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2014年2月の見聞録



2月5日

 P.シニアック(藤田宜永訳)『ウサギ料理は殺しの味』(中公文庫、1985年(リンクは創元推理文庫版))を読む。フランスのある田舎町で、女性の連続殺人が起きる。その町のレストランは、メニューにウサギ料理を載せれば殺人が起きる、との脅迫状を受け取っていた。ウサギ料理を載せなければ本当に殺人は起きなかったのだが、しばらくして載せると殺人が起きてしまった。この町で起きている殺人事件はいったい何を意味するのか…。
 これはどうやって落ちを付けるのだろう、と思っていたら、壮大な「風吹けば桶屋が儲かる」になっていた。あまりにもばかばかしくも感じられるのだが、その綿密なまでのばかばかしさが何とも面白い。


2月10日

 石見徹『国際経済体制の再建から多極化へ』(山川出版社、1999年)を読む。戦間期の世界経済は、圧倒的な政治・経済力を備えた覇権国による経済の牽引が生じていない状況にあった。第一次大戦前はイギリスが、第二次大戦後はアメリカが、その役目を果たしていた。覇権国が自由貿易政策をとれば、不況国は輸出しやすくなって過剰生産を緩和できるし、資金不足の国に資金を貸し付けることで、国際収支上の困難が軽減される結果となる。だが、戦間期のアメリカは、すでに十分な国力を備えていたにもかかわらず、その役割を果たしていなかった。それどころか、1930年代には、アメリカ史上で最高水準の高額関税策を取っていた。そのため、各国も閉鎖政策をとり、世界経済は安定しなかった。
 大戦後には、それまでの反省からアメリカを主導とした自由な貿易体制と国際金融取引の再建が進められた。アメリカは冷戦下の東側に対抗する盟主として自由主義経済を編成していたが、それとは別に「自由・無差別・多角主義」のIMF・GATT体制も進められた。ただし後者に関していえば、各国の経済力や発展段階の差違から、そうした自由経済は容易に成立したわけではなかった。むしろ、特に西ヨーロッパにて諸共同体や諸同盟が次々と形成されたように、共同体・同盟内部での自由貿易化を図りつつ、外部に対してはやや閉鎖的な立場を取る、ブロック経済の状態が続いた。高度成長を遂げていく日本も、自由化は進めつつも、重点産業の輸入自由化はかなり遅れた。その結果として、1960年代から1990年代の世界各地域の輸出入のシェアは、西ヨーロッパと日本が急激に地位を高めていくことになる。やや閉鎖的ともいえる西ヨーロッパと日本に対して、自由主義を進めているアメリカは、農業保護をしつつも批判的であったし、また発展途上国の間でも不満が起きた。西ヨーロッパと日本の地位上昇は必然的にアメリカの衰退を招いたが、その結果として変動相場制へと至り、産油国(OPEC)の動きも重要となるなどの多極化へとつながっている
 仕事での必要性があって読んだのだが、第二次大戦後の経済体制の立て直しとその状況について、戦前の状況をも軽く射程に入れながらコンパクトにまとめていて、分かりやすい。内容の性格上、読んで何か面白さや深い卓見が得られるというものではないが、求められている内容が得られるという点で、手堅い書といえる。
 以下、メモ的に。第一次大戦後に世界輸出が戦前水準に復帰したのは5年後の1924年だったが、第二次大戦後は3年後の1948年だった。しかも順調なのびが見られた(27頁)。
 上でも触れている1950年の西ヨーロッパ(EEC(EC))と日本の輸出と輸入のシェアの具体的数字を見ると、それぞれ前者が15.2%と17.6%で後者が1.4%と1.5%だったが、1960年には前者が23.2%と21.8%で後者が3.2%と3.3%へと上昇し、1980年には前者が39.6%と39.5%で後者が8.3%と6.6%へとさらに上がった(31頁)。


