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2012年3月の見聞録



3月2日

 海堂尊『ジェネラル・ルージュの凱旋』(宝島社文庫、2009年(原著は2007年))上を読む。『不定愁訴外来(別名・愚痴外来)』の責任者かつリスクマネジメント委員会の委員長である田口のもとに、匿名の告発文書が届く。それは、ジェネラルの異名をとる救命救急センター部長の速見晃一が業者と癒着している、という内容であった。田口は高階病院長から依頼を受けて調査を開始したのだが、田口を目の敵にする沼田率いる倫理問題審査委員会にも、ほぼ同じ文章の告発文が届いていた。告発の意味が問われるとと共に、倫理問題審査委員会による田口への圧迫も掛けられていく…。
 前作、『ナイチンゲールの沈黙』と同時に起こった事件を描いており、前作の描写も少し出てくる。当然ながら「ロジカル・モンスター」白鳥も登場するが、どちらかといえばサブ的な役回りである。前作までは殺人事件がメインストーリーであったが、今回は院内のスキャンダルが主題となっており、純粋なミステリとは言えない。しかし、解説にて大森望が、前作について「無理をしてミステリーに仕立てている感がなきにしもあらずだった」と述べた上で、本作は著者にしか書けないエンタテインメントだと褒めているのは、その通りだと思う。以前にも書いたとおり、前々作も前作も、ミステリとしてはドラえもんの秘密道具的な解決をしたように思えたのが(たとえ、それが何らかの医学的な方法の有効性を訴えたいという著者の狙いを反映したものであったとしても)、今作はそのような無理がなく、トータルとしての完成度は一番高いように感じた。ちなみに、オートプシー・イメージングの有効性は、別口の倫理問題審査委員会で議論が行われて、それが認められる、という形で本作でも出てきている。ミステリ的な面白さでは前々作の方が上かもしれないが、これも解説にて大森望が述べているように、白熱するディスカッションを活かすスタイルを身に付けたと言える。
 ただ、唯一引っかかったのは、オチの恋愛の終わらせ方。それまでの前振りだと、別人とくっつくかのような流れだったのに、実は両思いでした、というのはあまりにも前振りがなさ過ぎたような気がする。とはいえ、それは些細なことで、前作までを面白いと思った読者を裏切らない作品に仕上がっていると思う。


