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アトランティス伝説が孕むアカデミズムの袋小路


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1.

 庄子大亮『アトランティス・ミステリー プラトンは何を伝えたかったのか』(PHP新書、2009年)は、タイトル通り、アトランティスについて取り上げているのだが、読み進めつつ考えたのは、自分自身も含めた専門家の語りと立ち位置という問題であった。
 まずは、本書の内容を見ていこう(以下、「本書」と書く場合には、『アトランティス・ミステリー』を指す)。
 古代ギリシアの哲学者プラトンは、大西洋にはアトランティスという高度な文明が存在したものの、1万2千年前に滅んだ、と記録している。プラトンの著作の中では、この伝説が真実として語られており、現在でもそれを信じる者は珍しくない。ただし、それを裏付ける物質的な証拠は今のところ存在しない。たとえば、マヤとエジプトに共にピラミッドがあるのは、大西洋にあったアトランティスという中央から周辺へと文化が伝播したためという説があるものの、両者において建設時期もその目的もまるで異なっていることから、共通の起源を持っているとは考えられない。これ以外の主要なアトランティスの存在を主張する説についても、最新の動向を抑えつつ解説を行い、それらの問題点を指摘していく。
 しかし、アトランティスが本当に存在するか否かよりも重要なことがある。それは、プラトンがなぜアトランティスの存在を語り、そこにどのような意図が込められ、さらにはそもそもギリシア世界にて神話がどのような意味をもっていたのかという問いである。
 プラトンが主として執筆活動を行った前4世紀前半のアテナイは、プラトンにとってソクラテスを処刑した堕落した民主政とも言えるものであった。だからこそプラトンは、理想国家のあるべき姿を求め始めた。たとえば、彼の手による『国家』はそうした作品として有名である。そして、アトランティスについての記述が出てくる『ティマイオス』と『クリティアス』は、『国家』の後に書かれている。つまりそれらの著作も、理想国家のあり方を述べる作品だった。ただし、理想国家として描かれているのはアトランティスではない。遙か昔に存在していたアトランティスは、地中海へと侵略してきた敵国であり、それを撃退した理想国家たるアテナイの引き立て役にすぎない。だからこそアトランティスには、海外に勢力を伸ばして失敗した現代のアテナイと悪しき専制君主のイメージが共に重ねられている。
 となると、やはりアトランティスが実在の国家とは考えにくい。だが、プラトンがアトランティスを創作したという否定的な見解に囚われるべきではない。そもそもギリシア人は、「はるかなる過去」を偉大な存在として語り継いでいた。それらは伝説や神話として形作られていくのだが、決して1つの決まったストーリーがあったわけではない。様々な解釈や改作によって、いくつもの物語が成立していった。そして、そうした物語は当時の人々にとって規範や教訓でもあった。
 これに対して、プラトンは『国家』の一節から神話に対して批判的だったと見なされる場合もある。だがそうではなく、プラトンは神話の教育面での大切さを意識しているからこそ、それが徳の育成に相応しいかどうかを重視しているにすぎない。この目的のために物語を創造したのであり、それが受け入れられて語り継がれれば真実となると考えていた。したがってプラトンは、歴史的事実として古き良きアテナイとアトランティスの実在を証明しようとしたのではなく、その物語からあるべき国家を語ろうとしたのである。
 以上が本書の主な内容である。改めて書く必要もないかもしれないが、非常に面白い。アトランティスの存在の真偽について十分に語り尽くした後、なぜその存在が語られたのかという観点から、真偽にこだわる議論を超えていこうとする展開は、推理小説のどんでん返しを読んでいるような面白さを感じさせるものにもなっている。それは上記の簡単なまとめからも分かってもらえると思う。
 ただし、本書のオビタタキに「ページをめくるのが止められない!」という絶賛の文章が書かれているのは(出版社による販売戦略としての宣伝文であるとしても)、そうしたロジックの巧みさのみによるものだけではない。ここで注目すべきは、本書のまえがきに書かれている「いわゆる「実証」を超えて考えてみた部分もあります」(7頁、以下ページ数のみを挙げている場合には、『アトランティス・ミステリー』のページ数を指す)という文章だ。もし本書を読み終えた後に、この文章に引っかかりを覚えたのであれば、それは間違っていない。なぜならば、普通の読者であれば、本書で展開されたアトランティスを巡る様々な検証そのものは、史料に基づいた歴史学的な実証として行われているのでは、と考えるはずだからだ。したがって、本書を読んで楽しんだ読者には、わざわざこんな文章が書かれている意味が分からない。
