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2012年9月の見聞録



9月3日

 佐々木譲『笑う警官』(ハルキ文庫、2007年(原著は2004年))を読む。生活安全部の警部が、足りない経費を工面するために覚醒剤の密売に染めていたというスキャンダルが発覚した北海道警察。すると今度は、その生活安全部の女性巡査が遺体で発見された。しかし、なぜか捜査から外された所轄の刑事たちの戸惑いを前に、彼女の同僚であった津久井巡査部長が犯人と伝達され、射殺命令さえ出てしまう。かつて、過酷なおとり捜査で津久井と組んだ経験のある所轄の佐伯警部補は、津久井の潔白を証明するため、有志たちとともに密かに私的な捜査を始めた。犯人と思しき窃盗犯を追い詰めるのだが、射殺命令まで出された裏の事情がおぼろげながら浮かぶなかで、捜査の内情が漏れつつあるように佐伯は感じ始める。それは、津久井がスキャンダルに関して証言する予定になっている事実と関係しているようであった…。
 本作のモチーフとなっているスキャンダルは、「稲葉事件」(wikipedia)「北海道警裏金事件」(wikipdia)という実際にあった事件らしい。前者が「暴力団員らと接触して捜査協力者を増やし、情報入手のために飲食代を負担したり小遣いを渡したりしていたが、資金の工面に困るように」なり、「協力者とともに拳銃や覚せい剤の密売に手を染めるようになった」もので、後者が「捜査協力者がいたことにして、その費用を本部に請求し、その費用を警視以上の幹部が私的流用していた」ものだそうである。警察内部の処分は軽いものですんでしまったようだが、本作によれば警察に不利な証言をすると、裏切り者と見なされて、在官中も退官後も警察官社会から村八分にされてしまうそうだ。このあたりは、久保博司・別冊宝島編集部『日本の警察がダメになった50の事情』に書かれていることくらいしか知らないのだが、まさにこれを地でいくような感じなのだな、と。
 本作はこの2つの事件をモチーフにしながら、さらにそこに隠された事件を絡めたものになっている。地道な捜査をきちんと描写してそこから犯人を追い詰めていく場面などは、決して面白くないというわけではないのだが、あまり読後感がぱっとしない。これは、人物描写がのっぺりとしているからではないかと。どの人物も表面的な描写に留まっているので、深みがあまりない。裏切り者に関しても、警察組織を裏切ってはならない、という以上の理由はなく、これならば有志たちのどの人物でも構わないのだから、その人物である必然性が薄くなってしまう。そのためだと思うのだが、最後まで登場人物の名前と行動が一致しなかった。こう考えると、シリーズ物は人物に深みを出させるという点では便利なのだな、と感じた。


