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2013年5月の見聞録



5月1日

 牧薩次『完全恋愛』(小学館文庫、2011年(原著は2008年))を読む。戦後の日本を代表する画家であった本庄究の半生記、という形式をとったミステリ。第二次大戦の末期の昭和20年、福島の温泉地でへ疎開してきた中学二年の究は、同じように疎開してきた有名な画伯の娘である小仏朋音への思いを高める。まもなく敗戦を迎えて、進駐軍がやってきたのだが、一夜を共にした後に、朋音へ手を出してきた米兵を殺害した罪を偽装する。だが朋音は親の都合で実業家の真刈のもとへ嫁いでしまう。一方で画伯の小仏に弟子入りした究は、師匠の死後も孤高の画家として名を馳せ始め、弟子をとり、月日は過ぎていく。朋音の娘である火菜と出会ったものの、真刈に会社をつぶされた男の犯行予告が現実のものとなり、火菜は西表島で殺害されてしまった。しかし彼女を殺したナイフは、男と共に福島の雪崩で埋もれたはずのものだった。そしてさらに月日は流れ、今度は真刈が殺害される。その直前に真刈と一緒にいたはずの究は、自宅での完全なアリバイがあり、同じ時刻に二人が同時にいたことになるという不可解な状況であった…。
 なんだか長ったらしいまとめ方になったが、昭和の個人史にミステリが絡むという形式なのでこういう風になってしまった。冒頭に、「他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ。では、他者にその存在さえ知られない恋は完全恋愛と呼ばれるべきか?」とあって、主人公の究のことかと思っていると、どんでん返しが待っている。個人史のような内容なので、究と関連しない人物が途中で出てこなくなっても仕方がないなと思っていたら、そういうことか、と。ミステリに対する洞察力が優れている人ならば、何となく探り当ててしまうかもしれない。本格ミステリ大賞受賞作品とのことだが、オーソドックスなミステリとして十分に楽しめる。
 ちなみに、戦後日本の時代史でもあり、戦前から戦後へのあっけない転向などの同時代史的なネタにも触れているのだが、そのなかでも、戦前の大本営発表とバブル期のマスコミの記事が似ている、という指摘はいわれてみれば確かにそうだなと感じた。


5月11日

 林佳世子『オスマン帝国の時代』(山川リブレット、1997年)を読む。14世紀に異常な速さで拡大して、長きにわたり東地中海世界全域で存在感を保ち続けたオスマン帝国に関して、その成立と構造、そして変化を視座に据えて概観していく。
 オスマン帝国に対しては、その長い歴史にもかかわらずヨーロッパ人にとって脅威だった16世紀と、ヨーロッパ列強諸国の政治問題となった19世紀に関心が集中してきた。そもそもオスマンのかつての領土から独立した国民国家は30か国を超え、それぞれの国では独立の歴史として扱われたために、他民族を内包した国家であるにもかかわらず、トルコという一国の歴史として扱われる傾向が強かった。しかし、近代以後の衰退期のオスマンの姿に引きずられずに、前近代のオスマンの構造と変容をとらえるべきであるとする。
 もともとオスマンはアナトリアにて誕生したが、イスラム国家としてキリスト教の勢力圏に侵入していったというわけではなく、当初から他民族と異教の信仰がまじりあった存在だったようである。その後オスマンは衰退していたビザンツに代わりバルカン半島を支配下に治める。東方のティムールとの争いに敗れて一時は衰退するものの、再びバルカンでの支配権を確立していた。
 そしてビザンツ帝国を征服した後の15世紀から17世紀までは、中央集権国家体制が強固であった時代であった。そのうえで前半は軍事国家、後半は官僚国家と特徴づけられるものの、全体としては両者が補完しあっていた。その帝国を軍人・書記として支える人材であるオスマンルも、16世紀には外部から人材を取り入れることなく自己再生産できるまで拡大した。
 統治を支える軍事制度は、軍事奉仕の代償として徴税権を分与するティマール制であった。徴税権は競売にかけられて富裕な軍人や都市の大商人たちが獲得していった。ただし、徴税に関しては中央政府がきちんと管轄しており、ここに中央集権の形が確認できる。やがて16世紀半ばになると、既存の領土を効率よく統治・収税するために財務系書記を中心とする官僚組織が発達していった。書記は世襲化・縁故で受け継がれ、子供のころから徒弟的に教育された。なお、オスマンの都市では、商業空間と宗教共同体と関連している街区という2つの世界から構成されていた。17世紀の人口増加の結果として都市が増え、農業後背地を擁する都市間のネットワークも発達し、経済活動が活発化した。ただし、ヨーロッパの勢力が伸長してくると、彼らはオスマン内のキリスト教徒商人と交易をおこなったが、それゆえに彼らの中に旧秩序を超える思想や利害が生まれてきて、結果としてムスリム対キリスト教徒という構図が芽生えてきてしまうことにもなる。
 必要があって読んだのだが、コンパクトにまとまっていてオスマン帝国の要点がよく理解できる。というわけで、オスマン帝国について基礎的な知識を抑えたい、という人に十分におすすめできる。
 以下、メモ的に。コンスタンティノープルを征服したメフメト2世は、イスタンブールをローマの都として再興させることを夢見ていた。アヤソフィア・モスクへの寄進の際に作成された文書では、「ローマ帝国の終焉ののちに、神アッラーの言葉を掲げた者」であり「アレクサンドロス王の杖を受け継ぐ者」であると記されている(20頁)。
 16世紀末から17世紀前半は、しばしば反乱がおこるが、政府は討伐軍を差し向けるだけでなく、しばしば官職の授与によって解決を図った。これは、このころの反乱が官職の争奪戦であり、権力闘争の延長にあったことを示している(32頁)。


