前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ


2008年7月の見聞録



7月1日

 ルース=レンデル(小尾芙佐訳)『ロウフィールド館の惨劇』(角川文庫、1985年)を読む。「ユーニス・パーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである」という言葉によって本書は始まる。犯人はあらかじめ分かっている状態から、なぜそのような惨劇へと至ったのかを描いていった小説。カヴァデイル一家はパーチマンを家政婦として雇った。はじめはその働きぶりに満足していた家族であるが、やがてパーチマンに対して何とも言えぬ違和感を感じつつようになる。しかしながら、都合よく解釈していくうちに、やがて後戻りできぬ方向へと事態は進んでいく…。
 ちょっとしたことの積み重ねが、結末の分かっている惨劇へと徐々につながっていく過程は、読んでいて緊張感をこちらに強いるのだが、それが面白くもある。ただし、本書を読んでいて一番印象に残ったのは、そうしたサスペンス的な要素よりも、教養を持つ人間の無意識な傲慢さだったりする。ユーニスは幼い頃からの環境ゆえに、文字を読めないままに成長したことは悲劇であることは間違いない。ただし、そのユーニスにさほど憐れみと同情を抱かないように巧みに描いており、単なるお涙頂戴の物語にしていないところがまた良いのだが、そうしたユーニスにカヴァデイル家の娘で大学生のミリンダは、ユーニスに学問的な知識を伝えようとすることで、彼女の猜疑心と憎しみを買ってしまう。たとえば、ミリンダがユーニスという名前は聖書からとった名前であることを告げる場面。ミリンダは別に偉ぶって知識をひけらかしている訳ではなく、あくまでも楽しいコミュニケーションとして話題を選んだつもりなのだが、ユーニスはミリンダが密かに自分を嘲っているのではないかと疑う(165〜166頁)。そして、ついにミリンダはユーニスは文字が読めないことを突き止めてしまい、それは恥ずかしいことではないのだから読み方を教えてあげる、と話す。ミリンダからすれば親切心かもしれないが、ユーニスにとっては辱められたように感じて、ミリンダの秘密を暴き立てて脅してしまう(203〜206頁)。
 物語の本筋からすれば崩壊へと至るエピソードの1つに過ぎないのだが、学問を修めた者は、その知識が万人にとって有用であると思いこんでいる傲慢さを暗示しているように思える。知識がない者にとって、知識をひけらかされることは必ずしもありがたいことではなく、時には恐怖でありさらには憎悪ですらあるのだな、と。オタク的な知識をひけらかすと嫌がられる場合が多いことについては、痛いオタク以外の人は誰でも認識しているだろう。だが、「教養」と見なされている知識を身に着けているとの自負がある者は、他人にとっては何の興味もない、聞く人にとってはオタク的な知識とさして価値は変わらないのだということを、得てして忘れがちなのだな、と。


