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2008年5月の見聞録



5月2日

 坂木司『青空の卵』(創元推理文庫、2006年(原著は2002年))を読む。「僕」こと坂木司の中学生の頃からの友達・鳥井真一は、ひきこもり気味の人間嫌いである。坂木は折に触れて鳥井を外に連れ出そうとしつつ、身近に起こった不思議な出来事を彼の食卓で報告する。すると、鳥井はその謎を鋭い観察眼と推理で解き明かしていく…。
 短編の連作で構成されており、全3巻のシリーズのようだ。設定だけを眺めれば、この作品で成長の過程が描かれる登場人物は、ひきこもりである鳥井と考えるだろうが、後ろカバーには「二人の成長を描いた」とあるように、両人の成長を描くところがミソと言えるだろう。実際に、坂木こそが鳥井に依存している描写が何度も出てきており、彼の世界を広げようと努力するも、それによって自分から離れていってしまうことを恐れている。2人がどのように成長するのかのゴールを見たい気はするのだが、どうも坂木の描かれ方がやや偽善者っぽく感じてしまっているところが気になる。なんだか本当に悩んでいるというよりは、悩んでいる気持ちをシミュレートしているような感じというか。さて、次作はどうしようか。
 ちなみに、鳥井は人の名前で呼ぶことにこだわっていて、それによって人格を尊重しすると考えており、坂木もそれに同調しているシーンがある。そのとき、一人の人間として扱ってもらいたいから夫婦別姓がいわれるようになったのではないか、と述懐しているシーンがある(222〜223頁)。名前と人格という部分は置いといて、夫婦別姓については、はたしてそうかな、という気がする。たとえば結婚して女性が元の姓を名乗ったとしたら、それは自分の父親の姓なのではなかろうか。もし母親の姓であるとしても、父親の姓は選択しなかったことになる。これは、吉澤夏子『女であることの希望 ラディカル・フェミニズムの向こう側』(勁草書房、1997年)の論法を借りてきたのだが、こうした坂木の考え方が、どうも本書を読んで釈然としない理由でもある。ちなみに、この問題を解決したければ、結婚すれば夫婦で新しく名字を作れるようにしてしまえばよい。これは、確か橋本治が言っていたと思う。ただ、そうすることで過去から切り離されることを、そう簡単にできないのも人間の性ではないかという気もするが。
 ちなみに、人と話をするときに話題に困ったら、好きな食べ物だと話しにくいので、嫌いな食べ物の話を聞いてそこから広げていくといい、というのはなるほど、と思った。


