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2013年8月の見聞録



8月4日

 ロバート・J.ソウヤー(内田昌之訳)『ホミニッド 原人』(ハヤカワ文庫、2005年(原著は2002年))を読む。クロマニヨンが絶滅した、つまり現生人類が存在せず、かわりにネアンデルタールが進化した世界。量子コンピュータの実験をしていた物理学者ポンターは、不慮の事故で別世界へと転送させられてしまう。彼が登場したのはこの世界であるカナダの地下の研究所の重水タンクのなかであった。ポンターのいなくなったかの世界では、彼の同僚でありパートナーでもあるアディカーが殺害の容疑で訴えられ、こちらの世界では、絶滅した人種の登場に世界中が沸き返る。はたしてポンターの運命は…。
 物語の結末は、結構急ぎ足になっている気がするのだが、そんなことよりも、ネアンデルタール人の社会を学問的な知見に基づいてじっくり描いているのが興味深い。それにプラスして、もしネアンデルタール人が見つかったら、マスコミや各種団体が騒ぐであろう様も、(うんざりするほど)真に迫っているように感じる。ネアンデルタール人については、概略的なことを除けば、赤澤威編著『ネアンデルタール人の正体 彼らの「悩み」に迫る』で読んだことくらいしかしか知らない。そのなかに、ネアンデルタール人は「図鑑的でものに興味があるタイプであり、物語型で人間関係に敏感な気質をもっているのではないか」「過去の経験を知識として伝達するという蓄積が少ないのではないか」という指摘があったのだが、この小説のなかでネアンデルタール人が死後の世界の存在を認識せずに、現世での後悔を死後の世界で果たせるかもしれないとは考えない(339頁)、というところと似ているのかもしれない(強引な連想だとは自分でも感じるが)。つまり、超越者である神々の前でやがて裁かれるとみなすような現生人類の観念は存在しないのだが、そのあたりの意識の違いが(本当かどうかは別として)興味深いし、上述の通りネアンデルタール人の世界と思想をじっくりと描いているので、少なくとも違和感は感じない。ちなみに、冒頭で主人公の女性は乱暴されるのだが、このシーンはいるのだろうかと疑問に思っていたら、割とスムーズな形で物語に活かされていた。
 なお、ネアンデルタール人が埋葬にあたって副葬品と思われるものを一緒に埋めたと思われる場合があるとされていたのだが、実際には死体と一緒に偶然埋めた似すぎない、と考えられているようである。こうした点から死者を埋葬する行為に来世思想があったわけではない、としている。ただし、やや古い研究に基づくのかもしれないが、大貫 良夫・渡辺 和子・前川 和也・屋形 禎亮『人類の起源と古代オリエント』(中公文庫、2009年(原著は1998年))を読むと(33頁)、死者を特別に扱った例があるとのことであり、死後の世界について考えていたとしている。たとえ死体が臭いというような実用的な理由にすぎなくとも、死体の処理をわざわざ行うということは動物には見られないことのような気もするが、死体を食らうのもある意味では処理とは言えなくもない。他にも、ネアンデルタール人は男女が別々の暮らしをしていた、と推測しているルイス・ビンフォードの主張も引用されている(371頁)。


