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2009年12月の見聞録



12月3日

 折原一『異人たちの館』(講談社文庫、1996年(原著は1993年))を読む。富士の樹海で失踪した小松原淳の伝記を書いて欲しいと、その母親から依頼を受けた売れないゴースト作家の島崎。豪邸にて伝記のための調べものと執筆作業を進めていくなかで、その妹が現れ、また不穏な出来事も起こり始める。そして、島崎は秘密の地下室の存在に気づくと共に、謎の人物の存在を明らかに感じるようになる…。
 著者の叙述ミステリのなかでも評価が高いようだが、個人的にはピンと来なかった。結局、妹は何だったのかということをはじめとして、トリックのためのトリックというか…。同じ著者の『冤罪者』は面白いと思ったし、別に叙述トリックが嫌いというわけではないのだけれど、個人的にはこういうパターンはもういいかな。


12月8日

 宇佐美寛『大学授業入門』(東信堂、2007年)を読む。著者による大学の授業に関する書籍は、本サイトでは取り上げ忘れたものの、『大学の授業』(東信堂、1999年)を読んだことがあるが、そこで熱く語られている授業法の実践編といったところか。そのためか、学生が教師や授業をなめずにたるまずにさせるための端的なポイントが、随所に出てくる。たとえば、5分以上は一方的に話さない、抽象的な要約ではなく具体例から考えさせる、などである。なお本書では、要約では具体はとらえられないと強く批判しているので、著者からすれば内容をかいつまんで見ていく本サイトの手法そのものもよくないものだろうが、とりあえずいつものやり方のように、内容をピックアップしつつまとめてみる。
 たとえば、授業のやり方について。まず1回目の授業では、教材資料を5分で読ませる。本書では「議員候補者に資格認定試験」という文章が例として挙がっている。なお、資料は生徒の名前を呼んで「配らせる」。なるべく多くの機会にたくさんの生徒の名前を呼ぶためである。そして、立ち上がらせて、資格認定試験を有する仕事と無しでできる仕事を、3つずつノートに書かせて、書けたら座らせる。ほとんどの者が座ったら、できるだけ多くの学生の名前を呼び、他の学生と重複しても構わないと言い含めて板書させる。今度はその板書の答えについて正しいかどうかを5分ほど検討させた後にまた立たせて、間違いに3つ気づいた人は座ってよいと言う。以上の作業をこなした上で、資格認定試験の有無の理由と議員にはこの試験を課すべきかについて、作文を書かせる宿題を出す。
 または、ノートに書かせることを、この試験に関する出来る限りの多くの疑問にしてもよい。この際には机間巡視をして、書けていない学生には「どの種類の議会なのか? 国会なのか、県や市町村の議会も含まれるのか?」などとこちらから呼び水として疑問を提示してやる。そして、同じようにできるだけ多くの学生に板書させる。この際に、間違った疑問だと学生に分からせるには、教員が選び出すか、学生に選ばせるかの2つの方法がある。さらにそれを理解させるには、教師が説明する、学生に考えてノートに書かせて発表させる、重要な箇所に注意を促す、重要な概念を説明して該当箇所を指摘させる、の4つがあり得る。どれにするかは、学生の学力や意欲を推測して決める(36〜37頁)。ただ、講義するだけでは、学生への配慮がなく、一方的な講演にすぎない。「講義をやめて、学生を指名し、書かせたり言わせたりすると、学生の頭の中が今どんな状態であるかが推測できる。これによって、新たな、次の発問を考え出しうる。もちろん、相手かまわずの一方的な講義などする気にはならない」(21頁)。
 そして、抽象的な概念や要約で説明してはならないと何度も訴えかける。具体例をもって示さねば学生の頭には入らない。たとえば、子供たちに鍋を洗わせる際に、「しっかり洗え」と言うのではなく、「鍋をゴシゴシ洗う音がここまで聞こえてくるように洗え」と説明すべきである(50〜51頁)。また、「酒を飲み過ぎてはいけない」と説教する場合にも、「飲み過ぎるな」や「適量を飲め」のような中身のない言い方や、空疎な言葉では通じない。著者の言葉を借りれば、「どんな酒でも強いはずなのに、飲んでいると味が淡くなって水のようにすいすい飲めるようになっていく。このときはもう危ういので、味が淡くなったら飲むのをやめろ」と言うべきである(45頁)。
 ここには教育における指導の仕方がいろいろと詰め込まれている。たとえば、生徒を自発的に動かしたいときには「AさせたいならBといえ」という方針を持つべきだ。また、抽象的で上品な言葉ではなく、感覚的で具体性のある言葉で言わねばならない。そして、全体のことを言わず、どこかにポイントを絞って言うべきである。従って大事なのは、ここに挙げたようなポイントを覚えることではなく、様々な具体例である。学生も教員もまとめや要約のみを覚えたり教えたりするのではなく、具体的な事柄にこそ着目すべきである。