3月7日

 秦剛平『乗っ取られた聖書』(京都大学学術出版会、2006年)を読む。古代のアレクサンドリアにて、『旧約聖書』がヘブライ語からギリシア語に訳されて、いわゆる『七十人訳聖書』が成立した。そもそもはユダヤ教徒がなぜこの翻訳を行ったのかと、やがてそれがキリスト教徒に利用されていく過程を述べる。
 前3世紀以後のヘレニズム・ローマ世界では、古いことほど良いことと見なされたので、自分たちの民族は他の民族よりも古く、従って優れたものである、と訴えられた。バビロニアのマルドゥク神の神官であるベロソスが、神話上の大洪水からアレクサンドロス征服までのバビロニア史を書いたのも、ヘリオポリスの神殿の神官であったマネトが、初代国王からプトレマイオス征服までのエジプト史を書いたのも、こうした理由である。両者は、それぞれの支配者であったヘレニズム王家の国王に自分の著作を謹呈しているが、これによって、両王国が自分たちの王朝の古さを意識し始める。実際には、43万2千年という古さを挙げたバビロニアの方が圧倒的に古い歴史を持っていたのだが、エジプトはそれに継ぐものであった。さらに結果として、ギリシアはそれに遙かに及ばない歴史しか持っていないことになった。
 そしてその頃、ユダヤ人たちの中にもアレクサンドリアに移住していた者たちがおり、この議論を意識する。ユダヤ人にとってエジプト人は被支配者であり、あまり重要ではなかった。しかし、支配者であるギリシア人には、自分たちの歴史はより古いと示そうとした。なお、こうした状況が後世にも残っていたことを示すのが、1世紀のユダヤ人であるヨセフスの著作である。そこには、ユダヤ人の歴史は5000年に及ぶと記されている。バビロニアの歴史には比べようもないとはいえ、ギリシア人に比べれば十分に古いというわけである。これを示すためにユダヤ人は、自分たちの手元にある『旧約聖書』をギリシア語に翻訳した。特にこれと関連するのがモーセである。ヨセフス「アピオンへの反論」によれば、マネトはユダヤ人を、エジプトへ侵入してきたものの武力で追放されたヒクソスの子孫だと見なしていた。その後にエジプトへとやってきたユダヤ人はレプラ患者であり、彼らの指導者として出エジプトを率いたモーセも患者であったとしていた。だからこそ、いわゆるモーセ五書の翻訳を行ったというわけである。
 ここで注目すべきは、ヘブライ語とギリシア語訳の間で、明らかな食い違いがいくつも見られるという点である。これは翻訳に際して参照したヘブライ語聖書が、たった1つの原典という形態であったのではなく、いくつものバリエーションがあったと推測するのが自然である。
 そして、後にキリスト教徒は『新約聖書』を編纂していくが、そこで引用されている『旧約聖書』の文言は、研究の結果、80%以上がギリシア語訳からの引用であったとされている。ここにおいて、ギリシア語訳は翻訳された聖書ではなく、聖書そのものと見なされてしまったわけである。しかもユダヤ教徒は、ローマに対する反乱の失敗の後に故国から追い払われ、聖書の状況に対して、きちんと反論することができなかった。結果として、キリスト教徒が用いたギリシア語訳の『旧約聖書』の方が権威として認められていくわけである。
 以上のまとめを見るとわかってもらえるかと思うが、『旧約聖書』のギリシア語訳までの文章に比べて、それがキリスト教徒にどう「乗っ取られた」のかについての部分の記述が短い。実を言うと、この部分は読んでいてもあまり意味がわからなかった。ユダヤ教徒がヘブライ語に忠実に翻訳をやり直したことをかなり詳しく述べているのだが、残念ながら、それが本題とどのように絡み合うのかが今一つ理解出来なかったので。これは私の聖書に関する知識が足りないからかもしれないので、もっと知識があれば、理解(場合によっては反論も)できるのかもしれない。ただし、前半部分のなぜ『旧約聖書』がヘブライ語からギリシア語へ翻訳されたのかと、そのテクストの詳しい検証から、ヘブライ語の聖書には1つの原典ではなく、いくつものバージョンがあったと指摘している部分は分かりやすかったので、『旧約聖書』に興味があれば、読んでみるのもいいと思う。
 以下メモ的に。「創世記」における人類の想像の箇所では、神は「われわれの姿に似せて人をつくろう」と自分たちを複数形で呼んでいる。聖書学者たちは、皇帝が「予ら」はと複数形を使うのと同じように、威厳を示す複数形を使ったと見なす。だが、ここに多神教の残滓を確認できると思われる。なお、「ヨハネ福音書」では、「われわれ」の中に「先在」のイエスを含めるという手法をとった(72~74頁)。
 なお、ギリシア語訳ではさらに、ヘビによる誘惑の場面でも複数形が使われている。ヘビは、善悪を知る木の実を食べれば「善悪を知って神々のようになることを、神は承知しておられるのだ」と、「神々」という語が使われている。これは、多数の神々が祀られているアレクサンドリアの事情を勘案して、あえてこの訳語を選択した可能性がある(91~92頁)。
 あるオリエント学者(本書では人名が挙げられていない)によれば、キリスト教的な神による無からの想像はあり得ないという。なぜならば、「創造の行為とは、混沌の中から秩序をもたらすことの中に成り立つものであって、無から存在させることの中に成り立つのではない」ためである、という(75~76頁)。


