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2014年3月の見聞録



3月2日

 黒嶋敏『海の武士団 水軍と海賊のあいだ』(講談社選書メチエ、2013年)を読む。武士団は「武装する総合商社」とも言える存在であり、あらゆる利権の場に介入していった。その場所は土地に基づく荘園のみならず、市場や港湾などの物流拠点にも及んだ。その流れの中で、海の民を編成して海上交易を営む「海の武士団」が存在していたのは間違いない。こうした海の武士団の重要性を指摘したのが、海洋から見た日本史を重視した網野善彦であった(その代表作として、かなり昔に取り上げた網野善彦『「日本」とは何か』がある)。近世には海の武士団は姿を消すが、近世になって急に消え去ったわけではなく、戦国時代から彼らを取り巻く状況は激変していた。そもそも、状況ごとに海賊の性格を持っているし、海の領主の性格も持っている、広い意味での海の勢力と見なしうる集団だった。
 そもそも中世の日本においては、漂着した船は持ち主のいないものとなりその土地のものにできる寄船慣行が一般的だった。それどころか、海水に濡れてしまえばそれだけで漂着物扱いと見なして没収する行為すら一般化していた。それを免れるために、津料と呼ばれる賦課があり、船の安全を保証する契約料の意味があった。これらに関わる一定の地域を縄張りとしていたのが海の勢力である。
 鎌倉幕府は、海の勢力を守護を監督指導役とすることで,海の勢力を幕府秩序のもとに編成しようとした。もともとこの頃の幕府は、一元的な中央政権をいまだ確立していなかったのだが、徳政令と共に和賀絵島の港湾施設の竣工を行ったように、徳政令のような非日常の政治形態を通じて、ローカルな海の勢力への介入を行っていく。室町期には東南アジアから貿易船がしばしばやってきたのだが、その警護を行っていたのが各地の海の勢力であった。ただし、略奪の実行も珍しくなかった。幕府の力が及ばなくなるとローカルな水軍の側面が前面に現れるためである。
 やがて戦国期に入ると、海の勢力の活動が地域経済の疲弊を招くとみなされてその自立に制限が加えられていく。外部の商人を招いて経済活動を活発化させるためには津料や寄船などの行為は減る方が望ましいからである。さらに流通網の変化や廻船の大型による寄港回数の減少は沿岸部の諸地域の衰退へとつながっていく。それが徹底されていくのが全国的な権力を確立した秀吉期である。秀吉によって発令された海賊停止令も、鎌倉幕府が特性のときに時限的に掲げていたものが、強大な権力のもとで恒常的なものになったと言える。さらに秀吉は関所を廃止していったのだが、これは流通に寄生していたあらゆる既得権益を排除したのだが、その対象に海の勢力も含まれていた。こうして海の勢力は消滅へと至るのだが、彼らはすべてが武士になったわけではない。漁師や農民になるものもいたし、商人になるものもいた。その中でも廻船業に進んだものには東南アジアへの貿易や新生活に活路を見いだした者もいる。海の勢力は前期倭寇(部分的には後期倭寇)とのつながりがあったが、この頃には朱印船貿易へと乗り出したのも、海の勢力の末裔と考えられる。
 中世史を海から読むという視点は、本書でも触れられている通り網野善彦以来に注目されてきたことだが、本書はその海における権力集団の変遷をそつなくまとめている。ただし、歴史学的な面白みの点は十分に評価されるべきなのだが、心を躍らされるような部分があまりない気がする。後書きでも触れているとおり、海軍の戦いについてほとんど言及がないのと同じく、海洋交易の部分がやや少ないからかもしれない。網野善彦やそれ以外の研究者に基づく海洋史の知識がなければ、さらに面白みを感じる可能性が減るかもしれない。とはいえ戦争や交易については類書もそれなりにあるのでわざわざ触れる必要はないかもしれないし、取り上げれば散漫になってしまう可能性もある。ということで、少しでも海洋史についての知識がある人向けな気がする。そうした人にとっては、これまでとは違った視点で海からみた日本史を眺める興味深い書籍になっていると思う。
 以下メモ的に。陸上の関での関銭についても、海の津料と同じく外部の人間が地元に対して払うべき賦課として見なしうるのではないか、との仮説を提示している(69〜71頁)。
 海の勢力という観点から、池上裕子『織豊政権と江戸幕府(日本の歴史15)』で紹介されている(通説化しつつあるらしい)、信長が尾張、近江、越前と勢力を拡大していったのは海路の要衝を押さえるためだったという見解に対して疑問を呈している。というのは、史料を見る限り、信長が上洛する1568年の時点では、伊勢を支配していた九鬼氏は信長ではなく北畠家を継承した信雄の家臣であり、信長の影響力は限定的だったためである。ただし、信長の勢力下に入らなければならない立場に追いやられていくのは間違いないようである(181〜195頁)。結果として、本書の主題である戦国期における海の勢力の大名による再編成という流れに沿うわけである。
 秀吉の海賊停止令は、国外に向けての意味も含まれていた。朝鮮出兵後の秀吉の講和要求には、明国を侵す倭寇に対して平和を実現してやったのに感謝の言葉がない、との批判をした箇所がある。いわば海賊停止令は、東アジア外交における前提として、少なくとも対外的には既成事実として使われた(208頁)。