8月9日

 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』(講談社選書メチエ、2010年)を読む。消えることもしばしばあった変化の可能性が様々な箇所に隆起していた時代として、南北朝と戦国時代を様々なテーマから眺める。と、思い切って簡単にまとめてしまったが、こうした全体のテーマ以外に、本書の内容を順番にまとめるのはかなり難しいので、ほとんどメモ的な記述になる。ただし、面白くないというわけでは決してなく、日本中世史に限らず歴史に少しでも興味があれば、いろいろと得られるものがあると思うので、かなりお勧めできる本だと思う。
 なお、日本史の内容とは関係なく、個人的に興味を引かれたのは、著者による授業のやり方だった。勤務先の大学では、2時限連続講義を受け持っており、午前中に話した主題を午後には絵に描いてもらう授業をしているという(72頁)。なるほどいろいろなやり方があるのだな、と。ちなみに、もし私がこの授業に出席したら絵が描けるのか心配だ。たとえて言うと(分かる人には分かると思うが)、私の絵はダウンタウンの浜田雅功を馬鹿にできないレベルなので。さらに、図を塗りつぶしたり、史料を基に表を作成させるなどの仕掛けを組み込むだけでなく、受講生の反応と対話の進行次第で予定した内容と違った方向で終わることもあるという(213頁)。本書の内容と同じく、様々な可能性があるということを授業に組み込んでいるわけだ。私も、事前に募っておいたレジュメに関する質問をもとに説明をすることで、その日の内容がいろいろと変わってくるという授業をすることがあるが、その日の受講生の対応次第で内容を変えるというのは、相当の知識が必要になると思う。
 というわけで、以下メモ的に。
 浪人という言葉は、平安時代にはしばしば御輿を担いで都を目指すようなお祭り人間、新興の富豪の輩を指した。彼らは絶えず移動し、経済活動をするアクティヴな人であった(8頁)。
 「公」の語源は、「大宅」であり「小宅」の対語であった。つまり相手より大きいことが「公」であった。「公」が「私」と対になる概念だった欧米や中国とは、考え方が異なっている。なお、『水戸黄門』において、しばしば代官が将軍でもないのに「お上にたてつくのか」と「お上」を自称するのもこのためであると言える(11頁)。
 ルイス・フロイス『日欧文化比較』(1585年)には、しばしば興味深い指摘がある。たとえば、自分たちが拇指または食指で鼻孔を綺麗にするのに、日本人は鼻孔が小さいために小指を用いて行う、とある(24頁)。また、自分たちは顔と足を拭くタオルは別々なのに、日本人は体を洗うときすべて同じタオルを使う、とも述べている(25頁)。そして、ヨーロッパでは娘を家に閉じ込めるのが普通だが、日本では娘たちが両親に断りなく好きなところに出かけるし、妻たちもヨーロッパと異なり夫の許可なくして好きなところに出かける自由がある、と述べている(31頁)。フロイスのこの言い分は近代人的な価値観である、としているが、まさにその通りだろう。
 石母田正『中世的世界の形成』(原著は1946年)は、天皇制あるいは軍国主義を批判したものと説明されることが多い。だが、石母田が真に批判しようとしたのは、共産党あるいは共産主義的な知識人の行動であり、自己批判でもあった。この点を指摘したのは網野善彦(「悪党の評価を巡って」)であった(34頁)。
 後醍醐天皇が始めたとされる最初の「無礼講」は、彼に辛口な花園上皇の日記や『太平記』からは、女性に裸同然の格好をさせてお酌をさせるような乱交パーティーに近いものであったことが分かる(38頁)。
 1350年に突如として活動を活発化させた倭寇は、その後いわゆる前期倭寇として活動し続けることになる。はじめは日本人による海賊・略奪行為とされたが、日本側の史料に「倭寇」という言葉が出てこないため、高麗人、あるいは日本人と高麗人の連合体と見なされるようになった。しかしこれに対して、南北朝の動乱によって混乱した九州内部にて、足利直冬が九州で軍事活動を行おうとしたときに、決まって高麗側で倭寇の活動の記述がみられるという事実から、足利直冬の敵対勢力であった少弐頼尚が兵糧米の調達を行ったという見解が李領によって提示された。その後の倭寇すべてに一般化することはできないであろうが、1350年の倭寇の原因としては有力な見解である(50〜52頁)。
 中世日本における「自由」とは「勝手し放題」という意味であり、「自由狼藉の時代」とは「誠に持ってケシカラン時代」と言うに等しい。これは「最近の若い者は…」という言い回しに近い(52〜53頁)。
 鎌倉幕府や室町幕府はいずれも成立時には二頭体制をとっている。これはパーソナルな主従関係を結んでいる家臣同士のあいだで対立が起こった場合に、主君ではなく別の第三者が紛争を解決するという体制をとることで、単なる主従性的支配を超えた統治権的支配を確立しようとしたためである(60頁)。
 一揆の際の傘連判に関して、参加者が平等であったという見方があるが、単に主体が空虚なだけであり、裏切らない限り誰も責任を問われなくてすむというだけのものであろう(84頁)。
 寛正の飢饉(1461年)の際、足利義政はいち早く救済に着手したが、勧進聖の願阿弥の活動が始まるとそちらに活動を任せて、自らは寄付を行って背後で支えるという形へシフトした。これは、民間にゆだねる方が効果的であると判断したためと考えられ、京都における苦境負担のあり方が古代から中世前期の公権力による直接支配から中間団体の活動を組み込んだ耕造へと衣替えしていくことを示している(105〜106頁)。なお、そうした勧進のなかには、旧五条橋に存在していた中之島で通行料を取っている者がいたことが『清水寺参詣曼荼羅』から確認できる。これは、彼らがそれによって集めた財を公共目的に使用すると謳っていたから出来たことである(156〜158頁)。伊藤正敏『寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民』は、京都における寺社勢力の活動の重要性を説いているが、これは単に寺社勢力が強かったというだけではなく、こうした事情も関連していたのかもしれない。なお、五条橋の中之島を廃したのは秀吉なのだが(160〜162頁)、『寺社勢力の中世』は秀吉の刀狩り令で中世は終わったとしている。


