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2011年1月の見聞録



1月2日

 藤田覚『近世の三大改革』(山川出版社(日本史リブレット)、2002年)を読む。江戸幕府のいわゆる三大改革である享保の改革、寛政の改革、天保の改革は、幕藩体制の動揺を立て直すための改革であったと理解されている。これに対して、幕藩体制の動揺は、享保の改革以後の宝暦・天明期であり、それへの対応策が寛政と天保の改革であるとみなす、「二大改革論」を主張する。そして寛政の改革は、改革によって立て直しを図り自立する傾向を強めた藩と、幕藩体制を維持しようとした幕府との対立が原因でもあるとみなす。だからこそ、将軍が天皇から支配権を授けられたとする大政委任論も表明された。そしてこれらの点から、寛政の改革を明治維新の起点であるとも捉えている。
 また天保の改革は、1840年に生じたアヘン戦争の情報が衝撃を与え、欧米列強への対処も重要な課題であった。たとえば印旛沼の堀割工事もこれと関係している。幕府は、もしか以外の船によって海を封鎖されれば、江戸の食料は全く保たない点に危機感を抱いていた。そのため銚子から利根川を上り印旛沼を通って品川へ至るルートを造ろうとしたのである(結局は挫折する)。江戸や大坂周辺の大名領などを取り上げた上地令もこれと関連している。財政収入を補填するためと解される場合も多いが、このあたりは入り組んでおり、万が一外国船が渡来・攻撃すれば、混乱状態になりかねない危険性があった。そのための対応策として、支配を一元化したと捉えるべきである。これらの点において天保の改革も明治維新につながるとも言えよう。
 これも仕事の必要上で読んだもの。確かに、大石慎三郎『将軍と側用人の政治(新書・江戸時代1)』を読む限り、享保の改革は財政の立て直しではあっても幕藩体制の立て直しであるようには見えなし、田沼時代は安定した時代だったように見えるので、「二大改革論」というのは、その通りのようにも感じる。なお、大石は田沼意次を革新的な政治家として高く評価しており、逆に松平定信を経済の分からない政治家として批判している。もしかして、幕藩体制の正統的な立場からすれば、田沼の方が異端だったのかもしれない、とふと思った。ただし著者は、そもそも江戸幕府は官僚制的であるもの、その本質は将軍専制政治であり、将軍の信任を得たものが側近として権勢を振るう期間の方が全体として長いとしている。ちなみに、井上勝生『開国と幕末変革(日本の歴史18)』は、幕末期を成熟した時代と見なしている。また、天保の改革がアヘン戦争の衝撃が契機となったという説明に対して、江戸期においても体外情報は収集されており、ペリーの来航もその1年前には幕府が察知していたと指摘していた岩下哲典『江戸の海外情報ネットワーク』を思い出した。
 なお幕府の石高は、1650年代には280万石ほどだったが、享保の改革期にの1730年代は約450万石まで増加している。ただし、この時期鉱山収入などの年貢外収入は減収しており、それを補う形となっていた。さらに享保の改革以前まで、年貢率は約40%から30%代前半まで落ちているため、幕府の収入がそれほど増加したわけではない(21〜22頁)。


1月7日

 平野啓一郎『決壊』(新潮社、2008年)上を読む。全国で、犯行声明付きのバラバラ遺体の一部が次々と発見される。その容疑者として挙がったのは、被害者である平凡なサラリーマン・沢野良介の兄であり、エリート公務員の兄・崇であった。その前夜、バーでの2人の言い争いが目撃されており、警察は執拗に彼を取り調べる。マスコミの取材がエスカレートしていくなか、家族たちは疲れ果てていき、さらに真犯人による爆弾テロが起こって、冤罪がはっきりしたころには、すでに崩壊していた…。
 煽り文に「絶望的な事件を描いて読む者に<幸福>と<哀しみ>の意味を問う衝撃作」(上巻)・「”決して許されない罪”を通じて現代人の孤独な生を見つめる感動の大作」(下巻)とあり、その辺りにひかれて読んだのだが、どうも今ひとつピンと来ない作品だった。決して、面白くないわけではない。ただ、様々な要素が詰め込まれている割には、それぞれが今ひとつ融合し切れておらずバラバラの観がある。さらには、そうした要素それぞれが現代人の孤独というテーマと結びついていると思うのだが、どうもドラマティックすぎたり、格好を付けすぎて今ひとつ真に迫り切れていないように感じる。前者については、天童荒太『永遠の仔』にも書いたように、ドラマティックすぎればすぎるほど、現実世界の地味な悲惨さからは遠のいてしまうと思う、このあたりを描ききっているのは、奥田英朗『邪魔』だと思うのだが、自分にも起こるかもしれないと思わせるように不幸を描くという点で、本作は劣っているように感じる。
 格好を付けすぎという点では、崇や真犯人の独白の部分に現れている。特に崇は学術的な理論をかなり長々述べている場面があるのだが、本作のテーマにとってそのような文章は必要なのだろうか。ある程度のキャラ付けがされていればいいのに、かえって本作の主題に余分な贅肉を付けてしまっている気がする。このいずれも、著者自身が文学的な美しさのようなものを捨て切れていないがゆえに、残酷な現実を冷酷に描くことには失敗している気がする。
 ただし、恐ろしさを感じる不幸もあって、警察の執拗な取り調べ、そしてマスコミの悪意ある取材と報道の歪み。警察が何としても立件しようと圧力をかけてくる場面と、マスコミによって勝手な発言が付け加えられたり、悪意を前提としたある報道がなされたり、という場面には、もしこんなこと自分に起これば抵抗できないな、という怖さがあった。このあたりからすると著者は、日常的な不幸よりも非日常的な不幸を描いた方が真に迫るのではないだろうか。