3月7日

 円居挽『丸太町ルヴォワール』(講談社Box、2009年)を読む。自分の屋敷で休んでいた城坂論語の前に現れたルージュを名乗る女性。彼女は論語の祖父殺しの意図を見抜いたのだが、論語を眠らせて痕跡も残さず姿を消した。後に残されたのは亡くなった祖父だった。彼の無実を晴らしてルージュなる女性の存在を白日の下に裁く場所と七手用意されたのは、古くよりより京都で行われてきた私的な裁判である双龍会だった。論語の弁護人と反論者の間で戦わされる議論は二転三転するのだが、意外な事実を浮かび上がらせる…。
 法廷弁論的な舞台設定のうえで論理的なパズルが幾重にも組み合わされ、さらに叙述トリックも出てくるので、そうした論理の積み重ねのミステリが好みな人にはたまらないのではなかろうか。個人的には、驚きはあるし凄いなと思うものの、あまりにもひねりが何度もありすぎて、ついて行けなくなってしまったのだが。まあ、これは理解力が欠けているのに、読み直してきちんと論理を追おうとしなかったこちらが悪いのだが。


3月12日

 長谷川貴彦『産業革命』(山川世界史リブレット、2012年)を読む。近年の研究で論点となっている事項を特に視座に据えつつ、産業革命の概略を説明する。本書で提示される産業革命像は以下の3つの特徴を持つ。第1に、産業革命を人類史の大きな分水嶺としてとらえる。1800年以前のあらゆる社会はほとんどの資源を土地に依拠していた。土地は食料や製造魚の原料の源泉であり、土地それに属する植物と動物へ衣食住・燃料・動力という経済活動の基本要素は依存していた。したがって、人口の増加に比べて食料は増加しないため、貧困を避けて人口は抑制されるというマルサスの罠に陥っていた。しかし、石炭という鉱物資源へのエネルギー依存の転換によって、人口の増大と経済成長を調和的に進行させることが可能となった。
 第2に、グローバルな変容との関連性でとらえる。近世では世界各地で人口の増加・地方都市の成長・商人層の台頭などが生じていたが、しれらがグローバルに結びつきつつある時代でもあった。その情報や物の流れがイギリス固有の歴史的土壌に着地した結果、世界で最初の産業革命の開花へと至る。これによって、ヨーロッパとアジアの「大いなる分岐」が生じ、ヨーロッパ諸国でもオランダ・フランスとイギリスのあいだで「小さな分岐」が生じる。1500年頃から1800年のあいだに、中国の長江デルタ地帯とイングランドでは米のような生活必需品の実質価格が上昇する。その埋め合わせのために、生産者は市場向けの生産を増大させて、他者の生産する消費財への依存を深めた。技術革新にも支えられて農業生産力は拡大し、商業ネットワークも広がっていく。この段階では、まだアジアがヨーロッパを上回っていた。これが逆転するのにはいくつかの要因が考えられる。まず上記の石炭資源に関して、中国では主要炭田が北部にあるのに、産業拠点は12〜14世紀に南へ移動したため、アクセスが困難になった。これに対して、ヨーロッパは水路を通じたアクセスが容易だった。加えて、イギリスは大西洋岸に位置していて、アメリカ大陸という広大な場所を後背地で産業を拡大していく。さらに、アジアでは帝国という直接的な支配体制をとっていた点も重要である。帝国は対外的な脅威を免れやすいものの、内部での重税が経済発展の桎梏となりかねなかった。これに対してヨーロッパは、競合する国家体制の併存による争乱状態が、統治の効率性を上昇させ、経済の阻害要因となる重税や特権的社団の一掃が推し進められていった。その上で、イギリスのコモンローの法体系は、私的所有権を保障するようになる。大陸のローマ法体系が君主権の絶対化に帰結しやすかったのとは対照的であり、地方貴族の大土地所有権を強化して農業革命とそれに続く産業革命を準備した。
