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2008年4月の見聞録



4月2日

 服部まゆみ『シメール』(文藝春秋、2002年)を読む。火事によって家を失い、父と母と共にアパート暮らしをしている中学生の木原翔。彼には内向的な自分とは異なる、双子の兄・聖もいたが、火事の時に亡くなっていた。しかし、両親は彼のことを聖と呼び、翔もまた自分の内面に聖を棲まわせていた。そんなとき、翔を偶然に見かけた両親の芸大時代の同級生で大学教員となっていた片桐は、その美しさに心を魅了されてしまう。妻を失ったばかりの片桐は、木原一家に自宅の一部を貸し与えて、翔を手元に置こうとする。しかし、やがてその想いに翔の両親の感情が絡みはじめると、事態は急激に破滅へと向かうことになる…。
 佳多山大地・鷹城宏『ミステリ評論革命』に紹介されている文章で興味を持っていたので、いつか読もうと思っていた。そのときは、60年代と90年代の世代間の相違、という部分に興味を持ったのだが、本書を実際に読むと、そのような印象は全く関係ない点で、強烈なインパクトを受けた。この小説の後味は、凄まじく悪い。それは、ラストの文章が醸し出す、空虚な満足感ゆえである。
「私は退いた……前に進み、止められたかもしれないのに……なぜ……恐怖ではない……私は翔を葬ったのだ。おそらくは私の意志で葬ったのだ……シメール……幻を幻たらしめるために……」(353頁)。
 片桐は、乱暴に言えば、少年愛にとらわれたことになる。そして、翔に仕事を手伝わせて、出来る限り身近に接しようとしたり、翔と共通の話題を探すなど、それを想わせる描写はいくらでもある。さらには、彼の写真をも収集し、しかもそれまで抽象画しか描かなかったにもかかわらず、翔の肖像をスケッチブックに書き連ねていく。この流れは、確かに偏執的な少年愛を描写である。だが、上記のラストの文章がそれを更にひっくり返す。片桐は翔を愛でるために手元に置こうとした。そしてその愛は、翔の生が止まった瞬間に、コレクションとして完成したのだ。それに陶酔と幸福を感じるのも人間の1つの姿なのだということに、おぞましさと恐ろしさを感じずにはいられない。山本文緒『恋愛中毒』と同じく、これもネガティヴな意味での「恋愛小説」と言えよう。


