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2013年12月の見聞録



12月7日

 青木健『古代オリエントの宗教』(講談社現代新書、2012年)を読む。ユダヤ人の神話をまとめた『旧約聖書』と、イエスの生涯を中心とした『新約聖書』の2つに基づく聖書ストーリーが、地中海世界では諸民族の神話を圧倒し、聖書ストーリーに基づいたキリスト教が確固たる地位を築いた。しかしオリエントでは、聖書ストーリーの影響を受けつつも、それと向き合い独自の解釈を行ったり物語を構築することで、「アナザー・ストーリー」としてそれらをさらに拡大させる傾向が続いた。まず、キリスト教成立以前には、『旧約聖書』とイエスの伝記のミスマッチを否定するマルキオーン主義などの諸勢力が登場するが、オリエントにも同じようなマンダ教が成立している。まもなく『旧約聖書』+『新約聖書』の図式化が確定し始めて「イエスとは誰か」という問いが中心となった地中海世界に対して、オリエントでは『旧約聖書』を否定しながら『新約聖書』にさらに自身の予言を付け加えたマーニー教が起きた。さらに、『旧約聖書』も加えて取り込んで、最後の預言者を名乗るムハンマドによるイスラームが成立して、聖書ストーリー+『クルアーン』というセットで爆発的に普及する。ストーリーはこれにて完結したものの、その秘教的な意義を説き明かすシーア派イスラームの諸派が登場する。その代表が、イスマーイール派であった。やがて12世紀を過ぎると、聖書ストーリーを改変する動きは消滅し、イスラーム法学や神学の確定化により、現在へつながるイスラーム世界への変貌を遂げた。なお、これとは別に、自分たちの神話を聖書のなかに位置づけようとする「サブ・ストーリー」の流れも存在した。つまりミトラ信仰やゾロアスター教などである。
 以上のような全体的なストーリーが語られた後、個別の宗教に対する説明が行われる。書名から、シュメルやヒッタイト、アッシリアなどのいわゆる古代メソポタミアの宗教関連に関する内容を期待して読むと、肩すかしを食らう(私はそうだった)。その意味でタイトルは変えた方が良かったと思うのだが、紀元後のオリエント世界における宗教的な動向はなかなか興味深い。東方では聖書ストーリーの拡大発展を遂げたということは、それに対抗するだけの下地があったのだが、西方ではギリシア・ローマ神話がそれを成し遂げることなく駆逐されていったのは、どこに違いがあったのだろうか。少なくとも近世より前の地中海世界では、オリエントこそが中心的であってヨーロッパはどちらかといえば辺境だったので、西方では聖書ストーリーを乗り越えようとする思想が誕生しなかったのかもしれない。とはいえ、ギリシア・ローマもそれなりにカッコとした死文化や思想を作り出していたはずなのに、飲み込まれていったというのはやはり不思議なのだが。いずれにせよ、ローマ以後のヨーロッパにて、土着の信仰が存続しつつ地元の人間が聖人として崇拝されたのも、本書で言うサブストーリーの流れに位置づけられているのではないかと。
 個別の宗教については省略するが、非常に興味深いのがゾロアスター教に関して。初期のゾロアスター教では、最高神格であるズルヴァーンの下位神格にオフルマズド(アフラ・マズダーの中世語系)が位置づけられ、後者が大魔王アフレマンと戦っていた(88〜89頁)。後にイスラームからの圧力を受けたために、9・10世紀に自らの教義を書き記していったのだが、そこにおいて二元論的な神話が確認され始める(92〜94頁)。一般的に、ゾロアスター教というと善と悪の戦う二元論的な教義が強調され、キリスト教に影響を与えたと理解されがちだが、これが正しいとなると、事態は全く異なることになる。実際に、ズルヴァーンのもとでのオフルマズドの軍団は精神界と物質界の両方で軍団を保持していたが、アフレマンは物質界の軍団しか持っておらず明らかに不利であったため、光と闇が永遠に戦いを繰り返すという二元論では理解できない(98〜99頁)。なお、二元論的な考えへ移行した理由はまだ不明のようだが、「唯一神対二元論という教義的な差異を際立たせることで、「聖書ストーリー」への吸収を逃れようとする対抗措置だった」のと推測が述べられている(107頁)。


12月17日

 連城三紀彦著『戻り川心中』(光文社文庫、2006年)を読む。明治から昭和初期を舞台としたミステリの短編集。同じ著者の『人間動物園』を読んだ時はいまひとつの目李宇込めなかったのだが、三津田信三『忌館 ホラー作家の棲む家』で賞賛されているのを見て、読んでみたくなった。いずれも、それなりの謎がちりばめられていて、戦前の陰鬱な日本の雰囲気を描き出している。個人的には、残念ながらやはりあまり好みではなかったのだが、文学的なミステリを好む人にはお勧めできると思う。


12月27日

 呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』(筑摩書房、2012年)を読む。吉本隆明に対する批判を行っている。世代が異なるので、吉本隆明は全くといっていいほど読んだことがないのだが、本書を読む限り、難解な文体であるから若者にありがたいと崇められた、時代の雰囲気のなかでもてはやされた評論家にすぎないように感じる。今後は、彼の活動していた時代の思想史を調べる時にしか参照されないのではなかろうか。もちろん私自身は参照されることもないであろう存在にすぎないので、参照されるだけはるかにましなのだが。
 以下、メモ的に。予言と預言は、予言が「一般的に未来のことを予め言う」で預言が「神の言葉を預かる」という意味に解されているが、高島俊男『お言葉ですが…11』(文藝春秋、1996年)によれば、「予」と「預」は同じ漢字の異体字にすぎないだけという(24頁)。
 戦前の共産主義者として転向せずに獄中の人となった石田英一郎は、病没する1968年に半年間だけ多摩美術大学の学長を務めている。その夏は学生運動が激化した年だったが、石田は学長室を自ら解放し、学生を議論で次々論破した。それどころか、全共闘の学生は石田の知性と誠意に感動して、自らバリケード封鎖を解いたという。石田は、エンゲルスの『反デューリング論』を初めて邦訳した人物で、『空想から科学へ』はこの抜粋にすぎない(77〜79頁)。
 1984年の西部邁との対談「大衆をどう捉えるか」(『論士歴問』(プレジデント社、1984年)収録)にて、吉本は「戦争なんかの場合でも、大衆の罪責は免除される。〔中略〕論理の以前に、完全に疑問の余地なく大衆には責任が行かないように全部免除されてるような気がする」と語っている。吉本は日本国憲法を否定しているが、その第15条第4項には「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」とある。これは無記名投票の保証を意味するが、民主主義には本質として「大衆無答責」という公理が備わっていることも示している。その一方で、吉本は知識人への大衆への啓蒙を否定しながら、自分自身は啓蒙を行っている。吉本のなかにここには矛盾はない。なぜならば、インテリゲンチャではないと自己を規定している吉本のみが、大衆についての解釈を吉本神学の公理として許されているからである(130〜134頁)。このあたりは、以前に書いた「苛立つ「神学者」のご託宣」にて学問を学ぶことの強制を神学になぞらえたことに類似している気がする。


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