3月12日

 奥田英朗『無理』(文藝春秋、2009年)を読む。合併でできた地方都市、ゆめので暮らす5人。県から出向してきて市役所で福祉課に勤めているが、弱者を主張する身勝手な市民に嫌気がさしてきている相原友則。東京の大学へ進学して、希望の持てないゆめのを出ようと決心している高校2年生の久保史恵。暴走族上がりで、詐欺まがいの商品を売りつける会社に勤め始めた加藤裕也。スーパーの保安員をしながら新興宗教にすがる、48歳の独身女性、堀部妙子。もっと大きな仕事がしたいと、県議会に打って出る腹づもりの、親から地盤を受け継いだ市議会議員、山本順一。5人はそれぞれの不幸に追い詰められていくのだが、最後に全員に待ち受けている同じ運命へと突き進んでいくことになる…。
 『最悪』『邪魔』に続く、ザッピング型不幸連鎖小説。前々作・前作では、登場人物は3人だったが、今回は5人に増えている。ただし、前々作・前作では、物語の途中で少しずつ3人の物語が絡んでいくのだが、今回はそうした絡み合いは薄く、最後にすべてが1つに集結するという感じであるため、個別の物語を読まされているようで、やや散漫な印象が強い。
 むしろ、本作で印象に残ったのは、地方都市の閉塞感。たとえば、史恵の章で描かれる若者たちの姿はそれを物語る。恩田陸『球形の季節』あたりでも、高校のランクごとの雰囲気の違いや、田舎の雰囲気に行き詰まりを感じる高校生は描かれていたが、本作はそのあたりの描写がもっとえぐい。高卒後進学組も就職組もいるのは地方も都市も変わらないと思うのだが、地方に残ったままあんな風に落ちこぼれたくない、という史恵たちの就職組への蔑みとも言える視線は、生々しく感じられ、やりきれない気分にさせる。または、万引き犯への威圧のような、どん詰まりの場所にて他人よりも上に立つことへの快感も人間の業を見るようで、嫌な気分になる。
 地方都市に関していえば、久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』にて、地方都市を活性化させるには、箱物をただつくるだけではなく、利益が出なくても、憩いの場所となるような居場所を作ることに支援を集中させるべき、と訴えている。これは、行政という上からの押しつけだけではなく、いかにして普通の人々の間で地域活性化への熱意を持たせるかが重要であるという主張だと思うのだが、本作を読むと、その道のりは険しいものだと思わされた。