7月6日

 管賀江留郎『戦前の少年犯罪』(築地書館、2007年)を読む。「少年犯罪データベース」に挙げてある事例から抜粋しつつ、解説を加えたもの。サイトを見れば載っている事例がほとんどではないかと思うのだが、活字として出版されたことに意味がある。世の中には、ネットは全く信用しないという人も、悲しいかなまだ少なくないので。
 「戦前は○○の時代(または○○時代)」と題された全16章から構成されており、○○には、「小学生が人を殺す」「脳の壊れた異常犯罪」「親殺し」「老人殺し」「主殺し」「いじめ」「桃色交遊」「幼女レイプ殺人事件」「体罰禁止」「教師を殴る」「ニート」「女学生最強」「キレやすい少年」「心中ブーム」「教師が犯罪を重ねる」「旧制高校生という史上最低の若者たち」がそれぞれ入る。「最近の若者は…」という物言いで非難される現象が、すでに戦前にも当たり前のように見られる事例や、美化された過去もしくは非難された悪習に対して、その反対とも言えることが当たり前のように見られたことを、これでもかと言わんばかりに列挙している。
 少年犯罪だけではなくネットに関してもそうなのだが、全肯定か全否定でしか物事を見れないというのは、悲しいことだな、と。そういう人に限って、自分自身の経験という社会全体で言えば僅かな体験から、全体の傾向を導き出してしまいがちなので、困ったことだ。
 とりあえず印象に残ったものを羅列的にピックアップしていこう。年齢はすべて数え年であるため、満年齢にすれば1〜2歳低くなる。9歳の少年が、自分のお菓子を食べようとした6歳の隣人を「毒が入っているぞ」「食べたら撃つ」といって脅したのに挑発し返しててきたので、父親の猟銃で射殺した(1929年、岡山県、3頁)。5歳の男児が、些細なことで喧嘩した結果、家から持ち出してきた竹棒で6歳の女児を殴って殺害(1927年、東京、13頁)。4歳の長男が、映画の真似をしていて3歳の次女を絞殺(1927年、大阪、13頁)。実家の米屋を手伝っていた15歳の少年が、8歳の女の子を誘拐してレイプしようとしたが抵抗したので殺害した。逮捕されてから小学校1〜3年生の女の子100人以上を誘拐してレイプしていたことが発覚した(1937年、兵庫、121頁)。
 18歳の無職少年が、10歳と3歳の女児の首を刺して殺害。成績は優秀だったものの、父親が病死したため就職しており、近所では親孝行と評判だった。探偵小説や犯罪記事のマニアであり、強迫状を送って騒ぎが起こるのを楽しんでいた(1936年、東京、19頁)。裕福な商人の長男である15歳の無職少年が、20歳の若妻をメッタ切りにして殺害。少年は金沢第2中学を2年で退学しており、探偵小説マニアであった(1937年、東京、22〜23頁)。農家の四男(17歳)が、自分の一家を日本刀で殺害しようとしたが計画倒れに終わり、甥と姪を殺害した。この少年は、小学校高等科を卒業した後特に働かず読書をして捜索に熱中、家族を殺害した跡形思いの少女と心中するつもりだったという(1941年、茨城、170〜171頁)。これらの事例を見ると、探偵小説や読書は危険な衝動を引き起こすということが言えてしまう。
 高等女学校を卒業した20歳の女性が、23歳の兄と協力して父親を毒殺。この女性は兄を神と信じており、敬虔なクリスチャンとして教会で懺悔したことから事件が発覚した(1933年、三重県、44頁)。信仰心に篤いのも危険である。
 住み込みの女中をしていた娘(19歳)が、未亡人の母親に悪い噂があるのを知って、猫いらず入りの紅白饅頭を無記名で郵送して殺害しようとした(1940年、兵庫、49頁)。「昔は郵送によって毒殺する事件が結構起きていました。現在のネットや携帯のような最先端のシステムとして活用されていたのです」(49頁)というのも確かに頷ける。
 なお、2007年には親殺しは128件発生しているが、1956年は尊属殺人が136件発生している。後者の場合、自分の親を殺した事件は尊属殺人のうち96%程度とされるので、だいたい120〜130件が親殺しと考えられる(44〜45頁)。「教育勅語にいくら父母に孝行せよと描いてあったと言っても、戦前は少年の親殺しも多発していた」(45頁)。そして、戦争が激化してくると、未成年による尊属殺人は報道されなくなったようであり、そのことが戦前にはそのようなことがなかったという誤解の一因になっていると推測している(64頁)。
 19歳の農夫が通行中の老女(60歳)を日本刀で切って財布を奪った。この少年は、カフェの女給と恋仲になって金が必要になり、家出をするために『新青年』の探偵小説をヒントに犯行に及んだ(1932年、岡山、68頁)。戦前はこうした老人殺しが、しかも貧困のあまりではなく、遊ぶための金ほしさの犯行が頻繁に生じていた。
