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2015年4月の見聞録



4月8日

 門松秀樹『明治維新と幕臣 「ノンキャリア」の底力』(中公新書、2014年)を読む。最初は将軍の個人的臣下に頼って政治運営をしていた江戸幕府は、吉宗の頃には制度の拡充と収集・整理した行政資料に基づく政策決定行う体制が確立した。そうしたなかで幕府の人事に関するルートも確立されていく。そのシステム下にて登用されたノンキャリアが実務を担うことで、幕府は支えられていた。簡単にまとめたが、ここまでが第2章であり、ここから本題に入っていく。実を言うとここまではかなり面白かったので、明治政府にはこうした幕府の機構や人材がスライドすることで動いていたのだということを大局的に見ていくのかと思えば、維新史の流れと箱館戦争を第3・4章で取り上げるという事実史の流れの中に、ノンキャリアの人材が活躍した話が盛り込まれていくスタイルへと変わる。個人的には、山川の日本史リブレットを読んでいたら、いきなり通史を詳しく述べた概説書を読んでいるような趣へと変わったように思えて、その部分に面白みを感じなかった。思えた。第1・2章のスタイルで江戸幕府から明治維新への連続性を包括的に見た方がわかりやすい気がするのだが…。維新史に特に興味を持っている人ならば感想は変わるのかもしれないが、そこまで強く関心があるわけではないので、通史的な細かい叙述が続くと少しつらい。


4月18日

 加納朋子『七人の敵がいる』(集英社文庫、2012年(原著は2010年))を読む。女性編集者として仕事をこなす山田陽子の息子である陽介が小学校に入学した。息子が学校に通うことで少しは楽になるかと思いきや、入学早々の保護者会でのsかんしゅうてきなおきての存在を知らずに大立ち回りをしてしまう。その後も持ち前の能力に裏付けられた行動が、義理の両親、夫、子供、学童保育所父母会、自治会役員、PTAとの摩擦を次々と生むことになってしまう…。
 学校での保護者のこうした集まりに関して、私は全く知識がないのだが、いやはや大変なものだと思う。ちなみに、第5章で描かれたような、スポーツクラブに属する子供を持つ親は当番制で他の子供の世話もしなければならないというのは、私のころはまったくなかった気がする。仕事はめんどくさいし、しなければしないで陰口をたたかれたり、それとなく話から外されたりとやっかいなことこの上なさそうだ。著者はあとがきで、現在の制度を批判するつもりもないし子育てに高邁な思想なり意見も持ち合わせていない、と述べているのはおそらく本音だろう。でもおそらくは著者自身の実体験に基づいているのは間違いない。上記のスポーツクラブの面倒くささを述べたあたりでは、共働きの夫婦が増えるなかで、日本のスポーツ界の未来への不安が記されているが(236頁)、これはスポーツ界に属する人々が意外と見落としている盲点である気がする。
 本書を読んでいると、保護者の世間はしがらみの多いムラ社会のように思える。広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』が示すとおり、戦前は主に地域の共同体が担っていた子供の教育は、戦後にはは家族が行うべきとなってしまい、親の責任が重くなった。勝手な素人考えだが、もしかしてその隙間をPTAというムラ社会が埋めたのかもしれない、と感じた。PTAに参加するのが主に母親なのは、大日向雅美『母性愛神話の罠』が示すように、資本主義の台頭と共に誕生した近代家族における必要性から、母親が幼少期の子供の世話をするスタイルへと変化してしまったことから来るのであろう。
 ちなみに、雑誌編集者の女性と普通の仕事をしている夫や義理の家族との関係という点で、宮部みゆき『模倣犯』と、何となく似ているように感じた(もちろんこちらには、あちらと違い事件性は何もないのだが)。浅羽通明『昭和三十年代主義』にて指摘されているように、『模倣犯』でも自分を高みに置いた俯瞰をしがちなマスコミ関係者である前畑滋子の夫は鉄工所の若社長であり、彼が普通の世間との限られたチャンネルだった。本書の主人公である陽子も、同じように夫は普通のサラリーマンである(ちなみに、陽子の場合は両親が研究職だった点で、さらに特殊事例かもしれない)。滋子は劇的な事件によって崩壊しかけた夫との関係を、それに一太刀浴びせることで修復させた。とはいえ、宮部みゆき『楽園』で記されたように、そこから立ち直るのに数年もかかってしまったのだが。その点で本書の陽子は、PTAという誰にとってもありふれた場所を通じて、自分と家族の関係を地に足についたやり方で力強く(そして少ししなやかに)構築し直している。このなかで、少しずつ味方を増やしていく展開は著者のお得意のものだと思うのだが、しがらみのいやらしさを見せつつ最後にはカタルシスをもたらすように物語を終わらせる点において、著者の作品のなかでも、とりわけ面白い小説になっているのではなかろうか。