 それとは逆に、読了後にこの文章を読んで、その通りだと考えたり本書に対して批判的な気分になったりする人がいるかもしれない。そう感じる人は、その多くがおそらく歴史学に携わる研究者ではないかと思うが、大いに問題がある。なぜそう感じてしまうのかということを見るにあたって、まずはもう1つ別の文章を引用したい。「学問の成果は出来るだけ積極的に社会に還元されるべきだと考えています。なにも、「うける」ことをしなければならないというのではありません。社会に対して敏感になって、歴史研究や古典研究に何ができるか、社会にどうリンクすることができるか考えたり、わかりやすくプレゼンテーションしたりすることも生産的ではないか、ということです」(131頁)。この文章そのものを否定する研究者はさほどいまい。その一方で、まえがきの実証を超えた部分もあるという書き方へ過敏に反応することは何を意味するのか。
  そうした反応を示す人たちは、本書にアトランティス大陸とは直接関わりのない話題が挿入されていることへ疑問を感じて批判的なのだと思われる。たとえば、『2001年宇宙の旅』、スペインのサッカークラブのアスレティック・ビルバオ、『海底2万マイル』、クトゥルフ神話、などである。あとがきなどで簡単に触れるならばともかく、本文にてそれらの雑学的にみえる知識を入れる必要性があるのか、と考えてしまうのだろう。だが、著者は意図的にこうした箇所を挿入しているはずだ。なぜならば、専門的知識を特に持ち合わせていない読者からすれば、アトランティスの伝説を説明してもらうにあたって、類似性のある現代の事象と絡めてもらった方が分かりやすいからだ。さらにいえば、古代人の神話や物語を荒唐無稽なものとして切って捨てるのではなく、それが語られた意味を重視するという本書の立場からすれば、例に出した現代の物語を通じて、物語を単なるフィクションとして流すのではなく、その背後にある意味を探ることは現代でも重要であるという主張が、より明確なメッセージとして伝わる。
 したがって普通の読者は、「実証を超えた」といわれても、どこがそうなのだろうと感じるだけだろう。取り上げられている現代の事象は、議論を分かりやすくしてくれるための補足だと思うだけだし、現代でも物語は重要な意味を持つのだというメッセージを読みとる読者もいるだろう。逆に、この文章に過敏に反応したならば、研究者たるもの客観的な記述スタイルを取るべきではないかと考えているはずだ。アトランティスの真偽やプラトンがそれを語った理由という点について、オーソドックスな実証的な記述だけでも十分に内容は伝わるのではないか、と。事実をして語らしめることこそが重要だという考え方でもある。いわば実証主義だ。
 そうした実証主義が、様々な学問的成果を生み出したことまで否定するつもりは毛頭ない。だがこうした態度は、論理的に証明しがたいものをそれだけの理由で黙殺し、分かっている事実を述べることこそに価値があるという態度へとつながる。そもそも日本では、アトランティス大陸についての書籍は、学問的な研究よりもエンタテインメント的な作品やオカルト的な主張に基づくものの方が圧倒的に多い。大部分の一般的な研究者は、欧米についてはよく分からないが少なくとも日本では、プラトン研究の文脈でアトランティスに触れる場合を除き、アトランティスに関わることさえ馬鹿馬鹿しく感じている気がする。歴史学や考古学の立場から書かれたアトランティス関連本が巻末の文献一覧に挙げられているが、それらがいずれも翻訳であることも、日本の研究者たちの態度を物語っている。その究極的なものが教科書であり、現存する史料に基づく限り存在が確認できないアトランティスは論じるに値せずとして、取り上げられることはまずない。取り上げられたとしても単なる創作だというレベルに留まるだろう。
 ところがアトランティスは、無数に存在する歴史的な事物の中で、普通の人たちでも興味をそそられてしまう伝説なのだ。その場所について確定しておらず、様々な推理を巡らしうることが、客観的な事実だけを述べようとするあまりにつまらなさを感じる教科書と対比的な存在にもなりうるのだ。「刺激に欠ける教科書的な歴史を覆す発見があったらおもしろい」という期待の星がアトランティスだといえるのではないでしょうか」(130頁)というのは、まさにそのとおりだと思われる。
 ここに、研究者と一般読者の関心の乖離が生まれる。研究者は、学問とは高尚なものであり、具体的な史料の提示とその解釈を論理立てて実証的に述べれば、読者は分かるはずであり理解するべきだ、という傲慢な考え方を無意識のうちに抱く。一方で、普通の人々はそれを感じ取りあまり近づきたがらない。このような不毛な構図を生み出す結果になってしまうわけだ。
 それはあまりにも極端な言い方ではないか、という疑問が挙がるかもしれない。だが、決してそうではないことを、アトランティス大陸を巡る様々な言説の中に見出すことができる。というのは、アトランティス大陸の場合、研究者と読者の乖離こそが、危険な物語を生み、それが受け入れられる土壌となってしまっているからだ。その物語とは、超(古代)文明論とオカルトである。

2.

