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2011年4月の見聞録



4月2日

 ポール・クルーグマン(三上義一訳)『格差はつくられた 保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略』(早川書房、2008年)を読む。ニューディール政策によって貧富の差が縮小したにもかかわらず、1970年代以後の保守派の台頭によって、格差はニューディール政策以前に戻ってしまった状況について、歴史的な概略を辿りつつ批判する。さらに根元的な問題として人種差別問題があり、それこそが医療保険制度をはじめとする福祉制度の拡充を阻んでいると主張する。
 個人的にあまり知識のないアメリカの経済状況をざっとおさえるには役立ったので、そうした情報を知りたいという人には便利なのではなかろうか。ただし、著者はニューディール政策を高く評価しているのだが、それに関する説明そのものはほとんどなく、本当にそのように言えるのかどうかが引っかかる。ニューディール政策についてはよく知らないので何とも言えないのだが、その点をきちんと踏まえない限り、本書の記述をそのまま信用しきるのはやや危ないかもしれない。
 以下メモ的に。なお、以下に挙がっている数字は、具体的な数値がよく分からず、出典のない場合が多い。総所得における最高所得者の占有率は、10%の者までで1920年代も2005年も約47%、1%の者まででやはり同じくともに約17%を占めていた(23頁)。ただし1980年代には、金持ちのなかでもさらにごく一部の金持ちの所得が伸びている。上位0.1%の人々の所得は5倍に増え、上位0.01%の人々の所得は7倍に増えている(93頁)。
 個人による破産申告を制限する法律が2005年に施行されるまで、破産申告の世帯数は1980年代に比べて5倍に上った。ただしその原因は、贅沢品のためではなく、主に住宅購入のためであった。しかもその理由は、子供のためによい学区に住居を確保するためであった。格差社会のなかで、中産階級の人々が子供に勝ち残らせたいと思う親心が破産の増加へとつながっていた(204〜205頁)。
 1946年、トルーマンは国民健康保険制度を創設しようとしたが、アメリカ医師会の反対と政治活動によって頓挫した。なおこれには、南部の民主党員も反対している。というのは、病院での人種隔離を無くすものだと思いこんだからである。「南部州の政治家たちにとっては、貧しい白人に医療を提供するよりも、黒人を白人の病院に入れさせたくないことの方が重要だったのである」(55頁)。なお、1960年代の公民権運動を通じて、黒人が福祉を受けられるようになった結果、福祉予算は倍以上に跳ね上がった(70頁)。


4月12日

 M・コーニイ(山岸真訳)『ハローサマー、グッドバイ』(河出文庫、2008年(原著は1975年))を読む。地球に似たどこかの惑星。その星では、2つの大国が争っていた。そのうちの1つの国・エルトの政務官の息子である「ぼく」ことアリカ−ドローヴは、夏の休暇を過ごすため海辺の町を訪れる。ドローヴにとっては、大衆酒場の娘であるブラウンアイズと再会できることが嬉しかった。しかし、戦争の影響とその背後の事情が明らかになり、さらには夏の「終わり」が衝撃的な事実を意味することが判明し、ドローヴとブラウンアイズは引き裂かれていくことになる…。
 夏を舞台にした身分違いの男女の恋愛小説かと思いきや、国家間の争いの舞台裏が明かされる戦争小説の色合いが強くなり、去りゆく夏と訪れる冬がSF的に物語を急転直下させる。さらに、実はオチでどんでん返しが待っているというなかなか上手い小説。実は、はじめはオチの意味するところが分からなかったのだが、もう一度見直していて、最後に出てくるロリンという架空の動物が、人間を冬眠のように眠らせる動物だということが分かって、なるほどな、と。はじめは甘酸っぱい気分ともどかしさを持ちながら読んでいき、途中のエリートによる弱者の切り捨てと、エリート内でのトカゲの尻尾切りが行われていったので、嫌な終わり方へと向かっているなあ、と思っていると、最後の1行だけで希望を持つ方にひっくり返す、というのは唸らされる。タイトルも、後半部分では皮肉な嫌味に見えたのだが、読後のほのかな爽やかさを醸し出している。あまりネタバレをしないように書いたので、これだけでは何のことかさっぱり分からないかもしれないが、SF的などんでん返し(ジェイムズ=P.=ホーガン『星を継ぐもの』ほど大がかりなものではないが)が好きな人には、お薦めできる。


