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2015年3月の見聞録



3月4日

 池内了『宇宙論と神』(集英社新書、2014年)を読む。池内了『物理学と神』の続編という体裁を取る。中国・日本・インドの神話における宇宙観に触れつつ、古代から現在に至るまでのヨーロッパの宇宙観を概観して、神の観念との関係性の流れを追う。一言でまとめてしまえば、宇宙の在り方は神(々)に依拠しないのではないかとの考え方がヨーロッパでは一般的になっていく、ということになる。本書にてそれをよく示しているのは、近世における自然科学に関する記述であろう。近世は、自然科学と自然魔術が併存していた。自然魔術は、自然を神の英知に基づく1つの生き物と見なし、そこに隠された力を引き出そうとしたとする。これに対して自然科学は、神の領域と人間の領域を明確に区別しようとしたとする。この主張は、科学史的な流れとして間違ってはいないのだろう。しかし山本義隆『一六世紀文化革命』が主張するように、書物の知識に対して現場の技術の重視が16世紀に生じたという点が大きかったのではなかろうか。実際に著者も、自然魔術の原理として「自然界のさまざまな事柄を経験的実践的に研究する学知」(88頁)であるとしている。
 これと関係しているのが、著者が占星術には2種類あるとしている点であろう。国家や支配者の運命を天の異変から占う「公的占星術(天変占星術)」と、誕生月の星の位置から個人の運命を占う「ホロスコープ占星術(宿命占星術)」であり、中国や東アジアでは前者が広がり、ギリシアと西洋では後者が広まった。前者では、人間社会の絶対的な支配者でもある天の異変の監視に重点が置かれる。これに対して後者では、星の規則的な運動の注視が中心となった。その差異が東西の宇宙観に大きく影響したとしている(44頁)。これは間違っているとは思わないのだが、そうであるとすると、考えるべきはなぜ西洋ではそうした見方が広がったのかについてだと思うのだが、それについては特に明記されていない。「天の規則的な運動を足場にして数理的に整理し、地上の生活に活かすという東方世界が採用した方法は、神の啓示というような神秘性を帯びず、それが神に頼らないギリシャの自然観に結実していったのかもしれない」(57頁)といったやや曖昧な書き方がされているにすぎない。これについては、村上陽一郎『宇宙像の変遷』(放送大学教育振興会、1987年(リンクは講談社学術文庫版))でも、ギリシアでは自然のなかの根本的な秩序はいかなる原理に基づくのかを読み取る態度が重視され、キリスト教では神が人間にすべてを治めさせようとしたという人間中心主義的な自然観があったことが関係しているのではという推測が述べられているものの、なぜギリシアではそういう態度が強かったのかはやはりよく分からない。なお、本書では、天動説による惑星運動の説明について簡単にしか述べられていないが、『宇宙像の変遷』では詳しく説明されている。さらに天動説と地動説との間には論理的には大きな違いがないとの指摘もある。ギリシアの天動説では、最終的に惑星の不規則運動を説明するにあたって、地球のまわりの円軌道である導円のまわりをさらに円軌道する周転円が惑星の円軌道であるとする。