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2012年12月の見聞録



12月7日

 西澤保彦『殺す』(幻冬舎文庫、2011年(原著は1998年))を読む。公園で女子高校生の遺体が発見された。性的暴行の痕跡はないが、なぜかストッキングが持ち去られていた。翌日、またもや同じクラスの女子が全裸の死体で発見される。さらに同じ女子校の高校生が次々と殺害される。彼女たちの名字が「お」で始まるという共通性と、ストッキングが持ち去られるという共通性から捜査を進めようとする警察をあざ笑うかのように、殺人は止まらない。刑事の1人である去川は、かつてその女子校で教師をしていた娘の明子の情報を得ながら捜査を進めていこうとしたのだが、身勝手な行動ゆえに暴力事件を起こして事件を外された若い刑事が、同僚を殺していくという事件までもが生じ、現場は混乱していく…。
 最終的に、どんでん返しがあるわけだが、ミステリとしてのそうした面白さよりも、すさんだ人間関係と、悪意に満ちた人間の醜さが印象に残る小説。そういう意味で、ジャック・ケッチャム『隣の家の少女』や桐生祐狩『夏の滴』に近い。
 個人的に印象に残ったのは、幾度か出てくる教員の立ち振る舞いの描かれ方。たとえば、生徒に嫌われていた英語教師は、海外留学をしていた自分の語学力に自信を持っていたのに、教師をしなければならなくなったことに納得できず、生徒をバカにして貶していた。その一方で、大学へ入り直したその学校の元教師は、生徒をモノとして扱える暴君として君臨できる教師が、生徒に認められると説明する。人格対人格の付き合いをしていては、生徒は教師を軽んじる。生徒それぞれは思いやりを持つ普通の子供だとしても、それが集団となると、残酷さ発揮する、とも述べる。
 これが現実的に正しいかどうかはさておいて、興味深いのは、暴君のようであれば誰でもよいのではなく、先の英語教師のような人物はダメだとも述べられている点。なぜならば、生徒の女子は、自分の前では従順でかわいくて素直でなければならないという幻想から抜けられず、自分の語学力が生かせないのは、生徒たちがバカだと思い込んでいるからだとしている。この部分を読んだときすぐに頭に思い浮かべたのは、「アトランティス伝説が孕むアカデミズムの袋小路」で記した、前4世紀の成熟した民主政が自分というエリートを使わないと批判し続けて孤立していったプラトンであった。こうした教師からすれば、たぶん自分以外の他の教師も批判対象なのではなかろうか。ジョルジュ・ギュスドルフ『何のための教師 教育学の教育学のために』でも書いたが、教師は自分が「高みにいることには無自覚なのに、他人の権力に対しては極めて批判的」場合が多い気がするので。


12月22日

 ブライアン・フェイガン(東郷えりか訳)『水と人類の1万年史』(河出書房新社、2012年)を読む。その名の通り、水に関わる歴史を総体的にまとめたもの。なお、序章に書かれている通り、本書の主要なテーマは3つである。第1に、水と重力の関係である。水は重力に従って高いところから低いところへと流れるという原則を、いかに利用して水を管理してきたのかを眺めていく。第2に、共同体における水の管理と儀式の関係である。第3に、水の持続的な利用の可能性と科学技術の対比である。この3つを主要な論点としながら、水と人類の歴史を見ていく。まず、アフリカやアジア・オセアニア、それから古代オリエント・地中海、そしてインド・中国、古代アメリカ、イスラム、ヨーロッパと地域別に見ていく。このように簡単にまとめたのは、それぞれの地域を個別に取り上げた感が強く、全体としてまとまりが薄いように感じたため。以下にメモ的に上げるように、個別事例に関しては興味深いものもあるのだが、散漫な印象の方が強い。というわけで、水の利用法の歴史に興味があれば読んでみてもよいと思うが、歴史学や人類学が好きだから、という理由で読もうとする人にはあまりオススメできない気がする。なお、本書の末尾において、水不足の問題について触れているが、この点については、B.ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』が詳しい。
 以下メモ的に。ザンビアのザンベジ川中流域の奥地にあるグウェンベ・トンガ村の集会では、村人同士の間で主として耕作地の所有権をめぐる口論が激しく行われた。ただし、長老の誰かが話を始めると、皆がそれを静かに聞き始める。すると口論は穏やかになっていった。「前例と後知恵の助けを借りながら、長老たちは完全ではなくても、誰もが満足して帰れるようなかたちで議論を仲裁し、少なくとも何かしら得るものがあるようにした」(85〜86ページ、引用は86ページ)。他の村の同じような事例も紹介しているのだが、これはある意味で民主的な話し合いと言える。かつての進歩史観的なヨーロッパ人は、民主主義を取っている自分たちを文明人と見なし、アジア・アフリカはそれを未だそこに到達していない野蛮人と見なしたが、いわゆる民主的な形態はアジアやアフリカにもあったと言えよう。日本で言えば村の寄り合いはこれにあたると思われる。
 クノッソスの宮殿には、排水溝も整えられていた。居住部分の周には下水のための同館が設けられており、下水路には換気のための空気穴も備えられていて、清掃作業ができるようにマンホールも設置されていた。1階の便所の排水溝も、下水管につながっていた(227頁)。
 ギリシアはカルスト地形が随所にあった。カルスト地形とは、深い割れ目や陥没穴を含む多孔性の石灰岩の地形で、地下に洞窟や水流があるのが特徴である。こうした地形ゆえに各地に湧き水があり、そうした場所で村から都市へと発展していった(230〜232頁)。
 マヤ族は、睡蓮が生育している場所は水が綺麗であることを発見した。実際に睡蓮は、藻やカルシウムが比較的少ない3メートル以下の浅い水でしか育たない。そうした経緯から、睡蓮はマヤの王族の象徴となり、建造物や壺に描かれるようになった(344頁)。
 魚は中世ヨーロッパの食生活には欠かせない役割を担っていた。肉食は肉欲的な考えを助長すると考えられていたためである。肉食は、十字架にかけられたイエスの苦しみの償いのために、聖人の日や四旬節には禁じられていた。13世紀には1年の半分近くが聖人の日となり、魚の需要が増えていく。そのために修道院や貴族の邸宅には魚のための池が備えられた。また、養殖は一大産業となり、ヨーロッパ各地の河川で行われた。特にコイの養殖が盛んとなった。ただし、塩漬け方法が改良されてタラやニシンが食卓に並ぶようになると、養殖業は東ヨーロッパ以外の地域では廃れていった(420〜422頁)。


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