前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ


2011年7月の見聞録



7月1日

 佐藤賢一『剣闘士スパルタクス』 (中公文庫論新社、2007年(原著は2004年))を読む。タイトル通り、前1世紀にローマへの反乱を起こしたスパルタクスを主人公とした歴史小説。『カエサルを撃て』では、カエサルの文体をコンプレックスを持った人間の書き方と解釈して、それまでにないカエサル像を打ち出したわけだが、本作は中間管理職的なスパルタクス像で物語を描いている。たとえば、勝てる相手としか戦わないと揶揄されていたり(76〜77頁)、心変わりしたセレブの女性にたいして恨み言を吐いたり(93頁)など、人間くささも前面に出ている。
 確かに、一介の剣闘士が反乱のリーダーとなれば、そもそも軍団としての規律の意識の低い剣闘士たちを率いる立場になれば、このような考え方になるのかもしれない。もちろん中間管理職などという存在は、古代ローマにはあり得ない。そもそも、安易に現代の概念を古代に当てはめて考えるべきではない。戦国武将に学ぶリーダーの資質などというオヤジ向け雑誌にありがちな特集はその極みだろう。だが、古代に現代の相似形を見るのは歴史を学ぶ意義でもある。それでは、何に気をつければいけないのかというと、古代の自称を現在の先駆的形態と評価することで、裏返しに現在をその高みに置くという態度ではないのかと思う。このあたりについては、歴史を学ぶ者としてきちんと言葉を尽くして書くべきなのだが、うまく書けない。いずれはきちんと書かねばならないな、と。


