楽しめるだろう。
 ちなみに、森岡はアクエンアテンとネフェルティティの名前について「世界史に疎い僕でもそれくらいは知っている」と言っているが、そんなものだろうか。ネフェルティティの名前はもっとマイナーな気もするのだけれど。


8月23日

 小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか アメリカンコミックスの変貌』(NTT出版、2007年)を読む。アメリカ同時多発テロの影響によって、アメリカンコミックスがどのような変貌を遂げたのかについて探る。
 そもそも「アメリカンコミックス」と一口に言っても、そこにはコミックブックとコミックストリップという2つの種類のコミックがある。前者は30頁前後の小冊子で子供向けのヒーローものが中心であり、後者は新聞で連載されている4コマから1頁のマンガで大人向けのものと認識されている。ただしコミックブックも、もともとは新聞の販促用の小冊子としてつくられており、単体の作品として売ることを目的としていなかった。その結果としてコミックブックはコレクターによる収集対象となり、作品そのものを楽しむこととはややずれが生じ、「コミックショップ」でコレクターが作品を買いあさるという行動が主流になっていき、子供離れも起こっている。さらにコミックブックは、日本のマンガのようなほぼ単独の作者による創造とは異なり、主要キャラクターを中心とした1つの世界にて複数の脚本家が物語を書き起こし、作画や色つけなどが分業体制で制作されており、商業的な色合いが濃い。一方で、マンガを自己表現的に描くのは、商業主義に対するカウンターカルチャーとして、あくまでもアンダーグラウンドにとどまっていたが、やがて、両者は融合するようになっていく。
 ところで、日本のマンガが自己表現の表出として描かれているのには、手塚治虫の言説に代表されるように、戦争という抑圧から敗戦によって解放されたことが大きいと考えられている。そして実は、同時多発テロ以後、アメリカのコミック作家たちは、自分たちの無力感からナショナリストへと「転向」してしまう。それと同時に、たとえばスーパーマンがテロ行為に対して自らの無力を嘆くコミックが描かれたように、作家も読者もそれまでの空想世界を否定してしまい、コミックに携わる自分自身の行為の意味を考えざるを得なくなった。
 これに加えて、マンガがアメリカ批判や対アラブ強硬外交の道具のような形で、政治的に利用されていく状況も述べているのだが、本書はこれだけに留まらず、現在の日本の状況もこれに重ね合わせている。たとえば現在の日本は、同時多発テロをまるでハリウッド映画のように眺めてしまっている点において、テロ以前のアメリカと近い。これまでのマンガ評論も、描かれたマンガからその社会的・政治的な意味を読み取ることを放棄する態度が、非常によく見られる。ところがテロ以降には、たとえば『ガンダムSEED』のように、物語のなかにテロやアメリカ批判をモチーフとして安易に持ち込む作品が散見される。それは、手塚治虫の原作をモチーフとした浦沢直樹の最新作『PLUTO』に、唐突にイラクとアメリカに相当する国による戦争が盛り込まれたことからも確認できる。一方で、1970年代のサブカルチャー体験をオウム真理教の事件と重ね合わせるように描き、しかもその消費者でしかない態度を自己批判的に振り返る姿勢も盛り込んだ『20世紀少年』では、世界が日本という空間のみに閉じられている。
 さらに、あくまでも著者自身の推測として補足的に述べられているものの、手塚治虫が果たした役割について非常に鋭い指摘もなされている。手塚は自伝において、自分とほとんど関係ない漫画家たちが大戦後に結集して、再びマンガを描き始めるエピソードを挿入している。実はこの漫画家たちは、戦中に翼賛的なマンガを描いていたのだが、手塚の描写からはそのような背景は一切窺えない。これを、手塚が戦後民主主義的なヒューマニストの側面も併せ持つことと絡めて、その振る舞いによってマンガの何もかもを戦争責任から免罪して、マンガを解放しようとしたのではないか、と述べる。つまり手塚は、戦後の日本マンガ界を戦争責任から防御し、そのおかげで表現的な純粋性を主張し得たのではないか、と推測している。手塚亡き後は、外部の力学を内側に抱え込みながら、その力に流されず自覚的に踏みとどまる意識や視点をサブカルチャーが欠きつつあるのではないか、という指摘は鋭い。その例として挙げられている笠井潔による、自身の作品中の教団をオウム真理教の信者が自分たちと同一視していたエピソードの告白、そして自分の仕事が時代と共鳴していたからこそこの事件が生じたと考え、それに励まされると述べる態度を危険視するのは、まさにその通りであろう。
 ちなみに、日本人が(もちろん私自身も含めて)アメリカンコミックについてほとんど知らずに、「マッチョなヒーローもの」というイメージで語ってしまうのは、著者の言う通り、海外のマンガは日本のマンガと無関係なものという意識が存在するからだろう。それは、日本のマンガの90%以上が、国産に限定されているためでもある。一方で、アメリカの市場は国内産だけではなく、日本をはじめとした東アジア圏のマンガやヨーロッパのマンガだけではなく、中東圏のマンガまで流通しているらしい。さらには、アメリカの出版社も積極的に海外の作家を起用しており、アメリカはグローバルなマンガ市場が存在しているとのことである(13〜14頁)。
 以上のように本書は、アメリカのマンガについてその歴史を語りつつ、サブカルチャーとしてのあり方を同時代から読み込んだ興味深い著作となっている。さらに、その視座から日本を外部から眺めることで、これまでのマンガ論とは異なった観点からマンガを論じることに成功していると思うのだが、だからこそ日本のマンガについての描写が、真ん中あたりに挟み込まれてその前後とあまり関連性がないのはもったいない気がする。どうせならば、これを終章の前に持ってきてもう少し内容を膨らませた方が、より深みが出たのではなかろうか。
 なお、日本にとって敗戦がマンガに対する抑圧の解放であったように、アメリカでは1950年代が日本の「戦中」にあたるのではないかという推測は、S.クーンツ『家族という神話』に基づいて述べられている(78〜80頁)。