 作文の指導に関しても、取り上げられている。先の「議員候補者に資格認定試験」のように論説文とりあげ、それを読んだ上での自分の意見を、400字詰め原稿用紙1枚以内に書かせる。そして、授業時間のほとんどは学生各自が書いて提出した文書の検討に当てる。その指導は2点に絞られ、「句点をなるべく多く入れろ」と「引用せよ」である。句点を切って一文をつくり、接続詞が入り得ないか否かを考えさせるのである。そして、引用しないと他人のいっていたことを大体の印象に頼ってしまうので、やめさせる。そして、これ以外は添削をせず、学生各自に指摘だけをして自分で正させる。課題となる文章、意見を書かせる、分量、文章を短く、引用はきちんと、といったことは学生の思考の自由を制限することであるが、これこそが重要である。「型の指導によって自由を制限されるからこそ、学生は自由に思考できるのである。これは一見、矛盾・背理の言のように見えるかもしれない。しかし、実践の方法のすべてが自由であったら、かえって何も出来ない。例えば、箸やペンの使い方である。箸をどんな持ち方で持ってもいいとしたら、対象である食物を扱うのは、きわめて不自由になる。ペンも同様である。対象(この場合、食物や文字)の性質に適合する型を守るから自由になるのである」(132頁)。
 以前、石黒圭『文章は接続詞で決まる』を読んだ際に、学生のレポートには、接続詞の使い方がなっていなくて文章がうまくつながっていないものがある、と書いたことがある。本書で言われているように短く切れた文章をどうつなぐのかというやり方をすれば、うまくいくのかもしれない。
 また、授業に対して学生に常に緊張感を持たせることについても、しばしば言及している。上記の考えさせたり書かせたりというやり方もここに含まれるが、いくつも具体例が挙がっている。たとえば、「資格認定試験のある職業とない職業はどのような理由で分かれるのか」という宿題を出した際に、次の授業の冒頭で出席カードの裏にその答えを3分で書かせて回収する。宿題をしてきた人はすぐに書けるはずだが、していなければ書けない。また試験の必要性を問うているのに資格がいるか否かだけを書いているものもあった。これらはすべて不合格にしたという(79〜80頁)。
 学生が書いてきた作文の問題点を、他の学生を当てて説明させることもある。もしうまく説明できない学生がいるならば、上記の作文指導のポイントである「句点をなるべく多く入れろ」と「引用せよ」が守られているかを意識させるように示唆する。「教師の立場になる心境が有れば、私語など発生しない。教師から相手にされない「砂の一粒」的な大衆の一員に過ぎないという感じを持つから私語するのである。これに対し、教える立場は「大衆の一員」ではなく、「重要人物」である。他人に説明してわからせるという程度に到らなければ、自分も分かっていないのだ」(155頁)。
 そして、授業中にすでに話したことに対しても、学生に当てて答えさせることを何度も行う。私語をしている学生には、その学生の所へ行き、授業の内容について具体的に問い続ける。さらに、何らかの事柄について説明させることもある。何とか説明できればほめた上で、補って説明したり、追い打ちの発問をする。
 このように授業では絶えず疑問を投げかけて、それに答えさせるという授業をしていれば、学生が私語をしてる暇などない、と結論づける。
 さて、私自身は講義系の授業の際には、講義が始まる前に教科書やプリントの内容をまとめさせて、講義が終わってから授業に対する質問を義務づけたり、授業中に説明した用語をいくつかピックアップしてその説明をさせる(質問には次の時間の冒頭に答える)、などのやり方をしている。著者からすれば、こうしたやり方も中途半端に生徒に答えを出している授業と批判されるかもしれない。というよりも、私自身がまだまだどのように授業をするのかということについて、精進しなければならないという気にさせられた。少なくとも、ピーター=サックス『恐るべきお子さま大学生たち』のように、底辺校の学生の出来の悪さを嘆くようなことだけはしたくない、と改めて肝に銘じた。
 著者のやり方で、私自身がよく持つことの多い専門科目の講義まで行えるのかどうかは、正直に言って自信がない。たとえば、歴史学とは何かということを問う史学概論ならば出来ても、専門的な知識を披露する特殊講義では出来るのだろうか、と本書を読んでいるときには思った。しかし、この文章を書いているときに考え方が少し変わった。というのは、本書の授業のやり方は、研究をするときに自分の頭の中でやっていることとさして違いがないのではないだろうか、と考えるようになったからだ。研究をするときには、自分が疑問に思ったことや、専攻研究の矛盾点について、自分で新しく資料にあたり自問自答しながら、自分の意見を打ち出していく。本書で提示されているやり方はこうしたオーソドックスな研究方法と本質的な意味で変わることはない。ならば、特殊講義のような授業でも出来るのではないか、と。
