前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ


2012年4月の見聞録



4月1日

 西村京太郎『七人の証人』(講談社文庫、1983年(原著は1977年))を読む。警視庁捜査一課の十津川警部は、帰宅途中に襲われてしまった。目が覚めると、どこかの町並みの一部がそのまま再現されているであろう場所のある無人島に残されていた。そして、建物の中から次々と人間が現れるのだが、彼らはある殺人事件の証人として証言した者たちであった。無人島に連れてきたのは、殺人犯として実刑判決が下った男の父親であった。彼は獄中死した息子は冤罪であると信じて、事件を洗い直すために、私財を投じて事件現場とその付近を再現したのだ。そして、実際に証言の間違いが判明したり、警察に頼まれて大げさに説明していたり、とほころびが少しずつ見られてくる。そうした中で新たな殺人事件が起こってしまう…。
 中学生の頃に読んで面白かったのを覚えていたのだが、ブックオフの105円本コーナーでふと見つけて買ってしまった。無人島に現場を再現という点ではあり得ない設定だが、推理そのものは極めてロジカルで、個々の矛盾の修正の積み重ねていった上で、真犯人を特定するという流れが、やっぱり面白かった。西村京太郎というと、乱発される鉄道ミステリという印象が強くて、どうも読む気がしないという人もいるかもしれないが、本作はそうした印象とは異なる面白い作品だと思う。
 世の中のすべての事件や出来事にこういうことが起きているわけではないと思うが、それでも、ちょっとした思い込みの積み重なりによって何らかの言説がいったん形成されると、それがパラダイムのように正しいと認識されてしまうのは珍しいことではないのではないかな、と(このあたりについては、U.ヌーバー『<傷つきやすい子ども>という神話 トラウマを超えて』も参照のこと)。実証史学であっても、何らかの前提で史料を集めたり読解してしまったりということがあり得るという意識は持っておかなければならないだろう。
 ちなみに、証人のうちの1人は、事件のころに上司と不倫をしていたが、今度は結婚することになったので、過去のことは秘密にしておいて欲しい、という場面にて、十津川警部の感想とも思える書き方で「いかにも現代風だ」(79〜80頁)と書いてある。原著の出版年は1977年だが、「最近の若者は…」という物言いが昔から繰り返されている実例のようなものだと思う。


4月6日

 杉浦由美子『ケータイ小説のリアル』(中公新書ラクレ、2008年)を読む。いくつものベストセラーを生んだケータイ小説は、携帯電話でケータイ小説を読んだ人が、ケータイ小説の書籍を買っていた、と見なされる場合が多い。確かに、ケータイ小説を読んだ人にそのきっかけを聞くと、携帯電話を通じた口コミが多いようである。しかし、書店関係者の取材からは、ケータイ小説が都内よりも地方で売れている実態が浮かび上がる。また、メインとなっている読者は、携帯で読んだものを思い入れを持って買う20代の読者と、携帯を持っていない地方の中学生であるようだ。現在は、かつてほどの売り上げはないようだが、それでもまだ売れてはいる。ケータイ小説が携帯電話という媒体を背景にしたものであるという言い方も、ブームはすでに去ったという見方も誤りであると言える。
 ここで注意すべきは、読者層である地方の中学生女子にとって、リアリティのありそうな物語であり、本当にリアルな物語でない点である。これは、『青少年の性行動調査』に基づけば、性体験率が女子中学生では4.2%にすぎないことからあきらかである。この点においてケータイ小説は、かつての雑誌での読者投稿欄における実体験や、少女向けライトノベルなどの、想像の中でのリアルな物語という形態を引き継いでいる。ケータイ小説ではレイプが描かれる場合も多いが、物語の中ではその後の彼氏とのつながりを描くために否定的に描かれるているのも、そうした想像に基づいているためである。また、主人公である女性が、たとえレイプされたとしても前向きに生きて救われていく、という展開は、今の出版界で売れている自己啓発本にもつながる、とする。
 「ケータイ小説は小説ではない」という意見が、作家や編集者の間では根強いなかで、売れ方の傾向からその持つ意味を探るというスタイルは興味深い。ただ、全体的な主張としては納得できるのだが、伝聞に基づく記事が多いのが気になる。たとえば、「編集者がケータイ小説をこんなものと吐き捨てるように言った」と書店員から聞いた、「文芸賞をとっても、その宣伝の経費がかかるので、もはや編集者の自己満足にすぎない」とベテラン編集者に聞いた、「女の子の方が本を読む」と小学校の学校司書に聞いた、などという記述である。こうした関係者への取材について、具体的にどの程度の人数に話を聞いたのかが挙げられる場合がほとんどない。ルポルタージュと言えばそういうものなのかもしれないが、もう少し客観的なデータに基づく裏付けは必要に感じる。
 とはいえ、放っておけば小説も単行本も読まないかもしれないのに、それを買っている読者がいるだけでも出版業界は有難いのでは、という指摘は重要と思われる。若者は本を読まない、加えて難しい本を読まない、という指摘は根強い。しかしながら、前者について言えば、神永正博『不透明な時代を見抜く「統計思考力」 小泉改革は格差を拡大したのか?』が、学校読者調査に基づいて明らかにしたとおり、若者は本を読むようになっている。となれば、難しい本を読むかどうかは、年長者の導き次第なのではなかろうか。もし本当に本を読んで欲しいと願うのであれば、せっかく入り口まで来ている若者をくさすだけでは、結局のところ何も状況は変わらないだろう。