 本書では、アトランティス伝説についての関心が高いことについて、突如として滅んでしまった高度な文明というインパクト性とそこへの現代文化の投影、遙か古代における説明困難な幾多の謎に対する説明として用いうる便利性、それにまつわるミステリーとエンタテインメント性、そして、プラトンという著名な人物が言及しているというリアリティなどの要因が挙げられている。これらは一般的な読者に普通に見られる好奇心だろう。
 しかし、それに留まらず、アトランティスのみならず、超(古代)文明の存在の真実性を必死になって主張する人もいる。本書では、その中の1つである南極大陸=アトランティス説を取り上げ、その根拠とされている地図の問題点を指摘している。その内容についてはここでは省略するが、その指摘そのものは、オーソドックスな歴史学的な手法に則ったものだ。これ以外の部分でも、本書での論の組み立て方は、冒頭でも述べられているように、実証を超えた部分はあっても妄想ではない。きちんとした学術的研究の裏付けに基づきつつ、筆を進めている。こうした態度は一朝一夕で身に付くものではない。学問的な(という言い方はあまりよくないかもしれないが)実証研究の基礎をこつこつと身に付けて初めて、実証に基づいた、またはあえてそれを超えようとする作品を仕上げることができる。
 しかしながら、何らかの学問的知識を得るための地道な努力は、万人に向いているわけではない。そうした人たちが執る手段が、安易な思いつきと類推に基づく見解の提示である。彼らは自分たちの独学が、硬直した思考しかできないアカデミズムに風穴を開ける者だと自負する。その独学の対象の代表例の1つに、アトランティスがあるのは言うまでもない。「特別な知識をもつ共同体の一部になりたいという願望が、奇説の反体制的な側面と結びついているのかもしれない」(ウィリアム=H.=スタイビングJr.(福岡洋一訳)『スタイビング教授の超古代文明謎解き講座』(太田出版、1999年)、277〜278頁)。
 超(古代)文明としてのアトランティスは、歴史学的に言えば現時点でその史料的な問題点は明らかにされている。「しかし、自分が正統的歴史学の学者となる能力や機会に恵まれなかった「研究者」たちは、この事実には目をつぶり、大学アカデミズムに黙殺された真の歴史を解明すると自画自賛して「研究」を続けている」(浅羽通明『ニセ学生マニュアル死闘編』(徳間書店、1990年)、45頁)。こうした独学者たちが、開き直ってオカルトライターとしてエンタテインメントに力を注いでいれば、それは逆に素晴らしい。ところが往々にしてこうした人たちは、アカデミズムを批判して反体制を気取りつつ、真実を知っている者としての賞賛を欲しがる権威主義者であることが多い。学会に不遇に扱われる自分こそが正しいという物語に酔っているとも言える。
 さらに、アトランティス文明をはじめとする超(古代)文明は、現代を超える偉大な文明として持ち上げられることさえある。いわばオカルト的な物語だ。本書でもその点について、霊能者とされたエドガー=ケイシーを絡めつつ、簡単に説明がなされている。ケイシーは、アトランティスが1968年か1969年に再浮上すると予言したことがある。こうしたオカルトへの関心について、本書では以下のように語る。「「オカルト」への関心は、現代社会に閉塞感を感じて新たな世界観を求める人々の間で、浸透しやすいようです。それは、近代的価値観をあらゆる面から疑う「ポストモダン」的傾向の一環ともいえるかもしれません」(62頁)。この指摘そのものは、間違っていないと思う。だが、その奥には別の願望も潜んでいるのではなかろうか。それは、超(古代)文明の存在を立証しようと熱心な人たちと同じく、現実のちっぽけな自分を超越する偉大な何かとしてアトランティスの物語へ自己を託したいという願望だ。
 たとえば、別冊宝島『いまどきの神サマ 退屈な世紀末、人びとは何を祈る?』(JICC出版局、1990年)では、オカルト雑誌の文通欄にて、自分はアトランティス人の生まれ変わりであり仲間を集うべく自己紹介をしている、という手紙が掲載されている事例は珍しくないことが紹介されている。そのほとんどが自分は戦士であった、と自称する者が多いことについて、それぞれ別の記事を書いた新山哲と赤坂憲雄は、共に同じようなことを指摘する。退屈な日常を生きるいまの平凡な自分は仮初めのものにすぎず、実は選ばれた戦士だという幻想に仮託して、自身のアイデンティティの拠り所にしている、と(新山哲「人類救済の戦士たちは、チョコパフェがお好き!」(156〜164頁)、赤坂憲雄「前世紡ぎ 少女たちの共犯幻想」(165〜177頁))。
 子供の頃に、自分が実はヒーローだという考えを持つのは別に珍しいことではない。しかし大人になれば、ほぼすべての人間は(もちろん私自身も含めて)、一般人として生きていくことになる。大部分の人たちは、英雄願望を心の中で抑えながら、普通の人生と折り合いを付けながら生きていく。だが、それに失敗する人間もごくわずかながら存在する。そうなってしまったとき、「本当の自分はこんなものではない」と自己を肥大化させてしまう。自分こそが社会を変えうる何者かであると信じたいのだ。その時に持ち出しうる安易な手段の1つが、実は自分の中には超(古代)文明の偉大な精神が転成しているのだという、オカルト的な空想の物語への逃避というわけだ。
 こうし超(古代)文明論やオカルト的な物語を、研究者の大半は単に無視して終わってしまう。だがしかし、そうした態度こそが、それらが広く受け入れられる土壌を生む。研究者は難解な方が偉く、分かりやすいことを低俗と見なす傾向がある。面白い本を読みたい普通の読者の目には、お高くとまっているように映る。そうした読者にとって、超(古代)文明に関する本は、頭の固い専門家たちを斬新な理論で打ち負かしてくれるように見えるわけだ。結局のところ、史料に対して客観的であるべきという態度と、専門的な文章を書く者こそが学者であるという自負こそが、歪んだ自己の願望をアトランティスの物語に託す人々と、それを面白い読み物として受け入れる読者を生む原因になっていると言えよう。こうした歪んだ物語が暴発する様を、独自に築き上げた終末という物語に基づきテロ行為を引き起こしたオウム真理教によって目の当たりにしたのは記憶に新しい。
 学術的な研究に従事している者は、客観的な態度から、史料に基づき事象の真偽のみを問おうとする態度について一度思い直してみる必要があることを、アトランティス伝説は教えてくれていると言えよう。本書は、その試みの1つであるとも言える。アトランティス伝説が虚構であるならば、プラトンという偉大な哲学者が嘘を付いたことになるというパラドックスに対して、物語の真偽のみに囚われる態度を乗り越えるべき、という視点から回答を与えた。この主張には十分な説得力が備わっていると思われるし、研究者の目指すべき視点として有用であることは間違いない。
 だが、ここで別の視点からの考察を行いたい。それは同時代のアテナイにおいて、プラトンははたして偉大な人物と見なされていたのか、という問題である。そのためにまず必要なことは、テキストからプラトンの考えを読み取るだけではなく、当時のプラトンが置かれていた歴史的な状況から包み込むように考えることだ。つまり、プラトン自身の「物語」を問うことから始めねばならない。プラトンは、西欧哲学の祖というべき偉大なる哲学者として評価されている。プラトンは当時の政治を批判しているのだが、本当に当時のアテナイの民主政は腐敗していたのであろうか。そしてプラトンは、腐敗するアテナイにて孤高に理想を説く偉大な人物だったのか。それを眺めてみると、実はプラトンこそが、超古代文明やオカルトに自己を託する人々のルーツであることが判明する。

3.

