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2010年2月の見聞録



2月1日

 笙野頼子『水晶内制度』(新潮社、2003年)を読む。日本国内に存在する女だけが暮らす女性中心主義の国「ウラミズモ」。とある女性作家は、意識を取り戻すとこの国にいた。この国のあり方について思い出していきながら暮らしていくのだが、そのなかで自分がウラミズモの国家神話として新しく出雲神話を書き換えるという仕事を請け負っていう記憶も取り戻し、それに着手していく…。
 女性だけの国というユートピアを、女性作家の一人称視点で描き出してい、くといったもの。もちろん、ユートピアとといっても皮肉な意味合いのユートピアであり、随所にそのグロテスクさが窺える訳なのだが。佐藤亜紀『小説のストラテジー』で紹介されているのをみて、何となく気になって読んでみたのだが、この女性作家の語りやウラミズモに対する説明の文章が何となく肌に合わなくて、全体として今ひとつピンと来なかった。というわけで、面白みを感じたところについてメモ的に(おそらく、こういう断片的な読み方をしてしまっていることそのものが、本書をきちんと読み込めていない、と批判されるのだろうが、仕方がない)。
 ウラミズモの建国以来、日本国内のフェミニズム勢力は、思想を同じくするものという偏見に基づき壊滅させられたという。ウラミズモは移民の国だが、学者フェミニストの入国希望者は、今のところ誰もいない(19〜21頁)。このあたり、浅羽通明『ニセ学生マニュアル<死闘編>』(徳間書店、1990年)にて指摘されている、女性学者のフェミニストは学校という特殊な空間のみで生きている、という部分を思い出した。
 女性の扱われ方の悪しき事例を見たような気がしたのは、以下の文章。「子どもの頃は女が嫌いだった。しかし思春期になって自分が女と分かると男が嫌いになった。十五歳まで私は自分を男だと思っていたのだった。その上性行と生殖は別のもので性行は酒やタバコのようなおとなの趣味なのだと思っていた。〔中略〕女は「馬鹿で汚くて結婚しかしない」と言われている狭い土地で私は育っていて、しかし親には大切にされていて楽天的な人間であったために、まさか自分がそんな「馬鹿で汚くて結婚しかしない」ものに「なっている」のだとは思いもしなかったのだ」(84頁)。
 日本の女性作家は「女流」という枠組にまとめられてしまう(102頁)、というのは、橋本治『絶滅女類図鑑』(文春文庫、1997年(原著は 1994年)が、女流作家というコーナーがあることこそ、女性を低く見ていることを示していると喝破していることと同じだろう。「女の作家が何をしていても見ようとせず普段からずっと女の作家がいない事にし、仲間はずれにしながら、都合のいいときだけ「文学は」という言い方でずっと仕切ってきた」(102〜103頁)。
 ウラミズモの神話には、神々の時代から人間の開祖へと移行するのではない。建国が先にあり、建国者たる教祖が神話を探し求めるという形をとる(118頁)。ただし、後世の人間が自分のために神話を再解釈することは、斎藤英喜『読み替えられた日本神話』で指摘されているように、これまでの日本史でも普通に行われてきたことのような気もするのだが。主人公のいう、日本の歴史は父系を信奉するヤマトの権力者たちが女首長を抱く連合小国家を征服することで成立した、というウラミズモの神話も、そういった神話の読替の一種な気もする。なお主人公は、こうした神話がハウツー本に応用され『出雲巫女に学ぶ会社経営』という本まで出版されかねないとつぶやいている(204頁)。
 男性は10歳を過ぎると保護牧に放り込まれてしまい、労働用に外へ出される男は精神改造されたものだけである。ただし、その保護牧のなかで学歴差別のようなものもあり、「知能を無駄に消耗するようなことが高級とされ」(181頁)る。このあたりはアカデミズムに対する皮肉であろうか。
 ウラミズモの特産物は、この国で生まれた養女や少女のデータである。身長や体重だけではなく、全身の姿や内臓のスキャン、声や性格までもが含まれたデータが、日本や外国の幼児性愛者へと輸出されている(214頁)。結局のところ、ユートピアを求めるものは、それが男であろうと女であろうと、行き着くところはその醜悪さが身に付いてしまうものなのだろうか、という陳腐な感想になってしまうのが悔しいのだが。