9月8日

 山本義隆『磁力と重力の発見』(みすず書房、2003)上を読む。物理学では、近代自然科学の成立は、万有引力を導入して、その力で太陽がすべての惑星をつなぎ止めていると理解されたことに始まった、とされる。惑星は見えない遠隔的な力で動いていることになるが、前近代にはそれを想定できなかったためである。しかし、古来よりそうした遠隔的な不思議な作用を持つと考えられていたのが磁力である。本書は、重力の発見には磁力の理解が重要な役割を果たしたという観点から、磁力がどのように捉えられてきたのかを、歴史的に詳しく眺めていく。
 古代ギリシア・ローマでは、事物の根元を探る思想が色々と生まれた。それを端的に2つにまとめれば、要素還元主義と有機体的全体論である。前者は、万物の根元を地水火風や原子などの不変の物体に置くものである。これに対して後者は、物質が何らかの作用によって変化するという考え方である。ただし、両者はともに、なぜ磁石は鉄のみを引きつけるのか、という疑問をうまく説明できなかった。たとえば前者でいえば、原子論を訴えたデモクリトスであり、ただ類似しているものが引きつけ合うと述べたのみであった(ただしこのテーゼは、原子論が衰退した中世以後も、基本的なテーゼとして残り続けていく)。後者は、アリストテレスのように、磁力を神的で霊的な能力と見る。この両者の対立は、近代におけるデカルト機械論とニュートン主義者の対立として繰り返されることになる。ニュートンは天体間の重力を自然の事実と見なしていた点で後者に近かった。さらにいえば、こうした考え方はローマ時代に増幅されている。ローマ時代には、磁石の働きを生物になぞらえつつ超自然的な能力も備わっていると見なし、加えて自然は共感と反感によって動いているという世界観が成立していくからである。
 中世に入ると、しばらくは磁力に対して合理的な説明を求めようとする姿勢は見られなかった。しかし13世紀には、磁石で擦られた鉄の針が南北を指すことが経験として知られていた。さらには磁石それ自体の指向性も知られるようになる。これは、古来からの伝承を権威として無批判に受容していた態度から、自身の経験による認識を上に置く態度への変化を示している。その上で、観察と実験に基づいた磁石についての考察を初めて行ったのは、ペトロス・ペレグリヌスであった。1269年に記した『磁気書簡』にて、磁石の南北への指向性について、木製の皿に磁石を置いてそれを水に浮かべるという実験に触れつつ言及した。ただしペレグリヌスは、磁石の指北性は語っていても、それに対する地球の役割は認識していなかった。地球は不活性な不動の土の塊という、アリストテレスに代表される古代以来の概念に縛られていたためである。
 なお磁力は、すぐに近代的な科学の研究対象となったわけではなく、ルネサンス期はむしろ魔力として理解されるに至る。ルネサンスは人間中心主義の時代だが、それならば神には許されていた奇跡を人間が行使することも許されると考えられたのであり、その奇跡が魔術だった。ただし、魔術といっても祭儀に基づくまがまがしい妖術とは異なり、自然的な原因に帰される自然魔術であった(自然のうちの込められた力を利用するという点で錬金術師と共通している)。そして、その自然魔術の根拠となるのが磁力と静電気であった。
 その磁力に関して、ルネサンス期には極北に磁場があると見なされるようになる。さらにその延長線上に、地球は1個の巨大な磁石である、という考え方が登場する。ただしこれを訴えたウィリアム・ギルバートの『磁石論』は、地球の形である球は本源的な形相としてその活力を備えていると訴えている点で、むしろアリストテレス主義に回帰している。だがこの考えは、地球自身の日周回転も地球の磁気形相によって引き起こされる運動と見なす点で、大地は不活性な土であるという元来の地球像を覆していた。そして、磁力による遠隔作用という考え方は、(磁力論と直接的に関係しているわけではないが)天体観に及ぼされる引力という考え方につながっていくことになる。