 子供同士の喧嘩やいじめでも、度を超した行為が行われており、小学1年生2人が、5歳の女の子を倉庫に連れ込み硫酸を掛けて逃走した事件(1928年、東京、91頁)も生じている。他にも、小学3年生3人が同級生を松林に連れ込み、裸にして木に縛り付けて火あぶりにしようとしたところを見つかった、というのもある(1934年、網走、96頁)。
 また、中流以上の家庭の子女も、頻繁に遊び歩き援助交際をしていた。1931年1月28日の東京朝日新聞には、検挙された女学生が警官に「あなた方に私たちの恋愛に対して文句を言われる訳はありません」と食ってかかったという記事が掲載されている(100頁)。1941年に、心理学者の青木誠四郎は、古い考えとは言われても親は子供を厳しく監督すべきというコメントをしたという。つまり、当時は放任する傾向にあったことが窺える(103頁)。同志社高等女学校3年生(15歳)が、病死した父親の通夜の席で陣痛を起こして出産している。兄が窒息死させて父親の棺桶に入れたが発覚した。なお父親は医師であったが妊娠には気づいていなかったという(1939年、京都、110頁)。
 永井荷風は、銀座の一流レストランで4人の子供が騒ぎ回っているのを両親がやめさせようともしないのを見て、「今の世の親達は小児の躾け方に全く頓着せざるがごとし」と1933年の日記に書いたという(4頁)。しかし、江戸時代の育児書には子供は自然のままに任せるのがよいと書かれているものもあり、ルイス・フロイスやオールコックはそうした傾向を賞賛していたという(4頁)。なお、十代の頃の荷風は、学校をさぼり、家の本を売って遊郭に入り浸ったため退学になったらしい(5頁)。家庭でのしつけは、戦後まもなくに至るまでさして行われていなかった状況については、広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』に詳しい。
 実際に、小学校の教師が掃除中に喧嘩をした5年生の顔を殴ったところ、父親は謝罪を要求したが、相手にされなかったので警察に届けたところ、校長は慌てて謝罪をしたという出来事があった(1934年、佐賀、133頁)。入学してからずっと授業中に歩き回って私語をして、教師が叱っても全く聞かなかった4年生が感化院に入れられたという事件もあり(1944年、秋田、141頁)、こうした事件は珍しくなかったことから、学級崩壊は戦前からあったことが分かる。なお、教員の中にも夜の仕事をする小学校の女性教師がいたり、視察の名目で出かけた釜山旅行にて、乱交の貯めに捕まったものもいた(252〜253頁)。
 なお、最後の章では旧制高校生を取り上げているのだが、知的エリートと見なされてきた彼らが、町中や校内で暴れていたという記事はいくらでも見られるし、さほど本も読んでいなかった実例を回想録から挙げている。
 そして、軍事エリートの青年による犯罪として何度か触れられているのが二・二六事件である。二・二六事件に何か高尚な思想的な動機を見るのではなく、若者による老人への犯行と見なしている。実際に、当時の風潮として、大正時代の好景気を経験した年寄りが不況にあえぐ昭和の若者に説教めいたことをいって疎まれていたようであり、そういう鬱屈が政治家や財界のトップの暗殺につながったのではないかと推測している(173〜174頁)。「最近、戦前への回帰を唱える人がいるようですが、このような虐げられた若者が、既得権を持つ老人を殺して回るような時代が来て欲しいということなんでしょうか」(174頁)というのは、まさに痛烈な皮肉だろう。
 さて、ただ単に事例を引用して羅列したような文章になってしまったが、他にも数多くの事例が挙げられている労作なので、少年犯罪について少しでも思うところがあれば読んでおくべき本である。今後、本書を読まずして、考えもなしに「最近の子供は…」などと批判することはできなくなるだろう。
 ただ一点だけ気になったことがあり、すべての事件に関して出典が明確にされていないこと。どうせならば、正確な誌名や日時を挙げた方がよい気がするのだが。そうすれば、本書の価値はさらに上がるように感じる。
 ただし、それぐらい自分で調べろという考えなのかもしれないし、出典が挙がっていないから本書の記述は間違っていると批判する人物を、後でまとめて斬るつもりなのかもしれないが、よく分からない。それとも、これまでは戦前を美化する情報を鵜呑みにして勘違いがされてきたけれども、それと同じく本書の情報を鵜呑みにして戦前を貶すのではなく、自分で調べるべきだという著者からのメッセージなのだろうか。


