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2013年1月の見聞録



1月6日

 北山猛邦『『クロック城』殺人事件』(講談社文庫、2007年(原著は2002年))を読む。人類が終焉を迎えつつある1999年。探偵を営んでいた南深騎と菜美のもとに、黒鴣瑠華が現れる。彼女の住むクロック城に現れる幽霊と、壁に浮かび上がる人面の謎についての依頼を受けて、クロック城に向かうと、その館の壁面には、現在の時間を示す巨大な時計と、その左右に同じような時計が取り付けてあり、しかも左右はそれぞれ10分遅れという奇妙なものであった。しかも、逗留していた館で、頭首とその弟が殺害されて、生首が晒されるという殺人事件が起こる…。
 磁気異常が起こっているという終末を迎える世界観や、世界を滅ぼすかもしれないと疑われた存在を抹殺しようとする秘密組織や、その対抗組織などが出てきたり、菜美がまるで幻であるかのように描写されるので、トリックも何か超常現象めいたものになるのかな、と思いつつ読んでいたのだが、時間差を利用した極めて正統的なものだった(ちなみに、1999年という舞台設定だが、この小説は2002年に出版なので、完全に架空の舞台設定ということになる)。さらに、その謎が明かされても、ある人物から深騎犯人説が主張され、それをひっくり返すためのトリックも生首を使った正統的なものだった(ある人物はややSFチックな設定だが)。そのトリックそのものはなるほど、と思わされたのだが、となると、人類が終焉を迎えつつある1999年であって秘密結社がいるという舞台設定はいるのかな、という疑問が生じたのだが。


