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2015年6月の見聞録



6月7日

 堀井憲一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』(講談社現代新書、2013年)を読む。2000年代の特徴を若者の様相を主軸に据えつつ語っていく。以下、まずは個別の内容をメモ的に挙げていく。
 高度成長時代ならば若者はただがんばるだけで世の中のためになったが、21世紀はもはや成長が止まり、がんばっただけではどうにもならないし、役立ったのかそうでないかもよく分からない。とりあえずは豊かな社会であるが平凡である。にもかかわらず「若者は自分を物語のなかで語れ、と言われる」(24頁)。
 2000年代は個別化が進んだ時代でありながらも、繋がりを求められる時代である。それ以前ならば携帯電話やメールがなかったので、若者同士で遊ぶ際には連絡のつかないこともあり、それはそれで構わないとされていた(31頁)。
 ライトノベルは少年の妄想をきれいに描いたものであり、舞台設定がどのようなものであっても、どこにでもいるごく普通の高校生へ、美少女の方から近づいてくるパターンがある。ここには、「僕は僕であるだけで、世界にとって必要な存在なのだ」という意味がもたらされている(59〜63頁)。いまは、そうした「楽園としての架空空間」のライトノベルの世界のままで大人になっても、さほど咎められない時代でもある(66〜67頁)。そうしたひとりで内側に向かっているばかりの情熱が集まったいるコミケは、この時代の象徴でもある(なお、サブカルチャーに関す(このあたりの考え方は、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』と同じであろう)
 おいしいお店の情報は、かつてならば遊び人風のおじさんに聞いていたが、1980年代以後は情報として売り出された。しかし今はインターネットによってすぐに誰でもただで知りうる状態となった(93〜95頁)。なお、情報誌が廃れていったのはインターネットに負けたからではなく、街で起こり始めたムーヴメントを雑誌が先取りするというスタイルを取っていたのに、新たなムーヴメントが(特に男性において)起こらなくなったためであるとする(98〜99頁)。「自分の興味ある分野にだけ精通していれば、隣接しているエリアの趣味については全く無頓着であってもいい」(102頁)というわけである。とても文化的で清潔で便利であり、個々に小さく解体された者たちでつくられる都市生活は、若い男の力を必要としなくなったわけである(106頁)。
 個別化した結果、判断基準も個人だけになってしまう。自分の好きなものがいいものであり、そうでなければ悪いものになってしまう。たとえばラーメン店の調査報告で、「○○店はまずい」と断言するが、著者からすれば味が違っていて食べやすくなっている、という判断をすべきだと考えるのだが、そうたしなめられてもよく分からないことがある(117〜118頁)。
 学生の自主運営においても、過去のノウハウが受け継がれていないと実感する場合が多いという。これはノウハウや伝統を残さなくていいと考えているのではなくて、伝承はその係の人がやるから自分は目の前の仕事をすればいいという個の分割が生んだ現象である(198〜199頁)。
 他にも色々とあるのだが、とりあえず個別化が進んで、しかしそうした生き方をしても誰も困らない、というのが2000年代の特徴と言えることはまちがいない。ただし、個別の生き方をしている割には、SNSのメディアでつながっていなければならず、集団からの孤立ができないという点がやっかいなところでもある気がする。あくまでも個人的な感覚なのだが、少なくとも1990年代までは、ぼっち飯を恐れる必要はなかったはずなので。
 なお著者は、現在の状況の改善策として、小さなユニットを復活させて、受けた恩は返せないし、迷惑をかけることの心の負担に耐えようという案を提示している。迷惑をかけるのが嫌だという考え方は、迷惑をかけなければいいという考え方でもあり、上記の伝承の不継承の問題と根っこは同じであるともしている(199頁)。これは小さな一歩として(若者がすぐに受け入れられてくれるかどうかは別として)、わかりやすいし具体的でもあると思う。ただ、迷惑をかけてもよいという生き方もあるよね、と流されてしまいそうで、大きなムーヴメントにするのはやはり難しそうな気もする。ではどうすればいいのか、というと私は何も提言できないので、偉そうなことを言う資格はどこにもないのだが。ふと思ったのだが、個ではなく集団で生きるのは息苦しく古くさい村社会だ、という価値観が通じるのは現在40代以上の人間だけなのかもしれない。
 ちなみに、大学に関して「社会に直接役に立たないことを学ぶためにわざわざ大学というものは見学されたのだ。社会に役立ちたいならすぐ現場に行って、現場で覚えろ」と何となく教えられていたのであるというのは、本当にそうなのであろうか。むしろ「まあそういうことがやる余裕があるのはいいよね」と生暖かい眼で見られていた気がする。ただし、「無駄のなかから千に一つか万に一つ、恐ろしく有効なものが生まれる。それは無駄の先にしか生まれない。だから無駄も少しは残しておかなければいけない」というのは、生暖かい眼の奥にほんの少しだけあったのもまた事実であると思う。だからといって偉いわけでは何でもない、ということが分からない大学人が多いのは「苛立つ「神学者」のご託宣」でも書いたことなのだが。