 プラトンが活動していた前4世紀のアテナイは、スパルタとの戦争に負けて政局は混乱した後に衆愚政治に陥っていた、とみなされてきた。しかしながら、現在はこうした見方は大きく揺るがされており、前4世紀のアテナイは民主政の成熟期だったとの見解が通説になりつつあるようだ。たとえば、橋場弦『丘のうえの民主政 古代アテネの実験』(東京大学出版会、1997年)には、前4世紀のアテナイ人たちの手によって公正な民主政を保つために整えられたシステムが、幾つも紹介されている。まず、公職者の1年任期制と業務報告による行政の透明化である。民主政を徹底させるために、将軍や会計などのごく僅かな例外的な役職を除いて、すべての役人は1年任期のくじ引きで選ばれた。これによって、長い間にわたって役人の地位にしがみついて不正を行う者が現れることを妨げようとした。そして任期が終わると、役人たちは業務報告をすることが義務づけられていた。任期中に不正な行為をやりにくくする様に仕向けて、行政の透明化を図ったと言える。さらに、公職者弾劾制度を備えることで任期中の公職者が悪しき行為を行った場合には指摘することも可能となっていた。
 また、アテナイの政策を決定する民会へ議題を提示する評議会員は、市民から任期1年で500人が選ばれたものの、その選出はクジ引きであった。そして民会には、市民であれば自由に参加でき、無記名による投票が行われ、政策の決定が行われた。また、裁判は陪審員制だったが、これもくじ引きで選ばれ、1つの裁判につき500人ほどの陪審員があてられた。もともと陪審員には6000人ほどが選ばれていて、ここから裁判ごとにくじ引きで500人ずつ選ばれることになっていた。
 こうした制度によって、後世から見れば誤った政策がとられたこともあっただろう。だが、アテナイは少数のエリートに政治を任せるのではなく、多数の市民が責任を持って政治を行う直接民主政の徹底を選んだのであり、その制度を出来る限り透明化させようとした努力は否定すべきではない。このような体制下では、前5世紀のペリクレスのようなカリスマ的な指導者はもはや必要ない。逆に、そのような人物がいれば、むしろ個人への権力の集中によって民主政の危機を生みかねないだろう。
 前4世紀のアテナイが以上のような政治状況だったとすれば、プラトンが繰り返したアテナイへの批判は、むしろ時流に沿っていないことになる。それどころか、名門家系出身のプラトンは、もはやアテナイには必要とされないエリートだったことを認識できなかった人物とさえ言える。こうしたプラトン観は、古代からすでに存在していて現在でも流布している、「偉大な哲学者プラトン」という人物像とは明らかに正反対だ。だがしかし、時代に逆行した人物としてプラトンを評する論も、決して数は多くないものの、以前から存在している。たとえば、カール=ポパー(内田詔夫・小河原誠訳)『開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文』(未來社、1980年)ハンス=ケルゼン(長尾龍一訳)『プラトニック・ラヴ』(木鐸社、1979年)が挙げられる。これらは、当時の社会の中では取り残されていた全体主義思想の持ち主として、プラトンを批判している。そして、これらの著作に基づいて執筆された関廣野『プラトンと資本主義』(北斗出版、1984年(リンクは1996年の改定新版))は、政治的なエリートという自負心はあるのに評価されないことに苛立つ孤独な人間として、前4世紀のアテナイ人としてのプラトンを描き出した。「ソクラテスは少なくとも上流社会の名士であり、アリストパネスの公敵であり、裁判の種になるほどのアテナイにおける噂の人物であった。ところがプラトンは追放も迫害もされず、市民たちに全く相手にされなかった。彼は全くの無であり、それも、彼の根も葉もないだけに一層強烈な自負のゆえに、そうであった」(同上、214頁)。
 さらに関は、プラトンが自身の手で設立した学園のアカデメイアにおいても、まわりから価値を見いだされていなかったと主張する。まず、廣川洋一『プラトンの学園アカデメイア』(岩波書店、1980年(リンクは講談社学術文庫版))に基づきつつ、実際のアカデメイアは研究・教育機関などではなく、学術に興味のある者たちが集うサロンのようなものであったことを指摘する。そのアカデメイアにて、プラトン自身が「善について」という講義を行ったらしいのだが、どうやら貶されて聴衆には受け入れられなかったらしい。この「善について」は、プラトンの最晩年の講演と推測されているようだ。「若き日のプラトンは生まれた土地アテナイで孤立していた。そして晩年のプラトンは、今度は彼自身が創立した学園の中で、再び孤立してしまった」(同上、270頁)。
 プラトンが同時代のアテナイにて孤独な人物だったとするならば、プラトンの著作から受ける印象はかなり異なってくる。たとえば、晩年のプラトンの手紙である第7書簡は、自身の人生を振り返った自伝的な文書として有名だ。そのなかに、ソクラテスが処刑された後に、現在のすべての国は「悪く政治されている」と考えた、という文章がある。そして、「そうした国家を観察することはやめない」で、「国制全体について、いったいどうすればいっそう優れたものになるだろうかと考えることはやめない」人になった、という。もし、前4世紀が衆愚政治の腐敗した時代であるならば、プラトンの指摘は孤高の人物による鋭い時評と言える。だが、実際には民主政の成熟期であったとするならば、この言葉は時代に取り残された古い人物の負け惜しみ混じりの捨て台詞、という解釈が成り立つ。