4月7日

 田中英道『ルネサンス像の転換 理性と狂気が融合するとき』(講談社、1981年)を読む。ルネサンスは古代の再生ではなく、新たな誕生(ネサンス)であるとの見解に則って、ルネサンス期を捉え直す。
 ブルクハルトに始まる近代ヨーロッパ的なルネサンス観には、古代の文化を抹消していったキリスト教文化への単なる批判ではなく、現代が古代よりも優れているという考え方が反映している。こうしたルネサンス観に対する修正は、中世の再評価や、その逆にルネサンスという画期そのものが存在しなかったとする主張によってなされている。だが、それよりもまずルネサンスと古代を安易に結びつける視点を疑うべきだとする。たとえば、この時期に最もつくられたのは、古代には存在しなかった聖母子像や磔刑像であり、ギリシア神話に基づく作品ではなかった。また、遠近法を用いて、見る者の視点に基づく遠近法を用いて描いたものは、キリスト教に関する絵画であることが多かった。とはいえ、これによって、画家の独立した視線が重要視され、そこに個人主義の発露を見出すことができる。そして、ギリシア・ローマの絵画に遠近法が見られるとしても、個々の事物にそれらが用いられていても全体としての統合を意識していない点で、この時代の遠近法とは異なっている。
 それ以外にも以下に挙げるような事例は、ルネサンスを新たな誕生と見る視点の正統性を補強してくれる。中世末期とルネサンス期を結ぶジョットの作品を見ると、描かれた目の表現には宋や元の中国絵画の影響が見られる。実際に、当時の中国とイタリアは、商業活動とカトリックによる伝道によって相互の関係があった。さらに、ジョットが多用する柱の影の人物は、中国画で描かれる衝立の影の人物と類似している。加えて、中国との貿易の結節点であった黒海沿岸へ進出していたバルディ家のために、ジョットが描いた絵画の人物は、東洋人的でありかつ水墨画のように描かれている。
 ジョルジョーネやティツィアーノは横たわるウェヌスを描いているが、こうしたモチーフがギリシア・ローマで主題となることはなかった。古代ではあくまでも立像であり、横たわるウェヌスも「再生」と言うよりは新しい「誕生」であったと言える(113〜115頁)。1506年に、前1世紀のラオコーン像が見つかったが、これがミケランジェロの彫像に影響を与えたのかは疑わしい。というのは、前者では逞しい肉体像を肯定するかのごとく造られているのに対して、後者では肉体を厭うかのような態度をあらわし、むしろ肉体によって精神的な営みが拒まれているかのように感じているかの印象を受ける(142〜143頁)。
 古代ギリシアのフェイディアスは、アテナ像の盾を飾るアマゾン族と戦うテセウスの姿をしたペリクレスと共に、自分の姿をしたダイダロスを描いたと指摘されて、不敬の罪に訴えられて獄につながれた、という。これは、ルネサンス期の美術作品に、作者や寄進者の姿がしばしば描かれていたのとは対照的である(182頁)。
 確かに、ルネサンスを単なる古代の再生と見ず、また中世からの連続性を必要以上に強調せず、新たな誕生と見る主張は、本書を読む限りかなりの説得力を持っているように思える。ただ、それを踏まえた上で1つだけ疑問に思う点は、プラトンの扱い。特にルネサンス期の思想を論じる箇所において、プラトンがギリシアの思想の代表的存在として扱われているように見える。けれどもプラトンは、晩年の彼の手紙である「第7書簡」を読めば、挫折を繰り返した人物であると分かる。となると、同時代のギリシア世界では彼の考え方はさほど評価されていなかったと見てよいだろう。著者の考え方は正しいと思うのだが、思想に関しては、対比すべき概念がギリシア的なものからずれている気がする。ルネサンス期の人物がプラトンを重視していたので、プラトンとの比較を綿密に行ったという可能性も考えられるのだが、どうもそのようには見えなかったので。


4月12日

 米澤穂信『夏期限定トロピカルパフェ事件』(創元推理文庫、2006年)を読む。『春季限定イチゴタルト事件』の続編。小市民として暮らすという目的を果たすために、互恵関係にある小鳩常悟朗と小佐内ゆき。小鳩は小佐内に、なぜか夏休みのスイーツセレクション巡りに付き合わされる羽目になったのだが、小佐内が誘拐されるという事件が発生するのだが、その背後にある謎の解釈は二転三転を遂げて…。
 いわゆる「日常の謎」系であり、前の巻の内容やこの系統の物語の傾向から想像して、オチで大団円が待っているのだろうと思いきや、いい意味で裏切られる。解説でも触れられているように、これは続刊が秋、冬と続くことになるだろう。