3月17日

 豊崎由美『ニッポンの書評』(光文社新書、2011年)を読む。書評家の役割は、本来的にはすばらしいと思う作品を、多くの読者に分かり易い言葉で紹介することであるとする(バカな作品が売れると、批判したくもなるようだが)。そのためには、一般的な書評術とは異なり、あらすじの紹介と引用だけで、自分の読解を全く書いていなかったとしても、その内容と方法と文章が見事であれば書評たり得る、とする。むしろ、自分の知識をひけらかすために対象書籍を利用するようなものや、対象書籍の著者を持ち上げるために書くようなものは、読者に向かって書かれていない点で書評としては問題がある。著者は、書評を書く際にあえて指定分量以上の倍の量を書き、そこから自分語りやうんちくのような知識を削り、まだ足りない場合には、内容紹介をも削っていく、という。何を削って何を残すのかも評者の考えが反映しているのであり、その結果としてあらすじと引用のみになったとしても、そこに力量が見て取れる、とする。なお、読者のために書くのが書評であるならば、これからその本を読む人の興をそがないために、ネタバレ的なものも(具体的な内容に触れないとしても)避けて、ぼかした書き方にすべきだとしている。
 これを踏まえた上で、自分のものも含めた上で、様々な書評の比較を行っていくのだが、印象に残ったのは、プロの批評家に対するものよりも、アマチュアの書評に対する厳しい批判を行っていること。プロの手によるものは、対象となる書籍だけではなく、それまで読んできた本との関連づけという背景があるのに対して、そうでないものは感想文であり、アマチュアのものの多くはこれに留まっている、としている。その上で、ネット上の書評、特にamazonのレビューにはかなり手厳しく批判している。あらすじや登場人物の名前を間違えたり、自分の理解力のなさを棚に上げて、「難しい」「つまらない」と断じる手合いが多いとする。精読と正しい理解に基づく批評とは異なり、匿名での悪口にすぎない単なる誹謗中傷が多いと断じている。名前を出した上で、的外れな批判に基づいて貶してしまえば大恥をかいてしまうのに、匿名のネット上の書評家たちは、そのようなリスクを負わずに意見を垂れ流している、というわけである。ブログであれば、コメント欄があるのだからそこで再反論すればよい、という意見に対しても、程度の低いものに対してなぜわざわざ労力を注いでも、誤読しているのだから議論も不毛に終わる、としている。ちなみに、著者は批判そのものを否定しているわけではない。書評家と作家による論争の場があるべきであり、クロスレビューなども提言している。
 さて、私自身もネット上で読書日記を書いている以上、こうした著者の意見に対して、何か書いておくべきだろう。まず、私は書評に対するスタンスがやや異なっている。とはいえ、これは私がやや特殊な立場にあるからだろう。私は、学術的な研究書や概説書を対象としたものを読んだり書いたりする方が圧倒的に多い。そして学術的なものの場合、書評と新刊紹介の2種類がある。そのうえで個人的には、新刊紹介は「全体の内容に触れつつ、関心のある読者に読んでみようという気を起こさせるもの」、書評は「それに目を通せばその本を読まずしてだいたいの内容を把握できて、実際に読む際には指標となるもの」とそれぞれ考えている。従って、本書で著者が定義している書評は、私の立場では新刊紹介に近い。
 なお多分だが、書評に関しては、学術誌のものを読む人はこれに近い考え方をしていると思う。ただし、新刊紹介については、批評のない内容紹介と認識されていて、書評よりも一歩落ちるという感覚の人の方が多い気がする。個人的には、新刊紹介は単なる内容紹介でよい、という考え方は改めて、きちんとそれだけで1つの読み物となり得るものにすべきだと思っており、その点では著者に同意する。そして、内容を削っていき、本当にいる箇所だけを残すというのも、学術的な文章において研究者たちがしているはずの作業であり、この点においても同意する。調べたことをすべて垂れ流すようなものは、他人が読む論文としては使いずらいからだ。ただし、学術的な新刊紹介や書評の場合、400字詰め原稿用紙10枚や20枚になることもあり、割と長めになるので、著者からすれば、長すぎるといわれるだろうが。
 さて、これを踏まえた上で、このサイトでの文章はどのように位置づけられるのか。このサイトの文章は、私にとっては自分のための備忘録であり、その点で間違いなく垂れ流しに近い。そのため、自分の感覚に基づいて貶す場合もある。取り上げられた本の著者からすれば、不快に思うこともあるだろう。確かに、単なるつまらないという評価は、無意味なのかもしれない。だが、私自身はそれもまた1つの意見として、聞き流せばいいのではないか、と感じている。スケールはかなり小さくなるが、授業評価アンケートにて、明らかに授業にほとんど出ていないと思われる人間が、アンケートを行った日にたまたま出席して、低い評価を付けたり罵倒したりする場合がある。特に大人数講義の際によくある。腹が立つものの、そういう意見もあるなあ、と考えるようにしている。なぜならば、全体としてそこそこの評価をもらっていれば、わかってもらえる人にはきちんと評価してもらっていると実感できるからだ。そして、ネット上の書評に関しても同じようなことが言える。もし批判が読むに値しないものならば、そのサイトやブログは閑古鳥が鳴いて閲覧者が来なくなる。リスクを負っていないのは確かかもしれないが、サイトやブログ全体の評価には関わってくる。なので、著者から見れば納得いかないかもしれないが、一応は自浄作用があると言える。気楽に書いているネット書評は、所詮自分のためにしかなっていないので、気にする必要はない。
 なお、このサイトも書評とはあえて謳っていない。上記の通りあくまでも個人的な備忘録であり、ネットで書いておくとリンクを通じて他の本を参照しやすく、どこにいても過去の自分の文章を検索もしやすいという理由で、ネット上に書いている。とはいえ、誰かが見るかもしれないので、小説やマンガの場合には完全なネタバレを避けるようにはしている。アクセス数を見れば、たいした閲覧者がいないので、一応は自浄作用があると言える。
 ただし、問題となるのはアクセス数の多いamazonのレビューだろう。レビューが参考になったかどうかを投票する機能もあるが、さらにコメントをする欄も設けられている。これに加えて、参考にならなかったいう投票欄も設ければ、信頼性は少しでもあがる。これに加えて、いずれに投票しようとも、誰が投票したのかがわかるようにすればよいのではないか。記名投票にすることによって、匿名性を下げるのである。さらにレビュー欄と投票欄のプロフィール表示に、その投票者のレビュー数・平均点数・レビューへの得票数・他人のレビューへの投票数もすぐに見られるようにすれば、それによってそのコメント者が信頼に値するかの判断ができるので、著者の言うリスクを少しでも負わせられるのではなかろうか。そのレビュワーが、いつも否定的なことばかり書いていればすぐに分かるというわけである。都合が悪くなると、アカウントを消して新たに作り直すという書き手は、いつまで経ってもレビューへの得票数が上がらないので、信頼される割合が下がる。これでも完全にはほど遠いが、それでも状況は改善されると思う。
 ただし、ふと英米圏のamazonを見ていて気づいたのだが、レビューに対するコメントが、英米圏のamazonには割とちょくちょく見られるものの、日本のものにはほとんど見られない。つまり、言ったら言いっぱなしであり、なおかつ議論をしようとする意識も希薄だというわけだ。日本人が、少なくともネット上では、議論嫌いというわけではない。それならば、(質はともかくとして)2ちゃんねるにて、あれほど議論が交わされることはないからだ。amazonは、アクセス数が多い割には、そうした論壇さえ形成されずに、感想が垂れ流されて、閲覧した人に先入観を与える結果となっているのかもしれない。何も著者自身が出向けと言うのではなく、もし論壇が形成されていれば、当事者以外の間でも議論が行われているはずだ。どうすればいいのかは分からないが、著者が苛立つのは無理もないのかもしれない。
 ネット上の書評に対する憤りがあるのは、プロの書評家からすれば当然だとは思うものの、一応そこには自浄作用もある、ということは書いておきたかった。そして、人の世につまらないものがあふれるのは仕方がないのでは、というわけである(言い訳に聞こえるかもしれないが)。


