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2005年9月の見聞録



9月30日

 中野晴行『マンガ産業論』(筑摩書房、2004年)を読む。マンガ雑誌および単行本が売れなくなったのは95年からであるが、これを『ドラゴンボール』や『スラムダンク』の連載終了に伴う『週刊少年ジャンプ』の凋落に結びつける一般的な見解に対して、マンガは商品であるとする、産業としてのマンガ出版の視点からこの問題を探っていく。1950年代まで、現代と比べるとまだ小遣いの少ない子供にとって、マンガは親から買い与えられるものであったことから、マンガは大人になれば読まなくなる者という考え方があったと推測する。これが1960年代になると、小遣いが増えて自分で自由に出来る金銭が増えた子供がマンガを買えるようになり、つまりはマンガの消費者と読者が一体化していく。これによって、大人になっても自分でマンガを買う層が出現し、1967年頃には劇画を生み出した貸本マンガを受け継いで、大人になった読者向けに青年マンガ誌が次々と創刊され、マンガは産業として大きく発展していったとする。これによって、マンガの市場は読者の年齢と共にその購読者層の年代を上へと押し上げていった。さらに、テレビとの関連、すなわちアニメ化によってメディアミックスを果たしたマンガ産業は、その規模を爆発的に拡大させる。しかしながら、こうした未知の市場=読者およびそのニーズを拡大していく一方で、産業であるマンガ界は、マーケティングから主たるターゲットを中学・高校生に置いたために、小学生および大人の読者層に見合った作品を生み出せなくなっており、これがマンガ産業の同様に大きな影響を与えているとする。特に後者は、マンガ産業を牽引した消費者であり、この階層がマンガから離れていくことによるマンガ産業の衰退に対して警鐘を鳴らしてもいる。
 作品論としてのマンガ論ではなく、マンガを巡る構造を探っており、論旨も明快で分かりやすい。マンガ史を語る上で重要な基礎文献になるのではなかろうか。ところで、これは著者も触れていることだが、産業としてのマンガにおいて重要なのは、消費者以上に生産者である気がする。つまりマンガを描く側におけるマンガの生産体制の問題だ。ただし、コンテンツを生産することを1人、多くても数名で行わざるを得ない生産体制ではなく、マンガの発表形態としての生産体制の方が、個人的には気になる。どういうことかというと、マンガはまず雑誌に掲載され、それがまとまって単行本になるのだが、それは個々の話は面白くても、1つのトータルの作品としてみた場合、完成度が下がるという危険性を孕んでいるように思える。これについては、いずれ詳しく書いてみたい。
 なお、あくまでも伝聞としてだが、マンガを読めるのは優秀な学生であり、普通の子供はマンガを読む文法を身につけていないために、マンガを読むのが難しくなっているとの指摘もあり、これが事実ならば恐ろしい。実際に少年誌から中高生の読者が減っているらしい。となれば主たるマーケットの確保すら出来なくなってしまい、衰退することは間違いないからだ。
 ちなみに、マンガの単行本に雑誌コードが振られて雑誌扱いで販売されているのは、かつての書店には雑誌だけを販売していたところが多くあり、マンガを広く流通させるためには、雑誌の方が便利であったという理由があるようだ(116頁)。


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