4月17日

 スティーブン=ジョンソン(山形浩生・守岡桜訳)『ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている』(翔泳社、2006年(原著は2005年))を読む。ゲーム・テレビ・インターネット・映画など、人間の頭を悪くしていると非難されることの多いものが、実は年を経るごとに複雑になっているため、利用者は以前よりもはるかに複雑化したそのシステムを理解するために頭を使うようになっている、とする。
 ゲームについての暗い秘密は、面白くない部分に長い時間を費やさなくてはならないことだ。ゲームは満足が先送りされるだけではなく、その満足さえ得られるかどうか分からない。それでも、次に何があるのかを見たいという欲求に引きつけられる。こうした中毒状態は肯定的に評価できないかもしれないし、またゲームの物語も、黎明期のものに比べれば格段に前進したとはいえ、まだ安物のハリウッド作品と張り合う程度でしかない。だがゲームは、文化的な内容が重視されているのではなく、目的を達成するために、提示される証拠を検討して状況を分析して、優先順位つけて選択する、という知的労働こそが重要な意味を持つ。したがって、ゲームの知的な部分は、その内容・テーマ・キャラクターなどに求められず、確率・パターン認識・因果関係といった抽象的な技能に負っていると言える。
 テレビに関しても、たとえばドラマを例に取れば、過去30年間の間に、ストーリー展開は遙かに複雑になっている。以前のドラマであれば、1回の話の中で1つのストーリーを追えばよかった。だが現在では、複数のプロットが1回の中で複雑に絡み合っていることが普通であり、説明的な補足の台詞も減って、自然な会話になっているがゆえに、視聴者はその前提となっているものをあらかじめ理解しておく必要が生じている。そして、それらの情報の中に、場面にリアリティを与える質感と、内容に関わりのある実体とがあり、流れを追うためには、前者を軽く聞き流しつつ、後者を重視して理解しなければならない。また、テレビ番組を比較する場合には、過去を感傷的に振り返らず、良質な番組同士と些末な番組同士とに分けて考えるべきである。なお、2時間程度で物語を終わらせなければならない映画は、複雑化させることが困難という状態にある。
 ただし、インターネットの普及によって、読む文字の量は決して落ちていないとはいえ、ネットでのテクストはまとまった分量の文字を流れを中断せずに読むという方法には適していない。だからこそ、ゲームやテレビ、ネットだけでよいわけではないのだが、それらを否定しかしないということは辞めて、その利点を認めた上で適度な活用を行うべきとする。
 これを読んで思い起こしたのは、東浩紀『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』であった。本書は、現代文化の特徴が「大きな物語の喪失」と「断片を紡ぎだして構成を行うデータベース的消費」にあるとしているが、そうした理解に立った上で新しいメディアも批評する必要がある、と言えよう。かつて私は、桝山寛『テレビゲーム文化論』や永田泰大『ゲームの話をしよう 第2集』などで、ゲームは今のところ文化たり得ていない、と書いたことがある。本書においても、ゲームには「心理的な深みもなければ、道徳的逡巡もない」(67頁)と述べられている。だが、再三指摘されているように、物語という部分に固執せずに、その特質を違った観点から理解する、ということは重要だろう。
 そして、もう1つ連想したのは、清水義範『ナウの水びたし』(文藝春秋、1991(リンクは文庫版))に収録されている「六十年の余生」である。このエッセイと短編の融合作品では、最近の若者は20年間で人生の喜怒哀楽をやり尽くして就職してからの60年間は余生のように過ごしているくらい、人生が圧縮されている、と述べられている。その中でメディアに対する接触や理解度もどんどんと早熟化している、とどちらかといえば消極的に紹介されているのだが、はからずしも本書の内容とリンクしている。そして、訳者の後書きに記されている『水戸黄門』は昔から変わらず、バラエティー番組ではテロップ化が激しくなるなど、どちらかといえば退化しているように見えるというのも、このことと関連している気がする。いわば世代論の問題と、成熟した文化における一種の退化減少が生じているのではないだろうか。これらを乗り越えて新しく発展するかもしれないし、そうでなければさらに退化していくのかもしれない。そして、このことはゲームやネットにも当てはまるというだけのことなのだろう。たとえば、鈴木みそ『オールナイトライヴ』第5巻のゲーム専門学校生のルポを読めば、考えないと進めないゲームはつらい、という若者さえ登場していることが分かるので。
 ちなみに、テレビゲームが読書よりも先に発明されて普及したと仮定して、読書を批判する文章を想定しているのだが、これがなかなか面白い。曰く、動画と音楽的な音声あふれた三次元的な世界に関わらせ、複雑な筋肉運動で操縦しなければならないゲームに比べると、本は退屈な言葉を連ねたものにすぎず、使われる頭脳領域もわずかである。そして、本は孤独的な行為であり、図書館は仲間を気に掛けることもなく静かに読書をする恐るべき場所だ。加えて、定められた一本道しか辿ることができず、物語をコントロールすることはできない。これは子どもたちに全面的な受動性を植え付け、状況を変える力はないと思いこませてしまう…(26〜27頁)。つまるところ、文句を言おうと思えば、どんな風にも理屈はこねられるということ。
 なお、アメリカの司法省と教育省が2004年末に発表した共同調査によると、アメリカの学校における暴力犯罪は、1992年から2002年の10年間で生徒10万人あたり48件から24件へと半減しているという(208頁)。