8月14日

 アガサ・クリスティー(田村隆一訳)『アクロイド殺し』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1979年(原著は1926年))を読む。村の名士であるアクロイドが殺害された。事件は迷宮入りを迎えそうになるが、ポワロがこの謎に立ち向かう。村の医師であるシェパードの視点から語られたこの事件は、どのような結末を迎えるのか…。
 いわゆる叙述トリックの草分け的な存在として知られているので、読んでみた。なるほど、たとえ結末を知っていても、さすがに元祖であり読み応えのあるものとなっている。現在からすれば、もはやこうした叙述トリックは正統派にすら感じられるのだが、当時はアンフェア論争が起こるのも仕方がなかったのかもしれない。そもそも、ミステリとは関係なく、一人称であることそのものを利用した作品というのは前近代にあり得たのだろうか。神代真砂実『ミステリの深層 名探偵の思考・神学の思考』などは、ミステリと神の造った世界を解き明かす神学との類似性を訴えているが、人知を越えた絶対的な正解があり得るというのは、叙述トリックの立場とは相容れない気がする。


8月19日

 エドワード・グレイザー(山形浩生訳)『都市は人類最高の発明である』(NTT出版、2012年)を読む。現在のアメリカの状況を見る限り、大都市を有する都市圏の労働者はそれ以外の労働者よりも3割も稼ぎが多い。長距離移動のコストが減少した現在においては、集中していることこそが有利に働く。過去においても、様々な才能を持つ人材が集中することで、そうした人物たちの共同作業が様々なイノベーションを生んできた。近代的な工業都市として発展していても、イノベーションを妨げるような単一の産業に集中してしまうと、衰退しかねない。都市には貧困者が多いとされているが、これは都市が人々を貧困にするからではなく、都市への期待によって貧困者が流入するからだ。その人口増加に対応するための土地の面積は限られているので、高層ビルを建てるべきである、とする。発展した都市では、しばしばある程度の財をなした者が郊外で家を持ち、都心へと通うようになるが、その結果として自動車通勤が増えれば炭素消費量も増加してしまう。同じようなことが全世界敵に起これば、地球の環境悪化を阻害することになりかねない。
 このように簡単にまとめたが、巻末に付された訳者である山形浩生の解説でのまとめの方が分かりやすいので、手っ取り早く内容をつかみたければ、そちらを読んでもらった方が早い。著者の言わんとしていることは分かる。確かにこれまでの歴史をひもといてみれば、発展している過程の都市において、大部分の歴史的なアイディアが生まれている。これは山本義隆『一六世紀文化革命』にて挙げられている西洋近代の技術や科学が、(あちらの書では特に強調されてはいなかったと思うが)都市において生まれたことからもあきらかだろう。
 なお著者は単なる巨大な建設プロジェクトによる公共政策に対しては繰り返し批判的している。つまり、スタジアムや鉄道、コンベンションセンターなどでかつての栄光を取り戻そうと夢想すべきではない、言い換えれば、貧しい場所ではなく貧しい人を助けるべきである、とする(11頁)。その失敗例として、アメリカのデトロイトを挙げており、スラムを新しい建物に置き換えても、衰退はとどまらなかったという。「安い住宅のおかげで延命している都市の悪いところは、それが圧倒的に貧乏人をひきつけ、きわめて恵まれない中心を作り出して、それが社会正義を求めて声を上げるということだ」(85頁)。結局のところ人が大事という主張は、久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』で主張されていたことにつながる。
 ただし、その上で山形の指摘する疑問もやはり正しいように思える。たとえば、ニューヨークの金融サービスが十分な価値創造をなしているという主張に対して、同地域の教師8万人分の給与を稼ぐ4〜5人のヘッドファンドマネージャが、それだけの価値のある仕事をしているのかと疑問を呈している。アイディアを発生させる手段の成功事例として大学の設置が挙げられていることに対しては、日本の地方の大学が地元産業の発展を促したのか、と反論している。また人的交流に関して、高層ビルに住む人たちの間で本当にそのような状況が生じるのかと訴えている。山形は本書の大筋を認めた上で無い物ねだりに近いグチであると書いているが、決して無視できない観点ではないかと思われる。
