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2004年8月の見聞録



8月22日

 大江健三郎『死者の奢り・飼育』(新潮文庫、1959年)を読む。どれもが、人間の不快な部分をいやらしく描いている作品だ(誉め言葉なので、念のため)。特に「人間の羊」に出てくる教員が、印象に残ってる。文庫版の解説では江藤淳が、「この作品には傍観者への嫌悪と侮蔑が貫かれている」と書いているけど、むしろもっとストレートに、教壇から勉強を押しつけて、自分自身の学問に自惚れたり、自分の話しを理解できない学生の質の悪さを嘆く教育者が、世間に出ればどうなるかを描いた作品のように感じた。時代を経ても、単なる歴史的史料としてではなく、読む人の考えによっていくつも解釈が出来るということは、それだけ時代に耐えうる書物だということを示しているのかもしれない。


8月25日

 ピーター=サックス『恐るべきお子さま大学生たち 崩壊するアメリカの大学』(草思社、2000年)を読む。新聞記者を辞めてアメリカのコミュニティ・カレッジに勤め始めた著者が、現場の体験を通してそうした大学での学生の質の低さを告発している。
 このサイトでも、『論争・学力崩壊』、大野晋・上野健爾『学力があぶない』、岡部恒治・戸瀬信之・西村和雄『分数が出来ない大学生』など幾つか学力低下に関する書籍を取り上げたことがあるが、アメリカの大学でもそうしたことが起こっていると感じている者がいるという事実を確認できる。ただし、上記の書物の項でも書いたように、単純にそれまでは進学できなかったような者も進学するようになったがゆえに、高学歴層の学力が落ちただけで、全体としてのレベルは良くも悪くもそれほど変わっていないのではないか、とやはり思うのだが。
 ただし、本書には教員の意識という問題点、しかもかなりネガティヴな意味での問題点が浮き彫りになっている。たとえば、次のような文章。「私はよい教師であり、問題なのは私ではない。問題なのは、自分を巻き込むような見世物を楽しみながら見ているように生まれついて、そして育てられた、この若者たちの文化なのだと」(29頁)。こういう感じの文章が結構そこかしこに見られて、こういうものを読むと、そうした底辺校の教職に就いた自分を相対化していない面があまりにも強く窺える。それならば、このような底辺校に職を求めずに、一流校へ就職するべきであって、それが出来なかったからこちらへ来ているのではないのだろうか。その底辺校に見合った授業をするか、そんなところはさっさとやめて、一流校の職を目指すべきだと思う。
 ただ、日本との対比で1つ興味深かったのが、こうしたコミュニティカレッジの学生も成績に非常にこだわること。これに関しては、刈谷剛彦『アメリカの大学・ニッポンの大学―TA・シラバス・授業評価』(玉川大学出版部、1992年)で、アメリカの学生は大学院進学を考えて成績にこだわるというのを知っていたのだけれど、底辺に位置する大学でもこのようなことが起こっているならば、単に進学ということだけではない、アメリカ独自の何かがあるのかもしれない。


8月29日

 関川夏央『白樺たちの大正』(文藝春秋、2003年)を読む。武者小路実篤の「新しき村」の建設とその終焉までを中心的な物語として、白樺派と大正の同時代人についての描写をちりばめていく。白樺派から大正時代の精神に切り込むような本かと思っていたのだけれど、どちらかというと淡々とした同時代史のような感じだった。大正の文壇史もしくは思想史に興味のある人は、読むと楽しめるだろう。白樺派の人材を明治15年以降に生まれた青年とし、その区分は漢文の素養があるかないかであるとしているのは、(これまですでにそういう指摘があるような気もするけど)分かりやすい。従って、白樺派にとって夏目漱石=明治時代も決して重視すべき精神的な拠り所ではなく、かえって明治末期に来日して漱石とも面会したロシア人留学生エリセーエフが、晩年まで明治末期を懐かしんでいた、という記述(94頁)も興味深い。
 幾つか細かい点でのメモを。武者小路が小説のタイトルにも使った「友情」はフランス革命の標語であったフラテルニテの翻訳ではないかと推測している。フラテルニテという語に込められた政治的な排他性を、あえて分離させて翻訳・造語したと述べる。この友情の概念の源が平等であり、それは学校と軍隊でしか成り立たず、白樺グループの存立には学習院という特権階級の平等が重要であったことが窺える(124〜25頁)。また、もしこれが事実であるならば、自由・平等・「博愛」という少し誤った理念もここに端を発するのかもしれない。


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