4月28日

 久繁哲之介『商店街再生の罠 売りたいモノから、顧客がしたいコトへ』(ちくま新書、2013年)を読む。商店街が衰退した理由として、しばしば大型店に客を奪われたといわれている。だがこれに対して、地元客に対するニーズに応える意欲が欠けている地元の商店主と、その状況を批判せずに彼らを弱者と見なして補助金を投入し続ける行政こそが問題であるとする。さらに企画化によって商店街をアピールして外部から客を招こうとした結果、それまでの地元の客を遠ざけてしまうという逆効果が生じ、恩恵を受けた店と企画にともなう公共事業によって潤う業者のみに利益が落ちる構造を、レトロ商店街、キャラクター商店街、B級グルメ商店街、シェア起業、スローフード、民間図書館などの実例を挙げつつ批判する。
 昭和の町並みを再現してノスタルジアを売りとするレトロ商店街の企画は、1994年の「新横浜ラーメン館」や1995年の「門司港レトロ」を始まりとして、多用されるようになっていく。確かに、これがうまくいけば観光客はやってくるようになる。だが、マスコミが報道して観光客が訪れるのは絵になる場所だけであり、同じ商店街内でもほとんどの店はその恩恵を被らない。となれば、商店街活性化という評価で見れば成功したとは言えない。たとえば、2001年に開業した豊後高田市のレトロ商店街である。20万人の観光客は来ているものの、2012年8月の段階で、昭和の町の観光スポットとその関連商品を扱う店には少しは観光客がいても、そこから離れるとシャッター外になってしまっていた。地元の客は、大型商業施設に集まっており、その中のチェーン店のパン屋にいた地元民に尋ねると、パン好きな「知り合いと出会って、仲間の輪や話が広がるのは本当に楽しい」(29頁)と語った。このチェーン店では新しくパンが焼き上がる時間告知するなどのサービスも行っており、商店街ではなくむしろチェーン店が地元密着のコミュニケーションを行っていると言える。東京都江東区の亀戸香取勝運商店街も同様の例である。オフィス街と住宅地が混在する地域でレトロ化を行ったため、観光客が訪れる日曜日に閉まっているなど、決してうまくいっていない。自治体はよその成功例を模倣して実績作りをしているにすぎず、補助金によって商店主を納得させているにすぎない。
 キャラクター商店街でも似たような構図は窺える。鳥取県境港市の水木しげるロードでは、水木しげるのプロダクションのバックアップを得て、反対する商店主が大半を占めるなか、やる気のある地域から始めていったのだが、ドラマ化などで水木しげるが脚光を浴びた結果として、観光客の呼び込みに成功した。なお反対していた商店主は、妖怪の銅像など気味が悪く客が寄りつかなくなる、と反対したものの、いざ成功すると「私の店前には銅像がないから観光客が来ない、不公平だ」(64頁)と言い出したそうだが、協力者を増やすことが成功には重要である。ただし、キャラクターに頼った商店街は、ブームが終わると人が来なくなってしまうという問題を抱えている。さらに、個々の商店主の工夫こそが大事である。水木しげるロードでいえば、マグロの水揚げが多い湊港という特徴を利用して、鬼太郎マグロラーメンをご当地ラーメンとしてPRしたり(映画版で主役を演じたウエンツ瑛士に旨いと言わせる広告も出している)、鬼太郎の一本歯の下駄を商品化して、店主自らはきこなすのが難しいその下駄を履いて「男だったら履いてみな!」(76頁)とのコピーで広告写真に写っている。また、顧客の求めに応じて着ぐるみ隊も導入した。この着ぐるみをうまく利用すれば、地域密着のお店でも子供の人気を得て母親を呼び込むことも可能となる。