2月6日

 海津一朗『蒙古襲来 対外戦争の社会史』(吉川弘文館、1998年)を読む。元寇において、人々は一致団結していたわけではなく、武士も寺社勢力もそれぞれが思惑を持ち、競合しつつもお互いを出し抜きあって、自分に少しでも利益がもたらされるようにと考えながら戦っていた。また、この戦争を単に攻撃か防衛かという区分で見るべきではない。当時、九州沿岸に石築地が築かれているが、これは防壁ではなく要塞であった。したがって、これは防衛ラインであるというよりも、むしろ攻撃のための前線基地の役割を担っていた。実際に、幕府は高麗出兵を計画している。
 そして、元軍による侵攻の危機が高まる中、幕府は同時に悪党の鎮圧命令も出している。悪党は強盗や謀反人などを指していたのだが、元寇の頃には戦争へ従軍しない国賊として弾圧されるようになった。さらに、こうした悪党は九州の御家人の元へと送られて、従軍させられる場合もあった。そうした悪党を幕府が徴兵した場所として、山城や大和が挙げられるが、これらの場所は公家や寺社勢力の本拠地である。戦争のためという題目で、それらの勢力に食い込んでいったのである。
 必要があって前半部分を特に読んだのだが、後半では元寇後の幕府と寺社勢力の問題なども取り上げられている。伊藤正敏『寺社勢力の中世』で指摘されているように寺社勢力が強い権限を持っていたのであれば、幕府の動きは当然とも言える。
 元寇については、日本軍が不利な状況にあったということが批判されて、実は日本軍は強かったという点が最近では強調されている気がする。しかし両者は、実は単純な物の見方の表と裏にすぎないといえるのではなかろうか。


2月11日

 メイ・サートン(武田尚子訳)『今かくあれども』(みすず書房、1995年)を読む。豊崎由美『勝てる読書』で紹介されているのを見て、興味が湧いて読んだもの。数学教師として独身のまま年老いていった「私」ことカーロは、老人ホームに入れられることになる。しかし、そこは住む場所として決して居心地の良い場所ではなく、管理人からも非人間的な扱いをされることになる。それに抵抗しようとはするものの、体力も気力も弱いカーロは、仕返しをされていく中で、他の老人たちと同様にそうした気概も失っていく。そして、カーロはついにある計画を実行しようとする…。
 本書にはかなりきつい。老人虐待の描写は、読んでいて気が滅入ってくる。さらに、結局のところ計画は失敗に終わってしまい、カーロはこの世の地獄とも言える環境から抜け出せないままラストを迎える。しかし、そうした虐待の様相や救いのない終わり方がきついのではない。この小説はカーロによる記録という形態を取っているのだが、まさしくこれが老人自身の記録であるという点にこそ、本書のきつさがある。カーロはかつて教員であったのだから、どちらかといえばインテリに近い。そのインテリが無力な老人となり、それでいて自我を保とうと必死に記録しているという点が、あまりにも痛々しいのだ。
 カーロ以外のホームの住人たちは、(嫌な言い方になるが)知的なこととは無縁の人生を送ってきたはずだ。彼らもカーロと同じく酷い扱いを受けているが、それによって受けるのは、肉体的・精神的な苦痛のみにすぎない。もちろんそれ自体が耐えがたいものであるのは確かだが、カーロはそれだけではなく、いちいちその苦痛について「考察」をやめられないのだ。これならば素直に「あいつらのせいで、私は…」と他者を憎むか、苦痛をもはや仕方のないものとして諦める方が楽なはずだ。もし痴呆化してしまえば、周りの人間は不幸だが、本人は動物的な感情でしか喜怒哀楽を感じないだろう。それもある種の幸せな境地ではある(なお、痴呆老人は歴史的に扱われ方が異なっていたことについては、新村拓『痴呆老人の歴史 揺れる老いのかたち』に詳しい)。
 しかも、インテリにありがちな自罰的な考え方に基づいているので、「自分に非があるのではないか」「本当はここはいいところなのに、自分はそれを分かっていないのではないかではないか」と考えることを止められない。しかもそこにインテリとしての自負心を抱いているようですらあるから痛々しい。たとえば、冒頭部分にある文章。「老人というものは時として、あらゆる人間を敵にまわしているように想像するものだから。老人は迫害の妄想をいだく。私は、そんな罠にかかってはいけない」(5頁)。それは他者を見下すような感情にもつながる。他の老人たちは長く生き延びることに勝利感を見出す。「他人が先に逝けば、自分にとっての勝利であることを! 老人たちは憐憫を持つことができなくなっていた」(78〜79頁)、と。だが、自分は違う、他者を人間として悼むことができるのだ、という優越感が先の文章にはにじみ出ているように見えて仕方がない。または、インテリとしての優越感とないまぜになった卑屈な感情。「私はスノッブにちがいない。大学に行き、四十年間教鞭を執り、中産階級の家に育った。けれどここの年寄りのほとんどは筋肉労働をした人たちだ。働けなくなったいま、彼らには楽しみというものがない。二人の老人は何時間もカード遊びを続ける。一人はたった一部しかこない新聞をほとんど朝じゅう読んでいる。私には仲間というもの、語り合える友がいない。ハリエットとローズは、いつもたいそうな皮肉をこめて私を「ミス・スペンサー」と呼ぶ。自分にたいしてさえ認めたくないことだけれど、実ははじめっから私は「優越者」として怒りを買われていたのだ」(12頁)。そして、インテリとしての妙なプライド。「私はスージーには、いままでどおり重要な影響力を持つ人間だと思われていたい。たぶん教師というものは、生徒に自分の問題に立ち入らせてはいけないのだ」(38頁)。これらを読んでいると痛々しいし、自分自身に投影してしまう。この本を読んでものを考えてしまうような自分も、こうなってしまうのかと。「「表現」はなんと心を解放することだろう。老齢についての異議申し立てを二頁も書きつけることに成功しただけで、私はとても生き生きとし、自分を取り戻したように感じる」(91頁)。
 さて、本書を読みながら思い出したのは、佐藤健二『読書空間の近代』(弘文堂、1987年)の冒頭に挙げられている柳田國男の最晩年のエピソードだった。常人を遙かに超える博識と記憶力を誇った柳田國男でさえ、最晩年に会った人物(誰だったか忘れてしまった)について誰だったかを忘れてしまっていたそうである。ただし、この本においてはそれは議論の出発点にすぎなかったはずなので、老いていくことと記憶についてどのように考えるべきかを、もう一度読み直してみる必要があるかな、と。