 そして、プラトンの教育観も少し見方が変わる。本書で指摘されているように、『国家』におけるプラトンの詩人追放論は、神話そのものを否定しているのではなく、その重要性を評価しているのであろう。また、確かにギリシア人は神話や物語を通じて教訓や規範を学んでいたであろうし、そうした考えをプラトンも引き継いでいたことは間違いない。そして、アトランティス伝説は「自らの思想を具体化し人々に伝えるために創作した物語」(182頁)であり、それによって「従来の神話伝説に変わるべきものを提示しようという意図もあった」(同頁)のであろう。
 しかし、プラトンがアテナイでは孤独な人物だったのかという前提に立って、プラトンの著作を読み直してみれば、不穏なものが浮かび上がってくるように思える。プラトンは著作において盛んに教育の重要性を説いているが、特に中期の『国家』や晩年の『法律』では、義務教育の必要性と教育のカリキュラム化、教育者たる知的エリートに対する服従を主張している。その頂点に立つべきとされたのは、『国家』では哲人王である。堕落した衆愚政治を立て直すプランを提示した理想に燃える哲学者プラトンという解釈は、当時のアテナイの歴史的な背景に基づけば成り立たない。『国家』はアカデメイア設立から数年経ってからの著作である。すでに、この頃のプラトンがアカデメイアで孤立していたとは言えない。だが、アカデメイアを設立したプラトンは、政界において味わった敗北感というルサンチマンをはらすべく、人々がエリートたる自分の尊い教えに従ってほしいという願望に基づく物語として『国家』を執筆したとは考えられないだろうか。最晩年の著作である『法律』にも教育論が語られている。そこでは義務教育の必要性が声高に訴えられているのだが、教師は詩や散文を教えるにあたって『法律』をテキストとして用いるように主張している(プラトン『法律』、811D)。自分こそが絶対的な立場に君臨するべきだ、という虚しい夢想が、ここにも透けて見える。
 こうしたプラトンの状況から、アトランティス伝説が語られた意味を見るとどうなるか。アトランティス伝説そのものが架空の物語からといって、そのことそのものを批判するのは確かに間違っている。けれどもプラトンにとってのアトランティス伝説は、それを知る自分こそが真の知識人であるという点から、自分を疎外した社会に対して、自分自身を絶対的な存在として作り上げようとする道具の1つであったとも見なしうる。アトランティス伝説をはじめとする超(古代)文明に、ちっぽけな自分を超える肥大化した自我を託そうとしている人々の起源は、アトランティス物語をはじめとする幾多の物語を描き出すことで、挫折に苛まれる自己を慰めようとしたプラトンにあったという、実に皮肉な状況と言える。
 さて、以上のようなプラトンを孤独な敗残者として描く「物語」は、おそらく研究者には異端視されるのではないかと思う。だがこの「物語」は、前4世紀のアテナイの状況やアカデメイアに関する実証的な研究に基づいており、決して妄想と切って捨てられるものではないと考えている。それでも、プラトンをネガティヴに描くことに抵抗感を持たない研究者に、個人的にはお目にかかったことがない。これはなぜなのか。簡単な話で、超(古代)文明論者やオカルト論者のみならず、研究者もまたプラトンの末裔だからである。

4.

 一般的に学者の研究、特に人文系の研究は、研究内容そのものが世の中に役に立つ実用的な内容であることはほとんどない…と、私は考えていて、そう公言しているのだが、研究に従事している人たちからは、ほぼ間違いなく反論を受ける。反論の内容は、だいたいパターンが決まっている。ちなみに、実用か否かなどという問題ではなく、学問の進展のために研究をしているのだ、と主張する人とはそもそも会話が噛み合っていないので、議論のしようがない。ただし、ほとんど役立たないという意見に疑問を抱いた人は、ほぼ間違いなくこうした考え方を批判したうえで、反論してくる。なお、物事を研究者としての視点から眺めることは、論理だった考え方をすることに役立つ、というのは「研究内容」ではなく「研究」の有用性を指しているので、こうした批判に対する返答はここではとりあえず置いておく。
 それはさておき、最も多い反論として、特定の学問を学ぶことは、社会に出てからも何らかの意味で役に立つという論が挙げられる。直接的か間接的か、またはその役立ち度合いの濃淡の差はあれど、まとめてしまえばこの意見に集約される場合がほとんどだ。だが今のところ、意見を変えるほど説得力のある考え方にお目にかかったことはない。
 ほとんどの研究者は、何らかの形で大学と関わり、研究活動に取り組みながら大学での教育を担当している。それらの授業の内容は基本的に自分の研究内容と重なってくる。授業を受ける大学生の大部分は、それ以上進学せずに就職することになる。それではそうした大学生にとって、教員の語る授業の内容そのものが、または卒業論文で取り上げた題材が、就職活動や企業での仕事に役立つのかと言えば、ほぼ間違いなく役立たない。たとえば、ローマ帝国の興亡に関する知識が、就職活動や仕事での成功のためのカギとなると可能性は絶無といってよい。もしかしたら、就職活動中の筆記試験に役立つのかもしれないが、それは大学受験に必要とされる類の知識であり、研究者としての知識ではない。