3月22日

 岩井志麻子『合意情死』(角川ホラー文庫、2002年)を読む。戦前の岡山を舞台にした短編集。女郎と高校生の情死未遂事件を取材した新聞記者、自分の憧れた女学生を奪った画家に嫉妬する小学校教員、2人の女優の愛人の間で板挟みになる地方劇団の主宰者、妻以外の女性に惹かれてしまった厳ついけれども気弱な警察官、孤児院職員から転じた刑務所看守、がそれぞれ主人公。戦前の小市民のわびしさを描くのだが、残酷な現実が突きつけられるなかで、自信の醜さに直面せざるを得なくなるところが、だいたい共通している。特に小学校教員が、嫉妬のあまり画家の妻に告げ口をすると、怒り狂った妻が女学校に乗り込み、結果として画家と女学生が心中する、という話は印象に残る。その後、妻が教師に対して、あなたが私に告げ口をしなければ、というのだが、この妻は教師の前で自分の服を脱ぎ、女学生に比べて貧相な体を見せて、自分はそんなに不器量か、と迫るのだ。こういった、醜い部分を嫌な感じで見せつけている箇所がちょくちょくある(これは褒め言葉)。また、看守に対して、自分よりも惨めな者を見たいから孤児院から転職して看守になったのだろう、と看破される場面も、同じ。後味の悪い作品が好きな人には、短編集の佳作としてお勧めできる。