8月25日

 貴志祐介『青の炎』(角川文庫、2002年(原著は1999年))を読む。高校生の櫛森秀一は、母親と妹と一緒に和やかに暮らしていた。そこに、母親が10年前に再婚して、その粗暴さゆえに離婚した男・曾根が現れる。酒を飲んで傍若無人に振る舞い、母親に手を出すだけではなく妹にまで何か考えているのを知った秀一は、曾根を排除することを決意する。それは、自然死に見せかけて自分に疑いが掛からないようにする、完全犯罪の計画であった…。
 面白くないわけではないのだが、主人公が殺人を決意するまでの、家庭の状況や描写よりも、どうやって完全犯罪を犯すのかという箇所の方が長いため、ロジカルな殺人ゲームを読んでいるように感じて、個人的にはそれほどツボにはまらなかった。また主人公が色々と読書をしているシーンも見られ、頭がよくてそつのないところが出てくるのだが、これも少し引っかかる。たとえば内面の葛藤に関連して『罪と罰』よりも江戸川乱歩『心理試験』の方がリアリティはあると評したり、『罪と罰』に描かれているようなキリスト教的な強迫観念よりも、『菊と刀』の「罪の文化・恥の文化」の方が面白く、恥の文化の日本人は完全犯罪に向いているのかもしれない、と感想を述べている。こうした描写は、主人公が完全犯罪を思いつくだけの知性を備えていることを示すためのだろうが、かえって何となく裕福そうなイメージができあがってしまい、逼迫した感じが薄められてしまっているように見える。こういった点は、最近読んだ重松清『失踪』のインパクトの方が強いから、そのようにより感じるのかもしれない。やがて、秀一の犯罪には色々とボロが出てしまうのだが、そのあたりも追いつめられていくが描写が少し弱いため、決意をして殺人を犯して、それに対する嫌悪感を感じているという設定のはずなのに、その内面の揺らぎがいまひとつ真に迫ってこない気がする。
 まあ、このあたりは個人的な趣味の問題だろう。ロジックに重心を置いたスタイルが、読んだけれどもこのサイトでは特に取り上げなかった大場つぐみ・小畑健『DEATH NOTE』(ジャンプC、全12巻)を、何となく思い起こさせる。実を言うと、この作品はよくできているとは思えても、あまり読みたいと気にさせられなかった。なので、『DEATH NOTE』が趣味に合う人にははまる作品なのかもしれない。