4月22日

 コリン・レンフルー(小林朋則訳)『先史時代と心の進化』(ランダムハウス講談社、2008年)を読む。文献史料よりも前の時代である先史時代が、19世紀に発見されてから、その研究が考古学と共にどのように進展したのかを探ると共に、現存する遺物から人類の思考プロセスから推測するという認知考古学の観点から、最新の研究成果に基づきつつ先史時代の紹介を行う。これまでの研究史が第1部であり、先史時代の概観が第2部となっている。第1部は手堅くまとめており、研究史をおさえたい時には、これを読めばとりあえずは問題ないだろう。
 第2部に関しては、認知考古学の観点から興味深い提言が成されている。人類はまず様々な概念を体系化したり、それを何らかの象徴とするためには肉体での実感を通して理解され、さらにそうした経験は肉体の動きやそれに基づいて作製された道具によって広がり、集団によって共有されることで広がるという認知考古学の重要性や面白さは、本書から伝わる。ただし、それに関する答えが、結局のところよく分からない場合があるのが気になった。たとえば第5章のホモ・サピエンス・パラドックスである。たとえば、ヨーロッパにホモ・サピエンスが登場したのは4万年前である。彼らが高い認知能力を有している。にもかかわらず、農業革命をはじめとする大きな変革が起きたのは、1万年前である。となると、3万年もの間にわたって、なぜ大きな変革が起きなかったのかを説明できなくなってしまう。さらにいえば、人工物という観点からしても、文化的な意味での革命は、アフリカでいまから15万年前から7万年前に起きたと考えられている。となると、ますます農業革命とのタイムラグが広がることになる。これがホモ・サピエンス・パラドックスである。だが、色々とその説明をしていながら、結局のところ、「解明されていない」で終わってしまっている。まだ研究がそこまで進展していないから仕方がないとは思うものの、それならば、1つの章をあてずにもう少し短くまとめるか、書き方に工夫が必要だったのではなかろうか。
 以下メモ的に。最も古い時代の遺跡が最初に注目されたのは、北西ヨーロッパであった。この地域では文字を持つ初期文明の遺跡が見つからなかったが、それに対してストーンヘンジのような巨石遺跡は誰が建てたのかが分からなかったからである。聖書に基づく年代法が認められていた時代において、こうした巨石文化の制作者が分からないことに対する疑問も生じていた(18〜19頁)。
 ルネサンス期の知識人はしばしば珍品陳列室をつくっていたが、自然界で得られた自然珍品と、人間によってつくられた人口珍品とに分類していた。その際に、フリント製の鏃はエルフの矢と見なされて、フリント製のハンドアックスは稲妻と共に落ちてくる雷石とみなされて、それぞれ自然珍品と考えられる場合もあった。ルネサンス期の動物学者ウリッセ・アルドロヴァンディは、石器を「雷鳴から発散される何らかの物質が、主に暗雲の中で金属製の物質と混じり合い、それが周囲の水蒸気によって凝固し、(小麦粉と水のように)一つの塊にまとまり、やがて熱によってレンガのように硬くなったもの」と説明している(22頁)。
 ヨーロッパにおける考古学的な時代区分は、20世紀初頭には、たとえば青銅器時代を技術と金属器の類型をもとに区分していた。これはダーウィンの進化論を人口遺物の進化に当てはめた手法と言える。これに異を唱えて、人口遺物を文化のモザイク模様みなし、各文化は様々な「民族」を示す物的証拠と捉えるべきと主張したのが、ドイツの考古学者グスタフ・コッシナである。このコッシナの発想は、ドイツ人が優越民族であるという主張に行き着き、ナチズムを論理的に支える根拠になってしまった。しかし、人種差別の問題を抜きにすれば、時間だけではなく空間も念頭に置いて考えるという考古学の進展ももたらした。こうした視点は、ゴードン・チャイルドにも受け継がれていく(55〜56頁)。
 その彼に、大きな影響を与えたのは、マルクス主義的考古学であった。そもそもマルクス主義的考古学は、フィールドワークの成果を無視して、文化の発展段階を直線的に捉える単系発展説へと陥っていた。しかしチャイルドは、政治史ではなく経済状態と社会的生産力を重視するマルクス史学を考古学にも当てはめ、農耕と牧畜が始まった新石器時代を革命的な変革の時代と見なす新たな視点を提示した。その延長線上に都市の成立をも革命的な出来事と見なしている、基盤となる環境要因から生じる変化を描くというプロセスに対する意識があった点において斬新なものであった(62〜65頁)。
 認知考古学のアプローチからすれば、記念物の建築そのものが社会的な制度のスタートを後押しする。たとえば大きな墓や宗教施設の建造は、当初は一つのプロジェクトとして発案されたであろう。しかし、それを完成させるためには近隣の住民集団が長期にわたって関わる必要が生じる。援助を求められた人々も、祝祭や祭司に参加できると期待してそれに応じる。そしてそれらが完成すると、その後は祭司や祝祭を行う場所になった可能性がある(216〜217頁)。


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