しかし、地球のまわりを円運動している太陽のまわりで他の惑星が円運動しているとしても同じように説明できるし、さらに太陽こそが動かずに地球も動いているとしても同じように説明できる。つまり天動説の視点を2度動かせば地動説に至るというわけだ。もちろんこれでは、惑星の明るさが観測位置によって異なる問題を理解できない。古代における惑星の中心点をずらすという工夫から円運動ではなく楕円運動で説明しようとした近代天文学とは大きな違いはある。とはいえ、両者には類似があるとは言える。
 なお著者によると、物理学者は「そこで見え実験できる範囲で学問を完成したいと念願しており、大家になると「これでお終い」と言いたがる」(6頁)が、これに比べると天文学者は「実直であり、大家になろうとも素直に事実を受け入れる謙虚さがある」(同)という。その理由として、「宇宙を探る手段は時代の技術レベルに制約されており、一気にすべてを明らかにできないと自覚しているから」(6頁)と述べている。ただ個人的には、天文学が神々の存在を当たり前と見なしていた古代から行われてきたのに対して、物理学は神の概念が揺らいだ近世ヨーロッパに始まったという事実に由来する気がする。
 以下メモ的に。世界の創世神話における特徴は混沌(カオス)から秩序(コスモス)がいかに生まれたのかに着目する点である。神話は、空間が最初からそのまま存在しており、互いに入り交じっていた物質がいかに整然と分岐して、自然物が形成されてきたのか、という問いかけの解答である。つまり、空間の存在そのものについての疑いは持たず、そこにある事物の起源と変遷という時間的遷移に関心があったと言える(30〜31頁)。
 プトレマイオスの天動説は周転円の軌道上を導円が螺旋のように周りながら運動するというものであったが、惑星の速度の変化を説明するために、周転円の中心を地球からずらす離心円とエカントの理論に依拠した。プトレマイオスを受容したイスラームでは、14世紀にイブン・アル・シャティルがこの理論をやめて、第2・第3の周転円を加えて説明しようとした。この工夫は地動説を提唱したコペルニクスも採用している(74頁)。山本義隆『世界の見方の転換』に、この点が書いてあるかどうかを見落としてしまったのだが、あちらを読む限り、太陽の周りを回る惑星が導円の軌道を取っているのだから、第2・第3の周転円という説明とは少し違う気もする。ただし、読み落としがあるのかもしれないし、発想として近いのかもしれない(なお、コペルニクスがイスラームの理論に影響を受けたかどうかは本書には書かれていない)。
 19世紀には、この宇宙には巨大な銀河系のみが存在するという理論と、独立した星雲が併存しているという理論が拮抗した(136頁)。それを追及していく過程で、太陽系は銀河の中心ではないということも判明していき、地動説が受け入れられてもまだ残っていた太陽系こそが宇宙の中心であるという考えも否定されえていくことになる(140〜141頁)
 宇宙の様々な物理量が、人間が生まれるのに都合の良い範囲に調節されていることが判明されると、人間の存在を条件として宇宙論を組み立てる、いわゆる「人間原理」があらわれる。この台頭は、一神教と手を切りたいと望んでいた西洋の科学者が、ようやくそれをなし得る原理に巡り合えたためと考えられる(195〜196頁)。


