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2013年9月の見聞録



9月8日

 道尾秀介『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫、2008年(原著は2005年))を読む。夏休みを迎えた終業式の日、「僕」こと小学生のミチオは、先生に頼まれて欠席した級友Sの家を訪れた。そこで見つけたのはSの首つり死体だった。しかし、連絡のために学校へ向かい戻ってみると、彼の死体はなくなってしまっていた。そのままSの消息がつかめない一週間後、S君はクモに姿を変えて現れて、「僕は殺されたんだ」と訴えた。ミチオは妹のミカと、事件を追いはじめた。ミチオに冷たくあたる母親、様々に謎めいているものの的確な助言を与える老婆、Sの家の近くに住む老人、異常な性癖をもつ担任教師などが絡み合う事件の真相は…。
 解説では人間の主観がキーワードとあるが、確かに主観の思いこみこそが鍵を握るものの、個人的にはミステリとしてあまりうまくいっていないように感じる。主観を上手く使う叙述トリックはもはや珍しくもないが、これは妄想トリックとでも言うべきものな気がする。人間が主観的な思いこみで妄想を行うというのは、文学的なテーマとしてはありだと思う。たとえば、ミチオの「誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしてるし、何かを忘れようとしてるじゃないか」(443頁)という叫びは、その辺りを臭わせる。だけど、ミステリのネタに使うのは、どうなのかなあ。


9月18日

 関満博『地域を豊かにする働き方 被災地復興から見えてきたこと』(ちくまプリマー新書、2012年)を読む。被災地における産業復興を現場から眺めて報告している。その冒頭で紹介されているのは、農林水産業の現場からそのまま原材料を市場に投入するのではなく、自ら加工・販売することで地域の雇用を拡大させて付加価値を地域に残す6次産業化というものである。もしこれを単に理論的に訴えるだけならば絵空事にすぎないのだが、震災復興の現場からそれを含めて現実的な地域振興の可能性を試みている。
 個人的に一番印象に残っているのは、いかにして独立した中小企業を運営できるような若者を人材として確保できるかが、地域振興の鍵を握っているかという点だった。久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』は、顧客の視点から、地域振興は若者をいかに引きつけるかを考える必要があるかを訴えていたが、結局のところは、若者を取り込んで再生できないようでは衰退が待っているということなのだろうか。


9月28日

 三津田信三『忌館 ホラー作家の棲む家』(講談社文庫、2008年)を読む。編集者の「私」こと三津田信三は、偶然に探しあてた住宅街の奥にひっそりと立つ洋館「人形館」を一目で気に入り、そこへと引っ越す。ちょうどそのころ、過去の三津田の作品を見た同人誌から怪奇小説の執筆の依頼を受けたのだが、その構想をこの人形館から得て執筆を進めていった。やがて、恐るべきことにその内容と現実の出来事が一致するようになる。書斎の本棚の後ろの隠し扉、その上の屋根裏部屋にあった人形館をかたどったドールハウス、過去に人形館で起こった惨劇などに直面するなかで、三津田のファンを名乗る稜子という女性はいったい誰なのか…。
 この後の作品である三津田信三『作者不詳 ミステリ作家の読む本』がミステリーにホラーを融合させたとすれば、本作はホラーにミステリーの要素を振りかけた、といったところか。ホラー作品としては、解説でも語られているように「にちゃり」という擬音が醸し出すおぞましさに代表されるように、ディテールにこだわった怖さがうまく描かれていると思うが、先に自作を読んでミステリを期待していた向きとしては、少し思っていたのと違っていて、肩すかしだったかな、と。とはいえ、これはあくまでも個人的な事情にすぎないので、初めからホラー作品だと思って読めば、十分に楽しめるだろう。
 ちなみに、最も興味を引かれたのは物語の本筋とは関係ない江戸川乱歩を巡る三津田の語りの部分。『探偵小説四十年』(沖積舎(新装覆刻版)、(2002年)のような小説以外の乱歩の文章を読んで、「乱歩の描く異世界が彼の現実の生活体験に裏打ちされていた」(136頁)のを知って大きなショックを受けた、とあるが、確かに乱歩でさえも現実から逃れられないというのは現実の大きさを物語るのだが、逆に言えば現実と向き合いながら自己の作品を創り出すことがなければ、単なるオタクに堕するのかもしれない。そのような乱歩でさえも、探偵小説は文学ではないという当時の批判に対して中立を保ち、俳句における芭蕉のような天才が現れれば状況が変わるかも、と望んだというのだから(「一人の芭蕉の問題」(『江戸川乱歩コレクション』(河出書房新社、1995年)に収録)という随筆だそうである)、探偵小説がすでに地位を確立した時代にて、現代のオタクが自分たちの分野を世間に認めてもらうにはなかなかしんどいことなのだろうな、と思う。
 ちなみに、連城三紀彦が乱歩の耽美と理知を引き継いでいる(258〜259頁)というのは、著者自身の考え方だろう。連城三紀彦『人間動物園』を読んだときにはあまりピンとこなかったのだが、ちょっと読んでみたい気になってきた。


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