 このように言うと、それは極端な物言いだ、との反論をやはり受けることが多い。だが、普通に生きている人たちが、仕事や家事において学術的な知識を必要とすることなど想像できるだろうか。少なくとも私は、レジで接客をしていたときや、晩ご飯をつくっていたときにローマ帝国のことを思い出したことはない。けれども、さらに反論が挙がることもある。そうした人たちは、自分の学問の意義に何らかの考えを巡らしている人が多いため、特定の研究が実生活にて役立った具体例を挙げて力説してくれる。ただ、そうした成功例が、自分の関わった学生全体のどれだけの比率で存在するのか、ということはたいてい触れない。個別事例を安易に全体の傾向と見なしてはいけないことは、学問的な約束事であるはずなのに、自分には甘い人が見受けられる。
 それではお前自身の研究はどうなのだ、役に立たないと分かっていながら研究に取り組むことなど虚しくないのか、という批判が挙がっても無理はない。実を言うと、よく見てもらえば分かるが、私は「役に立たない」と断言してはいない。もし私が、お前の研究は役に立つのか、と問われれば、「ごく稀に役に立つこともある」と答えている。「役に立つ」と「役に立つこともある」という答えは、似ているようで大きな意識の差がある。それは何か。
 これに答える前に、学問は役に立たないという意見に対する、もう1つの反論のパターンについて触れたい。それは、世の中では実学がもてはやされるが、それ以外の学問もできるような余裕が社会にはあるべきだとするという反論だ。この意見には、実を言うと同意する部分もある。ただし、これを受け入れることは、自分の学問が社会には直接役に立たない趣味のようなものであることを認めることになる。実際に私は、自分の研究は趣味だ、ともよく公言している。ところが、これに対する反応はたいてい微妙で、曖昧な感じで聞き流されるか、何を言っているのだという顔をされることが多い。もし、あなたの研究も趣味ですよね、などと言おうものなら、怒りを買いそうな雰囲気さえ醸し出されてしまうこともある。これはなぜなのか。
 個人的な経験に基づく意見にすぎないので研究者全体の傾向として断言するべきではないかもしれないが、それでもあえて書こう。なぜ、「役に立つ」と主張し、趣味と見なされることに嫌悪感を感じるのか。それは、自分自身の研究にはもの凄く価値があるというプライドがあり、研究によって生み出される成果は崇高かつ創造的なものであると考えているからだ。もっとはっきり言おう。ものを考えている自分は、世間の人々よりも偉いと思いこんでいるからだ。だから「役に立つこともごくたまにはある」という極めて控え目な言い方では満足できないし、単なる趣味などと一緒にされたくはない、と偉そうに考えてしまうのだ。
 そもそも、研究を行うことは、他のことと比べて決して崇高な行為などではない。別に卑下する必要もないが、かといって他の技術を見下しうるような営みでもない。山形浩生は、著作権の延長を主張する著作家たちに対して、「自分の職能を重要に見せたいから、創作の生みの苦しみだのなんだのをやたらに美化する」と厳しく弾劾している(山形浩生「「創作者」は思い上がってはいけない」(初出は、『Voice』2007年2月号、110〜111頁))。たとえば、「エンジニアが計算をまちがえれば、橋が落ち、家電が出火して人が死ぬかもしれない」。世の中には様々な職業があり、それぞれの「他人と社会に対する大きな責任を背負っている」のだ。そして、世の中はそうした職能を持つ人々がつながり合い互いに援助し合うことで成立している。直接に必要としている職能もあれば、間接的な場合もあるし、全く自分と関係しないこともあるだろう。万人に必要とされる職能など存在しなくてあたりまえだ。
 山形の批判は、研究する自分を高く評価しがちな研究者にもそっくりそのまま当てはまる。研究やそれに伴う言論活動も、世の中にある無数の職能の1つにすぎない。研究者の中には、啓蒙という言い方で知識を一般人に還元すべきと主張する者も珍しくない。だが、上から人を見下ろして知識を授けるという態度を取りうる正当性などどこにもない。歯医者という職能やラーメン屋という職能を必要としている人がいるように、研究者は自分の職能を生かして知識を必要としている人に適切な言葉を紡ぎだせばよいだけだ。お互いの職能で助け合っている世の中において、職能は上下関係のある垂直的なものではなく、対等な水平的なものであるべきだ。職業に貴賤はないなどという綺麗事をいうつもりはない。ただ、無条件で絶対的な上位の立場に立つことなど認めるべきではないと言いたいだけだ。著者は、本書の目的をアカデミズムと一般の人々の関心との間にある「隔たりにちょっと橋を架けてみたいという試み」(131頁)だと述べている。意識しているのかどうかはわからないのだが、「橋」であり「ハシゴ」ではないことは重要だろう。「ものを考えてしまう人」は、別に偉いわけではない。何かアイディアを得たい人の求めに応じる職能は、上下の関係ではなく、横の関係であるべきなのだ。
 ごく普通の人々は、学問的な知識に基づく研究という職能が別に隔絶したものだとは考えていない。小難しいことしか人々に言えないような研究ならばなおさらだ。だから、なんだか難しいことやっているんだなあ、という以上の感想はたいてい出てこない。研究者が評価されるのは、インテリに弱いようなごく一部の人たちと、研究者同士の間でだけだ。しかし研究者は、世間で自分の学問が特別に評価されるわけでもない状況を受け入れることができない。研究者、特に文系の研究者は、訳知り顔で高みに立って社会の批判を行うことが多いのは、そうしたルサンチマンの反映であろう。その批判さえ、世間一般の人からすれば、学者さんは文句を言うだけで気楽でいいね、という感情を持たれてしまうにもかかわらず、である。その雰囲気を感じ取った研究者は、社会は遅れているとさらに批判して、孤高の賢者であるかのようなポーズを取って悦に入るのだ。