2月16日

 池内恵『書物の運命』(文藝春秋、2006年)を読む。中東地域の研究を専門としている著者による短文や書評を集めたもの。前半部分のほとんどはエッセイのような感じであり、アラブのイスラーム世界の精神性について色々と興味深いことを知れる。たとえば、スポーツ。アラブ世界にてサッカーはほぼ唯一のスポーツである。サッカー以外の各種スポーツに興じるのは、西洋化した上流階級か、特殊に西洋的な地域の人たちに限られる。いわば無意味にカロリーを燃焼する人間はいないのだが、だからといって飢えているわけではない。アラブ世界における砂糖の消費量は異様に高いし、エジプトの小麦輸入量は世界第2位だそうだ(1位はイタリア、114〜115頁)。また、イスラーム世界の宗教映画では、ムハンマドは決して画面に映らない。偶像崇拝につながるためで、彼はあくまでも画面外から厳かに声を掛けるか、カーテンの向こうから指示を出すだけである。どうしても画面内に入れる必要がある場合には、光に包んだりする。逆に敵の姿は邪悪に描かれるのだが、その最たる特徴は禍々しい偶像を崇拝することである(119〜120頁)。
 後半の書評のなかでは、バーナード・ルイス『イスラム世界はなぜ没落したのか』の日本語訳版における監訳者の批判への反論となる「「中東問題」は「日本問題」である」のみ長めの評論となっており、これが一番読み応えがある。なお、サイードやオリエンタリズム論に対する懐疑と批判にもなっている。
 『イスラム世界はなぜ没落したのか』の巻頭には監訳者である臼杵陽による批判文が掲載されている。著者であるルイスは、オスマン帝国史の大家であり、アメリカ政府の中東政策にも影響を与えているとされる。この著書にてルイスは、イスラーム世界が近代には劣勢に立たされている原因を、軍事や産業政策、知的環境や生活様式などの側面から多面的に探っている。これに対して臼杵は、ルイスが西洋を重視しイスラームを軽視する近代化論者であると見なして批判し、ネオコンのイデオローグであると断じているらしい。しかしルイスは、オスマン帝国による挽回の試みも豊富に紹介しており、イスラームは近代化できないという偏見があるなどとは到底言えない。
 ここで意味を持つのが、ルイスはオリエンタリズム論の主導者たるサイードにとって常に批判の対象だった事実である。そもそもサイードはカイロの外国人疎開に生まれ英語学校に通っていたのであり、アラビア語に基づく実証史学や文献学的な研究においてはルイスに及ぶべくもない。オリエンタリズムと批判されてしまう研究でも、実証主義的な文献はイスラームを理解するのに基礎的な研究としての功績は無視しがたい。サイードはこうした実証的な部分に関しては批判せずに、総体としての批判を行う。専門家以外の欧米や日本の読者は、検証する術を持たないし、サイードからすれば検証されると困る。
 そして、サイードを受け入れてきた日本の論壇は、政治的・思想的にも遠い世界であるイスラームを、近代や西洋を越える新しい幻想として受容する節が窺える。つまり、マルクス主義や北朝鮮に変わる存在とも言える。「自分たちはどちらかといえば西にいると確認し、それによる便益は教授しつつも、イスラーム世界には自らに成り代わって別種の跳躍を期待する、ある種のねじれた真理がそこに働いている」(203頁)。結果として、近代化しない中東はそれで構わないどころか、むしろ近代化という悪に沿わずに発展している善であるとの価値判断が生じる。そして、近代に対置する形で、イスラームという概念は宗教・思想・政治・文化・歴史などが混在したものとして定義づけられ、それを基に論敵を倒すために利用されるという状況が生じてしまったのである。
 以上が骨子なのだが、これに基づいたオリエンタリズムに関する本を執筆してほしいところだ。とはいえ、以下の指摘については私自身にも心当たりがあり、気を付けねばならない。「海外の「大物」を持ってきて人目を惹いた挙句、相手が反論してくる可能性がほとんどなさそうな条件で(つまり日本語の解説で日本の論壇向けに)言いたい放題を書き、あわよくば批判した「大物」と同等以上の地位にあるかのように自分を印象づけようとするのは、「人の褌で相撲を取る」の典型だ。とても誠実な言論のあり方とは思えない。