 そもそも本書のテーマ的にいえば、魔術的な自然観から見出された、隔てたものへと及ぼされる力の概念が、数学的な法則として表されることを経て、近代物理学が誕生した、ということになるのだが、上の概略ではそのあたりをかなりすっ飛ばしている。さらにそれに伴う具体的な同時代人たちとその研究もほとんど省略している。加えて第3巻に関しては、数式も出てくるなど本質的な部分については理解出来ていないであろう部分もある。つまり、肝となる部分を十分に理解出来ていないとも言えるのだが、それでも磁力という視点から重力の概念への到達を見る視点を、非常に面白く読むことができた。ただ少しだけ気になったのが、村上陽一郎の文献に触れていない点。村上陽一郎『近代科学と聖俗革命 新版』(新曜社、2002年)あたりは、テーマ的にも重なると思うのだが。
 なお、一番考えさせられたのは、(本書の主題からは少し外れているのだが)ローマ時代のギリシア科学に関する知識への態度と、古代から近世の技術者と知識人に関してであった。元首政ローマ期の文人であるアイリアノスの書には、自然学的な記述も見られるが、それらは単なるギリシアの書物の孫引きやたわいもないエピソードであり、教義や理論には触れられていない。当時のローマ人の間ではギリシア文化の知識を語ることが流行であったが、一種の見栄にすぎないと言える(96〜97頁)。穿った見方をすれば、身分を保障するための教養という概念は、理系的な知識よりも文系的な知識であると言えるかもしれない(この当時に文系や理系という概念はなかったであろうが)。
 そして、現代的な感覚でいえば理系的知識に含まれる技術に関する知識は、近世に至るまで卑しいものと見なされていた。上流階級の人間は自由学芸を尊び、手仕事を蔑んでいた。しかし近世には、無名の職人や技術者が、現実的な不都合に何度も遭遇するなかで、掘り下げて調べ直すという形で、様々な発見がなされたと考えられる。このあたりも、文系と理系という差異を見て取れる気がする。
 現在は、実学がもてはやされすぎている、という批判をしばしば聞く。だがこれは、長きにわたってあぐらをかいてきた文系の学問が、単にその座から滑り落ちただけではないのか、とも思える。自分自身にも言えるのだが、文系の学問のあり方について、文系の研究者は考えねばならないのではないだろうか。
 以下メモ的に。プラトンは『ティマイオス』にて、琥珀や磁石が物体を引きつけるのではなく、空虚が存在し得ないために、ある物体が押し出されると、それ型の物体を押し、まわりまわってその最初の物体の位置に何かが戻ってくると述べた。これは琥珀の示す静電気による引力である琥珀現象(琥珀効果)についての、現存するヨーロッパ最古の言及である(上、37〜38頁)。
 アリストテレスの四元素論では、空気と火は軽いものだが、土と水は重いものであり、宇宙の中心を固有の場所としており、これが地球であった。したがって、土や水が直線的に落下するのは、本来の場所に帰ろうとする自発的運動とみなされた(上、44〜45頁)。なお、これは地球が球体であることの根拠ともなり得たであろう。
 ディオスコリデスの『薬物誌』は薬草の効能が語られているが、水銀のほぼ正確な抽出法をはじめとして、迷信的要素はほとんどない。にもかかわらず、磁力については俗信や口承に依拠したものとなっており、床のなかに潜ませとくと、貞節な婦人は夫にしがみつくが、姦通している婦人は転げ落ちてしまう、といたような内容になっている。さらに、磁力が「なぜ」引きつけるのかを問うたギリシア時代とは異なり、「どのような」効力があるのかのみが問われている(上、100〜102頁)。
 シチリア国王であったフリードリヒ2世は、教会の息のかからない国立大学であるナポリ大学を設立し、自分自身も鳥の生態学・解剖学についての学術書である『鳥を用いた狩りの技術について』を記した(上、194〜195頁)。