2月15日

 上田早夕里『華竜の宮』(ハヤカワ・SF・シリーズ・Jコレクション、2010年)を読む。地球の中心から昇る膨大な熱流であるホットプルームの活性化によって海面が上昇し、多くの陸地が水没してしまった。それから数百年がたった25世紀には、危機と混乱を乗り越えた人類は、再び繁栄を取り戻していた。残された土地と海上都市で情報社会を維持した陸上民に対して、海上生活に適するべく身体を改造された海上民が存在していた。彼らは自分たちと共に産み落とされる魚舟と共に海で暮らしていた。陸の国家連合に属する日本政府の外交官・青澄誠司は、海上民との対立を解消する仕事に奔走していた。その仕事のなかで海上民のオサであるツキソメと会談する。いつまでも若い謎の女性であるツキソメは、実は地球に再び訪れる天変地異を乗り越える極秘計画に関連していた…。
 水没した地球というSF的な舞台設定に加えて、人類の変異体や人工知能体などのガジェットを用いつつ、政治的な群像劇を展開させていくのだが、その気になれば何巻にもわたるシリーズ化もできるような素材なのに、惜しげもなく登場人物を退場させていく。その分だけ濃縮された面白さがある。エンタテインメント作品としてものすごく面白いので、お勧めできる。再度訪れる壊滅的危機を前にした科学者の言葉、「いまの姿を保っているからこそ人間だ、これが人間の最も理想的な形なのだ、という価値観は、これからの時代、幻想にすぎないわ」(274頁)という言葉が実現する未来は、果たして本当に訪れてしまうのだろうか。