7月11日

 佐藤友哉『1000の小説とバックベアード』(新潮社、2007年)を読む。「僕」こと木原は、依頼に答えて特定の個人のみに物語を書く職業である「片説家」として働いていたが、27歳の誕生日にクビを言い渡された。そんな木原のもとに、小説を書いて欲しいという配川ゆかりが突然現れる。彼女の妹・つたえは何者かが書いた「片説」を読んだのだが、その後失踪してしまったという。しかしそのさらに背後には、小説に含まれる毒の部分のみを抽出した文章を世の中に広めようとする「1000の小説」という計画を、「やみ」なる組織が行おうとしていることが判明する…。
 主題となっているのは「小説」だということには違いないが、何となく前衛的な雰囲気があって、内容をまとめることや、主題や個々の場面の含意を考えることにはあまり意味がなさそうだ。実を言うと、小説をめぐる言説を日常的な風景から考え直すようなものなのかなと思っていたら、非日常的な舞台設定の中で寓意的に語るというスタイルだったので、個人的には少し期待していた方向とは違うのだけれど。とりあえず、小説をめぐる言葉に関して、何となく印象に残った部分をメモ的にピックアップしてみる。
 つたえのメッセージが入っていたDVDを見た木原とゆかりは場面ごとに喜怒哀楽の感情を揺さぶられ、最後にはオーガスムへと達してしまった。しかし、木原が調査を依頼した探偵の一之瀬は、これを見ても何も感じなかった。木原はその原因を、一之瀬が小説に興味がないためだ、と説明する。「小説によって生活や性格が劇的に変わったり、人生の分岐点で小説の一説をふと思い出したり、小説とともに困難を乗り越えた経験のない一ノ瀬さんが映像を理解できないというのは、あれが言語によってつくられていることの逆説的な証明となるだろう」(84頁)。
 木原が首になった会社の社長である水口は、小説は読者の感情を高めることも下げることも、壊すことも治すこともある、とする。一方で片説は、依頼人の欲しがっていることに見合った文章を書く。しかし、片説はお客様第一であり、そんな心根で書くものが小説にかなうはずもないと蔑む木原を、本気で片説を書けば小説に勝てる、「小説を書くような心で片説を書いたらそれは、もう小説だ」(123頁)と、罵倒する。
 つたえの台詞である以下の文章は、著者自身の意見なのだろうか。「今書かれつつある小説たちを、変質しつつある小説たちを、私は否定しません。小説をめぐる状況を残念がりはしません。小説は死んだと云って悲嘆にくれたりはしません。新しく書かれる無数の小説たちに、『ノー』を突きつけたりしません」(235頁)。これなどはライトノベルなどに対して「深みがない」といった批判をする、いわゆる「文学」を信奉する人へ向けられた著者自身の言葉のように感じたのだけれど。