8月27日

 井上章一『愛の空間』(角川選書、1999年)を読む。戦前から戦後にかけての小説を中心とした文献の中から、性交渉が行われた場所に着目して、その歴史的な変遷を追う。大まかな流れを書くと、近代日本において自宅以外の屋内での性行為は芸者遊びか売春として行われ、一般人は屋外で営むのが一般的であったが、戦後になりラブ・ホテルが普及してくると、一般人も屋内でするのが当たり前になっていった、となる。前者に関していえば、戦前から続いていた公娼は、1958年の売春防止法によって廃止される以前から、すでに明治末から昭和初期にかけて古くさく感じられるようになり、その結果として私娼が増えると共に、そのための場所として用いられる待合も増加していく。屋内の性行為の場所としては待合があったと風俗史では一般的に認識されているが、もともと待合は飲み屋としての性格を備えていて、私娼の増加と共に性行為の場所という性格を強くしていく。一方で、昭和初期には円宿と呼ばれる宿屋も利用されるようになる。円宿は、待合を利用しにくい素人同士のカップルが利用する屋内の施設として発展することになる。そして、室内空間の環境整備をプロが望んでいったなかで、それが素人も用いるラブホテルへと波及していく。それを示すのはラブホテルの外観で、かつては遊郭のような豪奢な意匠を伴ったものが珍しくなかったが、普通のカップルも用いるようになる1970年代後半からは、そうしたアダルト色は薄められていき、シティホテルへと近づいていく。
 本書は、様々な文献から拾ってきた膨大なエピソードを積み上げることで構成されているが、この流れに沿っていくつも面白いエピソードが引用されている。以下、メモ的に羅列していく。
 池田みち子『芽生えの季節』(1950年)では、皇居前へと誘われた女性が押し倒される描写が出てくる(13〜14頁)。1954年7月8日の『朝日新聞』には、東京都がアベック専用公園をつくって入場料をとれば、皇居前がアベックに荒らされることもないだろう、という女性実業家からの提案があったことを記事にしているが、ここには屋外での性交が当たり前であった事実を読みとれる(15〜16頁)。ちなみに、幸田露伴は公園がないから屋内で娼婦と戯れるので、公園を設けろと主張しているのだが(『国の首都』(1899年))、皮肉にもその公園は性行為に使われるようになっているわけである(49〜50頁)。ただし、皇居を使い始めたのは皇居に対するタブー意識のない戦後の米兵であった。実際、菊田一夫『君の名は』(1954年)では、米兵を相手にする娼婦が、最近は普通の人間もたくさん行くようになった、と語っている(21〜22頁)。米兵は学校内でも性行為を行っていたようであり、国警科学捜査研究所の調査(1953年)によると、性犯罪を犯した青少年の動機のうち「駐留兵士とパンパン行為を見て」というのが、都会では15%、農村では17%に上ったという(24〜25頁)。とはいえ、芹沢光治良『春の谷間』(1952年)では、夜の学校のプールにて泳いだアベックが、そのあと教室で性行為に及ぶことが多い、という描写が出てくるので、米兵に限られたことではなかったらしい。
 初体験を屋外で迎えるという設定の小説も結構あり、たとえば1930年代後半を舞台とする井上靖『あすなろ物語』(1954年)や、佐多稲子『素足の娘』(1940年)などが挙げられ、前者では男性の主人公が鉄道路線沿いの裾野で、後者では女性の主人公が兵庫の山地でそれぞれ初体験を行っている(31頁)。それは上流階級でも変わらず、関東大震災後の東京を舞台にした菊池寛『受難華』(1926年)では、フランスへの長期派遣の決まった若い外交官が、婚約者である女学校を出たてのブルジョワの令嬢を渡航前にものにしたくなり、井の頭公園に連れ込んで行為に及んだ。外交官が客死してしまうと、令嬢は井の頭公園へ墓参りのつもりで赴いている(38〜39頁)。