3月9日

 加納朋子『螺旋階段のアリス』(文春文庫、2003年(原著は2000年))『虹の家のアリス』(文春文庫、2005年(原著は2002年))を読む。早期退職制度を利用して、念願の探偵事務所を開業した仁木。しかし客は誰も来ないある日、階段にたたずんでいた美少女の安梨沙に引き連れられる形で、事件へと首を突っ込んでいくことになる…。
 著者のお得意の短編連作。よくある小説のパターンだと、仁木と安梨沙が恋愛関係になるのだが、仁木は人気シナリオライターを妻に持つ妻帯者であり、安梨沙も実は家庭の事情で別の相手がいる。その意味で親子関係に近い。こう言っていいのかどうか分からないが、女性が書いた年配の男性向けの小説らしい気がする。


3月14日

 大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える』(新評論、2013年)を読む。管賀江留郎『戦前の少年犯罪』と方向性は似ているが、より対象となる範囲を広げたもの。「駅や車内は傍若無人の見本市」「公共の秩序を乱す人々」「誇りなき職業人たちの犯罪」「繰り返されてきた児童虐待」「すでに失われていた敬老の美風」「甘かったしつけと道徳教育」の各章のテーマごとに、戦前の新聞や評論などから引用して、戦前もすでにマナーやモラルの低下が訴えられていた事実を示す。
 たとえば、このような文章がある。「我日本の道徳上の現象を観察してみると、日露戦争以後だいぶ悪化した形成があるけれども、今日はなかなかそれどころではない。世界大戦以後は余程ひどくなって来たのである。あのときに比べて見ると十倍もそれ以上も悪化した形勢が見える」(7頁)。これは井上哲治郎『我が国体と国民道徳』(リンクは近代デジタルライブラリー)という1925年に出版された著作からの引用である。引用文中にある大戦とは第1次世界大戦を指すのであり、現在と同じような言説の存在を確認できると言える。エドワード・モースの著作などを見ると日本人はきれい好きであり行儀がいいと賞賛されている。ただしこれは身内や仲間に向けての道徳であり(子供や老人への虐待などもあったので、それすらも遵守されていたわけではないのだが)、外側に対しての道徳でなかったことは、(後で個別事例を挙げる)当時の新聞や著書などから見ると明らかである。したがって時代を下るごとに道徳心が低下していったとは言えない。
 以下で見ていく事例を読めば、決して戦前の公の場所でのマナーがいまよりも優れていたとは言い難いだろう。ただし、本書に紹介されている記事をもってして昔の人はいまよりも酷かった、またはその逆に、現在の記事と同じくそれらは現実を反映しているのではなく、昔をだしにしてその当時を嘆いている可能性があるのだからのだから事実と見なすべきではない、と安易に決めつけるべきではない。昔も今もマナーを守らない人間はいたのであり、ただしその時代の公衆のマナーを(少なくとも表面上は)守ろうとしている人もいた、というだけの話である。ただし公の場所でのマナーが悪いよりは良い方が過ごしやすいのだから、昔の事例を見て「ああいうのは余り気持ちよくないな」と反面教師にしつつ、今を批判するために昔を美化させすぎなければいいだけのことである。
 以下、個別事例をメモ的に。昭和初期に同郷で暮らしていたイギリス人女性キャサリン・サンソムは駅を利用する日本人について以下のように述べている。「「日本人は必要があろうがなかろうが、他人を押し除けて我れ先に電車に乗り込もうとします。〔中略〕駅にいると、集団の中の日本人がいかに単純で野蛮であるかがよく分かります。〔中略〕彼らの頭には、目的地に早く着くことしかないのです。この目的が達成されれば、彼れはもとの善良でのんきな日本人に戻ります」(キャサリン・サンソム『東京に暮らす 一九二八〜一九三六』一〇二ページ)」(19頁)。なお彼女は、日本人を非常に好意的に描いているが、好ましくない面として駅での行動をあげている。少なくとも駅での行動については、現在の方がましになっているが、この記述で興味深いのは、目的地に早く着くことしか頭にないという部分だろう。現在でも鉄道ダイヤの乱れにはたとえちょっとでも敏感な人は多いと思うのだが、当時のこうした行動と似ている気がする。1942年8月には「交通道徳強調週間」が実施されたが、この頃の新聞投書には中学生よりも上の学生は席を譲らないというのが見られる。しかしすでに1918年4月26日付『讀賣新聞』の投書に「この頃市中の電車に乗っていて著しく眼に付くことは、婦人や老人に席を譲る風が衰えたということであります」とある(24〜27頁)。