4月11日

 貫井徳郎『転生』(幻冬舎文庫、2003年(原著は1999年))を読む。心臓移植を受けた大学生の「ぼく」こと和泉。手術は無事成功したものの、それまでは特に興味のなかったクラシックを聴き焚くなったりするなど、自分の趣味や嗜好が以前とは異なっているのに驚く。そして、夢のなかに見知らぬ絵梨子という女性が現れるようになり、さらには自分自身が殺される夢までを見る。そこで、作家である母親から紹介されたルポライターの力を借りつつ、本来は禁じられているドナーの家族の情報を探り、接触を図る。しかし、ドナーの女性は交通事故死をしていることが分かり、家族からもその話を聞き、謎は解けないままであった。しかし、実はその女性はドナー本人ではなかった。そして夢に出てきた絵梨子に、ついに出会うと、心臓移植の背後になにやら蠢く組織が見え隠れしはじめた…。
 同じ著者の『殺人症候群』で犯罪被害者の家族の問題を扱ったように、本作では臓器移植の問題(移植してもらえる患者の順番をどうするか)を取り上げたのだが、『殺人症候群』(さらには、デビュー作の『慟哭』)と比べると、なんだかさわやかな展開や終わり方になっている。その分だけ意外性は薄まっているが、推理小説の味付けがしてあり、テーマ性があってもさわやかという小説と聞いて反応すれば、読んでみてよいと思う。