5月7日

 木村泰司『名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」』(集英社、2007年)を読む。興味深い事例を分かりやすく説明しており、印象に残ったものをメモ的に。
 デューラーはエラスムスに傾倒し、後にルターの支持者となったが、そのことは彼の作品である「自画像」(リンクはWikipedia、以下絵画に関しては同じ)から窺える。この絵では真正面を向いた肖像画が描かれているが、中世からの伝統でそれはイエスにしか許されていなかった。しかし、敢えてそのスタイルを自画像に用いることで、キリスト教徒としての信仰や、教養人としての美術家という自意識を打ち出した(107頁)。ヘンリ8世が正面向きの肖像画を描かせたのも、英国国教会を国王が創設したことと関連している(132頁)。なお、ヨーロッパにおける肖像画のルーツはギリシア・ローマの貨幣であり、そのスタイルを模倣したため、まずは横顔の肖像が描かれるようになった(122〜123頁)。
 カルヴァン派の多いネーデルラントでは、聖像崇拝が厳しく禁じられ、そのために画家たちは聖書の題材の中から風俗や風景、または静物を描くようになる(109頁)。それらにはシンボル化された意味が込められたが、それは肖像画も同じだった。たとえば、ヤン=ファン=エイク「アルノルフィニ夫婦の肖像」では、窓際に置かれているオレンジは純粋や無罪を意味するので、二人が清らかなまま結婚したことを表している。また裸足で立っていることは、聖なる大地に立っている意味であり、聖なる結婚であることを示す。犬は忠節であることから結婚のシンボルである。赤いベッドは夫婦であることを示し、天井のシャンデリアにある1本の蝋燭は結婚の象徴である(126〜127頁)。また、ネーデルラントでは、市民を中心に組合や自警団が組織されたため、集団肖像画も描かれた(140頁)。
 リュベンスの描いた「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」は、同時代のことは古典作品の寓意や擬人化を盛り込んで描くという、当時のルールに則って描かれた。マリーを迎える人物は、フランス王家の紋章である百合の花を金糸で刺繍した青いガウンをまとっているが、これはフランスを擬人化している。海の中には三叉の矛を持つネプトゥヌスがおり、航海を護衛してきたことを意味する。マリーは美女だったらしいが、海の中の3人の人魚は、その美しさに敬服して船の上陸を手伝っている。なお、この3人がふくよかなのは、ようやく混乱を抜けきった17世紀のフランドルを知るリュベンスにとって、そうした女性こそが豊かさや美しさの象徴だったためであろう(146〜148頁)。
 ただし、ところどころで、古代・中世の歴史的な解釈について首を傾げる箇所もあった。12世紀のフランスは国家として統一されておらず、諸侯が並び立っていたが、12世紀のルイ6世は、国境線による国家という新しい概念を打ち出して、フランス国王としての象徴的なシンボルとしてゴシック様式を用いた、とある(72頁)。王権のシンボルという部分は事実かもしれないが、少なくとも百年戦争が終わるまでは、国境線による国家という概念があったとは言えないのではなかろうか。
 フィレンツェでは商人と職人の町であり、父親が家の近くで仕事をしているか、夜には帰ってくるために、その存在が大きくなると同時に家族という認識も強くなり、それがヨセフも描かれたミケランジェロの「聖家族」にも反映している、としている(82〜83頁)。だが、フィレンツェでなくても、中世の時点ですでに家とその父親が都市の中心的な存在だったはずで、この説明はおかしい。ちなみに、この「聖家族」の解釈として、右端にいるヨハネはとイエスたちの間には溝のようなもので区切られており、異端とキリスト教とを区別しているとある(83〜84頁)。これ以外にも、イエスがマリアの肩の上にいるのは、ドミニコ派ではイエスを何よりも重視しており、マリアはあくまでもイエスの母であるから聖性を持つとしていたため、その考え方が影響している、と聞いたことがある(確か、『世界美術大全集 第12巻 イタリア・ルネッサンス』(小学館、1992年)での、この絵に対する解説で読んだ気がする)。
 マルクス=アウレリウスの騎馬像が等身大以上のものであるのは、このような巨大な馬を乗りこなせるくらい広大な帝国を治めることができる、というメッセージがあったとする(133頁)。そう解釈できるのかもしれないが、公的空間での騎馬像の設置は、共和政期以来の伝統であるため、その流れに位置づけられると見る方が適切だろう(これに関しては、安井萠『共和政ローマの寡頭政治体制 ノビリタス支配の研究』(ミネルヴァ書房、2005年)比佐篤『「帝国」としての中期共和政ローマ』(晃洋書房、2006年)などで簡単に触れられている)。
 ダヴィドによる「サン=ベルナール峠を越えるナポレオン」は馬で超えることが不可能なこの峠を越えるナポレオンを見せつけて、彼の偉大さを宣伝しようとした(155頁)。これはその通りだと思うのだが、それを言うならば、この絵の下に、ナポレオンの名前のみならず、ハンニバルとカール大帝というアルプス越えを成功させた2人の人物の名前も記されていることに触れておくべきだろう。
 ところで、フランスでは最も格が高いのが聖書や古代の出来事を扱った歴史画で、次が肖像画であり、風俗が、風景画、静物画は格が低いという。なぜならば歴史画を理解するためには教養がないとできないためであり、したがってルーブルはつまらないけれどオルセーはよかった、などと言えば、教養がないことを公言しているようなものになってしまう、とある(142頁)。だから、フランス人の前ではルーヴルは最高です、と見栄を張って、作品に関する答えを用意しておけばよい、と述べているが、これこそが最も醜悪な俗物根性ではなかろうか。何も、通ぶってオルセーの方がよいという人間まで、弁護する気はない。そうではなくて、身の丈に合った美術品を理解すればいいのだから、オルセーが好きならば、堂々とそう言えばいいのだ。著者自身も、戦後の苦しい時代やバブル時代を覚えているからこそ、同じような苦しい時代だった17世紀前半のオランダの風俗画の魅力をより理解できるのでは(192頁)、と言っているのだから。
 なお、これを読んだときに、細野不二彦『ギャラリーフェイク』(ビッグオリジナルC)第1巻の最初のエピソード、美術を愛好しているかに見える代議士がモネ『積みわら』の贋作を真作と思いこみ、現役を引退した農家の老人が、自分では分かっていないけれども、贋作を真作と見抜いたエピソードを思い出した。