 車内での喫煙に制限は特になかったが、車内での喫煙に迷惑する人もいたので「たばこは遠慮してください」という掲示を出す列車もあった(34頁)。なお、私が子供だったころの1970年代後半や1980年代前半までは、国鉄の車内には灰皿があった記憶がある。1935年6月18日付『朝日新聞』には「電車の中や記者その他人混みの居場所で、ところ構わずコンパクトを出してはぱたぱた顔をはたき、果ては衆目を浴びつつ口紅までも御念入りに塗っている人たちをよく見受けます」とある(36頁)。1936年に大阪ロータリークラブが実施した「公衆道徳に関する調査蒐録」で、日常的に見られる不行儀・不秩序・不愉快・不衛生・迷惑・不都合についての市民アンケートでは954件の意見が寄せられたが、交通上に関するものが298件を占めた。乗車の先争い(41件)、車内での座席の占領(34件)、謝意での騒音・いたずら・飲食(21件)が上位を占めている(48〜49頁)。
 車内に食べ物を持ち込む乗客がいただけでなく、その後のゴミを車内に放置することが一般的だった。1943年10月19日付『秋田魁新報』によると、列車1本につき、ゴミが1日平均50貫(187.5キロ)でたそうである(30〜31頁)。なお、1930年3月25日付『讀賣新聞』では、東京家政学院の創始者である大江スミは「せっかくきれいに道幅も広々とつくられた立派な道路を、かの紙屑、蜜柑の皮、竹皮などを捨てて汚す悪臭がありますから、これを十分にきれいにしなくてはならないと存知ました」と指摘している(54頁)。京都の鴨川は、江戸期からゴミの投棄が問題になっていた(山崎達雄『洛中塵捨場今昔』(臨川書店、1999年))。明治になってもそれは続き、京都市は1875年にゴミ投棄の禁止、立ち小便の禁止、糞尿運搬の規則などを盛り込んだ「意識?違条例」を制定している(60〜61頁)。1930年3月20日付『朝日新聞』には公園を汚す人々が写真付きで載せてある(64頁)。1915年11月22日付『讀賣新聞』には「夜の銭湯を試験してみますと、汚いお話ですが、屎、膿汁、垢、内膜分泌物等実に不潔な物が澤山混じっているのを発見します」とある(74〜75頁)。
 1919年7月5日付『時事新報』には「積荷抜き取りは、我が国運送界多年の悪習である。荷主がそれがために蒙る損害は、鉄道院の賠償くらいで到底追っ付く訳のものではない」とある(88頁)。1921年8月27日付『時事新報』には、米商人は桝に細工して実量を少なくする方法でしばしば不正を行った、という記事が見られる(97〜99頁)。東京商科大学の初代学長である佐野善作は、1921年1月3日付『新愛知』にて、日本人の商業道徳の悪化を憂えている。「第一に我が国一般商人が自己の利益の為めに取引上の約束を無視し、宛も弊履を捨つるが如く容易に違約行為をすることでその約束破棄常習者の多きこと」、「第二には我が国の特許権侵害またはトレードマークの登用が統計上欧米先進国のそれより以上にある事」、「第三には見本と現品との相違の著しい事」が挙げられている(107〜108頁)。アンドルー・ゴードン(大島かおり訳)『ミシンと日本の近代 消費者の創出』にて、戦前の日本製ミシンがアメリカ製品を殆どそのまま模倣していた事実が明らかにされているが、それはミシンに限ったことではなかったようである。1930年7月3日付『讀賣新聞』によれば、東京幸島地所が館内の牛肉小売業者19軒を一斉検査したところ、8軒で不正が行われていると判明し、腐敗肉を扱っていた店や中国産の肉を偽って販売していた店もあった(113〜114頁)。1939年8月4日付『都新聞』では、犬の肉や死体の肉を牛肉や豚肉に混ぜて販売していた業者が摘発されたという(114〜115頁)。
 上記のキャサリン・サンソム(『東京に暮らす 一九二八〜一九三六』243〜244・250頁)は、日本の母親がイギリス人に比べて子供をしつけていないことを指摘している(199〜200頁)。ただし、もしかするとこれは、広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』や大日向雅美『母性愛神話の罠』などに従えば、かつては共同体で担っていたしつけを家庭内で行わねばならなくなった移行期ゆえかもしれない。
 なお、本書には敬老の精神の喪失についても取り上げられているが、新村拓『痴呆老人の歴史 揺れる老いのかたち』には、明治期に入るとそれまでは尊ばれた老人が批判的な目で見られるようになった事例が紹介されている。