1月12日

 堀内一史『アメリカと宗教 保守化と政治化のゆくえ』(中公新書、2010年)を読む。アメリカにおけるキリスト教の派閥の特徴を簡単にまとめたうえで、19世紀末から20世紀前半の宗教保守化、1930〜60年代のリベラル化、1980年代以後の宗教右派の隆盛、オバマ政権の誕生と宗教左派の台頭に至るまでを、抑えるべき情報をきちんと抑えつつ、なおかつコンパクトに紹介していく。アメリカのキリスト教における重要な勢力として主流派、福音派、黒人教会が挙げられる。主流派とは、聖書を尊重するが絶対的な価値をおかず、現実社会の改革に関心を抱く信者を指す。福音派とは、それよりもむしろ積極的に福音を拡大しつつ、信仰の深化を重視する。この両者が、アメリカの政治と結びついて板状教を、歴史的な流れに沿って説明していく。
 かなり以前に読んだ森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』よりも、新しい情報が押さえられているし、20世紀アメリカにおけるキリスト教と政治の関わり合いを手っ取り早く学びたいならば、これ1冊で十分足りる内容になっているのではないか。建国から19世紀に至る流れについては、他の文献を読めばすむだろう(アメリカ建国とキリスト教の関わり合いについては、本サイトでは大西直樹『ピルグリム・ファーザーズという神話』を取り上げたことがある)。もちろん、巻末にはきちんと文献一覧もあるので、さらに学ぶこともできる。個人的にはオバマ以後の状況を知りたくて読んだのだが、概説書のお手本とさえ言えると思う。
 以下、メモ的に。主流派と福音派は、共に神が支配する千年王国の到来を信奉しているが、イエスの再臨をいつと見なすかの解釈が異なる。主流派は、キリストの再臨を千年王国の到来の後と考えているので、千年王国は自らの手で実現せねばならないゆえに、現世の改革を求める。他方、福音派はイエスの再臨を千年王国到来の前と見なすので、信仰を深めることこそが重要と考える(32〜33頁)。
 テネシー州デイトンにて進化論を教えた高校教師が訴えられた1920年代のスコープス裁判では、町おこしも絡んでいた。テネシー州では反進化論法が施行されたのだが、この正統性を試す教員の募集が地元紙で行われた。このとき、裁判によって町の名前を売ろうという考えが町の有力者の間で起こり、これに興味を持っていて、さらには独身かつデイトンに定住する予定のないスコープスが目を付けられ、彼自身もこれに参画することで裁判となった。スコープスは反進化論法の施行前に、生物担当の教員の代理で進化論が記された教科書を用いていた。なお、この裁判そのものはスコープスが有罪となったのだが、裁判において原理主義者がしどろもどろの弁論を繰り返したため、世論という点からすれば原理主義者の敗北と言ってもよいようである(50〜57頁)。
 世界恐慌後の1930年代に、南部から仕事を求めてカリフォルニア州への大量移住が生じた。彼らの大部分は南部福音派だったが、やがて1940年代になると南部バプテスト派に統合されていき、宗教的な勢力として無視できない存在となる(69〜73頁)。
 公民権運動の結果、保守的な南部福音派の白人は、それを支持した民主党から保守党へと転向していった。加えて、激しさを増す運動への参加の是非を問う保守派と、積極的な参加を試みるリベラル派との分裂も深くなっていった(101〜102頁)。
 オバマは個人的な深い信仰を持ってはいるものの、真理は特定の信仰からのみ得られるものではなく、あらゆる宗教にそこへ至る道があると見なしている。さらに、自分自身も伝統的な信仰から自分で真理を選び取る態度が見受けられるようである。したがって、神権政治を妨げ、原理主義が酷な言うに根付くことを防ぐ必要性を感じている(240〜241頁)。
 なお、宗教右派の勢力は衰退しつつある。その原因として、宗教的な目標を到達できない共和党および政治そのものへの失望、指導者の金銭や性に関するスキャンダル、指導者の高齢化などが挙げられる。ただし、福音派そのものは増加傾向にあり、これは宗教左派とみなしうる(250〜253頁)。


