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2015年7月の見聞録



7月7日

 田中芳樹『アルスラーン戦記14 天地鳴動』(光文社カッパノベルス、2014年)を読む(前巻はココ)。ザッハークの魔軍の活動がついに本格化する。さらに、ナルサスの策であえて空城としたペシャワール城へ入城したシンドゥラと、同じく襲来したチュルク軍も巻き込まれる。だが、それ以上にパルス内部は猛攻によって混乱の度合いを増していく…。
 「皆殺しの田中」の本領発揮で、次々とパルスの主だった武将たちが戦死していく。ただし、従来の田中作品と比べると、死に方に必然性がないというか、殺すために殺しているような感じが強い気がする。あと、もう1冊か2冊で完結すると思うのだけれど、完全に蚊帳の外のヒルメスに、作品の流れに沿ったオチは付けられるのだろうか?


7月17日

 増田寛也編著『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(中公新書、2014年)を読む。日本の人口減少の結果として、このまま行けば2040年までに全体の5割近い900近くの地方自治体が消滅する可能性があると警告を発する。
 その根拠となるのは、まず20〜39歳の女性人口である。確かに出生率は21世紀に入ってわずかながら上昇傾向にあり、さらに改善される可能性がないとは言えない。しかしながら、女性の絶対数がそのものが減っていれば、いくら出生率が上がっても人口増加にはつながらない。まさに現在はそうした状況を迎えており、たとえ出生率が増加しても出生数は少ない、という状態をあと何十年かは経験せざるを得ない。さらに問題となるのが地方と大都市圏の格差である。日本全体としては老年人口が増えているので、人口そのものの減少は2040年以降と予測されている。しかし、地方から大都市圏(特に東京)への人口流出は、地方での人口減少がより速く生まれる結果を招いているようである。しかも高度成長期やバブル期の人口移動は、大都市圏の雇用吸収力の増大に由来していたのだが、現在の人口移動は地方の経済力の低下が原因となっている点で、大きく異なっている。大都市圏も必ずしも経済状況がよくないのだから、子供を産もうにも産めず、単に大都市圏が若者を吸収して人口が増えないという悪循環へとつながる。高齢者のための医療と介護は地方での雇用を支えるであろうが、それも大都市圏での高齢者人口が増えればそちらへ吸収される可能性が高い。地方の中核都市でも、札幌市のように男性は道外へと転出するのに女性は札幌に流入するという状況ゆえに、女性がやや増えてしまったために結婚率を下げる結果となっている。こうした傾向に歯止めをかけるために、ベッドタウンも含めた広域にわたる地方中核都市のコンパクト化によって、大都市圏への人口流出に歯止めをかけて何とか地方に留まらせる政策を薦める。実際に産業誘致に成功して、女性人口の増加に成功している地方もある。
 地方の人口を中央が吸い上げる構造は、速水融『歴史人口学で見た日本』で述べられている江戸期の状況と似ているのが興味深い。江戸の場合は地方で増えた人口を江戸が吸い上げていたのだが、現在の日本の場合は地方に生産力がなくなっているところに、さらに厳しい問題があるわけなのだが。なお、本書では「人工のブラックホール現象」と名付けているが、あちらでは「都市アリジゴク説」と呼んでいるところは、同じ現代人が名付けていても対象とする時代の違いに由来するものだろうか。
 さて、本書で示されているマクロなデータは、ミクロレベルでは異なるところはあるかもしれないが、全体論としては大筋でおそらく正しいと思われる。その分析そのものは、私では何も反論ができない。その一方で、どのように歯止めをかけるのかの実践としては、偉そうな言い方をしてしまうが、あまり具体的なものとは思えない。岩手県知事だった編者が、工業高校に自動車かをつくりトヨタとの提携を行うことで、トヨタ関連会社を岩手に誘致した、という個別事例もあるのだが、結局のところは地方にも産業を誘致して子育てをできるような福祉政策を、という大まかな提言に終始しているように感じられる。久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』や関満博『地域を豊かにする働き方 被災地復興から見えてきたこと』で例示されているように、成功している地域もあるが、これらを読むとそうした成功例が点のままで留まっていて全国へ広がっていないようにも感じられる。本書でもこれからは撤退戦を行わねばならないと述べられているが(150〜151頁)、とりあえずは今は何とか上手くいっているから、後の世代に任せよう、という事なかれ主義もあるのではなかろうか。久繁哲之介『商店街再生の罠 売りたいモノから、顧客がしたいコトへ』で窺い知れる、本気度に欠けている地方公務員が少なからず存在しているのも、そうした過去の成長と現状維持に基づいているのだろう。さらに言えば、マクロな現実に対してミクロな地方に属する人々が反発する可能性もある。結局のところミクロな成功をマクロにまで生かすのはものすごく難しいのだと思うと、やらなければいけないことは分かっていても、はたして撤退戦すら上手くいくのかものすごく不安になってくる。
 ところで、この撤退戦という考え方は、浅羽通明『昭和三十年代主義』にてもはや成長しない社会でのソフトランディングという考え方と同じであろう。あちらでは、地方に留まる若者が増えているという話が語られている箇所がある。私は本当にそうなのかと疑問を持ったのだが、この疑問が事実であるか、または事実でなかったとしても事実に変えることができれば、もしかしたら何とかなるのかもしれない。


7月27日

 田中芳樹『タイタニア4 烈風篇』(講談社ノベルス、2013年)『タイタニア5 凄風篇』(講談社ノベルス、2015年)を読む。アリアバートとジュスランとイドリスのタイタニア同士の戦いに巻き込まれて、イドリス側で艦隊の指揮を執ることになったファン・ヒューリックたち。しかし、アリアバートの指揮の前に敗れてしまうのだが、沈黙を保っていた藩王アジュマーンがついに口を開くと、事態はますます混迷を深めていく…。
 第5巻をもってして完結。『銀河英雄伝説』の半分の巻数であったが、たいていの人は、同じ宇宙歴史物としては『銀英伝』の方を高く評価するであろう。それはなぜなのかと考えたとき、やはり、ファン・ヒューリックを中心とする反乱側の人物に魅力が乏しかったことが挙げられるだろう。クライマックスでアジュマーンの心理を説き明かしてみせるドクター・リーでさえ、その皮肉で明晰なキャラは立っていたとしても、魅力という点ではいまいちだった。にもかかわらず、この小説の序盤では、『銀英伝』が帝国側と同盟側の描写が章ごとに変わる形式を受け継いだためなのか、タイタニア側とファン・ヒューリック側の交互に章が変わっていったので、魅力に乏しいキャラ同士の掛け合いを読ませられていると感じる部分が多かった。
 本作自身のなかでも語られているとおり、戦術の奇才であるファン・ヒューリックは、切り札にも重荷にもなるジョーカーなので、実はメインで扱いうる存在ではなかったと言える。その方針が定まってからは、交互に章が変わる形式ではなくなり、タイタニアの存在そのものに関する思想的な問題と内紛のどろどろが分かりやすくなった。それを最初の段階から構成に取り込んでいれば、評価ももう少し上がっていたかもしれない。ただし、そうしたどろどろとした物語はなく、物語性を備えた戦術もの、つまりは『銀英伝』のパート2を読みたかったという人の方が多かったであろう。というわけで、多くの人には受けがあまり良くなかったのではないだろうか。
 とはいえ個人的には、こうしたどろどろした政争ものは嫌いではない。ある意味で『アルスラーン戦記』よりは『マヴァール年代記』に近いようにも思えるが、私は両方とも好きである。なので、またこうしたタイプの架空歴史物を書いて欲しい。


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