3月27日

 竹内洋『革新幻想の戦後史』(中央公論新社、2011年)を読む。著者自身の体験や思索の遍歴を年代順に含めつつ、戦後の論壇・アカデミズム・教育界における左翼思想のあり方を読み解いていく。
 丸山眞男は、戦後の日本の知識人が悔恨共同体を形成したと論じた。悔恨共同体とは、戦争を食い止められなかった自責の念と、知識人として新しい日本をつくらねばならないという気負いが混ざり合って形成された感情共同体である。しかし、丸山は全く触れていないが、戦争はやむを得ぬものだったと見なし、敗戦を悔しく思う無念共同体も存在していた。ただし、こうした流れは1960年代に入る頃には、一般社会では後退していったと考えられる。世論調査では、再軍備反対や改憲反対が多数派を占めるようになるが、これは豊かになったのだから現状維持という意味での保守的な流れと見なすべきであろう。それを示すように、『全国読書世論調査』が調査したいつも読む雑誌では、悔恨共同体の代表格とも言える『世界』は、1948年の時点で『中央公論』や『文藝春秋』の後塵を拝しており、その後も同じ状態が続く。
 だが、アカデミズムや教育界においては、世論調査の結果は悔恨共同体の正しさが認められたため、と捉え続けられていく。それだけならば問題ないかもしれないが、彼らは自分たちが権威として君臨していることに無自覚であった。一般的に悔恨共同体に属する進歩的な教育学者は、体制派と反体制派について意識のねじれがある。学者は世間を基準として自分たちを反体制派と見なしている。しかし、進歩的な言説が幅を聴かせている大学のキャンパス内においては、彼らこそが体制派であった。それを示すように、日教組講師団のドンとも言える東大教育学部教授であった宗像誠也は、教師が真理の代弁者であり、権力によってではなく、学者と教育者の共同作業によって教育内容の大綱は定めるべき、と宣言している。自分たちを反体制であるとみなしながら、教育内容に対しては自分たちが支配する体制側であるという点に無自覚と言える。さらにここで知識人内部での反転が生じる。教育学者は教育者以外の進歩的文化人に従属していた。だが、教育学を通じた価値観の政治家が進めば進むほど、進歩的文化人がこのプロジェクトに包含され、進歩的教育学者に従属する結果となる。
 ただし、世間一般における状況や論壇の変化に進歩的文化人は焦りを覚える。その象徴とも言えるのが、保守派への攻撃の書であった山田宗睦『危険な思想家』であった。この本は酷評されたものの、山田自身には大学祭や学園祭への講演依頼が殺到した。一般社会の変化とは別に、大学キャンパスでは革新幻想が残っていたためである。なお、石坂洋次郎の描く若者像も、進歩主義者が望む学校での教えを身に付けたスマートな若者であり、1960年代まではそれが受け入れられた点で、革新幻想に呼応するものであった。
 しかし、一般社会の状態は変化しており、革新的な理念は経済発展のなかで流行らなくなくなっていく。そこで知識人は対応に迫られる。結果、経済成長で豊かになっても貧困よりもさらに不幸な疎外された状態にある、という現代的な不幸を作り出すことで、知識人は自分のアイデンティティを延命させていった。それでも、高度成長や専門技術知の発達によって、実務インテリへの手感が生じていき、革新的な思想インテリは、力を喪失していくことになる。
 著者自身の遍歴と絡めてあるので、もれなく戦後の思想史を述べていくというよりは、トピック的な様相が強い。たとえば、冒頭で引かれているエピソードは、学生時代の著者が福田恆在を薦めたところ、右翼扱いをされた(vii頁)、というものである。確かに福田は保守派の論客と言えようが、強く否定されるような存在でもなかろう。私自身は、学生時代(1990年代)に呉智英や浅羽通明の著作を読んだ際に、福田の評論が引かれているのを見て、気になって読んだのだが、もちろん右翼などと言われることはなかった。当時の論壇を眺める際には、それだけ革新幻想が強かったという事実を想定に入れておかなければ、かなり歪んだ像になるということが本書を読むとよくわかる。戦後日本の論壇史や思想史を語る際には、外せない著作となるのではなかろうか。
 なお、知識人は疎外を不幸と訴えたという説明(著者は、清水幾太郎の言葉を引いている(397~398頁))に関しては、さらに浅羽通明『右翼と左翼』の説明を補足すると、現在にまで通ずるだろう。つまり、経済成長を成し遂げてしまったがゆえに、日本国内の不備をあげつらえなくなると、大戦期の日本の戦争犯罪や日本経済の土台となっているアジア諸国の貧困を突きつけて、自己批判や道徳的反省を迫っているわけである。ちなみに、浅羽が言うように、現在の日本では右派も左翼の対抗馬として存在していて自立しているわけではないので、左派が衰退しても、右派が主流派となり得ているわけではないと言える。
 ところで、日本の知識人は大衆からの距離が近いために、知識人を模倣して大衆インテリも生まれたが、大衆との区分が薄いため、大衆への後ろめたさや引け目を感じると共に、擦り寄りも生まれやすい、としている。その上で、これは高度大衆社会を生む契機ともなるが、下流大衆社会へと下降する契機にもなる、と述べている。ただし、そもそも言論的には平等である現在において、思想や言論に基づいて上下の位置を意識しすぎるのは、あまり意味があるとは思えない。「アトランティス伝説が孕むアカデミズムの袋小路」でも述べたように、知識人はあくまでもアドバイスをする仕事という意味で、他の仕事と変わることなく横に位置づけられるべきではないだろうか。