1月21日

 ロナルド・H・フリッツェ(尾澤和幸訳)『捏造される歴史』(原書房、2012年(原著は2009年))を読む。いわゆる疑似歴史に関するいくつかのテーマを取り上げたもの。アトランティス伝説、アメリカ先住民の起源論、天地創造説などが取り上げられている。なお、興味深いのは、最後に学術書であるマーティ・バナール『ブラック・アテナ』が取り上げられている点。日本語の(学術的な著作ではなく)一般書で本書が批判的に取り上げられるのは、珍しいのではないかと思う(知らないだけで他にもあるのかもしれないが)。なお、それぞれのテーマに関する疑似歴史的な主張の歴史的展開を詳しめに述べている部分が多いので、疑似歴史のどこが間違っているのかを知りたい人には肩すかしになる可能性がある(ちなみに、そうした検証を行っている書籍としては、ピーター・ジェイムズ、ニック・ソープ(福岡洋一訳)『古代文明の謎はどこまで解けた』太田出版、2002年)第1巻第2巻(2003年)第3巻(2004年)ウィリアム・H・スタイビングJr.(福岡洋一訳)『スタイビング教授の超古代文明謎解き講座』(太田出版、1999)などが手っ取り早く読める)。歴史的展開の部分は詳しい分だけ冗長に感じる可能性もあり、たとえばアトランティスについてならば、確実に庄子大亮『アトランティス・ミステリー』の方が楽しみながら読める。ただし、たとえばコロンブス以前にアメリカへ到達しているという主張を編纂した本には6000個以上も項目があるそうで、そうしたもののうち主要なものを概観したいときには便利かもしれない。
 個人的に一番考えさせられたのが、アメリカ大陸を発見したのは中国人であるという説と、『ブラック・アテナ』に関してだった。なお、『ブラック・アテナ』について補足すると、簡単に言えば古代ギリシア文明はアフリカ文明の影響の基に成立したにもかかわらず、近代以後の白人中心主義的な人種差別的な考え方がそれを隠蔽してしまった、というものである(なお、現代の研究者のなかで、ギリシアへのオリエント世界からの影響そのものを認めない者はいないはずである)。
 話を戻すが、『ブラック・アテナ』は学術書であるし、アメリカ大陸発見者中国人説もその体裁をとっている。その内容に関する批判が出ると、以下のような言い分が必ずといっていいほど挙がる。「でも彼らの本は専門家の書いている本よりも売れている、専門家は一般読者に面白いと思うものを書いていないではないか」と。実際にアメリカ大陸発見者中国人説を代表する著作『1421−中国が新大陸を発見した年』(ソニーマガジンズ、2003年(未読))を記したイグナティウス・ドネリーは、「大衆は私の説を支持している。こうした人々の存在こそが重要なのだ」と語ったという(165頁、ただし、明確な典拠は本書には挙がっていない)。
 もちろん難解に書く方が偉いなどという考え方は論外である。しかしながら、学問的な検証結果について分かりやすい文章や言葉で書くことと、内容そのものが易しいものかどうか別問題である。研究が高度になればそれだけ複雑になっていき、その分野に関して前提となる知識なくしては理解が難しくなるのはある程度は仕方がない。さらにいえば、様々な資料にあたった上で、自分の研究を批判的にも眺めつつ、複数の観点からとらえる必要があるために、ややこしくなってしまう場合も珍しくない。
 私の本は売れている、と主張する人物の著作は確かにたいてい分かりやすい。ただ、それは基礎的な知識をすっ飛ばした上で自分にとってわかりやすいものだけを選び取っているからにすぎない、という危険性があるような気がする。ここに透けて見えるのは、研究を行う上での知識をこつこつと積み上げようとする地道な努力をすっ飛ばそうとする怠惰な態度であろう。そして、そうした本を読んで研究者の説明はわかりにくいと安易に考えてしまうのであれば、それはやはり同じく怠惰な態度に陥っている。なにも、こうした本を頭ごなしに批判したいのではない。そうした本において研究者が批判されるように、こうした本も学問的な批判に向き合わねばならない、ということなのだ。とはいえ、なかなかこうした状況にはならないであろうが。
 以下メモ的に。古代人のうちアトランティスの伝説を信じていたのは限られており、アトランティスについての言及がある『ティマイオス』の注釈を行った前4世紀のクラントルと、プルタルコスくらいである。なお、クラントルの注釈は失われており、5世紀のプロクルスの引用に残されているだけであるが、その引用を誤訳して、クラントルが書簡を通じてエジプトの神官と連絡を取り、自らサイスに赴いたという誤った主張が見られる。実際には、エジプトの記録に目を通したのはプラトンである、とプロクロスは言及している。その後、中世ヨーロッパではプラトンの著作の限られたラテン語訳として『ティマイオス』は読み継がれたものの、アトランティスに興味を払っている者はいない。ほぼ唯一の例外として、エジプトの商人からネストリウス派の修道僧となったコスマス・インディコプレウステス(6世紀)は、「プラトンのアトランティス物語は、聖書に記されているノアの方舟の洪水の記憶が混乱して伝わったものだ」と主張した(41〜42頁(引用は42頁))。
 1980年代にアメリカの文化人類学者が、コネチカット州・カリフォルニア州・テキサス州の大学生に、アトランティスは偉大な文明の発祥地だったと思うか、と質問したところ、前一者のうち40%が、後二者のうち30%がそう思うと答えた。答えを保留したものは前一者の20%、後二者の20%であった。なお、アトランティスの名前を聞いたことがないとするのは、前二者の15%、後一者の20%にのぼった。いずれにせよ、学生の3分の1が信じているのに対して、信じていないのは学生の4分の1にすぎないことになる(94頁)。