9月13日

 三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワーク文庫、2011年)第1巻第2巻(2011年)第3巻(2012年)を読む。鎌倉に住む就職浪人中の「俺」こと五浦大輔。祖母の『漱石全集』を処分しに、近所の古本屋であるビブリア古書堂へ出かけると、店番をしていた女子高生は、主人である姉の篠川栞子は入院中であると告げて、大輔を強引にそこへ向かわせた。入院していた栞子は美貌の女性だが、人見知りでおどおどして大輔とまともに口もきけない状態になってしまう。しかし、『漱石全集』の話になると、人が変わったように快活に話し始めた。そして、そのなかに手書きで記されていた夏目漱石と謎の人物の名前をみて、その謎を解いていくのだが、大輔の名前を聞いてなぜだか表情が陰る。そして大輔は、自分の名前に隠された秘密を知ることになる…。
 結果として大輔はこのビブリア古書堂で働くことになり、色々な古書にまつわる短編の連作となっている、いわゆる日常の謎系ミステリ。ただし各巻ごとに、1つの大きなテーマに関わってくるようになっている(たとえば1巻は栞子が襲われた理由とその撃退にまつわるどんでん返し、第2巻は失踪した栞子の母の行動と栞子の自己嫌悪、第3巻はその母親による謎の接触、など)。
 読み始めたとき、「黒髪の清楚な美人で、引っ込み思案だけど本好きで、本の話になったら止まらない」という栞子のキャラが、いかにも読書好きな男性の好みに合わせたような感じで、そういう読者を対象とした甘い路線で行くのかと思っていたのだが、どの話もほろ苦い展開が多く、場合によっては痛みを感じさせる話すらある。勝手な考えだが、ライトノベル風純文学と言えるのかも知れない。なお、以前の登場人物が準主役のような形で後の話に登場してきて、だんだんと作品が賑やかになっていく。
 ところで、本書で題材となった本のうちで最も興味を惹かれたのは、福田定一『名言随筆サラリーマン』(六月社、1955年)。福田定一は司馬遼太郎の本名だそうで、彼がサラリーマン時代のことについて書いた本らしい。なお、『豚と薔薇』(東方社、1968年)というミステリも書いたそうなのだが、こちらの後書きには「推理小説がはやっているから、お前も書け」といわれた書いたのであり、「推理小説にはほとんど興味をもっておらず〔中略〕生涯書くまいおもっている」とあるらしい。それはともかく『名言随筆サラリーマン』は、古今東西の名言に添えて軽いエッセイを書くというもので、司馬がまだ産経新聞社で働いているころに書かれたそうである。本書では、司馬の20代のころについても触れており、「薄汚れたサラリーマン」とも自嘲しているようだが、全集には集録されていないとのことである。栞子は「満足できる仕事ではなかったから」とその理由を推測しているが、個人的にはまったく違う邪推を働かせてしまった。
 邪推の基となったのは、倉阪鬼一郎『活字狂想曲 怪奇作家の長すぎた日々』で語られていた関曠野に関すること。倉阪は、資本主義について鋭く論じる関が、自分自身のインテリゆえのナルシズムとプライドのために、サラリーマン時代のディテールは記述できなかった、と指摘している。司馬の作品は俯瞰的であるというのは有名だが(このあたりについては、本サイトでも松本健一『司馬遼太郎 歴史は文学の華なり、と。』を取り上げたことがある)、俯瞰する立場から執筆を行った司馬は、ごく普通のずっこけた自分を見せた作品を快く思っていなかったのではなかろうか。このあたりは、「手塚治虫の着陸」でも書いたように、手塚治虫も同じような気がする。ちなみに、ずっこけた自分を見せられないという見方は、そもそも浅羽通明『澁澤龍彦の時代 幼年皇帝と昭和の精神史』(青弓社、1993年)での論を借りたものだったりする。