 たとえば、自分がいま調べているテーマについて、学生と一緒に考えていくという方法もある。自分自身も分からないから、常に発問しながら考えを練っていくわけである。もちろん、そのテーマの基礎的な知識は学生よりも教員の方が持っているのだから、たとえ、少しぐらい分からないことがあったとしても、何も出来なくて立ち往生するということは起こらないだろう。とっさに発問・支持が出来ない場合もあるだろう。著者はそういうとき、自分が次に何を言うかを質問するという。また、うーんと唸って、なぜそうしたのかを問うこともあるという。「教師がうなった理由など、学生にもすぐ正解がわかるはずが無い。うなった教師自身にも、いろいろ考えられ、答えは一つに限定されない。とにかく、何人も当てて次つぎに言わせていると、学生の頭の中の状態がわかってくる。つぎにどんな指示・発問をすることによって本すじに帰ればいいのかが読めてくる。こういう一見、無駄あるいは非能率と思える指示・発問により、教師は落ち着いて学生のその時点での思考状態を推測することができる」(171頁)。
 なにもはじめからすべてのレールを敷いていなくても、授業は出来ないわけではないのだ。それはゼミのような授業だけではなくて、講義系の科目でも可能だということを認識させてもらった。自分自身が、出来るかどうかはわからないが、それでも本書の実践を少しでも生かしていければ、と思った次第である。
 もちろん、それでもこうした授業を行うためには、教員自身が出来る限り教材研究をした上で望まなければならないのは間違いない。いずれにせよ授業の準備をするのであれば、リアクションがある方がよいのではないかということなのだ。単に「最近の学生は…」というだけでは怠惰にすぎないということは間違いないだろう。
 以下、メモ的に。講義中に立たせて考えさせると、「強制である」との文句が学生から出ることがある。そのとき、著者は以下のように言うと、黙るそうである。「『強制』というなら、授業を受けるためにはこの時間に来いという時間割も強制だ。九〇分、教室に入って、いすに腰かけていなくてはならないのも強制だ。強制無しには教育は成り立たない。強制には、良い強制と悪い強制が有る。学生に学習させ、学力を育て、ますます自由にさせる強制は良い強制だ。強制によって、学力が育たなくなり、したがって不自由にさせる強制は悪い強制だ。今、私が学生に起立させるのは、その方が学習のために、より良いという根拠がある強制だ。どんな根拠が有るか。この状況を観察した上で、なお文句があったら言ってくれ」(8頁)。なお著者は、重要な読み書きは立ったままでするとのこと(9頁)。
 授業中に不真面目で単位を落とした学生が次の学期に再履修してくるという問題に対して、著者はそのような学生には課題図書と教科書の学習を課して、授業に出ることを求めなければよいとする(23〜26頁)。ただしその課題は、指定した小説などを10冊ほど読ませて、読んでいなければわからない具体的な内容について答えさせる、というものらしく、決して楽をさせるわけではないようだ。
 授業にて携帯電話を活用して、学生の意見を聞くやり方は教育としてあってはならない。たとえば、本書では宮城教育大学の例を挙げているが、2003年5月15日の『東京新聞』の記事によれば、「『手を挙げるのは恥ずかしい』と、普段は発言したがらない学生も抵抗が少ないらしく、好評だという」(88頁)。これ以外にも、明治大学・佛教大学・関西大学・大手前大学・青森大学などの事例も、他の新聞に載ったらしい。これに対する著者の批判は以下だが、まさにその通りだと思う。「人前で手を挙げ、わかりやすく大声で話す能力、自分の責任で自分の意見を言う能力は必要である。だから、授業はこのような能力を育てなければならない。宮城教育大のように、将来、教師になると期待されている学生が、挙手できない、自分の意見も言えないという状態でいいのか。その状態の学生に、自立した発言の態度を子供に教える資格が有るか。教育界だけではない。一般の職場で、(たとえば会議で)気が弱くて声も出せないから、ケータイですませるなどという所があるか」(90頁)。
 諸大学へFDの講演へ行くと、話が始まる前にあくびをしている教員や、遅刻して入室しても講師にお辞儀しない教員もいるという(169頁)。私は、授業中に「寝るな」と言っている先生も学会へ行ったらよく寝ている、という話を学生にすることがある。礼儀の問題もあるが、自分の出来ないことを相手にさせてはいけない、というのはそれ以前の問題だと思う。なぜかそれに気づかない教員は多いのだが。


