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2003年11月の見聞録



11月5日

 K.B.レーダー『図説・死刑物語』(原書房、1989年)を読む。ちょっと必要があって読んだのだけれど、処刑のパターンを色々と挙げているところまでは予測通りだったのだけれど、それを歴史学的にではなく心理学的に見ようとしている点では肩すかしだった。たとえば、フランス革命時に数多く行われた処刑を、いくら意図的に単純化したとしても「有力者に対する憎悪」と結論して片づけてしまうのはちょっと納得できない。


11月13日

 竹内洋『教養主義の没落』(中公新書、2003年)を読む。大正から戦後に至る「教養」主義を大学という場から捉える。幾つか重要な論点があると思うのだが、もっとも核となる流れは、文学部と教養の流れだろう。旧帝大では、決して文学部は主流ではない学部であり、就職においても決して有利ではなかった。旧帝大の文学部在学生の出身の統計によれば、そのほとんどは農村部出身であり、彼らにとって「教養」とは、都会で成り上がるために必要な衣装であった。こうした教養主義者にとって敵対すべき勢力は享楽主義的な学生でもあり、その点でマルクス主義との接近も理解される、とする。そして、この接近ゆえに、戦後しばらくは教養主義が生き残るも、高度成長期以後の大学の変化と共に教養も没落していく(なお、戦争による教養主義の敗者復活は、同じ著者による『学歴貴族の栄光と挫折』が詳しい)。
 大正から戦後の教養の流れをコンパクトにまとめているし、教養が一種のアイテムであったとする見解はそれほど珍しくないけれども、それを文学部における地方出身者の比率の高さから指摘する方法は見たことがなかったので、なかなか面白い本だと言える。ただ、気になるのは、「教養」に対する願望がほのかに見えること。「教養」、しかも旧帝大文学部的教養、すなわち大正的教養もやはり必要であるという意識が少し見て取れる。別にそんなことは絶対ないとはいわないけど、「教養」が「社会において必要とされる常識的な知識の集まり」であるならば平安時代の教養が今ではほとんど役に立たないのと同じく、旧帝大文学部の教養ももはや過去の遺物となったと見る方がもっともらしいのではないか。つまりは、自分がどっぷり浸かっていたものこそが一番いいという年寄りの「昔はよかった」的な戯言に見えてしまうのであり、現代社会においてそれを生かすためにはどのように活用するのかを提言する必要があると思う。この本にそれを望むのは筋違いとはいえ。
 以下は、細かい部分に関するメモ。1950年代の就職試験においては、まず思想的背景が重要視されていたとのことである。これは当時の人たちからすればごく当たり前に知っている知識かもしれないが、それ以後の人はほとんど知らない知識ではなかろうか。私も恥ずかしながら知らなかったのであり、こんなところにも世代間の断絶があるのかもしれない。


11月22日

 小谷野敦『性と愛の日本語講座』(ちくま新書、2003年)を読む。タイトル通り性と愛に関連する日本語について、特に明治以後、必要に応じてそれ以前を参照する形で説明していく。主なトピックを挙げてみると、恋人、デート、セックス、情欲、告白、処女と童貞、情事、好色とスケベなど。いずれもきっちりと原典史料からの引用であり、内容は濃い。ただし、少し雑然とした印象も受けるので(特に後半)、いつのまにか章が終わってしまったと感じる場合もある。とはいえ、この手の新書には珍しく巻末には索引が付いているので、つまみ食い的、もしくは簡単な辞書代わりに使えるという点では、こうした構成の方がいいのかもしれない。この本で挙げられている言葉を見てみれば、言葉の意味というのはたかが数十年で変わることは珍しくないことが分かる。正しい日本語とやらの指導に躍起になっている人はこういうことを踏まえた上で行動する必要があるだろう。
 以下は幾つかのトピックに関してのメモ。徳川期には「恋」という言葉は遊郭での娼婦相手との関係を指すため、近代に「恋愛」という言葉が発明されたとし、したがって「恋人」は玄人相手の関係を指す言葉あったらしい。ただし、恋愛という概念が近代で作られたということには反対していて、プラトニックとしての恋も、片思いとしてやはり前近代にあったとする立場をとっている(近代になって変わったのは結婚は恋愛の上でなされるもの、という考え方と、誰でも恋愛が出来るという考え方の登場としている)。『南総里見八犬伝』の中に「情欲なればこそ」に「こひ」とルビが振ってあり、情欲=恋ならば現代のようなこれは恋なのか単なる性欲なのかという悩みはなく、好きになればセックスをするというのは当たり前だったのではないか、という指摘は非常に興味深い。阿部謹也などを読んでいると、おそらく西洋でもキリスト教以前はこの考え方に近いと思う。
 あと、面白かったのは寝るという言葉が洋の東西を問わず「セックスする」という意味で使われているという指摘(59頁)。誰か言語学者あたりが真剣にやってくれないだろうか(トンデモ説に使われるかもしれないが)。