5月21日

 恩田陸『夜のピクニック』(新潮文庫、2006年(原著は2004年))を読む。全校生徒が夜通しで八十キロを歩くという、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。思い思いに友人たちと一緒に歩くなかで、それぞれが様々な思いを胸に歩いて行く…。
 文庫本の背表紙の解説に「本屋大賞を受賞した永遠の青春小説」とあるのだが、その宣伝文がぴったりと当てはまる小説。おそらくどのような立場の読者でも、行き過ぎた感動があるわけではないものの、ノスタルジーを感じつつ爽やかな思いがこみ上げてくるのではないだろうか。いい意味で万人向けで、小説なんか読んだことがない、という人に向いているかもしれない…のだが、逆に盛り上がりがなくてつまらない、と刺激に慣れた人ならば感じてしまうのだろうか。


5月31日

 佐藤賢一『英仏百年戦争』(集英社新書、2003年)を読む。タイトル通り、中世ヨーロッパにて1337年から1453年まで戦われた百年戦争についてまとめたもの。本書が強調しているのは、この百年戦争がイングランドとフランスの戦争ではなかったということだろう。フランスはそのままフランス王の側であるが、注意すべきはイングランド側である。つまり彼らは、イングランド王となりそこに領土を持つものの本拠地はフランスであったという点に注意すべきということである。実際に彼らは英語ではなくフランス語を話していた。12世紀には、イングランド王でもあるノルマンディー公は、結婚によって南西部のアキテーヌ公領をも勢力下に含めて、フランスの半分近くが彼の支配下にあったほどである。ただし、百年戦争に最終的にフランス王が勝利した結果として、イングランドは大陸の領土をほとんど失ってしまい、フランスから離れていわゆる現在のイギリスへと近づいていくことになったわけである。
 こうした全体的なコンセプトはわかりやすいし、以下にメモ的に描くように個別のエピソードとしては面白いものもあるのだが、どうにもややこしく感じてしまいすっきりと読み続けられなかった。事態が絡み合っているのは問題ないのだが、どうも人名が多くて詰まってしまうのだ。このあたりに詳しいわけではない読者は、はたして面白く読み進められたのだろうか。ただし、登場人物がこういう風に多いのを楽しめないのは、単なる私の問題にすぎないのかもしれないのだが。
 なおジャンヌ・ダルクに関しては、竹下節子『ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女』(講談社現代新書、1997年)における、鎧を着た彼女は両性具有の大天使に連なるものと見なされた、という解釈が印象に残っている。
 以下メモ的に。フランドルでは毛織物業が発達していたが、その原料となる羊毛はイングランドからの輸入に頼っていた。百年戦争直前のイングランドはフランスとの決戦を見越して、その輸出をストップした。その結果として、イングランドはフランドル地方の諸都市と相互の攻守条約を結んだ(68〜69頁)。
 シェイクスピアの演劇において、イングランド王ヘンリ5世はフランス語が苦手な人物として描かれている。このころはウィクリフの一派が聖書の英訳を進め、チョーサーが英語で『カンタベリ物語』を著した時代であった。ヘンリ5世は「イングランド人として即位した、最初のイングランド王であった」といえる(140〜141頁、引用は141頁)。
 ジャンヌ・ダルク率いるフランス軍がオルレアンを解放できたのは、フランス軍がイングランド軍の予期しなかった行動をとったからであろう。イングランド軍はオルレアンを封鎖すべくその周りに砦を築いていた。その隙間からオルレアンに入城したジャンヌは、そのまま砦へ1つずつ突入していった。砦ごとに兵士を分散していたイングランド軍は、各個撃破の形で次々と破れていき、別の砦を援助しようにも自分たちの砦が落とされることを恐れて打って出ることができず、最終的に撤退へと追い込まれた(152〜153頁)。


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