12月13日

 ジョセフィン・テイ(小泉喜美子訳)『時の娘』(ハヤカワミステリ文庫、1977年)を読む。中谷功治『歴史を冒険するために 歴史と歴史学をめぐる講義』に紹介されているのを見て読んでみた。
 ロンドン警視庁のグラント警部は、捜査中にケガをしてしまい入院生活を余儀なくされる。その中で偶然見たリチャード3世の肖像画は、歴史の教科書などで記されているような、王位を簒奪するために甥である2人の幼い王子を殺害した悪逆非道な国王には到底見えなかった。そこで、入院の退屈を紛らわせるためにリチャード3世に関する文献を読み、本当にそのような悪しき評価が正しいのかどうかを確かめることにする…。
 グラントが刑事としての視点から、肖像画を見て完全主義者であり容易に人を信じないという性格なのでは推測していく部分は、非常に興味深い。そこから、同時代の人間やトマス=モアのような著作家たちによって、リチャード3世の像が歪められていったことを明らかにしていく部分も、歴史家の作業を横から眺めていくような面白さがある。
 しかし、この小説の本当に注目すべき部分は、その最後の部分であろう。グラントはアメリカから来ていた歴史の研究生の手助けを得て、ついにはリチャード3世が汚名を着せられていたことを突き止めるのだが、実はすでに17〜19世紀にリチャード3世の擁護論が書かれていたのである。これは学問の営みの虚しさを残酷なまでに描いているように思えてならない。そしてリチャード3世は、一般的にいえば悪逆な王様としてまだ扱われていることが、またしても皮肉である。わたしはイギリス史に関しては詳しく知らないため、実際にリチャード3世が歴史学会ではどのように評価されているのかよく分からないのだが、教科書などには悪逆だと記されているのであれば、歴史家の営みというのは所詮歴史家の間で消費されている言説にすぎないと言えなくもない。
 また、王位をめぐるすべての競争者を、「本当に」処刑していったヘンリ7世は計画的な政治家として評価されていることも、歴史が客観的な立場に立つことの不可能性を物語っている。ただし、そのことを非難したいのではない。むしろそれが当たり前なのではないだろうか。グラントは「あそこ〔警視庁〕では殺人者は殺人者として扱われ、A氏に通用することはB氏にも通用するのだ」と述懐し、「歴史とは、彼には到底理解の及ばぬものだ」と記されている(283頁)。確かに、歴史をはじめとする人文学は、それぞれの考え方の違いによって評価を異ならせてはしまう。それがリチャード3世とヘンリ7世の評価の違いというあまりよくない場合に陥ることもあるだろう。しかしながら、「苛立つ神学者のご託宣」でも少し書いたことがあるが、それこそが人文学の必要性でもあろう。たとえば、殺人を犯した人間はA氏であろうとB氏であろうと、同じように刑罰をまずは当てはめねばならない。裁判では、両者の立場や状況の違いで実際の求刑は異なるであろう。そこまでは、政治の領分だ。けれども、そこからどのような意味を見出すのか、ということにこそ人文学の役目があるのではなかろうか。評価が歪んでいることを誇る必要は全くないが、単に恥じる必要もまたない。


