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2014年1月の見聞録



1月6日

 鮎川哲也(北村薫編)『下り“はつかり” 鮎川哲也短編傑作選2』(創元推理文庫、1999年)を読む。北村薫によって編集された短編集となっている。巻末には、作者自身や北村薫の解説や、北村薫・有栖川有栖・山口雅也による対談も掲載されている。1950年代から1960年代の作品が主であり、時代背景については昭和を感じさせるが、ミステリとしては(トリックに昔の道具や技術が絡むものもあるとは言え)十分に色あせない魅力を持っている。特に面白かったのは、日本探偵作家クラブで披露された犯人当てゲームの朗読劇である「誰の屍体か」。読み始めて叙述トリックであることは分かったものの、その使われ方には気づかなかった。ふと思ったのだが、叙述トリックの始まりはアガサ・クリスティー『アクロイド殺し』だとして、日本では誰が最初にやったのだろう。
 ちなみに、時代背景について特に昭和(というよりは30・40年代)を感じたのは、結婚前にセックスをした女性が「よい意味でもわるい意味でも近代女性」と評されている部分(119頁)と、彦根を「県庁の所在地を大津にきめられ、鉄道の操車場を米原にとられ、戦後ようやくめざめたときには急行列車も止まらぬ野暮ったい田舎町となりはてた」と述べている部分(137頁)だった。


1月11日

 小名康之『ムガル帝国時代のインド社会』(山川世界史リブレット、2008年)を読む。タイトル通りムガル帝国を取り上げたもの。通史、制度、経済発展と首都建設、社会と文化、衰退を各章で取り上げている。インド史を古代ヒンドゥー社会、中世イスラーム社会、近代イギリス支配と図式的に理解する見方に疑問を呈し、ムガル帝国の時代でもインド内部は一元的に支配されていたのではなく、地域ごとの多様な状況を抑えつつ対応していた実態を見ていく。たとえば、ラージプート地方にもともと存在していた諸王国に対しては、王たちに帝国中央の高い地位を与えつつ、その領土支配は据え置いていた。他にも、税金も人頭税を廃止して地税を導入したことは有名だが、その徴税方法は地域ごとに異なっていた。
 少し必要があって読んだのだが、ムガル帝国についての概観を抑えるのには便利だとは思うものの、面白味には欠ける。第2期以後の世界史リブレットには、通史をベースにしつつも興味深い新たな見解の提示をしているので読んでいて面白いものもあるのだが(たとえば、このサイトで取り上げたものならば、林佳世子『オスマン帝国の時代』、小松香織『オスマン帝国の近代と海軍』)、個人的には本作はそういった楽しみがほとんどなかった。というわけで、とりあえず基本情報を抑えられればよい、という人には使えるだろう。


1月16日

 アガサ・クリスティー(中村妙子訳)『春にして君を離れ』(ハヤカワ文庫、1973年)を読む。良き妻として3人の子供たちを育てたジョーンは嫁いだ娘を見舞いに行ったバグダッドにて、女学院時代の旧友と出会う。旧友の現在と比較して、現在の自分を誇らしげに思っていたのだが、娘のことは心配いらない、時にはふらっとするだけ、と言われて何のことか分からなかった。そうしたなかで、イギリスへの帰路にて電車の問題で何日にもわたって足止めをくらってしまう。他にやることもないときに、ふとそれまでの夫婦生活、そして娘や息子達との関係に疑問を持ち始めて、過去のことを思い出し始める。自分は本当に良き妻と母であったのか…。
 純粋なミステリとは言い難いかもしれないが、過去に関する断片的な知識から、本当であるはずの状況を導いていくという意味ではミステリである。ミステリというよりは何らかの事実の再検討によって新たな解釈を提示するという点で歴史学っぽいかもしれないが。その意味で、 ジョセフィン・テイ『時の娘』の現実版と言えるかもしれない。クリスティは残酷な物語を紡ぐ人なのだな、と。事実を見つめる勇気を持つべき、という言葉をジョーンに思い出させながら、結局は甘い夢に浸ることを選ばせている。他人事のように偉そうに言えるわけではなく、これは誰にでも当てはまりそうなことなのだが。そうした残酷な物語を紡げるのは、クリスティが冷酷な視点を持つと共に優しい人だからかもしれない。