4月22日

 ジャック・ケッチャム(金子浩訳)『隣の家の少女』(扶桑社ミステリー文庫、1998年)を読む。1958年の夏、わたしこと12歳のデイヴィッドは、引っ越してきた美しい少女メグに、出会ってすぐに心惹かれる。メグは両親を交通事故でなくしたために、妹のスーザンと共に、隣の家のルース・チャンドラーに引き取られてきたのであった。しかしある日、デイヴィッドはルースが姉妹を虐待している現場に出くわしてしまう。しかも、デイヴィッドの友達である彼女の息子たちや、近所の悪ガキもそれに加わり始める。後ろめたさと快感と憎悪が微妙に入り交じった感情の中、その行為を傍観していたのだが、やがて彼女は地下室に監禁されて、その行為はエスカレートしていく。そして、ついにデイヴィッドがメグを助け出す決意をして行動するのだが、それが発露すると事態は取り返しの付かないおぞましい方向へと動き始める…。
 この本は「劇薬小説」(わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)で、読んだことを後悔するぐらい嫌な本の筆頭にあげられていたので、興味が湧いて読んでみた(ちなみに、以前読んだ桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜かない』は、この時点のランキングで3位)。確かに、この小説は強烈に後味が悪い。助けようとするデイヴィッドも、無力感に苛まれつつも、虐待に少し快感を覚えたり、他の子供たちは「ゲーム」と呼んで積極的にルースの行為に加わったところに、子供の無邪気な残酷さを見て取れるのかもしれない。また、その様々な残虐行為に生々しさを感じたり、結末の救いのなさに嫌悪感を抱くのかもしれない。だが、個人的に何よりも救いがないと感じたのは、ルースが決して悪人ではない、ということ。
 もしルースがどうしようもない人間であれば、虐待をする彼女に憎悪を向ければよい。メグを売女と罵っているのだから、メグの美貌に対する自身の容姿への劣等感を強烈に刺激されて、そのような行為を行ったと理解できる。しかしルースは、少なくともデイヴィッドにとって、メグたちが現れるまでは、粗雑であり決して美人ではないけれども、親しみのある女性であった。しかし、メグ姉妹に対しては、凄まじいまでの虐待を行いうる女性へと変貌する。決してルースは初めから残虐だったわけではない。だからこそ、彼女をただ全否定することもできず、人間の持つ嫌な部分を、これでもかと思い知らされる。それはデイヴィッドが、警察に自分の状況を知らせたメグに、どうせ助けてもくれないのに無駄なことをするという怒りを抱いたことや、それまで虐待していたメグを、ほんの少しだけ助けてあげるだけで、メグが感謝したため、その無力さと共にメグに触れたいという願望を抱いてしまったことにも当てはまる。メグを助けようとしたデイヴィッドさえこうなのだからと思うと、やっぱりどす黒い部分を自分自身の心の中にも見てしまったような嫌な気持ちになれる。
 本書の解説はスティーヴン=キングであり、人間にはどうしようもない不条理で無慈悲な暴力の描写を得意とするキングが絶賛するのは、当然だろう。人間のネガティヴな感情を増幅させる最高の作品である、というのは本書に対する褒め言葉ではあるが、決して万人向けではないとも言える。