5月12日

 吉田秋生『蝉時雨のやむ頃 海街diary 1』(小学館C)を読む。鎌倉に暮らす三姉妹のもとに、かつて家族を捨てた父親の訃報が突然届いた。葬儀へ向かった彼女たちの前に現れたのは、母違いの妹である中学生であった…。
 この中学生であるすずも鎌倉に引っ越してくるところで第1話が終わり、そこからは鎌倉を舞台にした日常が描かれている。吉田秋生『イヴの眠り』を読んだときに、「全く新しい設定の物語を描いて欲しい」と書いたが、本当にそういった趣の作品が出た。厳密に言えば、『ラヴァーズ・キス』(フラワーC(リンクは文庫版))と同じく鎌倉を舞台としているだけでなく、主人公である藤井朋章やそれ以外の人物も出ているが、『イブの眠り』のような退場させられるためだけに登場させられているわけではないので、何の問題もない。ちなみに、朋章は『ラヴァーズ・キス』の物語が始まる前という設定になるので、時間軸は少々おかしいのだが、まあその辺りも許容範囲だろう。『櫻の園』や『ラヴァーズ・キス』のように、性を感じさせるような生々しさが前面に押し出されているわけではないが、趣のある軽妙さといった感じで、これはこれでいい雰囲気だ。考えてみれば著者ももうずいぶんベテランなので、落ち着いた感じが出るのが当然といえば当然なのだが、悪い意味で老成した印象を与えないのはすごいなあ、と。


5月17日

 徳井淑子『色で読む中世ヨーロッパ』(講談社選書メチエ、2006年)を読む。その書名通り、中世ヨーロッパにおける色の持つ意味について見ていく。
 ヨーロッパでは、16世紀を過ぎるとプロテスタントの禁欲的な思想のもとで、明るい色や暖色系の色は原罪を思い起こさせると見なされて、暗い色の衣服が身に着けられるようになるが、それ以前の中世には、色に様々な意味が込められていた。その中世ヨーロッパの色彩の体系は、その両端に白と黒があり真ん中に赤がある、というものであった。さらに赤と白の間に薄黄色と黄色があり、赤と黒との間に紫と緑があるとされていた。
 白は美しさと喜びの源である一方で、黒は醜さと哀しみの色であった。中世に好まれた赤は、紋章に最もよく使われた色であり、高価であったために権威のある色と考えられた。また、血液や熱を想像させる色であるため、同類療法として護符に用いられることもあった。ローマ人にとっては蛮族の色であったものの、中世には聖母マリアの色となった青は、その性質の変転のごとく、誠実な愛の色でありつつ心変わりをも示すという、逆転する意味合いを併せ持つ色であった。森を示す緑色も、生命の根元という意味合いと森の深淵に棲む怪物の色という、正負の感情を示す色である。そのため心変わりをする恋の色でもあり、理性を欠いていると見なされた子供や道化の色でもあった。黄色は忌み嫌われた色であり、そのためユダヤ人やイエスを裏切ったユダに着させられる服の色であった。また、哀しみの感情を怒りと対になった悪の感情と見なしていたため、悲しんでいる顔は黄色い顔として表現された。加えて、負の意味を持つ色を組み合わせた縞模様の服も、蔑視の対象であった。
 こうした色に関する情報が、様々な実例と共に挙げられているので、読んでいるだけでも十分に楽しめる。その反面、ややまとまりに欠いている、と感じる人もいるかもしれない。個人的に、こうした色が現実社会の力関係にも関連していたという部分が面白かった。都市が王を迎える入市式の絵画において、あまり好まれていなかった左右二色分けの服を来て描かれる場合がある。これは紋章の色から選ばれており、もしこの色が王の紋章の色を用いていれば忠誠を誓っているし、逆に都市の紋章の色を用いていれば、都市の権利を主張しているというわけである。なお、15世紀にはいると、哀しみに耐える姿にある種の美を感じ取るようになり、黒や黄褐色が美しい色として流行していったことなどを例に挙げ、この時代は心性の転換期であった、とする。
 メモ的な情報を。中世では水に関わるものはすべて白く、雨や雲も白かった。そのため、涙の色も白かった(40頁)。赤い色は、必ずしも好まれていたわけではなく、赤毛は醜さと裏切りの象徴であった(なお、左利きもそのイメージに連なる)。そのため、ユダは赤毛で描かれることが多かった(60・130頁)。