12月18日

 豊崎由美『勝てる読書』(河出書房新社、2009年)を読む。「キモメン座」や「中2病座」などの12の分類ごとに、おすすめの本を薦めるブックガイド。「14歳の世渡り術」というシリーズの1冊らしく、そのためかかなりふりがなが振ってある。ただし、本書で展開されている軽い文体が、文字通り14歳の者に受けるのかどうかはやや疑問だが(個人的には、すべる気がする)。とはいえ、内容そのものは少しでも本に興味のある若者ならば面白さを感じてもらえるのではないかと思う。私のようなオッサンも、十分に楽しませてもらった。この「面白い」ということが重要なのだと思う。読書ガイド、特に若者向けの者になると、なにやら「これだけは読んでおかねばならない」という古典を勧めてしまい、しかも上から目線の物言いになってしまうことがままある。もちろん、古典を読むことによって学べることはたくさんある。しかし、まるで脅迫のように、しかも自分はこんなに知っているんだと言わんばかりの偉そうな態度で勧められても、読む気がしなくなってくる。著者が言うように、そういった態度に基づいたガイドには本を解説するための語りの魅力がない。それに比べて本書は、この本は面白いという著者の訴えかけが前面に出ていて、読書欲をそそられるのだ。たとえば、私が全く面白さを感じずに酷評してしまった矢作俊彦『ららら科學の子』も、著者の手に掛かれば、『ライ麦畑でつかまえて』が底流にあり、しかも様々な元ネタ本の宝探しが楽しめる面白そうな本に早変わりする。
 繰り返しになるが、古典を薦めることが悪いのではない。ただ、読んでおかなければならない、という勧め方は、下手をすればオタクたちが初心者を見下すような鼻持ち態度につながる気がしてならない。知っていることが偉いのではなくて、それをいかに必要に応じて語ることができることこそが大切だと思うのだが。
 なお、本書を読んで読んでみようと思ったのは以下の書(書名にリンクが張ってあるものは、後にこのサイトでも取り上げたもの)。著者お薦めのブックガイド、イタル=カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』。ひきこもりの青年による想像世界と現実との異様な混合を描いたヴォートラン『グルーム』。ネットでのつながりを元に、ひきこもりが自己を特別な人間と信じて殺戮を繰り広げる村上龍『共生虫』。あまりにも不細工であるため、女性に蔑まれるばかりか徴兵さえ拒否された男が、瀕死の女性を解放する短編が収録されたシオドア=スタージョン『輝く断片』。元数学教師の老女が老人ホームに送られるという中流インテリの悲劇を描いたサートン『今かくあれども』。その表題通りのミッチェル『奇天烈紳士録』。武器にない絵にまつわるノンフィクションという体裁を取りつつ、読むことそのものが感覚をおかしくさせるであろうダニエレブスキー『紙葉の家』。なんだか、どれも歪んだ本ばかりなのは、私の趣味が反映しているとしかいえないのだが。
 いずれにせよ、読書を楽しみたいという人には大人子供関係なくお勧めできる。


12月23日

 ジョン・クロウリー(大森望訳)『エンジン・サマー』(福武書店、1990年)を読む。すでに機械文明を失っている未来のどこかの世界を舞台に、「しゃべる灯心草」と呼ばれる少年の独白によって紡がれる物語。「語る」ということがテーマになっているという小説なので読んでみたのだが、こういったどこかつかみ所のない寓話的な物語は個人的に苦手なので、残念ながらあまりピンとは来なかった。これは、この本の面白さを読みとる資質が私に欠けているだけで、そうでない人が読めばきっと面白さを感じるのだと思う。
 「しゃべる灯心草」がある老人から色々な話を聞いたときに、すべてを語り尽くした老人は彼に「物語ではなく、『それから、それから、それから』が果てしなく続くだけのもの」と語ったこと(126頁)が何だか気に掛かる。物語は終わりがあるからこそ物語なのだろうか。あと「真実の語り手は勇敢である必要はほとんどない。真実の語り手は常に他人の立場と考えを知っているからだ。けれど、ここにいるような人たちは、そういうやり方で話すことができず、だからぼくは、じっさいにはぼくに害を与えるつもりなどなかった彼らに恐怖を感じたのだ」(140頁)という文章も気になる。真実を語ることは、つまらない完璧さを手に入れることなのかな、と。