1月21日

 塚田孝『大坂の非人 乞食・四天王寺・転びキリシタン』(ちくま新書)、2013年)を読む。「非人」は、単純に江戸時代の身分制度の最底辺に隔離された存在ではなく、たとえば町旦那への勧進を行う者がいた。さらには、町奉行所の盗賊方の下で情報収集・犯人捕縛・警備などを行う御用を勤める場合さえ珍しくなく、それどころか地位をかさに着た横暴が問題になることさえあった。また、大阪の非人の場合、4か所の垣外と呼ばれる箇所に集住していたが、宗旨人別帳を精査していけば、個人レベルでいえば、垣外間を超えた婚姻も見られたし、医者へ入院するために人別を移動し町方へ移住する者もいた。身分制のレベルでは「士農工商えた非人」というイデオロギーが存在していたのは事実だが、実際の集団レベルとさらにミクロな個人レベルでは、それとは異なる構造があったといえる。
 ただし本書は、一般向け新書というよりは、大坂の非人に関する個別論文をなめらかにつなぎつつ1冊の本にまとめたという趣が強く、専門外の人間にとってはあまり読んでいた好奇心をそそられるものではないように感じた。とはいえ、本書で多くのページを割いている実証主義的な家系図の研究を省けば、証拠のない単なる読み物になってしまいかねないので(そうしたものに価値がないわけではないのだが)、難しいところなのだが。
 そういえば南和男『幕末江戸社会の研究』では、江戸に流入してきた下層民が非人へと身分を落とすこともあり、さらには、そうした新たに非人になった者を監督していたのが、世襲によって地位を受け継いでいた生来の非人であったらしいと書かれていたが、本書に基づけば、上から下へだけではなく、下から上への流動性も生じていたことになる。なお、大坂の垣外には、転びキリシタンも住まわされていたらしいので、遠藤周作『沈黙』(新潮社、1966年)に出てくるような転んだ人物は、平戸に住んだりするのではなく、実際にはこういうところに移されていたのかな、とふと思った。こうした非人による勧進が否定されていった後の流れは、『貧しき人々のむれ(日本残酷物語1)』(平凡社ライブラリー、1995年(原著初版は1959年))にて、乞食がかえって寄付をもらえなくなったという話があったのだが、そういった流れになるのだろうか。ただし、近世以前の非人とそれ以降の部落との断絶を説く畑中敏之『「部落史」の終わり』のような書もあるので、単純にそうとは言い切れないのかもしれないが。


1月26日

 アントニイ・バークリー(鮎川信夫訳)『試行錯誤』(創元推理文庫、1999年)を読む。余命数か月と宣告されたトッドハンター氏は、余命の有意義な使い方として、世間にとって悪しき人物の殺害を行うことにした。ようやく標的を決定して実行したものの、別人がその殺人の容疑諭して逮捕されてしまう。自分自身が真犯人であることを主張するも、証拠がないとあきれられた彼は、自分の犯罪を証明しようと奔走する…。
 最後にさらに一ひねりがあるものの、個人的には、犯罪に至るまでのプロセスが長すぎてだれてしまう気がする。もう少し短くてもよかったのでは。


1月31日

 ベルトラン・ジョルダン(林昌宏訳)『人種は存在しない 人種問題と遺伝学』(中央公論新社 2013年)を読む。単純に、その主張をまとめてしまえば、遺伝子学的に見れば、黒人や白人などのいわゆる人種の差は、犬の種類の差よりもはるかに小さいので、「種」というほどの差異は存在しない、ということになる。DNAにおける1つの塩基に基づく遺伝的多型性(一塩基多型(スニップス(SNPs))の違いが、遺伝的な多様性と関連するのだが、その差異は2つの地理的に異なるヒト集団の間よりも、1つの地理的ヒト集団内の方が大きいからである。
 人種差別はもちろん許されるべきではないが、遺伝子学的に差異はないと言われても、やはり肌の色の違いは何らかの差異を意識させるには十分ではないかという感情がある。アスリートにおける黒人の身体的能力の優秀性をはっきりと認めた、ジョン・エンタイン『黒人アスリートはなぜ強いのか?その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る』を感情では認めてしまうのは同じことだろう。ただし本書では、たとえば西アフリカ出身のランナーは無酸素状態で筋肉を動かすのに役立つ2つの酵素のレベルが高いことは事実だが、それの遺伝子的な割合はどの程度か分かっていないと述べている。その上で、出身地期は極めて限定的なので、特殊な遺伝子型が考えられるのであり、黒人であれば誰でもスポーツの才能があるという結論を導き出せないとする。かつては日本人がマラソンの世界記録を持っていたこともあるので、確かに遺伝子だけが決めるとは言い難いのかもしれない。
 以下、メモ的に。ダーウィンの進化論の登場以後、猿から人間への進化のなかに都合よく当てはめて黒人が劣等人種であることを証明しようとする白人がしばしば現れた。19世紀末には黒人の若々しさを示す身体的な特性をもってして、彼らが未熟な大きな子供であるとみなした。ところが20世紀初頭には、人間の胎児の発育が猿よりも遅いことが人間になるための重要な要素の1つであると判明すると、今度は白人の方が黒人よりも若々しいと証明しようとするものが表れた(26〜27頁)。
 知能指数が遺伝するか否かの議論に関して、数値に対する誤解がしばしば見られる。知能の80%が遺伝で決まると仮定した場合、知能指数が100ポイントであれば遺伝が80ポイント、という意味ではない。これは、調査対象になった人々に90から110までのばらつきがある場合、この変化量の20ポイントのうちの80%にあたる16ポイントは遺伝に帰因する、という意味である。たとえば、すばらしい遺伝子に恵まれたが生活環境がひどかった人は106ポイントになるし、その全く逆ならば94ポイントになる(67頁)。


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