 第3に、産業革命を形成した主体的な要因である。技術的な面で言えば、画期的な技術革新のみならず、既存の技術の応用・発展に携わった無数の技術者も産業革命の発展にとって重要だった。そうした民衆の主体性も重視する。たとえば、近年になって注目を集めている労働者階級の自叙伝からは、工場で女性や児童が雇われたのは、伝統的な労働パターンに慣れ親しんだ職能集団の男性からの労働力の調達が難しいと経営者たちが感じたためだった、と読み取れる。やがて労働者は、かつてのような余暇の時間の娯楽の優先から、財の購入へと向かったため、贅沢品を購入すべく長時間の労働を行うようにもなる。それと相まって、家庭内で消費するものを自宅で生産せずに市場で購入するようにもなる。
 以上の特徴に沿って、諸事項の説明が行われていくのだが、最新の研究を踏まえた上での論点の整理を、実に手際よく行っている。単なる通史的な記述や諸説の紹介にとどまらずに読んでいて面白い点では、これまでの世界史リブレットのなかでもトップクラスではなかろうか。
 以下メモ的に。1970年代には、国民総生産の生徒湯率や工業生産高の増加率を根拠に、産業革命を緩慢な成長と見なす見解が現れる。しかし現在では、成長率という統計的手法では産業革命という複雑な社会現状はとらえきれないと反論されている。これに際して、労働力が農業部門から製造業部門へ異動している構造変化こそが、産業革命の名前に値すると見なされるようになった(15〜16頁)。
 人口増大の原因についての伝統的な見解は、医療技術の変化と公衆衛生の改善による死亡率の減少に求めていた。しかし近年では、早婚と未婚女性の減少にあったとする見解が現れた。1730年代の穀物価格が低下して雇用機会が増大するなかで、住み込みの奉公人による徒弟制度から賃金労働へと切り替わった。結果として若年層は賃金獲得と独立の機会を与えられることとなった(66〜67頁)。なお、小麦・カブ・大麦・クローバーの四輪作を行うノーフォーク農法の定着によって生産量が増大したことも、農業からの労働力の離脱を後押しした(72〜73頁)。
 産業革命によって生活水準が向上したのかについては、地域や職種ごとに多様だったとしか定義づけられない。個人での消費を享受できたのは全体の40%に過ぎず、残りは貧困との間を行き来していた(77〜78頁)。
 ヨーロッパの工業化の進展の度合いを地域ごとの先進性と後進性から説明する見解よりも、現在は工業化の多元的な経路が強調されている。たとえばベルギーやドイツは豊富な鉱物資源を基盤とした工業地帯の発展を遂げた。フランスやイタリアは鉱物資源を欠いていたために、19世紀末まで工業化の進展は阻まれた。しかし石炭から電気へとエネルギー源が転換すると、フランスやイタリアでは自動車産業や電気産業にて成長を遂げる。なお、イギリスでは鉱物資源が豊富で安価かつ労働者が高賃金だったために技術的な革新が求められたのに対して、大陸諸国はその逆だったので、技術革新への誘因が弱く工業化の進展は緩慢だったと説明されている。