4月16日

 白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』(ちくま新書、2011年)を読む。毎日新聞社の社員として南アフリカ特派員の経験を持つ著者による現代アフリカ論。アフリカについて語る際に、貧困、部族対立や内乱、発展途上などのネガティヴなイメージを、あらかじめ前提としている場合が多い。その点について批判的な著者が、アフリカでの経験からアフリカを紹介していく。
 著者自身の経験が非常に分かりやすい。1991年にニジェールで2ヶ月滞在したが、干魃と飢餓の国という報道と異なり、食べ物はふんだんにあり、砂漠化が進んでいる様子もなかった。にもかかわらず帰国後の記者会見では、新聞記者から砂漠化の現状や村人の悩みなどを聞かれた。その際に、雨は降らないだろう、と聞かれて、ええまあ、と答えた。その翌日の新聞では「進む砂漠化、目の当たりに」という題名の記事が掲載されたという。また、マスコミはアフリカの民族集団を部族と指す場合が多い。民族の下位概念として部族を使っている、という言い分もあるが、たとえばバスク人はバスク族と表記されることはない。部族は部族対立という用語として使われるのだが、これでは未開民族の伝統的な争いの延長線上に現在のアフリカの争乱があるかのように読者を錯覚させる結果となる。
 そもそも、アフリカ諸国の多くが独立した1960年前後において、最貧地域だったわけではない。たとえば1970年の中国の1人あたり名目GDPは114ドルだったが、サハラ以南のアフリカでは236ドルだった。その後、1980年代には多額の援助が行われる危機的状態が続いたものの、2000年代になると経済成長率は3〜6%前後を保っている。さらに、2007年には、直接投資の総額が470億ドルに達して、アフリカに投入されたODA総額321億ドルを上回った。アフリカの石油産業への投資が進んだためである。
 ところが日本政府は、アフリカのこうした状況を考えた上での活動をしてこなかった。実際に、日本によるアフリカ援助の政策決定は、アフリカ以外の第三者の行為に反応して行われた場合が多い。日本も独自にイニシアティヴをとって、1990年代からアフリカ開発会議(TICAD)を開催して、アフリカ諸国との関係をつくろうとしたが、援助から投資へと代わったアフリカの現状に対応できていない。
 著者が言うように、安易な憐れみの眼差しでアフリカを眺めるべきではないだろう。ただ、まだ争乱の多い地域であるというのも事実だろう。たとえば本書でも、2008年のケニアで大統領選挙に端を発して、1000人前後が殺害され60万人が難民となった争乱に触れているが、ケニアはアフリカ諸国のなかではかなり安定した国だったはずである。となると現時点では、不安定な地域というイメージを覆すのはやはり難しい。ただし、それでもアフリカを低く見るのは慎むべきである。なぜならば、日本もそうした争乱に巻き込まれないとは言い切れないからだ。アジアでは、中国や北朝鮮、加えて東南アジアの政情不安定な国々で争乱が起こり、日本がそれに巻き込まれる可能性もある。偉そうに悲観論を振りかざしたいのではなく、アフリカを対岸の火事のように眺めることはできないというだけの話だ。たとえば著者はアフリカの状況から日本について考えたこととして、子供たちの世界について挙げている。コンゴ人から聞いた話として、コンゴの学校では家庭の事情で進級が遅れる子供が珍しくなく、多様な年齢構成のクラスが形成されるという事実に注目し、同じ年齢の子供で構成される学校中心の日本との対比を行っている。これはたとえば、橋本治が『ぼくたちの近代史』(河出書房新社)で原っぱの喪失による子供の世界の消滅を嘆いたのと同じであるが、コンゴと1960年代の日本において、同じような場が存在していたというのは興味深い。
 別にアフリカのことを常に考えろ、というわけでもない。アフリカはアジアからすれば遠い地域であり、他者だ。両者が何の誤解もなく理解し合えるはずもない。ただし、アフリカは私たちと同じ地平に存在している、という事実だけは忘れるべきではない。現実世界では何らかの優劣が生まれてしまうとしても、そこに絶対的な上下関係は存在しない。それを忘れれば、平等なふりをした優越感に陥ってしまうのだろう。


4月21日

 加納朋子『ささらさや』(幻冬舎文庫、2004年(原著は2001年))を読む。事故で夫を亡くしたサヤは、赤ん坊のユウと引っ越しをする。色々な不思議な事件に巻き込まれるのだが、亡き夫が、1人につき1回だけ他人の体へ乗り移って話をできるという特殊な能力でアドバイスをしてくれて、助けてくれていた。しかし、義姉がユウを要旨にしたいと圧力を掛けてきて、ユウは誘拐されてしまった。亡き夫は、ついに最後の力を行使する。それが別れとなっても…。
 著者お得意の、日常の謎系の短編連作。夫がすでに亡くなっているという切ない設定だが、周りの人間がそれぞれのやり方で自分を温かく助けてくれる、という点で優しい雰囲気を醸し出している。特に優れているというわけではないが、そつなくまとまっているのではないかと。