 さらに言えば、思想インテリが力を喪失したというのは、意見を発しようと思えばウェブ上で誰でもできる、という点も大きい気がする。紙のメディアしかなかった時代、一般人が公に意見を発することができるのは、新聞の投書欄くらいしかなかった。思想インテリの言うことに疑問を感じても、それを発信する場所がなかった。そもそも何らかの論理的な意見を提示する能力は、学校でそこそこ勉強ができた人間ならば誰でも身に付けられる技術であり、ウェブ以前にも大多数の人は身に付けていたはずだ。学術的な論文を書くならば、ある程度の指導が必要となるかもしれないが、そうでないならば図書館で調べて、その内容がどうすれば説得力をもって他人に受け入れもらえるかを考える態度さえあれば誰でもできる。にもかかわらず、一般人にはそれがほぼ不可能だった点で、思想インテリは特権的な地位にいた。しかし、その特権はウェブによって失われた。つまり、思想インテリに近い仕事をこなす能力があっても、意見を発する場を持たなかった人が、いまやそれが可能になったという点で、思想インテリの立場は限りなく一般人に近づいている。となれば、思想インテリの技術にさほど敬意を払わなくなっても当然と言える。この点において、技術の習得や実地訓練が必須である実務系のインテリとは違う。こうした差異も、思想インテリの力の喪失と関係していると思われる。もちろんウェブ上の言論に価値のあるものは少ないのだろうし、誤ったデマが流れて、多くの人が本当だと思い込んでしまう場合があるという問題もある。別に必要以上にウェブの言論を気にせずとも良いが、下流大衆社会の到来というネガティヴな見方をするだけではなく、論理的な意見が発せられる可能性があるという点には留意すべきだと思う。そもそも本書で論じられているように革新幻想に基づいた主張には、いまから見れば下流にしか思えないものもあったのだから。
 なお、本論とは直接関係ないものすごく細かいところに、1つだけツッコミを。最後の最後に、ローマの滅亡に関して、「パン(食料)とサーカス(娯楽)という大衆社会の病理により漸次的水準低下がはじまり、天才の焰は消え、軍事精神が消滅することで滅んだと言われる」(512頁)とある。これを現在の日本の「「幻想としての大衆」に引きずられ劣化する大衆社会」と重ね合わせているのだが、ローマの衰退をパンと見世物に帰するのは、古い学説であろう。現在は、ローマの滅亡と中世ヨーロッパの間に長期的な変動機関である古代末期を設定して、単純な衰退史観から離れている。このあたりについては、たとえば本村凌二『地中海世界とローマ帝国(興亡の世界史04)』(講談社、2007年)で、簡単にではあるが紹介されている。
 以下メモ的に。著者がゼミの学生と雑談をしているとき(おそらく、これは出版時点の著者の赴任先である関西大学の学生と思われる)、サヨクとは自民党のことか、と聞かれたという。著者があまり好きではない人もいるかもしれないが、といったことから、人気が凋落していた自民党と考えたらしい。しかも、この学生がゼミ発表をする際には、人権・話し合い・ジェンダー・弱者・格差などの「政治的に適切な」用語を多用したという(viii~ix頁)。
 悔恨共同体は敗戦を契機とした再生の精神状態であるのに対して、無念共同体は敗戦という出来事それ自体に対応した精神状態である。もし前者が出来事それ自体に対応すると罪悪(自虐)共同体となる。逆に、後者が敗戦を契機とした精神状態になるならば復興共同体となる。なお、この4者が極北まで至れば、悔恨は革命に、無念は遺恨に、罪悪は自虐に、復興は皇国再建へと向かう(47~48頁)。
 丸山眞男は、戦前の知識人は軍国主義に抵抗を行えなかったものの、コミットする者は少なかったとしている。しかし、東京帝大生の読書状況からは一概にそうとは言い切れない。愛読所に古典の愛読書としては『万葉集』や『論語』が挙がっているし、昭和10年代には岩波書店から『吉田松陰全集』や『明治天皇御集』なども出版されている(50~51頁)。
 1953年の京都の旭丘中学校事件(進歩派の平和教育に対して批判が生じ、進歩派の教員が転任、さらには懲戒免職を命令されるも、進歩派教員が学校を封鎖して授業を行った事件)において、多くの文化人は、進歩派教員の肩を持った。しかし、事件収束後の2ヶ月後に京都市民約600人にとったアンケートでは、旭丘中学校での教育については41.3%が否定的回答で、肯定的回答は14.5%にすぎなかった(255~256頁)。
 『何でも見てやろう』で有名になった小田実は、リベラル派と見なされた後の位置づけとは異なり、当時の論壇では良心的な右派扱いであった。さらに1963年は韓国を訪問している。当時の韓国はアメリカ帝国主義と結ぶ国だったので小田は右派の敵として扱われた(340頁)。
 1960年代前半までの大卒の就職においては、学部や選考がかなり重視され、文学部の卒業生が民間企業に就職しようとしても門前払いであった。しかし、高度成長のために大量の人員採用が必要になると、大卒者は売り手市場となり学部は関係なくなっていく。実際に、大卒採用数の上位10位の平均は1952年が128.5人、1960年が334.4人、1971年が626.2人と上昇し続けている(420~421頁)。なお著者は、教育学部卒業後に一度就職しているのだが、まさに採用状況が変わるこの頃だったという。


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