 ただし、役に立たないその研究を絶対的に披露できる場所がある。それは学校の教室だ。現代の学校制度における教室は、究極的にいえば、教員は授ける側という上位の立場にあり、生徒は教えを受ける下位の立場にあるという状況を変えることは許されない。いかに面白い授業を行おうと、この構造が転換する状況ほぼ存在しないだろう。以前私は、「苛立つ『神学者』のご託宣」での内田樹『下流志向』(講談社、2007年)への批判にて、教育を受けるべきというテーゼは疑うことを許されない神学であるかのように内田が語っていることに異議を唱えた。だが、これは研究者が持つ特質からすれば当然のことでもあると言えよう。教室という空間にて、研究者は世間には認められない自己の学問の正しさを独りよがりに確認していると言える
 こうした現代の研究者の状況は、前4世紀のプラトンと構造的に同じなのは明らかだ。プラトンは、時代の流れに取り残された自分を認めることができず、「すべての国は悪く政治されている」と言い放ち、アカデメイアでも孤立して、書物の中で作り上げた物語の中で、絶対的な立場から自分の教えに従う者たちがいる世界を夢想した。用意されたカリキュラムに従って教えを受けねばならない生徒を前にして、持論を蕩々と述べ続けることができる教室という空間を手に入れた教員としての研究者は、プラトンが待ち望んでいてついに具現化した世界を享受する者たちである。もちろんこの批判の対象には私自身も含まれてしまうのであり、決して他人事のように語りたいわけではない。
 研究者は、アトランティス文明を超(古代)文明やオカルト的な物語と見なして肩入れする人を馬鹿にする。しかし、自分が低く扱われることに耐えられなかったプラトンの末裔という意味では、たいていの研究者は彼らが馬鹿にする人たちと何ら変わることのない性質を抱え込んでいるのだ。

5.

 さて、それでは研究者はどのような態度を取るべきなのか。これは簡単に方法を提示できるようなものではない。また、すぐに状況が改善できるようなものでもない。それでも、アカデミズムが陥った袋小路から抜け出る道を少しでも模索すべきであるのは間違いない。
 まず、研究という職能は決して特別な存在ではない、と認める必要があるのは言うまでもない。アカデミズムが高尚なものであるという装飾を剥ぎ取り、書物を読みつつものを考える自分などちっぽけな存在にすぎないことを見つめ直す必要がある。そもそも、娯楽や実用以外の目的で本を読むことを、普通に生きている人たちは行う機会が少ない。自分の属する社会を超えたことについて考えを巡らす行為そのものが、普通の人には縁がない。自分の職能にとって有用な知識を仕入れるだけで十分だからだ。かつて柳田國男は、日本の家屋が障子紙からガラスを用いるようになると、光が奥に届きやすくなったがゆえに部屋の中を壁で間仕切るようになったことを述べた際に、読書について以下のように触れた。「家の若人たちが用のない時刻に、退いて本を読んでいたのもまた同じ〔部屋の〕片隅であった。彼らは追い追いに家長も知らぬことを、知りまた考えるようになってきて、心の小座敷もまた小さく別れたのである」(柳田國男『明治大正史世相編』)。研究の基盤となる読書という行為は、普通の人々から見て群から離れていく行為に見えるのだ。研究者は自分が社会の異物だという現実を受け入れねばならない。
 ただし、書物を読みつつものを考えることに没頭して、自分の世界へ退きこもって得た知識は、まったく役に立たないわけではない。普通に生きている人でも、行き詰まることはある。そうなると、実用的な技術や知識ではどうにもままならないということも、ごくたまには起きる。そのときに、内面世界へ退きこもることで貯めてきた知識を語ることが、自分だけでは思いもよらない考えがひらめいて、道が開けることもあるだろう。社会の異物だからこそ、普通の人たちには見えないものが見える場合もあるのだ。しつこいようだが、それが偉いわけではない。普段はまったく役に立たなくとも、非常時には職能として評価される場合もあるのだ、というだけだ。
 たとえば、古代ローマを勉強したところで、先にも述べたとおり、就職活動に役立つ知識が得られるはずもないし、就職してからの仕事に使えることもほぼあり得ない。しかし、生活に全く困っていないのにふとした漠然とした不安感がこみ上げてきたとき、弓削達『素顔のローマ人』(河出書房新社、1975年(リンクは文庫版))を読むと、何らかのヒントを得ることができるかもしれない。ローマの社会史を扱ったこの本では、莫大な富も人に羨まれる地位も得たローマのエリートたちが、それでも満たされぬ精神的な充足の飢えを、どのようにして癒そうともがき苦しんだのかが描かれている。そうした先人の行為に、現在の自分の不幸との相似形を見いだし、そこから新たに踏み出すためのヒントを得ることもあるだろう。
 ここで私が思い起こすのは、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(ハヤカワ文庫、2008年初版は1975年))だ。近未来の世界が舞台となったこの小説では、人間は読書をすることが禁じられている。主人公の男性は本を燃やす仕事に就いていたが、ある時、それに疑問を持つようになる。そして、ラストあたりにおいて、主人公は体制に逆らって読書をしようとする人たちに出会う。しかし、本そのものは次々と燃やされてしまっている。そこでこの人たちは、それぞれ何かの本を暗記する。そうしておいて、誰かからリクエストがあれば、頭の中に貯めておいた本の内容を語りあげるのだ。お互いが読者と本の役割を果たし合うわけだ。