9月18日

 外村大『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012年)を読む。前大戦時の1939年9月から1945年8月にかけて、日本国内では戦時労務動員が行われた。その日本国内には当然ながら併合されていた朝鮮半島も含まれており、総力戦の一環として朝鮮人の労務動員も進められた。日本としては戦争の勝利を目標として、できるかぎり合理的に動員と配置を行い、なおかつ動員された者たちが意欲的に働くようにしたかったのだが、それが上手くいかなかったという観点から、朝鮮からの戦時労務動員の実態を捉えようとする。
 そもそも、農業中心の社会であった朝鮮半島から、職を求めて内地へ向かう朝鮮人は、1910年代の半ばから増加していた。渡航証明書の所持を義務づけた1920年代後半以降もその流れは止まらなかった。1934年には閣議決定によって移住を抑制さえしている。
 この同じ時期に日本では、軍拡に関連して労働者不足が生じていた。ただし、産業別に見ると重化学工業よりも炭鉱での労働力が特に不足していた。1939年7月には国民徴用令が発布され、国家総動員の計画が策定されたが、そのなかで内地の炭鉱などに配置すべき労働力として、朝鮮半島からの8万5千人が計上されている。けれども、当時の日本では、炭鉱労働よりも環境がよくて稼げる職場が存在していたため、逃亡が相次いだ。さらにそもそも、朝鮮半島の農村では決して人が余っていたわけではなかった状況を、朝鮮半島の日本人関係者たちも認めていた。それでも、1943年度の朝鮮総督府の資料では、12万4290人という計画していた人数を上回る充足率103.6%の動員がなされている。これは、地方行政機構や警官による官斡旋がかなり強引に行われたためである。それは動員された朝鮮人の証言から分かるだけではなく、朝鮮総督府厚生局労務課の人間による「半強制的な供出は今後もなほ強化してゆかなければならない」と発言からも明らかである。これはほとんど徴用と変わらなかったのだが、さらに問題となったのは、先述の通り、配置された炭鉱などの職場が、危険で労務管理も行き届かない場所だった事実であった。
 いわゆる強制連行に関して、戦争を単純に悪として弾劾するような態度を抑え、あくまでも冷静に資料から状況を把握している点で、正統的な歴史書と言えよう。その意味で、カーター・J・エッカート『日本帝国の申し子 高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源1876−1945』に近い。ちなみに、強制連行されたとされる朝鮮人の証言は本書には掲載しない方がよいような気がする。データと連れ去る側の証言だけにした方が、むしろリアリティが増すのではなかろうか。著者の立場からするとそれは難しいのかもしれないが。それに加えて、タイトルの「強制連行」という言葉も本書の内容からすると、やや行き過ぎな気がする。これは出版社の立ち位置によるものだろうか。
 なお、戦後に日本にいた朝鮮人に関して、徴用された者は245人にすぎないという調査結果を明らかにした、1959年7月11日付で外務省が発表した「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」へ触れている箇所もある。この資料によれば、当時の在日朝鮮人約61万人の「外国人登録証について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは二四五人にすぎないことが明らかになった」という。この調査結果について著者は、徴用以前に強制的に日本に連れてこられた朝鮮人もいるはずだし、本書で繰り返し述べている通り、過酷な環境での労働を強いられたのだから、「強制力をもつ日本国家の政策的関与のもとで動員されたと言うべき」(214頁)としている。だが、これは論理が少しおかしいのではなかろうか。本書を読む限り、朝鮮人の多くが望んでもいない厳しい環境に置かれていた実態は揺るぎない事実である。だが、専門外なので詳しいことは分からないのだが、この外務省の調査は、戦後の朝鮮人がどういう状況で日本にいるのかを調べたもののようであり、徴用された者の多くは帰国したという結論を出しただけなのではなかろうか。つまり、徴用はひどいものであったが、徴用された者に関してはきちんと帰国させた、と述べているにすぎない。もしこの文書を批判するのであるならば、戦前の徴用の非道を訴えるのではなく、たとえばこの調査は間違っていて本当は徴用されたまま帰国できない朝鮮人は膨大な数であったという証拠や、帰国事業が場当たり的な手抜きのような感じで行われたという事実を提示すべきであろう。実のところ著者は、前者について推測値を出しており、6500人が労務動員によって渡日したまま日本に残されたとしている(216頁)。もちろん、それはそれで日本側の帰国事業のまずさを物語るものではある。だが、60万人以上の徴用労務者の中の6000人というのは、比率的に言えば、やはりそれほどの数であるとは言えないのではなかろうか。もし本当に外務省の調査が正しいならば99%はとりあえず帰国はさせていることになる。1%でもミスがあれば許さない、というのは悪しき行いをしていたのだという前提からの判断になりすぎている気がする。
 いかなるミスも許さないことと、ミスを認めて改善を図ることの間には、大きな差がある。著者自身は1%のミスもなく過ごしているのであろうか。本書の最後に「十分な調査と準備をもたない組織が、無謀な目標を掲げて進めることが、もっとも弱い人々を犠牲にしていくことを示す事例として、奴隷的な労働を担う人びとを設定することでそれ以外の人びともまた人間らしい労働から遠ざけられるようになっていった歴史として記憶されるべきである」(240頁)との言葉があるが、これは何も大きな政治の出来事にだけに限るものではなく、まずは自分自身を律する態度から生まれるのではなかろうか。うまく言えないのだが、「大きな歴史」と「非難される過去」から、それを真摯に見つめる自分の正しさというものを高みに置く傾向が、やや感じられる気がする(他の戦争に関連する論者に比べれば、遙かにましなのだが)。もちろん、これは自分自身も気をつけねばならないことでもあるのだが。
 以下メモ的に。朝鮮人就学率が上昇するのは戦時期であり、それ以前の日本当局はそれほど熱心ではなかった。実際に1935年での就学率は男子が27.2%、女子が7.3%にすぎない。13歳以上の人口におけるハングル理解率も、解放直後の南朝鮮で22%に留まっていた。これは、日本が朝鮮人に、日本語能力やそれに基づく知識の習得を特に求めていなかった事実を示す(23〜24頁)。
 朝鮮人有力者は、しばしば朝鮮人の動員に反対した。ただしそれは同情に基づくものではなく、労働力である朝鮮人が総体的には条件のよいに内地の職場を選択しようとするのを妨げるためであった(78〜79頁)。