7月16日

 波頭亮『就活の法則 適職探しと会社選びの10ヵ条』(講談社、2007年)を読む。3年以内に3割の若者が会社を辞めるということを鑑みて、どうすれば就職がうまくいくのかについてアドバイスを行っていく。まずは、やりたいこととできること、そして世の中で求められていることの3つを満たす目標設定が大事だが、そのためにはランキング上位企業を目指すことはやめるべきだとする。加えて、背伸びしていい企業にはいるよりも、同期の間での自分のランキングが上位に入るような会社を目指すべきと述べる。
 そしてOB訪問やインターンシップは、所詮会社にとって都合の良いところを見せられるだけなので、信用しない方がいいとする。特に、最近流行の後者に関しては、「よくできたお芝居」に過ぎないとし、学生が好印象を持つような仕事があらかじめ用意されている、と手厳しい。
 以上を踏まえた上で、エントリーシートを出す会社は5社程度に絞る方がよいとする。その作成にはかなり手間が掛かるため、それ以上はかえって逆効果となり、結局のところ書類選考ではねられることになる。そして、自己PRでは、アルバイト、サークル、ボランティアは当たり前すぎて好印象を与えられないので、むしろ努力した姿を見せて、磨き上げた自己イメージをアピールすべきとする。そして、入社前の期待と現状が異なっても、3年は我慢して、会社のなかでの地位を築いてから要望を出すべきとする。そこまでしても、何も変わらなということが分かってから辞めればよい、とする。
 私自身は特に就職活動をしないまま教育産業の片隅にいるので、本や知人の話でしかこの辺りのことを知らないため、就職活動の実態というのはよくわからない。だが、本書を読んで感じたのは、結局のところ、自分のことを知るにはどうすればいいのかについては、曖昧なことしか書いていないな、ということ。興味本位で就職関係の本をいくつか読んだことはあるのだが、たいていの本には最終的には努力の量と結果を結びつけている気がする。むしろ必要なのは、この本でも割とぼやかし気味に「背伸びしていい企業にはいるよりも」と書いてある部分を、はっきりと「残念ながら、才能には差があるのだから、無理なものは無理」と宣言することではないだろうか。もちろん才能には色々な分野があるので、1つの才能がないからといって低く評価されるべきではないのだが、努力してもどうにもならないことがあると、この手の本を執筆する方々は分かっていると思うのだけれど。
 著者は「真面目な学生が就活に成功するのに必要な賢さ」を示そうとしたという(167頁)。しかし、真面目な学生がこれを読めば、ますます「頑張らねば」と追い詰められるような気がする。むしろ、無理なことは諦めるように厳しくかつ冷酷に宣言し、だからといって人生捨てたもんじゃないとも励ますことが必要なのではないだろうか。鈴木みそ『オールナイトライブ』第5巻に収録された、編集部へ原稿持ち込みした人に対して、奥村編集長は無理だと感じたら「むいてないからやめな」と宣言するという場面があったが、あれは意外とすべての職業に当てはまる言い方である気がする。
 以下、メモ的に。2006年には大卒の求人倍率が16年ぶりに2倍を超えた。それによって、バブル期に入社して企業内で甘やかされてしまった1989年〜91年入社のバブル世代が再び現れるのではないかと危惧されている。彼らの多くは企業を支えるマネージャーとしてのスキルや責任感が欠如していて、企業のアキレス腱になっているという(34〜35頁)。私は、このすぐ下の世代にあたるのだが、本当にそうなのかどうかはよくわからない。現場の声を著者は聞いたのかもしれないが、その現場の声が単なる思いこみや愚痴にすぎないものなのかどうかは判断できないので。
 自分の大学よりも上位の大学の大学院に入って学歴アップを図り、就職活動を有利に進めようというのは、あまりお薦めできない。企業は文系大学院卒をエリートではなく就職活動の敗残者だと認識しているからである。それならば、文系出身の学生でも理系を目指した方がよい(60〜61頁)。
 著者の主催している就職活動のゼミには、一流大学の学生が来ているものの、日本人学生よりも留学生の方が圧倒的に優秀であるとしている(154〜155頁)。岡崎玲子『レイコ@チョート校』を読めば、少なくともアメリカのエリート学生の学力が日本のエリートを遙かに超えるであろうことは予想は付いたが、他の国でもそうなのかもしれない。裏付けもなく日本人論のようなことはあまりいいたくないのだが、近代の日本は平均的な底上げには、経済的な土台もあって成功したけれども、エリート教育には失敗しているのかもしれない。そもそもエリート教育ということ自体に、どうもネガティヴな意味合いを持たされてしまっている気がする。