11月30日

 橋本健二『階級社会日本』(青木書店、2001年)を読む。目次を見てると佐藤俊樹『不平等社会日本』(中公新書、2000年、この本、読むだけ読んで見聞録を書くのを忘れてた。そのうち書きたい)に対する反論をしている感じなので読んでみた。よい意味でも悪い意味でも学者の本という印象で、特に後者を強く感じてしまった。
 そのことについて書く前に、内容についてごく簡単にまとめてみると、まず階級論に関する研究史を俯瞰し、マルクスだけではなく、従来はそうした観点を重視しなかったとされるヴェーバーにも階級論への関心があったことをおさえる。またそれと同時に「階級」という言葉がマルクス主義的な観念と見なされたがゆえに忌避される傾向にあったことも指摘し、日本に4つの階級構造があるとする。それは、従業員規模が5人以上の経営者や役員からなる資本家階級、それ以下の経営者(主に自営業)や農民層を旧中間階級、専門・管理・事務に従事する被雇用者を新中間階級、それ以外の被雇用者と女性事務を労働者階級の4つであり、上位の世界への参入が難しいことから日本は階級社会であるとする。
 佐藤への批判はW雇上(ホワイトカラー雇用上層)の定義に向けられている。佐藤はW雇上の閉鎖性が強まったとしているが、本書では資本家階級への参入の可能性、つまりごく普通の家庭に生まれた人が会社を興すことが困難になったのであり、知的エリートの閉鎖性が強まったわけではないとの批判を行っている。
 ここまでに関するデータの提示や批判は、本書がよい意味で学者の本である点。ただし、いかに学問的に正しかろうと、それを戦略的に世間に知らしめる意識が見えにくい点は、やはり学者の本だという印象を拭えない。たとえば、階級という言葉にマルクス主義的な意味合いが強く感じられるために忌避されてきた、という考えはおそらく正しい。ただし、マルクス主義的な意味を込めずに階級という言葉を本来の意味で用いようとするのは、学問的に正しくても戦略的に必ずしも正しくない。著者自身はマルクス主義の呪縛からを離れて(著者自身もこれについて言及している)、階級理論を現代社会の分析に用いたとしても、それは著者自身の意識のみであり、世間一般はそうは思わないのだ。こうした無意識が出てくるのが、「搾取」という言葉をごく当たり前のように用いている点。搾取という言い方こそ、マルクス主義的な言い方だと思うのだけれど。そして、こういう点を危惧しておそらく佐藤は「階層」という言葉を意識的に用いたと思われる。それは学問的に正しくなかったのかもしれないが、それによって世間の意識を日本の階級社会に向けさせたという点で、佐藤のやり方は戦略的に正しいと言える。
 さらに言えば、階級社会を乗り越える提言として、潜在能力の平等という概念を用いて非階級社会を目指すべき、ということを述べているが、はっきり言ってモデル的な枠組にすぎず、これこそマルクス主義的な労働者階級の亜流のようにしか見えない。これならば佐藤が述べたようなそれぞれに適した職業の能力を磨くべきではないか、という考え方のほうがまだリアリティがある。こういう点でも学者の本なのだなと思えてしまう。
 最後に細かい情報だが、自分自身がどの階級に属するのかという質問に対して、中の中と答えるのが日本人とされているが、同じ質問を欧米でするとアメリカ・ドイツ・イギリスでも日本と同じく5割強が中の中と答えるし、フランスでは6割、イタリアでは7割がそのように答えるとのことである(51頁)。


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