 その上で、個人的に疑問に思ったのが、郊外との関係性の問題。本書では歴史的な都市も取り上げられているのだが、それらの都市も郊外との両立関係にあったはずだ。たとえばルネサンス期においては、一般的に都市のみが注目されがちだが、樺山紘一『ルネサンスと地中海』(中公文庫、2008年(原著は1996年))にて取り上げられているように(同書、101〜112頁あたり)、都市と農村の相互関係は決して無視できない。ルネサンス期の絵画にしばしば田園風景が描かれているのもその現れとの指摘も妥当であろう。本書では都市の優れたところが描かれていても、その根本を支えるシステムへの言及がなかったように思える。
 山形が繰り返し述べているように、『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』などの宮崎駿アニメで訴えられるような自然と調和した生活が理想だとしても、都市に暮らす何百万・何千万の人々がいまさら自然に帰るのは不可能であろう。だが、現時点では都市部の住民を養う食糧は都市だけで賄うのもまた困難であろう。都市部のための食糧は地方から供給してもらうしかない。確かに農業が改善されても広範な繁栄がもたらされる可能性は低いかもしれないし、貧しい地方村落は何も変わっていないというのも正しいであろう。だからと言って都市だけのことを考えれば何とかなる、ということでもなかろう。もちろん著者は都市が最も優れているというだけで、その他のものはどうでもいいと言いたいわけではなかろう。しかしながら、本書を読む限り地方との連携という部分が見えてこなかった。それとも著者が考えている未来は、たとえば100年後の日本を舞台にした最近のアニメである『PSYCHO-PASS』第19話「透明な影」(リンクはDVD)にて示された、都市部に人口はすべて集中して、農業はすべてオートメションで管理されていて、人間は農業に従事しなくなった未来なのだろうか。
 ちなみに、貧民が集まってくるからこそ都市が栄えるというのは、速水融『歴史人口学で見た日本』で訴えられていた、江戸時代の地方の農民が江戸に引きつけられていってはそこで死んでいったのだが、経済的な発展を遂げる都市は絶えず農村部より人を惹きつけなければその発展を維持することが出来なかった、という都市アリジゴク説を思い起こさせた。
 なお、細かいことだが、古代ローマの繁栄を支えていたのは道路の建設と維持に基づく車輪輸送であるとしているが(219〜220頁)、これはやや事実と異なるだろう。実際に重要だったのは海上輸送だったと思われる。ケヴィン・グリーン(本村凌二監修、池口守・井上秀太郎訳)『ローマ経済の考古学』(平凡社、1999年)によれば、海上輸送と陸上輸送のコスト比は28倍(多く見積もる研究者は60倍以上)である事実(同書、85頁)も、そのことを間接的に示していると思われる。なお、地中海各地から届いた荷物を港町からローマへ運ぶ際も、道路ではなくローマのすぐ側を流れるティベル川による輸送がメインだったはずである。
 以下メモ的に。1993年のある経済学者たちの調査によると、特許は地理的に近い他の特許を引用しがちな傾向があるという。企業特許の5分の1以上は、同じ都市圏の古い特許を引用しており、そうした引用の4分の1以上は同じ州の特許だった(46頁)。
 スペインのバスク州ビルバオ市に創設されたグッゲンハイム美術館のおかげで、1994年に140万人だった観光客数は380万人に増えた。ただしある調査によれば、バスク地方の財政に2.4億ドルの負担をかけつつも、この美術館による新規雇用は900しかないという(87〜88頁)。
 交通渋滞は多くの人々の時間を無駄に消費させ、その分の時間換算分の金額のそんになってしまっている。この解消に役立つのは道路の増設ではなく渋滞課金である。シンガポール(1975年)ロンドン(2003年)などは、実際に交通量の低減に成功している(136〜137頁)。


8月24日

 荻原浩『噂』(新潮文庫、2006年(原著は2001年))を読む。香水の新ブランドを売り出すため、渋谷でモニターの女子高生がスカウトされた。この香水をつけていない女の子はレインマンに足首を切られてしまう、という噂を口コミで広げることで、販売を伸ばそうという広告代理店のもくろみは成功する。しかし、都市伝説だったはずの噂は、足首のない少女の遺体が発見されて、現実のものとなる…。
 面白くないわけではなく、意外な犯人でもあるのだが、ただ意外なだけという気もする。女子高生が醒めた目で冷静に判断しているところが、何となくリアルではあるが。