7月21日

 冲方丁『マルドゥック・スクランブル The First Compression−圧縮』(ハヤカワ文庫、2003年)を読む。賭博師シェル=セプティノスに買われていた少女娼婦ルーン=バロットは、自分のことを知ろうとしたがために、爆殺されかける。彼女を救ったのはドクター・イースターとネズミ型万能兵器であるウフコックであった。彼らによる意識内での問いかけで生きることを選択したバロットは、ウフコックをパートナーとして、シェルの犯罪を追い始める。しかし、シェルの味方に付いたのはかつてのウフコックのパートナーであったボイルドであった…。
 少女と武器という組み合わせでありながらハードボイルドな空気を漂わせているものの、クライマックスには抜群にシンクロしたバロットとウフコックによる敵の撃退があるので、スカっとした結末があるのかと思えば、いいところで終わり、次巻へ続いていた。しかも、派手な冒険活劇になるのかなという予想は、良い意味で裏切られた。思えば、それまでにも決してそうはならないであろうという仄めかしは、ちらほらと見えていた。
 バロットは父親にレイプされ、彼女の兄は父を襲い、母親はアルコール中毒になり、自身は施設へと入れられた。その施設でも「お前は悪い子だ」といわれて、またレイプされた。どうして抵抗しなかったのかと問う無関係な人間もいたが、どうしようもなかった。自分が悪い訳ではないはずなのに、そのような状況にあったバロットは、裏切られない相手が欲しかった。「相手がノーと言えば、決してそれをしない」(122頁)ウフコックこそ、彼女が求めていた人物であった。だが、それは行き過ぎた感情ともなる。バロットはウフコックに自分を愛してくれるように求める。それこそが生きる価値になると。ウフコックは自分は武器であると述べ、「君は君のために君自身を生き延びさせ、生存を勝ち取らなければならない」(154頁)と告げる。しかし、バロットはこの言葉を、あまりはっきりと認識せず、どちらかといえばスルーした形になっている。自分を愛してくれるようにと求めることは、他者のへの依存であり、それはウフコックに会う前のバロットが自分を持つことが出来なかったことの裏返しに過ぎないだろう。
 そして、バロットは弱者であったはずなのに、ウフコックとシンクロしてそれを使いこなせることが分かった途端、今度は逆にそれを濫用する側、つまり虐げる側へと知らず知らずに変わってしまう。その予兆として、前半部分には信号機を好きなようにいじるという場面があった。ウフコックにたしなめられて納得したものの、クライマックスの部分で、彼女を排除しようとするプロの「畜産業者」を撃退するときに、それは発露する。確かに降りかかった火の粉は打ち払わねばならない。だが、バロットはその力に快楽を感じてしまった。「かつて虐げられていた自分が、今、最高の快楽を手にしている」(283頁)と。バロットは、攻撃を止めてくれといっていたウフコックの願いを無視して、かつては約束を破られ続けた自分が、逆に今度は破る側に立ってしまったことに気づく。
 そして、2人の前にボイルドが立ちふさがり攻撃を仕掛けるところで、この巻は終わる。つまりこれは、SFやアクションといった活劇を楽しむ小説や、ハードボイルドという雰囲気を感じる小説というよりも、SFという舞台を借りたバロットの成長物語なのだろう。