3月19日

 篠田真由美『幻想建築術』(祥伝社、2002年)を読む。至高神のみが信仰の対象とされている唯一無二の「都」は、その神のおかげで繁栄が保たれていた。しかしその一方で、「都」の住民のなかには、多神教の偶像の影を感じ取る者もいた…。
 明らかに、キリスト教が国教化されて伝統的な信仰が排除されていった古代ローマをモチーフとしている物語で、各章ごとに登場人物が異なる短編連作集となっている。徐々に、都の虚構性が崩れていって歪んでいくのだが、そうした歪みそのものを明らかにするのではなく、幻想的でありながらも滅びを予感させる都市の姿を見守るような物語となっている。個人的には、一神教というテーゼと多神教のせめぎ合いをいかに着地させるのかという方向性に進んで欲しかったのだが、それでも神秘的な雰囲気を十分に味わえて楽しめる。
 なお、ハドリアヌスは「死ぬまで支配者であり、なおかつ神であった」(22頁)とあるが、ローマの皇帝は、自分自身での神格化は原則として死ぬまで行わない。ただし、帝国の住民のなかには皇帝を積極的に神格化しようとはしたので「皇帝は文字通り肉身の神として崇められたのだから」(同頁)はまちがってはいない(このあたりについては、弓削達『ローマ皇帝礼拝とキリスト教徒迫害』(日本基督教団出版局、1984年)あたりが詳しい)。


3月24日

 入江昭『歴史家が見る現代世界』(講談社現代新書、2014年)を読む。現代社会をグローバルな社会として、歴史家の視点から捉える。本書の内容をまとめてしまうならば、以下の言葉に要約されるだろう。「本書が伝えようとするグローバルな枠組の中で捉えられた現代の世界は、バラバラに存在する独立主権国家よりは国家間のつながり、ナショナルよりはグローバルな動き、国籍よりは『地球人』としての意識がつくり為そうとしているものである。日本人がそのような流れを否定して国家中心の考えにとらわれるのは、現代の世界を排斥するに等しい」(24頁)。こうした現在の状況に至るまでの近現代の流れはコンパクトにまとめてあり、それを手っ取り早く知るには役立つだろう。でもその先がない。グローバル化が進んでいることなど誰でも知っている。それをうまく生かさねば、国際社会では競争に遅れをとるのかもしれない。だが、具体的に個人がどうすればいいのかがここには何もない。国家への帰属は、アイデンティティとしては過去のものになるのかもしれない。それならば著者は外国へ行くときパスポートはどうしているのだろうか。パスポートは廃止すべきなのだろうか。廃止すべきならば、具体的にどうすべきなのだろうか。このサイトでしばしば取り上げている、著者自身が高みに立って超越しているタイプの論説にしかなり得ていない。もちろん、個人の行動はそれぞれの責任と意志で行うべきである。だがそのための指針となり得るようなものが、上記の引用部分程度のものならば、何も言っていないのと同じであろう。これならば、はじめからグローバル化の歴史だけ取り上げて、歴史家ならではの提言を行おうなどと考えなかった方が良かったと思う。


3月29日

 石持浅海『人柱はミイラと出会う』(新潮文庫、2010年)を読む。留学生のリリーは、研究室の友人である慶子の従兄である東郷直海が、人柱になると聞き驚く。かつては神への生贄だった人柱だが、現代日本では土地の神への担保として工事期間中に地下の空間にこもり続ける仕事だった。ところが、見学に行った人柱の帰還式にて、人柱の男性がミイラとになって発見された。だが東郷の推理は、意外な事実を浮かび上がらせていく…。
 短編の連作形式で、この他にも政治家の後ろでスピーチを助ける黒衣、お歯黒、本当に1年間休む厄年、警察犬のように鷹を活躍させる鷹匠、嫌なことを忘れるために食べるミョウガ、知事が東京に月替わりで赴任する参勤交代など、江戸までの風習が現在までも続いているとの設定で、それぞれ謎の事件が発生する形式を取る。留学生が日本の風習に驚くという形式で読者へ設定の説明を行うというのが上手く行われていて、全体で何かの謎が明らかになるのではなくて登場人物のストーリーが進むという形だが、個々に設定の異なる短編なのに、舞台設定と事件がきちんと語られている。西澤保彦ほどぶっ飛んでいないものの、スパイス的にまぶしたSF的な設定を盛り込むのが著者の持ち味ではないかと思うけど、個人的にはこれまで読んだ著者の作品のなかで一番好きかもしれない。


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