4月27日

 永嶺重敏『東大生はどんな本を読んできたか 本郷・駒場の読書生活130年』(平凡社新書、2007年)を読む。タイトル通りに、東大生の読書生活について、東大生へのアンケート資料や当事者たちの言葉を中心に、その歴史的変遷を探る。
 大正期の社会主義の隆盛と歩みを揃えるように、東大でもそれらに関する著作が広く読まれるようになったが、戦時体制によって衰退する。戦後になるとそうした傾向は復活し、昭和30年代には岩波書店の書籍、特に岩波新書が核となり、当時出版された様々な全集が東大生の読書文化を支える。だが、1970年代に入ると、新潮社の人気作家による小説や光文社のカッパブックスなどをきっかけとして、それ以前からもすでに少し窺えていた、一般の若者の読書傾向と東大生の読書文化の同一化が促進されていくことになる。同じ頃に、読んでいる雑誌もマンガ雑誌週刊誌が中心となり、書籍も夏目漱石という例外を除いて、文学的作品は人気がなくなり、代わりに1980年代には村上春樹や司馬遼太郎が人気を博するようになる。
 大まかな流れは以上のような感じだが、これ以外にも興味深い情報が色々とあるので、メモ的に挙げてみる。明治36年の記録によれば、東大では教員の話した内容を出来る限り暗誦することが求められたのに対して、京大では原書講読と演習制度が採用されていた。そのため、東大の学生は参考書を読むものが100人中2、3人だったのに対して、京大の学生は1科目につき原書2冊以上を読まないものはなかったという。そのためか、東大の図書館では館内閲覧のみにだったが、京大の図書館では図書監理主任教師の承諾があれば、借りることが可能だった(44頁)。
 明治・大正時代の東大の卒業生の回想を読むと、読書の思い出はほとんど高校時代に集中しており、大学時代については書かれていないケースが多い。高校時代には文学や哲学に関する幅広い教養的読書へと没入しているのに対して、大学では無味乾燥な専門的読書を行っていたためであろう(52〜54頁)。
 大正期にはマルクス主義に関する読書が盛んに行われていたが、その際には定められたテクストを指導者の下で回読して、討論を行いつつ指導者が解説するというスタイルが取られた。こうした読書形態は「近世の藩校等で見られた儒学の四書五経の会読を彷彿とさせるものがある」(70頁)。
 1932〜33年ごろを境に、東大生の読書は、政治的・社会的興味の交代と文化的分野への逃避というノン・ポリ化の傾向が顕著になる。1929年と1934年の調査から、愛読書の種類を比較すると、前者では文学に告いで政治・社会が上位に来ていたが、後者では経済・法律という実際的な分野への関心が高いことが分かる。なお、購読者の多い雑誌の中に『キング』も含まれていた(137〜138頁)。
 戦後間もない時期の東大生には、文系理系にかかわらず『世界』の人気が高く、少なくとも半数以上の学生は読んでいた(171頁)。ただし、1952年の駒場寮でよく読まれていた『異邦人』『チボー家の人々』などは、同年のサラリーマンのよいと思った本に対する回答にも現れており、両者の読書傾向には重なりも見られつつあった(179〜180頁)。それとは逆に、昭和30年代半ばには、一般社会のベストセラーと東大生のベストセラーは重なりを見せなくなり、東大には岩波文化が中心となっていたことが窺える(193頁)。
 なお、戦前の昭和期の大学生も、勉強をあまりしないことに対して批判されていたようだ。三木清は、1937年に「学生の知能低下について」という一文を書いたが、その中に「学校の課程以外の勉強に「無駄な」労力を費やすことをなるべく避けようとする功利主義から、あるいは社会的関心を持つという危険なことからなるべく遠ざかろうとする現実主義から、彼らは「キング学生」になる」と批判している(139頁)。戦前の大学はエリートが通っていたはずだが、それでもこのような批判があったわけだ。また、教員が暗誦した内容を筆記した講義ノートが、謄写版印刷によって売りに出されていたらしい。プリントは、事前に注文しておいたり古本屋で買ったりされており、商売になっていた。何も昔の学生を罵りたいわけでなく、昔も今も真面目な学生もいれば、楽をしたがる学生もいるのだと言いたいだけだ。
 ところで、1960年代前半までは、学生が読書人口の中心を占めていたが、1960年代後半に入ると、大学進学率が上昇して、都市ホワイトカラー層を中心に大卒者からなる読者層が拡大し、学生読者層は一般読者層に吸収されて学生の読書文化は衰退した、とある(230頁)。これがさらに進んだのが現代ではないのかと。つまり、学生が本を読まなくなったのは、進学率が更に上がって、それまで本を読まなかったような若者も進学してきたからではなかろうか。ちなみに、東大生の調査では、1986年度よりも2000年度の方がマンガを除く読書冊数は増えている。ただし、蔵書数は減っているようだが(262〜263頁)。


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