 1996年にアメリカのケネウィックのコロンビア川で発見された人骨は、9千年前のものであるという調査結果が出た。ケネウィック人と呼ばれるようになったこの人骨に対して、先住民の団体は、先住民の風習では遺骨は埋葬されるべきだ、として引き渡しを求めた。そうした団体の要求には「人骨の正体を明らかにせよ。ただし研究は一切するな」という矛盾したものもあった(94〜100頁)。なお、アサルト・フォーク・アセンブリーという、キリスト教以前のヨーロッパの宗教の復活を目指す団体が、ケネウィック人こそが自分たちの先祖だと主張して、この人骨の引き渡しを求めたという(103頁)。また、スカンジナビア系アメリカ人のなかに、ルーン文字を刻んだ石碑がコロンブス到達以前のアメリカにあると主張する者もいる。なおこの石碑は、スミソニアン学術研究所により捏造と断定されている。ちなみに、こうした石碑やその他の遺物は、たいていスカンジナビア系移民の子孫が住民の大半を占める場所で見つかっている(125頁)。
 アメリカ大陸へ到達したヨーロッパ人たちは、現地人の先祖はヨーロッパから移住してきたと考える場合が多かった。そうしたものの1つとしてヘブライ起源説もあったが、その影響力は他の説よりも大きかった。ユダヤ人たちは言語や習慣を大切に守るのに、アメリカの人々だけがそれを忘れるなどあり得ないのだから、彼らの先祖がユダヤ人であるはずがない、というまっとうな意見でもそれを抑えることができず、いわゆる失われた一〇部族の末裔をアメリカ人だとする説がヨーロッパに根付いてしまうことになる(145〜147頁)。
 1950年代の疑似歴史家であるヴェリコフスキーの説について、初期の段階では奇妙な状況へと発展した。第1に、科学者たちがむきになってヴェリコフスキーの否定したために、彼に同情する人たちが現れた。第2に、「論争が続くうちに、科学者や研究者たちはヴェリコフスキーの主張の誤りを立証する重荷を担うべきだと見なされるようになった」。だが、「納得のいく説明をする役目は、本来、ヴェリコフスキーとその支持者が引き受けるべきだった」(296頁)。第3に、「知性と文章力の持ち主だったヴェリコフスキーは、科学者からの反論に直面しても、いくらでも言い逃れができた」(296〜297頁)。第4に、この1950年代のはじめには、科学者の行動は好ましくない独りよがりと見なされる風潮が強くなっていた。大衆文化における科学者は思い上がった愚か者と描かれていた。第5に、彼とその支持者たちは、「可能性と蓋然性という異なる概念を混同したり曖昧にする」(297頁)ことに長けていた(296〜297頁)。ヴェリコフスキーはパレスチナで暮らしたこともありシオニスト側に立った論理展開をしていた。実際に彼の研究の原点となったのはあくまでも聖書の内容とその時代背景だった(306頁)。
 疑似歴史家たちは、自説の正しさを主張する場合、実証可能な科学的な方法ではなく、弁護士のような説得の仕方をする。弁護士は弁護による勝訴を求めるのであり、客観的な真実に到達するのは二の次である。弁護士は自説を裏付ける証拠だけを提出し、自説を疑問視させる証拠を無視する。疑似歴史家はこの弁護士に近いというわけである(359頁)。これに関しては、研究者の中にも自説への批判に対して、政治的な対応をする者もいるので、これは一概に疑似学問に陥っている者だけに当てはまるとはいえないと思う。
 『ブラック・アテナ』を記したマーティン・バナールは、古代の神話や著作を字義通りに受け止めるべきだと主張する。つまり、神話は過去の歴史的事実について真実を語っていると見なす(375頁)。こうしたバナールの主張を評価する書評も多く書かれたが、その多くが古典学やオリエント史、考古学を専門とする者ではなかった。彼らは「自分たちの政治的主張にとって都合がいいと考えただけのことで、バナールが自説の論拠として紹介している証拠の妥当性を批判的に検証する能力もなければ、そんなことをする関心すらなかった」(378頁)。
 バナールの書名に「ブラック」が含まれている点において、黒人こそがエジプト文明の中心的存在であり、さらにはギリシア文明の源であったとする黒人心主義者に利用されかねない危険性がある、との批判が上がると、バナールはこの書名は出版社によってつけられたと答えた。しかしバナールは、本書の基となった大学での講義名を、何年も前から「黒いアテナ」とつけていた(384〜385頁)。実際に、バナールへの批判に対して、近代以降の歴史学者と同じように人種差別主義者であるという論拠で口を封じられる危険性がある(393頁)。そもそもバナールが人種差別的と批判する近代以降の研究者についても、その当時では最新の資料に基づいていた場合もある。たとえばヌビアの文化を無視したといわれても、単純に発掘ができなかったから研究ができなかったにすぎない(ヌビア地方が政情が不安定であり発掘調査そのものが難しかった)(403頁)。
 なお、著者は末尾にてバナールの研究を「サイエンス・ウォーズ」に重ね合わせている(「サイエンス・ウォーズ」の詳細については金森修『サイエンス・ウォーズ』を参照)。


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