3月17日

 小路幸也『キサトア』(文春文庫、2012年(原著は2006年))を読む。海沿いの町に、風のエキスパートである父と引っ越してきた小学生のアーチ。彼は病気で色が分からないものの、世界的なアーティストとして知られる少年でもあり、朝と夜それぞれ真逆の時間に眠る不思議な双子の妹キサとトアと一緒に楽しく暮らしていた。父の仕事のおかげで海は平穏を取り戻していたのだが、かわりに漁業の不振が少しずつ目立つと、父親のせいにする町民も現れ始めた。これに際して水のエキスパートが現れ、事件の解決にあたるなかで、アーチたちは健やかに暮らしていく…。
 もともとは子供向けの書籍だったらしく、何とも心地よい優しさと暖かさに満ちた小説である。後味が悪くなるような箇所もない。ハートフルなものを読みたい人には、たとえ大人であっても十分にお勧めできる。


3月22日

 山本秀行『ナチズムの時代』(山川世界史リブレット、1998年)を読む。第1次世界大戦に敗れたドイツは、ヴェルサイユ条約ですべての海外植民地を放棄させられ、国土の13%を割譲せねばならなかった。このため戦間期のドイツでは領土の回復が目指されたが、旧領土の奪還、新たな海外植民地の獲得、ヨーロッパでの新たな領土拡大という3つの考え方があった。当初ヒトラーは植民地獲得派だったが、『わが闘争』では東方に活路を見いだす大陸派の立場をとっている。政権についたナチスは、左翼勢力を一掃する政策をとり、密かに再軍備も進めていった。国内での過剰な人口の解決策として、最終的にはソ連を攻撃して生存権を拡大するという目標が立てられていく。そもそも、当時の世界経済は、全体として諸国が自国と植民地の特恵関税制度を創設するブロック経済を進めていた。ナチスの戦略はブロック経済への対応策とも言える。その結果として、ドイツ国内では経済的な復興を迎えている。その復興ぶりを市民に意識させるために奢侈品のポスターも盛んに制作されている。
 なお東方への拡大に際してはその際に、優秀な民族であるドイツ人が劣った民族の土地を奪うのは当然であるという理論が訴えられた。これは、20世紀前半に世界的に有力だった優生学に基づいている。ドイツ人といえども、優生学的に劣等とみなされば廃絶される方向へと進んでいた。とはいえ、劣ったと見なされた民族の最右翼はユダヤ人であり、ナチズムと言えばユダヤ人絶滅政策がつとに有名である。ただし当初は、ユダヤ人を経済から閉め出して、国外へ追放する政策がとられた。その追放先がポーランド中部以東だった。しかし、ポーランドに収容しきれなくなったユダヤ人は、殺害によって処理されていくことになる。
 「本書では、現代ナチズムを、第一次世界大戦から始まる歴史的現代と、いまわれわれが生きている現代、この二重の現代を照らし合わせて考えてみた」とカバーの折り込みに書いてあったのだが、そのような側面はあまり感じられず、むしろ同時代の歴史の大きな流れのなかにナチズムを置いてみたような見方に感じた。なお、本書の最後にはハンドバッグのニューモデルのパンフレットを紹介して、戦時下でも消費や物が保障されていた状況を説明している。このあたりは、岩瀬彰『「月給百円」のサラリーマン 戦前日本の「平和」な生活』で紹介されていた戦時中の日本を思い起こさせる。
 なお、あのときには、「サラリーマンは自分たちの生活に満足して、暗黙のうちに戦争を支持していたのであった。このあたりは現代にも通じる問題なのかもしれない」と書いたのだが、これは今から思うと偉そうな安易な見方のような気がする。後になって振り返って言うのは勉強すれば誰にでも言えることのはずなのに、したり顔で「自分は知っているんだ」と偉そうに上から目線の立場に自分を位置づけてしまっているのではないか、と。もし、何かことが起こっても、「自分の言うとおりだっただろ」と内輪で偉そうに自慢だけして、現状は何も変えることができないで終わる気がする。ならばどうすればいいのか、というと私自身もよくわからないのだが、とりあえず過去をみて偉そうに教訓を垂れるような態度は慎むところから始めるしかないだろう。
 ちなみに、第一次大戦での敗北後に、ドイツが負けたのはユダヤ人が背後で糸を引いていたためであるとの考え方が一般化していた。当時のプロパガンダ的な広告では、ユダヤ人は巨人として描かれて、貧乏人ではなく上流階級として喧伝されているのも、そうした黒幕的なイメージが強いためである(17〜18頁、18頁には当時のポスターの写真あり)。


3月27日

 石持浅海『温かな手』(創元推理文庫、2010年(原著は2007年))を読む。それぞれのパートナーと同居している、大学の研究員である畑寛子が一緒に暮らすギンちゃんは、実は人間の生命エネルギーを糧にする謎の生命体だった。サラリーマンである北西匠と暮らすムーちゃんも、同じ謎の生命体だった。彼ら兄妹は、宿主であるパートナーの「おいしい」清らかな生命エネルギーを主食としていた。彼らの精神が濁らないために、彼らが直面した事件を鮮やかに解き明かしていく…。
 短編連作形式のミステリ。ほとんどの事件がやや後味の悪さを残すなかで、最終話で4人が出会っていい雰囲気になったので、そういう方向性で終わるのかと思いきや、寂しさと幸せが同居したラストが待っている。著者は後書きで、ワトソン役の人物までもが冷静であることへのひとつの回答として本書を書いたと記している。生命エネルギーの吸い方をうまくすれば、人を落ち着かせることもできるというわけだ。ただし、個人的に気になったのが、2度以上にわたって殺人事件に出くわすという不思議さだったりする。これはあらゆるミステリに言えるのだろうが、普通に暮らしていればそう何度も殺人事件に出くわすことはない。ミステリならばそういうものだと納得して読むのが普通なのだが、本書はミステリ的なお約束に突っ込むタイプの小説だったので、殺人事件に何度も出くわすというお約束にも引っかかってしまった。最終話以外に1話だけ殺人事件と関係しない日常の謎的な事件があるが、人間の醜さを出すにしてもそういった日常の謎的な事件の方が本書はよかったのではなかろうか。とはいえ、そういったお約束を気にしなければ、個々の短編は十分に面白いし、「温かな手」というタイトルの本当の意味が明らかになる、切なくもほのかな幸せを感じるラストもグッとくるものになっているのだが。


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