しかし日本の党派的・島国的な論壇では、それほど珍しくもなく、「許される」どころか「正当なもの」と勘違いされてしまっている手法なのかもしれない」(196頁)。「日本の学問全体に言える問題だろうが、たとえばサイードが流行だ、ということになると、サイードの言説をその本来の文脈から切り離し、一字一句そのまま受け入れて「サイード学派」のようなものを形成し、それに従って日本で独自の小さなピラミッド状の言説の権力構造を作っていく、ということになってしまう。欧米の議論の対立が日本に移植されると、純化され、先鋭化されていく。サイードを少しでも批判する、あるいはルイスのようにサイードが批判する相手をわずかでも肯定することは、この小さなピラミッド構造によって支配される世界のなかでは決して許されないのである」(201頁)。
 なお、本書における批判は、浅羽通明「オウム真理教 体験と異形と「私」」(『思想家志願』(幻冬舎、1995年)所収)の論と類似しているところがある。浅羽がいうように、これを乗り越えるには、オウム真理教に肩入れした知識人を批判しつつ、異形の存在や弱者に仮託することなく、自分自身が異端者としての役割を引き受け、言論を押しつけるのではなく、必要に応じて必要な形で提示すべきなのだろう。
 以下メモ的に。著者は20代半ばにカイロにて住むまでテレビを見たことがなかったそうだ(なお、著者の父親は独文学者の池内紀)。著者は公立の学校に通っていたが、「思い返すと、小・中学生のころは学校に行って同級生の発言が聞き取れないということは当たり前だった。この年頃の会話からテレビに関する固有名詞を抜いたら、ほとんど残らない」(14頁)。たとえば、著者自身もいうように、月曜日に友達と会って「『いいとも』見た?」と言われても、『笑っていいとも総集編』を見ていないので分からないことになる。私は著者とほぼ同世代だが、確かに子供の頃の原体験としてテレビがないというのは、かなり珍しいだろう。なお、著者のテレビの原体験は、エジプト国営放送とアラブ衛星チャンネルだそうだ。さらに著者が小学生の頃、彼の祖父はマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を与えて読むように告げたという(45頁)。そもそも、一般人とは住む世界が全く違っているな、と。
 エジプトの本屋で本を買い求めようとすると、店員が自店の在庫の自慢をするという。それではお目当ての本をすぐに出してくれるのかというと、そうではなく、色々な本を薦めてくる。玉石混淆なのだが、流通システムが整備されていないので二度と手に入らない可能性もあり気が抜けない。めぼしいものを買い集めて立ち去ろうとすると、今度は特別だといわれて奥の倉庫に案内される。数週間でそこを探し尽くすと、今度は別の書店へと案内されて関連書籍を出させる。利益は店員同士で折半らしい。しかし、結局のところ最初に探していた本は見つからないということがよくあるそうだ(111〜112頁)。
 著者があるごく一般的なアラブ人の友人に「小説は読むのか?」と聞くと、「小説には嘘が書いてあるから読まない。『コーラン』には真実が書いてある。だから小説を読む必要はない」と答えたという(116頁)。
 イスラーム軍の司令官であるアムルが死の床にて語った針の眼というエピソードは、イスラーム教の教学書や歴史書を見る限りさして重要視されていない。そもそも欧米の読者にイスラーム文明の深さや偉大さを感じさせるエピソードほど、もともとの文脈ではあまり重要でないことが多いらしい。些末な断片を、原意や文脈をねじ曲げて西洋的な観点で通用するように解釈している場合もあるそうだ。逆に、イスラーム教徒がありがたいと感じている説話は、異教徒には感情移入しにくい、とのこと(135〜136頁)。なお、このアムルと針の眼のエピソードについてはイスラーム的価値観および文献学的な口承がやや長めに書かれている。
 アーサー・シュレジンガーJr.『アメリカ大統領と戦争』にて、「歴史家である著者は歴史から教訓を導くことの限界と危険性を説く。〔中略〕「歴史はしばしば大統領に、現実的な判断よりもむしろ都合のいい判断を提供する」」(284頁)。歴史を学ぶことで指針となるという考え方を全面的に賛同することは、確かに危険だろう。歴史に無知な政治家は愚かな発言をすることもあるが、逆に詳しければいかにして騙すのかという手法も学びうるだろうから。