 なお著者は、やがて東京では性行為の屋内化が進ものの、東京へは全国からまだ意識の変化していない人間が流入してくるわけだから、屋外での性行為が続いていたのだろう、と推測している。佐藤愛子は『週刊ポスト』(1973年10月5日号)のインタビューで、「本来のセックスは太陽を浴びるものだから、若い人は公園でやるといい」と答えたのは、そうした古い意識が現れたものだろう(61〜62頁)。また、石坂洋次郎『丘は花ざかり』(1952年)でも、屋外でキスした主人公たちへ、女に枯れ草が絡んでいると性愛を連想させるから、人前へ出るときは始末に気を付けろ、と古い世代に属する社長がアドバイスがてらからかうシーンがある(64〜65頁)。
 1930年代の東京を振り返った吉田健一『東京の昔』(1974年)では、深夜には普通の飲み屋が閉まってしまうので、飲もうと思えば待合へ行くしかない、といった記述が出てくる(75頁)。平山廬江『芸者繁盛記』(1933年)によれば、待合を利用する芸者たちは、客に出来る限りランクの高い待合へ連れて行くことを望んだが、自分たち自身の色恋沙汰の時はそうした態度を放棄し、屋外で忍び会うこともいとわなかった(138〜139頁)。待合以外にそば屋も利用されたが、永井荷風『腕くらべ』(1918)年では、そば屋を使う芸者はランクが低く、その代表として赤坂の芸者が上げられる、との登場人物による明治期の回想がある(141頁)。食べ物屋が淫売の場所として使われていたことは、平塚雷鳥『元祖、女性は太陽であった』(1972年)に、戦前の山の手の娘は一人で飲食店に入ることはなかった、と記されていることからも察せられる(153頁)。さらに、自伝的小説である伊藤整『若い詩人の肖像』では、恋人同士が行為に及ぶ場所として、売春に用いられない「本当の蕎麦屋」を探した、との記述がある(164頁)。なお著者は、食寝分離を目指す戦後の住宅政策が、飲食店と性行為の分離も促したのかもしれない、と推測も混じえて述べている(157頁)。伊藤整『変容』(1986年)では、待合の部屋に入ったときにすでに布団が敷いてあり、老人の「私」がかつてとは変わってしまったとの感想をもつシーンがある(297頁)。
 戦前の円宿では、部屋に鍵を掛けられるところは少なく、鍵のある部屋は二倍の料金というところさえあった。鍵を掛けることが「プチブル的」と評されることもあった(「円宿ホテル」『中央公論』1936年8月号)。また、戦後のラブホテルははめ込み鏡を取り入れたが、むき出しすぎてかえって燃えないということで、デコレーションミラーが採用された(『宝石』1977年5月号)、という(288頁)。
 都会にも温泉マークを付けた旅館はあったが、それはカップルが一緒に入って楽しむための場所であることが多かった。そうした温泉は「家族風呂」という名前を掲げることがしばしば見られたが、連れ込み用の風呂と命名するのはあけすけなので、家族風呂という名称を用いたと推測している(272頁)。
 学生時代、阿部謹也『西洋中世の男と女 聖性の呪縛の下で』(筑摩書房、1991年)を読んだときには、男女の営みという人間にとって基本的な行為でさえ、文化が異なればまったく異なった考え方であった、ということに結構驚かされたが(J.ル=ゴフ、A.コルバン他『世界で一番美しい愛の歴史』も、これに近いか)、同じ日本でも、ほんの数十年むかしに戻ればこうも違っているのか、ということに改めて驚かされる。以前、北村薫『スキップ』の項で、自転車に乗っているカップルに対する意識が、1960年代末と1990年代初頭では異なっていた、という箇所を挙げたことがあるが、それをさらに少し遡るだけで、野外での性行為が普通であったという、現在の一般常識からかけ離れたいた状況を知ることができる。こうしたことを踏まえなければ、風紀の乱れを嘆くのも、橋本健午『有害図書と青少年問題』で幾つも挙げられていたように、単なる個人的な主観に基づくものになってしまうだろう。
 なお、内容とは直接的に関係しないが、大宅文庫だけを用いて風俗史を記すことの危険性を指摘している。というのは、雑誌記事類しか収録しておらず、戦前の文献にはあまりチェックが行き届いていないからである。確かに、小説類を豊富に利用した本書を読んでいると、頷けるところである。