9月23日

 米澤穂信『氷菓』(角川文庫、2001年)を読む。「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」をモットーにする「俺」こと折木奉太郎。新たに入学した神山高校でもそのモットーで学生生活を送ろうとしたが、逆らえない姉からの指令によって、かつて姉が所属していた古典部へと入部する羽目になってしまう。初めて訪れた部室にいたのは、黒髪の清楚なお嬢様然とした同級生の千反田えるだった。何か気になることがあると、お嬢様の容貌にそぐわない好奇心に満ちた目を輝かせる千反田に引っ張られるかたちで、折木は日常のちょっとした謎を解き明かしていくことになる。そして、折木の友人である福部里志、そして小中学校と折木と同級生であるものの福部に惚れていてアタックし続けている伊原摩耶花の2人も古典部に加わることになり、かつてから古典部で行われていた『氷菓』という文集づくりをはじめることになる。その一方で折木は、千反田からの依頼を受ける。それは、33年前に同じ古典部に所属していたものの退学してしまい、現在は行方不明である叔父にまつわるものであった。そして、叔父の過去の秘密は『氷菓』に関係していることが判明していく…。
 いわゆる日常の謎系ミステリ。短編連作になっており、各短編の謎そのものはかなり小ぶりで、青春の一コマという感じなのだが、全体の謎である叔父の過去に関しては、少し陰のあるエピソードとなっている。本書の宣伝文句は「さわやかで、ちょっぴりほろ苦い青春ミステリ」だが、まさにそれにふさわしい。主人公である折木が、自分自身を平均的な人間であると見なして灰色の青春を送っていることに何の不満も感じていないと考えており、推理についてもできればしたくなくて、千反田の好奇心にあてられて仕方なしにやっている、というのは(やや乱暴な言い方をすれば)現代の若者の姿を反映しているのかもしれない。
 ところで、三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』のヒロインである栞子と同じく、この小説のヒロインである千反田も、「読書好きな男性の好みに合わせた」ように思える。女性は千反田にどのような印象を受けるのだろうか。何の根拠もないのだが、女性に嫌われるタイプの女性のような気もしたのだが。ただ、すべてにおいて敬語という点で高屋奈月『フルーツバスケット』のヒロインである本田透にも似ているのだが、こちらは読者人気は高かった(まあ透は、お嬢様というよりは庶民的なキャラだったのだが)。ただし、折木は恋愛についてもやる気がなさそうなので、福部・伊原ペアと異なり、折木・千反田ペアに恋愛めいたものがまったくといっていいほど描かれていない。
 なお、同じ著者の『春季限定いちごタルト事件』とまったく同じように、佳多山大地・鷹城宏『ミステリ評論革命』にて触れられているように、本作は学校を舞台としているのに、物語の根幹をなす叔父の退学の件を除いては、教員の存在感がほとんどない。現在は学校は若者の敵たりえないが、1960年代は学校対学生の対立が存在していた、ということを示しているとも言える。なお、これと少しだけ関係するのかもしれないが、折木の姉である供恵を除いて、家族もまったく出てこない。名家の豪邸である千反田の家にみんなで集まる場面もあるのだが、両親はまったく姿を見せない。本サイトでも取り上げた東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』などで指摘されている通り、現在のサブカルチャーははポストモダン的な大きな物語の喪失を前提としているが、これは家族さえも、自分たちの閉じられた世界から切り離してしまうのかもしれない。