1月17日

 芥川竜之介『地獄変・邪宗門・好色・藪の中 他七篇』(改版、岩波文庫、1980年)を読む。なぜこれを読もうと思ったのかは、芥川竜之介『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』を読んだ際に書いた通り。岡野宏文・豊崎由美『百年の誤読』にて、芥川竜之介「羅生門」は、「カット割りのモンタージュ手法といういわば映像的とも言える手法を用いており、極めて現代的な作品」であると書かれていたが、それは本書冒頭の短編である「道」の方に強く感じた。不思議な物語を陶器師の老人が侍へ語るという内容なのだが、その会話シーンのところどころに日が徐々に暮れていくシーンが挿入されているのがうまいな、と。
 インパクトが一番大きい作品は、見たものしか描けぬという絵師に対して、地獄の絵を依頼した貴族が、絵師の娘を火にかける「地獄変」だろう。はじめは色を失った絵師だけれども、やがては恍惚とした表情でそれを眺め始める場面がさらにインパクトを与える。なおこの作品では、語り手は召使いの老人であり、前巻の収録作品と同じく作品ごとに色々とスタイルを変えているのがやはり上手い。
 「歴史」小説という点では「薮の中」か。ある殺人事件を巡って、検非違使、目撃者の旅法師、賊を捕らえた人物、賊、殺された人物の妻、殺された人物の霊と事件を語る中で、特に後三者の意見が食い違い、女は逃亡したのか、それとも気を失っている間に殺された夫をはかなんで出家したのか、女こそが夫を殺せと言ったのか分からなくなってしまう。歴史学(だけではないと思うが)によって構築された事実など、所詮はこのようなものなのだという自戒が必要だな、と。


1月22日

 町田明広『攘夷の幕末史』(講談社現代新書、2010年)を読む。幕末の派閥に対する尊王攘夷と公武合体という対立概念からの理解を批判し、基本的に全員が攘夷であり、ただし大攘夷と小攘夷とに分かれる、と主張する。大攘夷とは、現状では西欧列強に負けると認識し、現状の通商条約を承認して、そのもとで武装を整えて力を蓄えた上で海外進出を行うべき、という考えを指す。これに対して小攘夷は、通商条約そのものを破棄し、対外戦争も辞さないという強硬派であった。当時の政争はこの両者の争いと理解すべきであるとしている。たとえば、勝海舟や坂本竜馬は大攘夷であった。なお勝は、日本の国力増強を狙い、幕末期には征韓論を説いたこともあった
 すっきりとした分かりやすい理解であり、ロシアの動向が幕末の攘夷にとってまずは重要な位置づけにあるという見解や、あまり顧みられることのなかった朝陽丸事件(幕府から派遣された朝陽丸が、長州藩によって占拠され、乗組員が殺害された事件)などへの言及は興味深くもあるのだが、何となくテーマが小粒に見えてしまい、新書を読んでいるというよりは論文を読んでいるような感覚へ陥ってしまった。講談社の「日本の歴史」シリーズに含まれる井上勝生『開国と幕末変革(日本の歴史18)』の方が、専門的な知識と概説的なバランスが取れていて面白い。専門家が一般書を書く際には、意識してスタイルを変える必要があるのだな、という当たり前のことを痛感した。


1月27日

 ヴィクトル・ペレーヴィン(中村唯史訳)『恐怖の兜』(角川書店、2006年)を読む。「新・世界の神話」の神話と名付けられたシリーズに収録された1冊らしい。目が覚めると見知らぬ部屋に閉じこめられた8人の男女。彼らの部屋には共通してパソコンがあり、「私を見つけようとする人と一緒に、自分も姿を消してしまえるような迷宮を私はつくろう。これは誰が何について語ったのか?」と名付けられたアリアドネなる人物のスレッドでのチャットができるようになっていた。それぞれの人物は自分が見た夢を説明したり、その解読を試みたり、部屋の外に広がる謎の世界の冒険へと出掛けるが、なぜこのようなところにいるのかは分からないままだった…。
 物語はチャット形式で進んでいく。チャットを利用したトリックや、または何らかのどんでん返しがあるのかなと思ったのだが、不条理タイプの小説だった。もしかしたら、何らかの深いオチがあるのかもしれないが、残念ながらさっぱり分からなかった。個人的にはこういうタイプの、しかも外国の翻訳物(著者はロシア人)は最も苦手なタイプなので、最後までよく理解できないまま終わってしまった。これは、この小説が悪いのではなくて、私自身にこうしたタイプのものを読みとる能力がないためにすぎない。そういうものを得意とする人は興味深い指摘ができるのだろうが、私はまったくできないので、この文章も他人にとってはまったく無意味だろう。


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