2月20日

 小谷野敦『江戸幻想批判 「江戸の性愛」礼讃論を撃つ 改訂新版』(新曜社、2008年)を読む。そもそも江戸時代の評価に関しては、日本の資本主義体制の矛盾を近世の封建制の遺制と見るか近代の結果と見るかで、昭和初期から争われていた。ただし、1960年代に入り反近代論が盛んになると、近代と対比される時代としての江戸を持ち上げる動きが起こった。さらにそうしたなかで、遊里や芝居小屋などの周縁の悪所こそが中心を活性化する存在だったと評価されるようにもなった。加えて、そうした江戸研究の代表者である佐伯順子と田中優子に目をつけたフェミニストのなかには、江戸が女性にとって暮らしやすく、近代的な性の抑圧とは対照的な性の自由があったと論じる者まで現れた。これは、近代になって西洋から日本へプラトニックな恋愛観が輸入されたために、近世のおおらかな性文化が抑圧されたという見解にも連なっていく。だがしかし、たとえば夜這いは女性の側からすれば恐ろしい現実を示している場合があるにもかかわらずに、おおらかなフリーセックスのようなものとして肯定してしまっている。さらには、前近代の遊女は古代の巫女の系譜に連なるものとする解釈さえ見られる。著者は、これらを「江戸幻想」として批判し、江戸期の娼婦や女性が決して一様に幸せだったわけではない、と強く訴える。
 そもそも、近世は性におおらかだったのですばらしい、という評価の仕方そのものが、そもそも性の解放=善という近代的な図式に基づいている。これと関連して、日本の公娼制度は明治期に始まったわけではない点も見落とすべきではない(なお、気づかなかったのだが、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』もこの点を見落としているかのような記述をしているそうである)。公娼制度は、豊臣秀吉によって大坂三郷遊里と京都の六条三筋町にて公認されて始まった。そうした公娼制度のもとで、遊郭へ身売りされた悲惨な境遇の女性がいた事実は、江戸期の史料からいくらでも見いだしうる。にもかかわらず、近代に公娼制度が始まったと見なすと、こうした暗澹たる事実を見過ごして、近代の公娼制度よりもそのようなものがなかった江戸期の方がまだましである、という誤った捉え方へと至ってしまう。
 本書は評論集であり、同じような論旨が繰り返される場合もあるので、くどく思える箇所もあるものの、基本的には著者の趣旨に妥当性があると思える。やはり、自分の理論や主張の正当性を、過去の他者に預ける安易な行いは慎まねばならないだろう。現代の観点から安易に持ち上げたり美化したりというのを避けるのも同様である。ちなみに、岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』をホラーではなく、リアリズムの傑作だと評しているのも(201頁)、農村における女性の立場の悲惨さを捉えているためであろう。とその点で、同じ近世といえども、階層によって見方は違っているのであり、江戸を一枚岩の世界として捕らえるべきではない、という指摘(60〜61頁)も重要である。しばしば、近世の文化を近代的な視点から判断してはいけない、という言い方がなされるが、たとえ近世の視点に立ったとしても、商人の嫁の立場なのか、女郎の立場なのかによってものの見方は異なる。近代的な尺度での判断はいけない、という判断も近代の価値相対主義に由来する。どのような立場を選んで研究対象に臨めばよい、というのはその通りだと思う。
 なお、小谷野敦『性と愛の日本語講座』でも述べられているが、本書でも前近代にも恋愛の概念はあったとする立場をとる。近代になって変わったのは、結婚は恋愛の上でなされるものという考え方と、誰でも恋愛が出来るという考え方の登場であるとする。加えて、(もしかしてあちらでも書いてあったかもしれないが)「カラダ」と「本体」をわける考え方も前近代にはなかったとする。つまり、肉体関係を持った女性が「私のカラダが目当てなのか?」と問うことはなかった、とする。実際に、前近代の史料にはそのような箇所は見当たらないようである(45頁)。
 ところで、改訂新版によせた後書きらしきものを読むと、著者の言うところの「江戸幻想」はあまりにも強大な敵であり、本書を直木賞選考委員皆殺しという形で小説にした筒井康隆『大いなる助走』になぞらえて自分自身の置かれたつらさを述べている。本書の主張は正しいと思うし、著者の言いたいことも分かるのだが、知人としてお近づきにはなりたくないような気がしてしまった(別に、私などに近づいてもらいたいとも全く思わないだろうが)。
 以下、メモ的に。前近代の日本人は性におおらかだったと言っても、それは強姦やセクハラの自由であり、堕胎や間引きも含んでいる。となると、前近代の性的なおおらかさを賛美しつつ、セクハラを糾弾するフェミニストがいれば、明らかにその考え方は矛盾している。ただし、こうした矛盾を犯しているのは上野千鶴子くらいであり、それを糊塗するために、昔の性は男女合意の上だったと強弁している(79頁)。なお、前近代の性的な自由に妙な幻想を抱くのは、近代的な厳しい性道徳を持った家庭で育てられたためではないかと推測している。ただし、そうした女性はそもそも上流家庭に生まれ育ったのであり、もし江戸期に生まれれば武家の娘だったはずである。となれば、夜這いによって臨まない妊娠を強いられかねない農村的な生活とは、そもそも異なっている(80〜81頁)。
 遊里での遊びは、大坂を中心とする上方ではじまり、近世後期になって江戸にも及んだが、あくまでも京都・大坂・江戸の町人の世界での話であった。武士が遊里で遊ぶのが盛んだったのは江戸中期までであり、頻繁にその種の場所へ通えば「遊冶郎」と呼ばれるのを免れなかった(101〜102頁)。そもそも、武士文化家は戦闘者としての性格から女性嫌悪的な性格を持っていたため、公家文化の恋を重視する要素を排除した(105頁)。
 なお、江戸期に娼婦が一般化した事実を、江戸期の上層町人の間では、自分の家の娘を囲い込み男性による自由な性の対象とならないように隔離した点と絡めて説明している。素人の娘が隔離されたがゆえに、近世を媒介とした娼婦が性の相手として浮上した、とする。貴族の家に生まれた女性でも、結婚前に性的な関係を結んでいた平安期の公家文化とは、異なっているというわけである(106〜107頁)。


2月25日

 伊藤計劃『虐殺器官』(ハヤカワ文庫、2010年(原著は2007年))を読む。9・11以降、アメリカは密かにテロを引き起こす要人の暗殺を行い始めていた。その一方で、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。暗殺部隊に属する「ぼく」こと米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その背後にいつも現れるジョン・ポールを追うように命じられる。いったいジョン・ポールとはいかなる人物なのか…。
 ジョン・ポールが言語学の専門家であり、人の心理を虐殺へと向かわせるような言語を操るという設定なのだが、言語学による心理状態の大まかな説明はあるものの、あまり具体的ではないので、やや表層的に感じて今ひとつピンとこなかった。個人的な好みとして、どうも国際的な謀略を舞台設定とするタイプの小説は入り込めないので、本書の内容のせいではなく、あくまでも私自身のせいなのかもしれない。決して面白くなかったわけではないので、そうした舞台設定が好みであれば、たぶん面白いと思えるのではなかろうか。


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