4月26日

 下田淳『居酒屋の世界史』(講談社現代新書、2011年)を読む。ヨーロッパを中心に、居酒屋という観点から歴史的状況とその変遷を眺めていく。まず、居酒屋とは金銭の見返りに酒類を提供する空間である、と定義づける。その上で、注目するテーマは、3つである。
 第1に、農村への貨幣経済の浸透である。居酒屋は金銭での取引なので、貨幣経済が浸透していなければ成立しない。貨幣経済が存在していても、農村では物々交換で都市に出てきたときだけ貨幣を用いる、という状態では、農村に居酒屋は成立しない。逆に居酒屋のある場所は貨幣経済が浸透した地域と言える。ヨーロッパでは、12世紀頃に農村でも居酒屋が成立し始めており、この頃に貨幣経済が成立したと言える。第2に、居酒屋の多機能性である。居酒屋は単なる飲食だけではなく、銀行や裁判所、集会所などの役割を果たした。第3に、棲み分けである。これは居酒屋の多機能が、別の場所へ分離・独立していく傾向を指す。これは近現代、特に20世紀のヨーロッパで生じた。居酒屋の商業性やショービジネス性が強調された結果、それ以外の機能が衰退していったためである。つまり、この3つのテーマは、ヨーロッパの歴史的展開と合致しているというわけである。
 ヨーロッパの全時代や、それ以外の地域を取り上げているため、ややコンパクトすぎるところもなくはないのだが、それでもテーマを居酒屋に絞っているため、決して内容を薄く感じることはなかった。なお著者は、非ヨーロッパ圏では中央権力が農村への貨幣経済の浸透を抑制したのに対して、ヨーロッパではそうした抑えがなく農村へ貨幣啓示が浸透したため、逆に近代文明として飛躍した、と見なしている。その上で、封建制に基づく江戸幕府は、貨幣経済の浸透による貧富の拡大の差を恐れ、農村への貨幣・商品経済の浸透を食い止めようとした(163頁)とあるが、これは本当にそう言えるのだろうか。網野善彦『「日本」とは何か』あたりを読むと、江戸時代にも商品経済は十分に成立していたように思えるのだが。このあたりはともかく、西洋史に興味のある人間や、諸地域の飲食の歴史に興味のある人は読んで損はないだろう。
 以下メモ的に。アテナイではアレイオスパゴスのメンバーが居酒屋に行くのを禁じていた。古代社会では無償接待が当たり前で、金銭を取って飲食物を売る輩は軽蔑された。プラトンもそのような軽蔑を述べている(26頁)。個人的には、この主張にはやや違和感を感じる。無償接待が当たり前というの、いわゆるエリートだけであり、庶民が飲食店で飲むのは珍しくなかったのではなかろうか。実際に著者自身も後に触れているように、ポンペイには飲み屋の遺跡がある(30頁)。あと、金銭で取引を行う居酒屋はなかったとしても、農村社会には宴会と飲酒の習慣はあったという点には、触れておいた方がよい気がする。
 中世フランスの修道院は、ミサで使うワインを醸造していた。最初は修道院に人々が直接の見に来ていたのだが、やがて11世紀頃には、修道院の中やその所領内で居酒屋が独立し始める。そして巡礼者は、巡礼後に居酒屋へ立ち寄った(54頁)。なお、中世ヨーロッパでは、祭りの宴会はしばしば教会で行われた。しかし、宗教改革者はこれを強く非難して排していったため、それに伴うように居酒屋が増加する(168頁)。
 近現代になって禁酒運動が盛んになったのは、蒸留酒の普及によってアルコール依存症が問題となったためである。蒸留酒は古くから存在していたが、生産が難しかった。しかし18世紀末から19世紀前半に欠けて、大量生産が可能な蒸留器が開発されたため、蒸留酒は下層階級で広く飲まれるようになった(101頁)。
 イスラームは禁酒文化圏と見なされているが、『クルアーン』にて厳格に禁じているわけではない。「人間には利益になる点もある。だが罪の方が特になるところより大きい」(『コーラン』上、53頁)と、利益になる場合もあると書かれている(109頁)。なお、イスラーム圏では、農村は物々交換が主であったようであり(都市では貨幣を使った)、禁酒が求められたため居酒屋は発展しなかった。代わりにモスクがコミュニティセンターとなり、そこでコーヒーを飲みながら、談話や仕事を行った(122〜124頁)。
 中国では、宋の時代には茶館と呼ばれる茶を飲む場所が、ヨーロッパで言う居酒屋の役割を果たした。朝鮮では、大部分が自給自足の社会であり、上流階級の人間は接待での飲酒が普通だったので、居酒屋および茶館は発達しなかった。日本では酒が爆発的に売れ始めた室町時代には、都市に居酒屋が成立したと考えられる。江戸時代になると、18世紀には農村にも居酒屋ができはじめたようだが、ヨーロッパのような多機能性はなかった。


前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