12月28日

 速水侑『地獄と極楽 『往生要集』と貴族社会』(吉川弘文館、1998年)を読む。平安期に執筆された『往生要集』は、まず「厭離穢土」=地獄と「欣求浄土」=極楽に関する記述から始まるのだが、その部分のイメージは著者である源信の意図を超えて、読者の間で受け入れられた。本書の前半部分では、来迎寺に残された六道絵を用いつつ、地獄界や天上界を含む六道が『往生要集』でどのように描写されているのかを解説していく。そのうえで、『往生要集』の成立と受容の背景を追う。
 『往生要集』は、文筆官僚を中心とする文人貴族にまずは受け入れられたことが、執筆の翌年(寛和2(986)年)に念仏結社の二十五三昧会が彼らを中心として比叡山横川で発足したことからも分かる。文人貴族は、詩文の興隆に国家が尽力する律令制下の「文章経国思想」の元で、身分的に承認されていた。しかし、10世紀を境として、摂関政治の元で私的血縁関係が重視されると、彼らの公の世界での意味合いが薄れていく。そして私的な意味が自覚されると共に、現世を超えた信仰の世界の価値が発見されて、彼らは『往生要集』へと目を向けることになる。
 ただしもともと日本での称名念仏は、災厄をもたらす怨魂を鎮めて浄土へ送るという目的で、古来の言霊信仰と結びつきつつ用いられていた。そのためで、厳しい修行で霊異の力を付けた験者であればあるほど、その念仏の功徳は大きいと見なされたし、民衆からすれば死穢に関わるものとして自分自身では避けようとした。この流れに立ちながら、念仏を民衆に広めたのが空也であり、死霊鎮送のみならず、念仏者自身の浄土往生につながると説いた。こうした空也の称名念仏に対して源信は、おそらくそれでは呪術と混同されてしまうと危惧し、仏や菩薩の功徳を思い浮かべて一体となる観想念仏こそが念仏のあるべき姿と信じて、念仏の理論の体系化を行った。それこそが『白毫観法』であり、さらに念仏を志す人々の期待に応えて、すべての念仏を位置づけようとしたのが『往生要集』であった。
 『往生要集』は上流貴族にも受け入れられていく。たとえば藤原道長『御堂関白記』には、除病の祈祷をして欲しいと源信へ依頼したという箇所がある。ただし、その評価が貴族たちの間で高まったのは、宋において高く評価されたという、事実とはやや異なった情報が伝わってからであった。特に影響を与えたのはその地獄観であった。もともと平安貴族は地獄に対して嫌悪して目を背けるか、軽い気持ちで和歌を詠むなどの態度で接するかのどちらかであり、際立って悪しきことをした人物のみが地獄へ堕ちると考えていた。ところが『往生要集』には、日常的な行為も地獄行きと見なされかねない悪行として列挙されていた。ただし、この地獄に関する描写の目的は恐怖を与えることではなく、浄土への願いと行いを読者へと導くことにあり、そちらも共に受け入れられていくことになる。
 少し必要があって義務的に読み始めたのだが、意外なほど(と言っては失礼だが)個人的に面白く読めてしまった。そのために、短めで終わると思っていた内容に関する文章が、やや長めになってしまった。六道の説明をした前半部分は図版的には面白いが何となく水増しに思えたものの、後半部分は『往生要集』を軸に平安期の思想の一環を把握できて非常に興味深い。『往生要集』では最初にまず地獄に関する説明があって、その次に極楽の説明があるという順番が何だか気になる。
 なお、上でも述べたように、宋にて『往生要集』が賞賛されたというのは、事実ではないようだ。源信の願い通り宋の国清寺に納められたのは間違いない。だが、宋で賞賛されたという記述は、それに関わった後に日本を訪れていた周文徳によるもので、自身の待遇を改善するために源信に助けを求めた際に、覚えを良くするために書いた空疎な賛辞にすぎないようである。実際には、『参天台五臺山記』にもあるように、全く流布していなかったらしい(152〜155頁)。著者は、海外で評価されたと聞くと、それまで関心を示さなかった人々も一様に賞賛し始めるのは、今も昔も代わらぬ日本の姿である、と述べているが、何も異論がないのが残念なところだ。


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