8月29日

 奥田英朗『最悪』(講談社文庫、2002年(原著は1999年))を読む。同じ著者による『邪魔』と同傾向の作品。鉄工所を経営しつつも、近所との騒音トラブルに巻き込まれ、事業が難しくなっていく川谷信次郎。不登校の妹やセクハラ問題に悩む銀行員の藤崎みどり。仲間とトルエン泥棒をしたものの、ヘタを踏みヤクザに借金を負ってしまった野村和也。この3人の人物の不幸が連鎖して1つの大きな事件へとつながっていく…。
 3人それぞれの不幸は、現代社会を生きていればほんのちょっとしたきっかけで自分自身も遭遇するかもしれない不幸ばかりである。それぞれが自分のやるべき仕事をして(たとえそれが、和也のような犯罪行為でも)生きていくことと、どうしようもない周りの環境との板挟みになることは、大小抜きにして、ほとんどの人間に起こりうるに違いない。ラストではそれぞれが少しずつ救われるが、実際にはそのようなこともなく生きていかなければならないことの方が多いであろう。実を言うとこの本を読んで一番気になったことは、この本の内容ではなく、私自身も含めて、不幸の連鎖が続く本書を読んでいる人はこの本をどのように消費しているのか、ということだったりする。自分自身に重ね合わせて身につまされると思っているのか、自分にも起こりうる可能性を考えて恐れているのか、他人事と思ってエンタテインメントとして眺めているのか。私自身は恐れつつ読んだのだが、一般的にはどうなのだろうか。