9月28日

 大田俊寛『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』(春秋社、2011年)を読む。オウム真理教に関して、信者の手記やジャーナリストによるルポルタージュなどの文献から、教団の発足から地下鉄サリン事件までの概略は知ることができる。しかし著者は、学問的著作に関しては、十分な考察がなされているものがまだないとする。70年代後半から80年代以降の高度成長達成後の日本社会の問題に帰着させる視野の狭すぎるものか、仏教史全体から考察しようとする視野の広すぎるものしかない、と批判する。本書は、副題にあるロマン主義・全体主義・原理主義という近代的な思想こそが、オウム真理教の本質にあると見なして、この3つから捉え直していく。
 まず、宗教を「虚構の人格を中心として社会を組織」し、「それによって、生死を超えた人間同士の『つながり』を確保すること」(32頁)と定義づける。しかし、近代における主権国家は政教分離を原則として宗教とは関わりを持たないため、宗教は社会的な領域や公的な領域から離れて行かざるを得なくなる。そのため宗教は私的な領域へと押し込められていき、宗教とは個人の内面における主観的な現象であるとする見方が浸透していく。ただし、信教の自由は保障されている。となると、宗教は社会に広がって影響力を持つ場合もあり得るが、そうなると政教分離の原則を圧迫しかねないという、ダブルバインドの状況に置かれている。こうして、近代社会における宗教は、根本的に歪みが発生しかねない構造を抱えている、とする。なお、教義に基づく宗教国家を読め見たオウム真理教は、まさしくこれを体現した存在でもある。
 こうした近代における宗教と結びついた思想の1つに、ロマン主義がある。ロマン主義は、理性による認識を重視する啓蒙主義に対する反動的な思想として生まれた。つまり感情を重視し、普遍的なものに換言できない個人や民族の固有性があると見なす。そもそも近代人は、複雑化している世界のなかで、自分の生きている意味を知りたいと考え、さらに社会の一部でしかない自分は偽りの自分にすぎず、本当の自分は見えないところに隠れていると考えるようになりやすい点で、ロマン主義が意味を持つ土台がある。このロマン主義が宗教論と結びつくと、たとえばシュライアマハーが『宗教論』で主張したように、世界の諸宗教にはそれぞれ宗教の本質が存在しており、それらを平等に積極的に学ぶ態度が求められるようになる。そして、宗教の核心に到達しようと思えば、個人が独自に目指すべきであるものの、同じ目的の者たちが集まる行為には意味があるとする。これは、様々な教義を寄せ集め、なおかつ信者全員が神秘体験を目指すオウム真理教と類似している。同じく全体主義も、カリスマ的な指導者が必要だとする点で、麻原への絶対的服従が求められたオウム真理教に近い。さらに、全体主義のなかでそれを選び取らなかった者に対しては、その命を奪ってもよいという点も、両者は同じである。原理主義はしばしば終末論と結びつくが、この点もオウム真理教に見られる。
 ここまでが全5章のうち4章を占めていて、最後の1章でここまでの考察を踏まえた上でオウム真理教の軌跡をたどっているのだが、これについては省略する。オウム真理教を単なる新興宗教と捉えずに、近代国家における宗教の意味およびロマン主義・全体主義・原理主義という近代的な思想の流れのなかに位置づけようとする視点は、説得力があるように思える。今後オウム真理教のみならず現代宗教を研究する上で、本書は肯定するよ批判するにせよ、外せない研究書となるのではなかろうか。
 なお、中沢新一に関してはかなり手厳しく批判されている。たとえば『虹の階梯』では、中沢自身の体験から、自分の意識を生身の肉体から別種の身体へと移転(ポワ)させるために、優れた師に付くことを進めているが、これはオウム真理教などにおいて必要とされた修行の実態が明らかではなかったという点を、補うものになってしまったとする。さらに、麻原とも何度か対談を行っており、オウムの反社会性が問題視されていることについて、弁護を行わねばならないと発言したこともある。サリン事件後にはオウム真理教の教義と自らが体験したチベット密教の教義の違いを指摘し、善も悪も飲み込む宗教の思想家と述べている。
 研究者(特に自分も含めた人文系)は、外側から偉そうな説をたれるだけに留まることが多いが、現実に関わって醜態をさらすよりはましなのかも知れない。


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