8月29日

 納富信留『ソフィストとは誰か?』(人文書院、2006年)を読む。ソフィストに関しては、詭弁を弄して議論を自分の思う方に誘導するというイメージもある一方で、民主政下において市民へ弁論や道徳の教育を行ったという役割で評価される場合もある。またレトリックの再評価という観点から取り上げられる場合もある。いずれにせよソフィストを論じるに当たって問題となるのは、きわめて史料が限られているソフィストに関して、主たる情報源であるプラトンがソフィストの批判者であった点である。本書ではプラトンの著作に基づいてソフィスト像を描く一方で、ソフィストによる著作のわずかながらの断片からも、その主張の再構築を試みる。
 ソフィストの考えを史料から確認できるという点では便利なのかもしれないが、そうした知識を確認する以上のものを感じることはなかった。これは、ソフィストというよりもプラトンの扱い方のためであろう。
 著者は、日本においてソフィストを論じた単行本は、田中美知太郎『ソフィスト』(講談社学術文庫、1976年(原著は1941年)しかないとしている。しかし、ソフィストだけを取り上げたわけではないが、評論を超えて著作のなかで取り上げた日本人の手によるものが、他にもある。関曠野『プラトンと資本主義』(1982年、北斗出版)である。
 関は、ソクラテスの処刑の理由を、ソフィストはあくまでも政治の部外者として市民に弁論術を教えたのに対して、ソクラテスが同じアテナイ人である若者を自分の思想に従う人間へと誘って彼らを支配しようとしたことにある、としている(かなり簡単にまとめたので、実際には史料に即して詳しく述べられている)。アテナイ人のソフィストであるアンティフォンはアテナイで市民として政治活動をしたかもしれないし、ゴルギアスも出身都市からの外交使節として活動を行ったのかもしれない。だが、プラトンは政治の場に直に参加するよりも操ろうとすることのみに弁論を使った、という点が問題だったのではなかろうか。本書では、ソクラテスがソフィストと対決していたというのは、プラトンによる叙述に基づくとしているが、むしろソフィストになり損なった人物と考えれば、ソフィストとソクラテスに類似点が見られるのは当然であろう。
 そして関は、プラトンが同時代のアテナイではさほど評価されていなかったという立場をとる。これについては「アトランティス伝説が孕むアカデミズムの袋小路」にて、前4世紀のアテナイで民主政は成熟していたという歴史学的な見解から、プラトンが繰り返したアテナイへの批判は、むしろ時流に沿っておらず、名門家系出身のプラトンは、もはやアテナイには必要とされないエリートだったことを認識できなかった人物であったのではないかと述べたことがある。このような私の立場からすれば、テキストの検証や比較のみからソフィストの思想的立場を探り、そのテキストが記された同時代の社会との関係を見ようとしない本書の議論は、あまり説得力を感じない。
 著者は、テレビの討論番組においては人々への迎合で世論をあおる知識人や、無責任な言説を垂れ流す学者や評論家を、「現代のソフィストと言えるかもしれない」(34頁)と批判的に述べている。「ソフィストの思索や活動は、現代の表層的な状況とは異なり、より根源的な問題を提起し、さらにそれを乗り越える方途を示唆しているかもしれない」(35頁)と書いているが、そのすぐ前に「ソフィストを批判的に検討することは、現代に向けて何らか積極的な意義を持つことになる」(同)と書いているので、ソフィストに対して基本的には批判的な立場に立っているといえよう。さらに自らの属する大学をプラトンの学園アカデメイアを受け継ぐとしつつ、「授業料を取って学生に知識を与える教育産業へと傾斜しており、実用性や効率性を強調する昨今の風潮は、ソフィスト的な教育を助長させているかのようである」(34頁)と述べる。これらを読む限り、いくらソフィストの主張を評価しても、根本的な部分ではソフィスト的な在り方を否定しているようにしか見えない。
 別に現代の風潮へ無批判に賛同するつもりはさらさらない。しかしながら、自分を高みに立ったアカデミシャンとみなして、テキストのなかへ閉じこもり、社会との関係のなかで生きたソフィストを見ようとしない態度は、まさしくプラトンと同じなのではなかろうか。


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