2月21日

 ジャン・ヴォートラン(高野優訳)『グルーム』(文春文庫、2002年)を読む。これも豊崎由美『勝てる読書』で紹介されているのを見て、興味を持って読んだもの。母親と2人暮らしのハイム。教員としての仕事も全く上手くいかない彼は、アルゴンキン・ホテルという自分だけの世界を家の中につくりあげ、そこでは少年のポーターという役割を演じていた。現実と虚構の境目が曖昧になっていったハイムは、現実世界のなかで殺人を犯し、さらに狂気の世界へと足を踏み入れていく…。
 要約した通りの内容であって、面白くないわけではないのだが、ハイムの性格のバランスがちょっと狂気の方に傾きすぎている分だけ、やや現実味に欠けている気がするし、だからといっておぞましさや恐怖を感じるまでには、狂っていない気もする。ただ、ディテールと面白かったところがあって、それは本の使い方。人を殺したハイムは、自分自身をただの誰かに見えるように振る舞おうとしたのだが、その際に本を抱えることを選ぶ。「本というのはいつも、侵略に対する素晴らしい盾になる」(256頁)と。そして「フォークナーを選ぶ。プレイアード叢書の<小説作品集>の中の一冊だ。これは古くからの友達のようなものだ。何かあったら、安心してその陰に隠れることができる」(同)。本が自分の精神世界に退きこもる道具だけではなくて、物理的にも相手との障壁をつくる手段になっている、というのがいかにもインテリっぽいオタクらしいというか。そして、ハイム自身は、ごっこ遊びができる自分の家が、実はもの凄くお金がかかっており、しかも立ち退きを迫られていることに気づいていない。知っているのは彼が見下している母親だけだった、という形で情けなさを際立たせている。オタクは自分が蔑んでいる外部の環境に実は自分が支えられていることに気づかない、というのがなんとも言えず哀れだ。