8月31日

 浅羽通明『天皇・反戦・日本 浅羽通明同時代論集治国平天下篇』(幻冬舎、2007年)を読む。著者が個人で発行してきたニューズレターのなかから、「天下国家」に関するものを抜粋してまとめたもの。第一部は天皇制関連、第二部は湾岸戦争以後の反戦論関連、第三部は同時多発テロ関連、第四部は歴史認識・憲法論関連、第五部は帝国論とライブドア・小泉政権論となっている。著者のこれまでのスタンス通り、政治や国家を論じるにあたって、自分自身を上げ底して大儀を語るのではなく、あくまで自分のエゴから出発して有効性を計りつつ論を進めるという意思で統一されている。
 以下、メモ的に挙げていこうと思うが、個人的にまったくと言っていいほど疎い映画と絡めた評論に、興味を引かれたものが多い。終戦直前・直後の昭和天皇を描いたソクーロフ監督「太陽」は、人間宣言を行うことで昭和天皇が神から人間へと変わる史実を描いた映画であると考えた評論家には、この出来事と天皇の歴史的意義が分かっていないと批判された。しかしソクーロフは、歴史に興味はないと対談で発言しており、それを踏まえれば、生身の体を持つ裕仁と神としての身体を帯びた天皇という2つの身体の乖離を、それがメディア化される近代という時代背景から描こうとしたと言える。さらに、平川祐弘『平和の海と戦いの海』(新潮社、1983年(リンクは講談社学術文庫版))によれば、人間宣言そのものも日本人を対象としたものではなく、、天皇をキリスト教的な創造主と認識していた欧米人の誤解を解くためのものにすぎず、日本人にとって天皇は曖昧なままであった。こうした曖昧な構造は、天皇制をめぐる責任を自分で負いたがらない知識人にそのまま温存されたため、ソクーロフの映画の意味を取り違えて批判するという行動へとつながった、とする(「誰かすめろぎを人間とさせ奉りしか ソクローフ「太陽」の告発」、18〜42頁)。
 ちなみに、この次に置かれた「日本の中心で愛をさけんだ皇子」では、皇太子妃雅子が、側室を廃止して近代的な恋愛が導入された皇室へ入ることによって、かえってキャリアウーマンとしての立場を失い、記者会見の言葉から窺える彼女の期待した自己実現も現在のところ上手くいっていない、という皮肉な状況を指摘している。その一方で、天皇制という伝統の存続を訴える論者が、そのための犠牲を皇室へと押しつけるだけで、近代的な価値観を排して側室を復活させたり、自分の娘や息子を皇室へ差し出す覚悟もない、と批判している。
 この評論の冒頭に、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』第3巻(幻冬舎文庫)へ収録された、皇太子ご成婚を「ロイヤルばくだん」というブラックジョークのネタを交えた「カバ焼きの日」に関する話が書かれている。当時、学生だった私は、これを読んで「別にそれほど過激ではないと思うのだけれど」という感想を持った。あくまでも個人的経験にすぎないが、私の周りの同世代の人間の間でも、特に熱い反応があった覚えはない。その頃は、ネットが発達していなかったので、もしいま発表されれば、違った反応はあるかもしれない。だが、そもそもギャグであること以上に反応がなかったのは、天皇制への思い入れが特にないからだろう。これは何も、放っておけば天皇制は自然と衰退していくだろう、といいたいわけではない。その逆であり、天皇制の伝統を主張する側も、廃絶を訴える側も、その空白を利用して自分の都合のいいように利用する危険性が高いような気がする。この2本の評論を読んで、天皇制が曖昧なままで放置されているかのような印象が強まったので、ますますそのように感じる。
 「反戦の欺瞞2 半世紀前住民票、反対闘争があった」では、古本屋で購入したおそらく1951年のものと思われるガリ版刷りに関して。そこには、住民票制度は徴兵制のための準備であるという政府批判が書き連ねられている。その可能性はあったのかもしれないが、それは潰え、住民票制度は現在も残っている。その見通しの誤りを批判するのではなく、思えば破防法や住基ネットに対しても、同じような反対が行われているように、新しいネタを見つけては反対して、終われば口を拭うことにより、「言葉への信頼」が失われていった、とする(132〜137頁)。
 韓国では、再軍備した日本が朝鮮半島に攻撃を仕掛けるものの、それを撃退するという架空SF小説が1990年代に執筆されている。日本でも同じような傾向があるものの、そうした価値観からの脱却を日本のSFのほとんどが果たしている。しかしついに韓国でも、「ロスト・メモリーズ」という映画でそうした相対化を果たしていることから、単なる批判や崇拝を目的とした外交関係から、時刻のエゴイズムと相手に対する評価に基づく共同や対決の可能性が近づいたのではないか、と見なす(「アジアと歴史認識 韓流SF映画『ロスト・メモリーズ』を観る、204〜212頁)。
 さて、一番印象に残っているのは、「浅羽が今後、展開しようとしている昭和三十年代主義とは「みんなで貧乏になってゆこう」という思想なのだから」(130頁)という一文だったりする。実は、これに近いことを少し考えていて、様々な産業がいつまでも成長し続ける時代は終わったのだから、これから必要なのはいかにして生活をスケールダウンするのか、という思想だと感じていた。これは何も企業や仕事といった意味ではなくて、家庭生活において、という意味である。一度でも少し便利な環境や裕福な生活になれてしまうと、そこから前の環境に戻るのは嫌だ、という感情が働き、どうにかしてスケールダウンすることを避けようとしてしまう。しかし、あと数十年もすれば、そうも言っていられなくなる気がする。そうなったとき、どうすればいいのか。節約して暮らす生活の知恵というものではなく、少し落ちてしまった生活を惨めに思うことなく、胸を張って暮らすための言葉と思想が必要になるのではなかろうか。そんな風に考えていたので、先の一文には大いに興味を引かれたというわけだ。これだけだと、何となく安っぽい清貧の思想のような感じがして嫌なのだが、この一文も私自身も、それとは違うことを言いたいつもりだ(と思う)。まだ、私は上手く言葉にできないのだが、近い内に著者は、分かりやすい実践的な言葉で記してくれるだろうと思う。


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