7月26日

 武田晴人『仕事と日本人』(ちくま新書、2008年)を読む。勤勉に働くという「労働」観が、近代に入って成立した過程を歴史的に追う。
 そもそも、「働」という感じは日本でつくられた国字であり、漢語ではそもそも「労動」という熟語しかなかった。「労動」は「身体を労し動かす」意味だが、「労働」は「骨折ってはたらく」の意味であり、近代に入ってからつくられた熟語であった。それとは対照的に、明治初期の外国人の証言には、日本人は怠惰で享楽を好むという評価が少なからず見られる。そもそもヨーロッパでも、産業革命に至るまでは、近代的な意味での時間に追われる形の勤勉さを持ち合わせていなかった。とはいえ、日本では江戸時代に、農民の地位向上に伴い勤勉に働く習慣も生まれたとされる(速水融による主張)。ただし、ほとんどの農村では19世紀中に休日の日数は増加していったことは、勤勉性が所得増加の追求ではなく、余暇の増加にも結びついていたことを示す。こうした中で成立した近代的な工場は、働き手や技術のある職人に規律ある仕事を課する労働者へと変質させ、またそれゆえに「労働」という言葉にはよくないイメージが与えられていった。
 以下、労働時間、残業、賃金等の話が続くのだが、個人的には特に目新しさを感じなかったので省略。労働という観念が、明治以後に成立したということを知れた点では有用だったので、得るものはあった。
 以下メモ的に。アメリカでも、日本のニートのように働かない怠け者と見なされた若者は、「スラッカー」と呼ばれて批判の対象になっている。つまり、アメリカ的な規制緩和型の経済政策をとっても、現在の労働問題は解決できない点もあると言える(21頁)。ジル=A=フレイザー『窒息するオフィス』の項で書いたが、こういうところでも日本はアメリカの後追いをしているのだな、と。
 なお、日本と違ってフランスには、新卒を雇用して訓練するような労働市場にあたる就職の仕組みはないが、2005年の26歳未満の若者の失業率は20%を超えていたという(14頁)。日本の新卒者を同じ時期に取るシステムが批判されることもあり、確かに良くないところもあるだろうが、失業率を抑えるという点では役に立っていると言えるのかもしれない。
 明治の終わり頃には、鉱夫は蔑みの対象になってしまったが、明治の初め頃にはむしろ稼ぎのよい羽振りのいい職業であった(91頁)。工女は稼ぎの上では得だったようだが、それでも工女として働くことが歓迎されなかったのは、彼女たちが家事や農作業にとって不可欠な労働力だったからであろう(124頁)。
追記:2014年5月21日〕
 内容に関して述べるのを省略した箇所を読み直す機会があったので、メモ的に追加。「時は金なり」という言葉で有名なフランクリンは、17歳で印刷工になってから43歳まで働いていたが、毎日6時間しか働かなかった。引退後には、色々な発明を行った。「その後半生は四〇年以上あったですから、時間を惜しんで働きなさいという箴言の著作者として名前が挙がるのは、フランクリンからすれば迷惑かもしれません」(136〜137頁)。
 戦前の日本でもすでに残業は一般化していた。染織工業や機械器具工業の男子では3時間に近く、最長の化学工業では12時間にもおよんだ。これは労使関係の弱さに由来するものでもあったが、残業代を稼ぐために所定の労働時間にはのんびりとして仕事する者もいたようである。「時間さえくれば金になるんだから。昼間がんばってしまえば昼間の給料だけなんだけれど、ぶらぶらして、夜まで仕事を残せば残業になって二割五分増しとね」という話も残っている(172〜173頁)。なお、1960年代に入って、支出消費の増加率の変化と残業時間の増減は連動している。豊かな生活を享受するために消費を拡大することと、残業とは不可分の関係にあった(193〜194頁)。
 なお、所得とは無縁の仕事は労働とは見なされないという近代の労働館は、労働に関わる主体性の喪失につながっている、としていてその改善を訴えているが、理念的な提言以上の具体的な策は書かれていないような気がする。


7月31日

 久綱さざれ『神話の島』(東京創元社、2007年)を読む。高校生の布津美涼は、幼い頃に秋津教という文明を否定した新興宗教に入信した両親から引き離されて暮らしていた。その両親の死後、自分には妹がいて、両親が信者と共に暮らしていた孤島・御乃呂島で暮らしていることを知り、その島へと向かう。しかし、文明と呼びうるものがほとんど発達しておらず、妹の真名以外は老人ばかりが暮らすこの島で死者が発生し、しかもマラリアと思しき熱病まで発生するという事態に巻き込まれる。御乃呂島と日本神話に関わる伝承に引きつけられてやってきた大学院生・笹礼に協力していくなかで、島の真相と意外な事実へと辿り着く…。
 うーん、面白くないわけじゃないのだけれど、劇的に面白いわけでもない。導入部分で用いられた日本神話との関わりは結局だしに使われた感じで、何となく尻すぼみな気がするし、秋津教の存在や突如としていなくなる真名の行動などの伏線は回収されているものの、なるほど、という以上の驚きもない。村の閉鎖社会の描写は丁寧だけれども、群を抜いて巧みだという訳でもない(この辺りは、小野不由美『屍鬼』の方が恐ろしさを感じさせてくれた)。それと、名探偵の役割をこなす笹礼の存在が、どうにも不自然に感じてしまう。最後で彼がなぜここにいるのかは明かされるものの、どうにも取って付けたようだし、最後の彼の活躍も強引すぎる気がする。


前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