7月11日

 松木武彦『進化考古学の大冒険』(新潮選書、2009年)を読む。ここでいう「進化」とは、複雑・洗練・高級という価値観は含まれておらず、むしろ「変化」という意味に近い。日本の先史時代を中心に取り上げながら、人間の心の動きから過去の人工物を解釈するという認知考古学の立場に基づいて、テーマ別に取り上げていく。同じようなテーマであり、やや概説書的な趣の強かったるコリン・レンフルー『先史時代と心の進化』よりも、個人的には面白かった。考古学に興味がある人は読んで損はないだろう。なお、認知考古学は歴史学的にはブローデルの手法に近いのではないか、とふと思った。
 以下メモ的に。人が道具をつくるにあたって、進化考古学的に重要なのは手のひらの形と指の付き方である。人の手は、親指だけが他の4本から離れていて、向かい合わせにして動かすことができる。これは道具を作るのに不可欠だが、チンパンジーやゴリラも同じような指の形をしている。しかしこれらは、人間と異なって親指が短いために、親指の先が第2指に届かない。そのため木の枝などを道具に使うことはできても、特定の目的を持った道具を作ることは難しい(24〜25頁)。
 霊長類学者の島泰三は、初期人類の歯は肉を引き裂くよりも堅いものをすりつぶして食べるのに適しているため、肉食獣が食べ残して散らばっている大型動物の骨が人類の主たる食料だったと考えた。初期人類は骨を集めるという、どの種も占めていなかったニッチへと進み、骨を割るために欠かせない石器を握るのに相応しい手と、骨をかみ砕くのに適した口の形を持つに至った、とする(26〜27頁)。これと関係するのが、道具の発展である。礫石器や握斧などの道具は、振り下ろして骨などを砕くのに適している。これに対して約20万年前に現れた剥片石器は、小さく鋭い形をしており、切ったり刺したりするのに向いている。この道具の変化は骨を食べることから、動物を飼ってその肉を食べる事へと変化していることを示していると思われる(29〜30頁)。
 人間の肉体の進化も、同じである。人間の肉体は、狩猟に必要な走力や攻撃力を全く発展させなかった。その代わり、直立二足歩行は1日当たり数十キロも移動するのには効率的にできている。さらに脳の進化によって、空間認知の能力も優れている。これは、地上を歩き回って食物を探すような生活のために必要な能力として発展したはずである。ただし、脳の発達には、植物性の食料には乏しいタンパク質が欠かせない。これを肉食上が食べ残した骨を拾い集めることで接種していたと考えられる(118〜119頁)。
 礫石器は、石と石をぶつければ完成するものにすぎない。これに対して、約160万年前に現れた握斧は、石器の縁に沿って10カ所以上の打ち欠きが並んでいる。これはできあがりの形を想像し、どうすればよいのかを予測し、適切に打撃を加えるという、表象形成・思考・記憶といった脳の働きがあったことをうかがわせる人工物である。また、やがてきれいな左右対称になっていくが、握り斧はこうあるべきという概念が洗練していき、また人同士の間でそれが共有されていったことを示す(39〜40頁)。
 人間は他の動物と比べて男女の体格差が少ない。動物の場合、オスからメスへのセックス・アピールのためにオスは何らかの肉体的特徴を持っている。これに対して人間は、性器を隠すようになり、身体的側面での性競争が弱まった結果、男女の対格差がなくなっていったと思われる(45〜46頁)。なお、縄文土器における美的な装飾もセックス・アピールにつながる自己主張かもしれない。一般的に土器の製作は女性が行うことが多いので、縄文時代の日本は、男性よりも女性の方が仕事を通じて名声や威信を獲得することが多い社会だったのかもしれない(144頁)。
 縄文土器に代表される造形美は、より発展した農耕社会のものに決して劣らない。これは全盛期の縄文社会は温暖湿潤な気候に支えられて、まれに見るほどの人口の密集が生じた。そのため、濃厚による都市文明レベルの美が、採集・狩猟・漁労に根ざした主題やモチーフで発展したためであろう(76〜77頁)。
 旧石器時代には、狩猟動物を描いた洞窟壁画が描かれたり、動物を線刻した狩猟具などがつくられたりした。これは狩猟が社会のなかで花形の仕事であったからだろう。これが新石器時代になると、代わりに石斧や石剣が美しく飾られるようになる。しかし農具が装飾されることはない。この事実は、新石器時代において農耕ではなく、農耕に伴う戦いや開発が花形の仕事になった事実を示している。農耕は、食糧資源が一元化されているだけに、洪水や干魃などで急速な危機に瀕しやすい。その結果、資源や食料の争奪が戦争を引き起こすことにもつながったのである(133〜135頁)。
 定住化が進むと、交易活動も活発化する。これは、定住地の資源のみに頼るようになると、産物の多様さが失われるため、各地で特化した産物同士を遠距離交易で入手するようになるからである(138頁)。
 ナチスドイツは、民族がある決まった人工物の組み合わせを共有するという考え方の考古学を支援し、その検討結果からかつてはヨーロッパの広い範囲にゲルマン人が住んでいたと主張した(154頁)。
 モニュメントには、行為型、仰視型、対面型の3つに分かれ、その順番に変化していった。まず行為型はヘンジやストーン・サークルに代表される儀礼行為と結びつき、大地の形と天体の動きが関連づけられるように配置されたモニュメントである。これは個人や集団の相互の絆を認め合う装置として用いられた。これに対して、ピラミッドに代表される仰視型は、内部へ入れるのは限られた人数にすぎない。これによっては入れない人との間の上下関係が生じる。また。人間の目を上に導くことで、上下関係を可視化する働きもあったと思われる。これに加えて、表裏や前後のイメージを引き起こすのが対面型である。たとえばキリスト教の聖堂である。これは奉仕すべき存在との1対1の関係を喚起させることで、そうした存在と個々人との絆を強化するという心理的効果を持つ(193〜195頁)。なお、仰視型では支配者そのものの権威が崇められたのに対して、対面型では、世俗の権力者の性格を強める王はモニュメントから独立していくことになる(200頁)。
 シュメルの文字の起源に関して、絵文字起源ではなくトークン起源説が主張されている。トークンとは円錐・円盤・球などの形をした小さな粘土製品であり、その形や大きさで特定の事物や数字を示して、家畜や農産物のやりとりの覚えに用いられていたらしい。はじめはこれを封印していたのだが、やはてすぐに分かるように封印の外側にトークンを押しつけて印影を残すようになった。するともはやトークンそのものに頼らずに、その印影で管理を行うようになり、これが文字となっていったとする(221頁)。