5月22日

 東野圭吾『赤い指』(講談社、2006年)を読む。前原昭夫の妻・八重子は、息子の直巳の子育てに干渉されることを嫌って姑と衝突し、昭夫も育児を任せっきりになっていた。ある日、自宅へ帰ると、直巳が絞殺した少女の遺体があった。警察へ行こうとする昭夫に対して、八重子は隠蔽するように必死に食い下がり、直巳はまるで人ごとのようであった。しかし、警察の捜査があっという間に自分たちへ及びつつあることを気づいた昭夫は、ぼけかけた自分の母親を利用して事態を乗り切ろうと考える…。
 捜査に当たっていた刑事たちにも親子関係をめぐる事情があって、それと絡めつつ、自分自身の行為を改悛する昭夫が、母親の本当の姿を知ることになるという、ちょっとした感動を誘う展開になっているのだが、そこから外れていた2人の人物の扱いが気になって、個人的にはそれほど面白みを感じなかった。まずは息子の直巳。自分の考えとは違った行動をしたという理由だけで殺人を犯してしまった直巳は、何を考えているか分からないひきこもりについて、一般的なイメージをなぞった描かれ方しかしていないため、感動を誘うためのだしに使われてしまったように見えてしまう。そして、もっと違和感を感じたのが、妻の八重子。徹底して息子をかばい続けた八重子は、夫の案に乗っかって姑に罪を着せようとしたが、物語のクライマックスにおいて、実は姑の秘密を知っていたとあっさりと白状する。知っていたのに夫に従ったという点において、人の心の醜悪さを最もおぞましく描出できる人物だと思うのだが、単に息子を独りよがりに溺愛する我が儘な女性という、小さな醜さを描くに終わっている。まあ、個人的に期待する方向と違った展開になったというだけなので、親子の愛憎関係について最終的に愛へと向かうストーリーを読んでみたいという人ならば、興味深く読めるだろう。