 B級グルメに関していえば、餃子で成功した宇都宮のまねをして、家庭消費量や飲食店数の日本一という統計結果だけを見て失敗した例が多い。B級グルメによって空き店舗の起業を図り、地元の食材を活用する拠点となり、地域コミュニティーの場所とならねば、商店街の活性化は難しい。たとえば富山県高岡市は、世帯平均のコロッケ購入額が年2346円と日本で1位だったのでコロッケでの町おこしを図ったが、うまくいっていない。そもそも地域住民にとってコロッケは30円程度で買う惣菜食品であり、それを観光客に100〜300円で売る行為を恥ずかしく思っている。だが、地域振興を図る中高年男性は、そんな話は聞いたことがないと、こうした意見を却下してしまう。各地のB級グルメによるB1グランプリも、イベントに集まる客の投票を得やすいファーストフード化が進み、しかもイベントの方を向いて地域の顧客の方を向かないため、地域の産業を振興する方向へと行かない。
 さらに地域振興を先頭に立って引っ張るべきはずの地方の公務員は、地元の店舗を利用しない。マイカー通勤をして、食事は社員食堂で行うし、著者が研究会のために出かけても地元の店ではなく市役所内で会合を行う。そういった自分たちでもできる努力をせずに、会合を行っても成功例のノウハウのみを欲しがるのは、著者のプロフィールも下調べせずに、懇親会にて著者の年齢を聞いてくる職員が(特に50歳以上の中高年男性に)多いという失礼な態度からも窺える。これは身銭を切らずにすむ公務員の発想に基づいていると言える。ただし、商店主の側でも、それまでと違うことはできないとして顧客を重視せず、成功例のうわべだけを真似ようとする態度が見られる。たとえば、商品を小分けにすることを渋ったり、買い物客にサンキューメールを送るという事例を真似たのはよいが、商店街のすべての店が同じ文面を使い回す場合がある。ただし、やってみようとする商店主もいるのだから、そうした店に補助金を重点的に回すべきなのに、現在は商店街全体に補助金を出す場合が多い。さらに、補助金を出して店を開店させようとするだけなので、パチンコ店や風俗店が入店してしまうという場合もある。商店街を再生させるには補助金便りではなく、地域密着型の顧客を増やすことが必要となる。
 以下、本書ではそうした成功例が挙げられており、そのあたりは大事なのであろうが省略する。大事なのはその模倣ではなく、いかにして自分の地元でそれをできるかということになるだろう。前著である久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』を、さらに現場レベルに近づけて提言を行っている書と言える。ただし、コミュニケーションが大事だというのはわかるのだが、今の若者は対面でのコミュニケーションから始めるのをはたして求めているのだろうかというと、残念ながらよく分からない。いかにして若者を取り込むのかにあたっては、まだまだ試行錯誤が必要だろうなという気はする(そもそも地方での若者の生活基盤を築く必要があるという問題は、浅羽通明『昭和三十年代主義』でも気になった)。とはいえ、これはあくまでも素人の想像にすぎないので、そのあたりに対する具体案も、著者はすでに現場で行っているのだろうなと思う。なお、新雅史『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道』によれば、商店街そのものは第一次世界大戦以後に形成されたものなので、地縁的なものとは言い切れないのだから、やはり人同士のコミュニケーションが大事なのは間違いないだろう。
 以下メモ的に。コンビニが店の前に自販機を置くのは効率を重視する戦略と一致するので問題ないが、商店街はそれを行うべきではない。交流を重視する店の戦略と一致しないからである(41頁)。とはいっても飲食物以外を扱う店からすれば、儲けが出るので置くのは仕方がない気もする。
 徳島県上勝町で葉っぱビジネスを成功した横石知二は、自腹を切って料亭に行って料理に添えられた葉っぱの研究を行った。千葉県庁は、東京に隣接する千葉の商店街の支援のために行く意味がないとの著者の進言にもかかわらず、視察を敢行した。その後の報告書で「リーダーを商店街に育成することが急務である」と記しているが、身銭を切る行為を商店主に要求しているにすぎない(152〜153頁)。


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