7月21日

 恩田陸『球形の季節』(新潮文庫、1999年(原著は1994年))を読む。東北の内陸部のとある盆地に位置する都市。そのいくつかの高校において、奇妙な噂が広がった。地理歴史文化研究会という合同クラブに属するメンバーたちは、その噂の出所を追う。やがて、噂通り、1人の女子生徒が本当に姿を消してしまう。そして再び広がる新たな噂。やがて、最後の噂が広まったとき、そこに吸い寄せられていってしまうのは…。
 人々が次々と消えてしまうという一種のホラーものであるが、むしろ印象に残るのは田舎町の雰囲気。共学ではなく男子校と女子校の別々の高校、デートでもしようがたちまち知れ渡るような狭い町、進学しても結局は地元に戻ってきて、地元の女の子と結婚するという人生。そうした閉塞感のある町で次々起こる失踪事件という点ではホラーなのだが、田舎の閉塞感ある町に住む高校生たちが、何かを求めてもがく姿を描いているように思える。そこに向かうものを引き戻そうとするのは、地元のお店のおばちゃんである、というのは、救いの手であるように見えて、地元から出ていく若者を止める力のようで怖くもある。ただ、逃げた先にも何かがあるようには見えないように描いているところが、また怖くもあるのだが。結局どこへも逃げ場がないということなのか。


7月31日

 デイビッド・モントゴメリー(片岡夏実訳)『土の文明史 ローマ帝国、マヤ文明を滅ぼし、米国、中国を衰退させる土の話』(築地書館、2010年(原著は2007年))を読む。土壌は、風化した岩石の上に表土と下層土を発達させるが、最も肥沃な表土は数十センチ以内にすぎず、地球の半径6380キロのうち1000万分の1弱でしかない(人間の皮膚の厚さは、2ミリで約1000分の1である)。従って、農業に利用し続けていると、あっという間に浸食されてしまい、不毛な土地になってしまう。本書は、文明が滅んだり混乱する原因を土の疲弊に求めている。ただし、どうもそれだけの説明に偏りすぎている気がする。たとえばローマ帝国の滅亡。イタリアの土壌の疲弊を重要な要因に挙げている。疲弊そのものは間違っていないと思う。しかし、ローマ帝国は地中海世界全体に及んでいたのであり、その観点からの説明だけでは難しいだろう。ローマ帝国全体で土壌の浸食が生じていたとしても、時期的な違いもあるし、それが原因の1つであるとしてもそれを主要な要因と見なすのは難しい気がする。また、宗教改革も貧農の土地問題が原因であったとするのは、さすがに行き過ぎだろう。やはり、教義やそれをめぐる態度が最も重要であり、土地問題は副次的な要因にすぎないと考えるべきなのでは。
 とはいえ、ヨーロッパ人が外部の土地を用いて、自分たちを養っていたという構図を改めて理解できたし、現在の日本も同じ事をやっているという点を意識すべきということはよく分かった。地球は今の人口を支えるだけの土壌がない問い意見もあるようなので(そうでないとする論者も、将来は確実になくなると考えているようである)。土壌保全を以下にすべきか、という明確な方策は本書では述べられていないのだが。
 以下、メモ的に。メソポタミア平原では灌漑農業が行われていたが、半乾燥地帯の地下水は多量の溶解塩を含んでいる点に大きな問題があった。地下水面が地表に近いところでは毛管現象で地下水が土壌に挙がってきて蒸発した結果、土中に塩分が残ってしまい、塩害が生じてしまうのである(50頁)。
 タバコは他の農作物よりも高値で売れるため、魅力的である。しかしタバコは、代表的な食用作物の10倍以上の窒素と30倍以上のリンを土地から奪う。従って、5年も栽培すると養分が枯渇して何も育たなくなる(160頁)。
 キューバは、ソ連崩壊によって化学肥料と農薬が手に入らなくなると、生物学的な施肥と害虫駆除の方法を開発した。そのなかで、砂糖の生産をやめて、国民向けの食料の栽培を行い、食糧危機を乗り切ることに成功した(316〜317頁)。これは本当かどうかよく判断できないのだが、もし本当ならば、今でもキューバが国家の地位を保っていることの大きな要因なのかもしれない。


前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