2月26日

 岡田温司『キリストの身体 血と肉と愛の傷』(中央新書、2009年)を読む。キリスト教徒の間でキリストの肉体を巡るイメージがどのように形成・表象されたのかを通じて、キリスト教徒の心性を探る。著者が後書きで述べているように、絵画や彫像のモチーフがどういったテクストに由来し、それがどう広がっていったのかを実証的に探る図像学的なスタイルよりも、それらの図像にどのような思いが込められて、どのような思いで眺められていたのか、ということに主眼を置いている。いわば実証的な記述ではなく、絵画や彫像に交錯する喜怒哀楽の感情や快楽・苦痛を追っている。
 以前の著作である『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』を読んだとき、こちらの知識不足と併せて「あまりも多義的であるがゆえに、今ひとつ全体像がつかめない」と書いたが、あれはマグダラのマリアが『新約聖書』にほとんど登場しないために、自由な解釈ができるからだと思っていた。だが、『新約聖書』の主役とも言えるイエスについて取り上げた本書も、個々の記述に面白いものは幾つもあるとはいえ、やはり今ひとつ全体像をつかみにくい。これは、こちらの知識不足のせいでもあるのだが、やはりイエスもキリスト教徒にとってかなり自由に解釈されていたためだろう。ケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』にもあるように、そもそもイエスの処刑という重要な場面ですら福音書ごとに記述が微妙に異なっているので、解釈にはかなり幅を持たせることが可能と言うことなのだろうか。各章のタイトルからもそれが窺える。挙げると「美しいキリスト、醜いキリスト」、「パンとワイン、あるいはキリストの血と肉」、「肖像と形見」、「キリストに倣って(イミタティオ・クリスティ)」、「愛の傷」。たとえば第1章では、キリスト教徒の間でイエスを美しい者と見なすか醜い者と見なすか、という2つの流れがあったことが明らかにされていく。後者の考え方だと、イエスが醜いのは、罪で歪められた人間の醜さをあがなってくれる証であり、だからこそイエスの醜さは神の恩寵のあらわれだと見なす。ここには現在は賤民である者こそが次代の選民になれるという思想を窺えるような気がする。
 第2章では、パンとワインをイエスの肉と血と見なして食する習慣に関して、イエスの肉体を食べることはカニバリズムにつながるが、そもそもユダヤ教では生贄の動物の血を飲むことは禁じられていた。だが、禁断の木の実を食べたという人間の原罪を償うためのものが聖体拝領であり、イエスの血肉であるパンとワインを食して罪を中和する。食による罪は食によって償うという考え方は、毒を盛って毒を制すホメオパシーに近いものがある。
 以下メモ的に。ローマのパラティヌスの丘で見つかった落書きでは、十字架上のイエスがロバの頭部をしている。ロバないしロバの頭部は古代エジプト人の間で異邦人、特にユダヤ人の神と見なされていたらしい。なおテルトゥリアヌスは、劇場にて「ロバより生まれたキリスト教徒の神」という文章と共に、ロバの耳を持ち片足にひずめがあり手に書物を持ちトガを来た人物の絵が掲げられるのを見たという。ロバはキリスト教徒を揶揄する象徴であった(11〜12頁、白黒の写真付き)。
 初期キリスト教において、イエスはしばしば鏡にたとえられ、自分自身でも「私は君の鏡である、君が私を見るとき」(『ヨハネ行伝』95:25)とたとえたこともある(28頁)。
 中世末期以後には、修道女の神秘体験として心臓をイエスと交換するというものがあった。ただし、これは中世の宮廷愛にて愛する者同士が心臓を交換するというメタファーに連なるものでもある。心臓の交換はハートのチョコレートを意中の人に贈るという形で現代に受け継がれているとも言える(225〜227頁)。前近代において、心臓は記憶を司る器官と見なされていた。ラテン語で心臓を意味するcorは、「記録するrecord」の語源である(252頁)。
 中世の写本に描かれたイエスの処刑の図において、脇に付けられた傷の部分が痛んでいる場合がある。これは、繰り返し触られたり口づけをされたりしたためだが、この傷は女性器とみなされることもあった。この傷口から教会を人間化した女性が生まれるという図像もあった(239〜240頁)。


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