5月27日

 宮下規久朗『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』(光文社新書、2007年)を読む。タイトル通り、食事している場面から西洋の美術史を読み解いていく。そもそもキリスト教では、アダムとイヴが禁断の木の実を食べたことから人間は原罪を背負い、そしてイエスはそれを救うために犠牲となったため、人間は救済されるためにイエスの象徴であるパンを食べる儀式を行うようになった。こうした欲求を忌避するキリスト教は、もともとは質素を重んじていた地中海文化に融合して、肉を大食する方が権力者に相応しかった西ヨーロッパ社会に浸透していく。キリスト教の聖餐も、開催時には既成社会の秩序が転倒した古代地中海の宴会にもともとは基づいていたが、こうした宴会は悪しき食事として戒められるものとなる。それにより、食事そのものを描くことは憚られるようになり、「カナの婚礼」や「最後の晩餐」といった、イエスに関連する図像としてのみ食事の場面は描かれるようになっていった。だがやがて、カラッチ「豆を食べる人」(リンクはWikipedia、以下絵画に関しては同じ)やカンピ「リコッタチーズを食べる人々」のように、食事の場面そのものや食べることの愉悦も描かれるようになっていく。それと同時に、明るい庶民の生活が好意的に描かれるようにもなる。だが、食糧供給が安定してきた19世紀以降には、宗教的にだけではなく、世俗的にも日常的な食への理想を求める必要はなくなったため、食べることを正面から捉える主題は少なくなる。
 主題に関してコンパクトにまとめつつ、適度に個々の絵画についての解説も挟み込まれており、非常に面白く読める。タイトルも見て引かれるものを感じた人には、おすすめ。南直人『ヨーロッパの舌はどう変わったか』によれば、そもそもヨーロッパでは肉食が一般的ではなかったとあるが、それは決して豊かではなかったからかもしれない。だからこそ肉食は希少価値があるということで、権力者に相応しいものになったのだろうか、という気もした。
 以下、メモ的に。初期のキリスト教徒は、共同体の結束を確認するためにしばしば集まって食事をしていた。だからこそ飲食にまつわるエピソードが強調された。2世紀になると、この食事から感謝の祈りを中心とする典礼が分離し、それが教会内のミサとなった(19頁)。
 「最後の晩餐」の絵では、パンとワイン以外に置いていないものが多い。置いてある場合には「最後の晩餐」の時の過越祭の食事である仔羊よりも、魚が描かれていることが多い。これは「イエス・キリスト・神の・子・救い主」の頭文字をとると、ギリシア語で魚という単語になるためである(23頁)。さらに、ユダヤ教から決別したキリスト教にとって、「最後の晩餐」は、ユダヤ教の過越祭を継承するものであると同時に、それに新たな意味を与え刷新するものであった。過越の食事の料理が子羊であるのに対して、最後の晩餐の料理を魚とすることによって、ユダヤ教と対比させ」る意味もあった(26頁)。
 宗教改革期の「最後の晩餐」の絵画は、パンとワインが司祭の聖別によってキリストの身体そのものに変化するというカトリックの教義が、プロテスタントに批判されているという状況を反映して、ミサの重要性が強調される方向へと向かった。すなわち、ティントレット「最後の晩餐」に代表されるように、聖餐式での使徒たちの聖体拝領という図像が流行した(30頁)。
 復活したイエスと弟子たちの食事の場面を描いたカラヴァッジョ「エマオの晩餐」は、この時代の静物画の特徴と同じく、静物に象徴的な意味が込められた。季節の異なる果物であるリンゴとザクロが描かれているが、前者は原罪を、後者は復活をそれぞれ象徴するため、イエスの犠牲と復活が示されているとする説がある。ただし、それらの入った籠はテーブルの箸から落ちそうになっており、しかもリンゴには虫食いの跡が見られるため、やがて朽ちていくことを物語っている。一方で、3つあるパンのうち、イエスの前にあるパンは聖別されたパンと言え、手前から奥に向かって肉体から霊へ、滅びから永遠へと向かっていると解釈できる(38〜39頁)。
 ブーケラール「この人を見よ」は、市場の喧噪のなかに、ユダヤ人たちに処刑を訴えられているイエスが埋没してしまっている。これは、商人や農民たちが、神の存在や信仰の価値に気づかない愚者として描かれているためらしい(112〜114頁)。
 描かれた物や人に抽象的な概念を重ねる習慣は、東洋ではほとんど見られない。これは漢字という表意文字を用いることで、意味だけではなく形態の美も伝えられるため、書を芸術とする伝統が形成され、擬人像や寓意化を必要としなかったためであろう。「『仁義』や『一日一善』とかいう書を掲げればすむのだが、同じ意味を伝えるのに西洋では表音文字では難しいからであろうという推測は確かにその通りという気がする。
 なお、後書きによれば、本書執筆中に著者は膵臓を壊してしまい、飽食やグルメとは決別しなければならず、本書も元々は食の快楽を讃えるようなスタイルを考えていたのだが、そのような箇所を全部削ってしまったという。


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