 この小説でいう本を暗記する人々は、先程から触れている「ものを考えてしまう人」と重なると言える。そして、それは無条件で偉いわけではない。ため込んだ知識について、誰かから問われれば、それを適切な形で提示する必要があるのだ。そうして初めて、感謝や賞賛を得られる。
 ここでもう1つ、ミヒャエル=エンデ『はてしない物語』を例に出したい。主人公のバスチアンは、いじめられっ子でデブな少年だが、ふとしたきっかけで本の中の世界に飛び込んで、その本の中で語られているファンタージェンを救うことになる。そして新たな世界の創造を託されたバスチアンは、様々な物語を自分の思うままに作っていく。その際に彼自身も現実のいじめられっ子ではなく、カッコイイ姿の勇者となる。しかし、物語を創るごとに、現実世界に関する記憶を失っていくという代償が伴っていた。自分だけの世界の王様になってしまい、外の世界との関係を失ってしまうバスチアンの姿は、自分の世界に閉じこもるプラトンにも重なる。
 しかしバスチアンは、ギリギリで自分自身が失われることに気づき、苦心の末に自分自身を取り戻して現実世界へと戻ってくる。バスチアンは、本の中と違い、やっぱり冴えない少年のままであった。しかし、この小説の最後は希望に満ちあふれている。それは、自分の経験を言葉にすることができたことが大きいのではないかと思う。バスチアンは自分の父親と、盗んだ本のあった古本屋の店主に自分の経験を語ることができた。自分自身の生き方や世界を、人に分かってもらうために重要なことは、他の人間にも分かる言葉で自分自身の物語を伝えられることだと言える。これによって、バスチアンは内なる世界から外へと飛び出ることに成功したわけだ。
 閉じこもった世界で得た知識を、言葉にすることで他者の助けにすることができれば、それは社会のなかに位置づけられた「教養」になりえる。実際、バスチアンが家へ帰った後に、古本屋の主人はこう呟くす。「君は、これからも何人もの人に、ファンタージェンへの道を教えてくれるような気がするな」。言葉でもって経験を語ることで、その素晴らしさを人に伝えられれば、他の人の助けになる可能性があることを象徴する台詞だろう。
 本を読むことや勉強をするという教養と呼ばれるものは、基本的に孤独な行為にすぎない。しかし、自分の外に広がる世界を意識した時点で、それは決して閉じられた行為に陥ってしまうことはない。なぜならば、大宇宙のなかで自分はどのような存在であり、どうすればいいのかということを意識しながら教養を積み上げていけば、それは自分が生きていくための拠り所や規範となるからだ。
 そして、大宇宙での経験を自分の小宇宙に持ち帰ることで、小宇宙の教養をまたさらに磨き上げて洗練させることもできる。逆に、大宇宙から圧迫を受けたときには、それに対抗するための教養という道具を取りに戻ることもできる。小宇宙のなかでのルールや道具が教養であるというわけです。つまり、小宇宙というのは単なる孤独な空間を越えて、色々なことを考えつつ、傷ついたときには休息して、また立ち上がるために鍛練を積むための帰るべき場所になる。それを象徴する台詞が、やはり『はてしない物語』に出てくる古本屋の言葉だ。彼はバスチアンに、「新しい名前を差し上げることができれば、きみはまた幼心の君にお会いすることができるんだ」と告げる。幼心の君には本当ならば一度しか会えないということになっている。では、新しい名前とはどういう意味かというと、外の世界で経験を積んで来ることではないだろうか。経験を積んだ上で、それがどういった意味であるかを考えれば、それは新しい言葉として人に語ることができる。それは、自分自身の小宇宙を拡大することにつながる。そうして広がった世界にはそれまでとは異なった新しい名前をつけられるだろう。つまり、新しい名前とは、経験をきちんと自分自身の言葉で語ることで、自らの小宇宙をさらに豊かにしていく行為の比喩だろう。
 アトランティス伝説を論じた本書を読んで感じたことを書き連ねていくうちに、ずいぶんと遠いところへ来てしまった。研究者は、世の中から隔絶した場所に立って、世の出来事を無関係な立場からただ論じる存在に安住できるわけではない。研究者もまた世の中を生きる人々であり、自分自身が物語そのものなのだ。そこから目をそらし続ける限り、アカデミズムが入り込んでいる袋小路から抜け出すことはできないだろう。
 面白くない物語が、他人に興味を持ってもらえるはずがない。現代は情報化社会であるがゆえに膨大な情報が手に入れられる。それは、世の中に無数の物語が氾濫している状況を生む。したがって、面白くない物語など読んでもらえるはずもない。研究者は自分はなぜそれを研究しようとしているのか、そしてなぜそれに好奇心を持つに至ったのかについて考え、また語る必要があるのではないか。その果てに、研究者という職能を社会において地位を確立して、アカデミズムの袋小路から抜け出る希望が存在するのだと思う。

 「だけど私は情報の並列化の果てに個を取り戻すための一つの可能性を見つけたわ」「ちなみにその答えは?」「好奇心、たぶんね」(『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』第26話(リンクはDVD))
 「遊びに変化を持ち込む子供たちは、以前の世代とは違った人間になり、別の人間になるがゆえに別の生活を求め、別の生活を求めるがゆえに違ったしきたりや法律を欲するようになる、ということです。そして、その結果として、いま言われた、国家にとっての最大の悪が訪れるでしょう」(プラトン『法律』、797B-C)


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