6月17日

 秋口ぎぐる『ガールズ・アンダーグラウンド』(朝日ノベルズ、2010年)を読む。階級社会が成立している近未来を舞台にした小説。15年前の「大感染」によって、病気にかかる可能性が高い「重症者」が「軽症者」よりも特権的に優遇されるように変化していた。ペーパーレス化が進むその社会のなかで、Bランク市民の少女・萌絵は偶然にも反政府組織の人間と知り合い、古い印刷機を使って地下新聞を作ることで活動に加わる。萌絵は政府が許していない身分違いの夫婦の間に生まれた子供だったのだが、それが実は社会が隠してきた秘密とも関わることになる…。
 身体的な不具合を持つものが特権身分になるという逆差別的な設定とペーパーレス化という設定に惹かれて読んだのだが、個人的にはそのあたりの絶望感が伝わらず、核心となる秘密も切迫感を持って隠しているように感じられず、盛り上がらずに終わってしまったように感じる。詰め込んだ要素が深められずに、ただ置かれてしまっているように思えてしまった。


6月27日

 神田千里『織田信長』(ちくま新書、2014年)を読む。信長は、一般的に 時代に先駆けた思想をもち、伝統的権威や因習に因われずに天下統一を目指した革命的な人物と見なされている。信長の政策を眺め直すことでこうしたイメージを問い直す。
 信長は足利義昭を傀儡のように利用したといわれているが、実際には信長は将軍の力を必要としており、臣下として振る舞うという立場を追及していた。天皇家に対する態度も同じである。
 「天下布武」という言葉は、天下統一の野望を示すとされている。しかし、当時の「天下」という言葉は、将軍それ自身、あるいは将軍の管轄する政治などを表現したものである(106頁)。さらにルイス・フロイスの報告には、天下は京都を含む五機内と認識されている(108頁)。実際に義昭と信長は近江国を平定した後に、京都へ入る前に摂津と河内などの五機内とその隣国を従えている(115頁)。この一連の行動が天下布武であったわけである。
 信長は仏教に対して否定的だったと見なされているが、これも違う。本願寺に対しては、そもそも本願寺が幕府体制の一員として諸大名と交渉を行う集団であり、信長はそれへの対処を行ったにすぎない(167頁)。比叡山に対しては、朝倉・浅井との戦いにおいて依頼した中立の依頼を拒否してあちらへ付いたことに対して、約束通りに焼き討ちを行った。報復であると言明するとともに、僧侶の道を踏み外した、との理由も提示しており、仏教を否定したというよりは仏教者に値しないから制裁したという点で、真摯な仏教者たることを要求しているとも言える(174頁)。
 信長関連の本として、藤本正行『信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学』を読んだことがあるが、あちらが軍事史中心であり、こちらが政治史中心といったところか。ただし、専門外の人間にとっての面白さはあちらの方が上で、こちらはわくわくするような面白さはそれほどない。信長像が現在の歴史学ではどのように変わりつつあるかに興味がある人は読んでみてもよいかもしれない(かなり対象が絞られてしまう気がするが)。


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