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2010年10月の見聞録



10月4日

 ハリー・サイドボトム(吉村忠典・澤田典子訳)『ギリシャ・ローマの戦争』(岩波書店、2006年)を読む。だいぶ前に読んだのに、ここに書くのを忘れていた。そのタイトル通りギリシア・ローマにおける戦争を取り上げた本であるが、戦争の実行や、戦略、社会に及ぼす影響などの事例を取り上げつつも、それがどのように考えられていたのか、ということが全体において意識されている。特に全体を貫くテーマとして掲げられているのが「戦争の西洋的流儀の源泉としてのギリシア・ローマ」である。といっても、ヨーロッパはギリシア的な市民兵制度を、ルネサンス期に再発見して受け継いだ、というような一般的にいわれているような解釈ではない。そうではなく、自分たちが他者と異なる戦い方をしている、と自負するイデオロギーを奉ずる意識と見なしている。こうした特徴ゆえに、入門書であるにもかかわらず、単なる事例紹介にとどまらない奥行きが生まれていると言える。タイトルを見て少しでも惹かれるものがあれば、読んで損はないだろう。
 この本とはまったく関係ないのだが、中世から近代にかけての戦争や戦術の変化に関する、最新の研究を踏まえた概説書はどこかにないだろうか。騎兵部隊と火器を用いた戦術について知りたいのだが、どうも封建主義の変遷という観点から論じたものしかなかなか見つけられないので。


10月9日

 有吉佐和子『悪女について』(新潮文庫、1983年(原著は1978年))を読む。謎の死を遂げた女実業家の富小路公子。自殺か他殺かも分からないのだが、何よりも彼女の私生活や経歴そのものにも謎が多く、醜聞にもまみれていた。彼女は一体どのような人物なのか。彼女を知る27人のインタビューを通じても、彼女を心の綺麗な人と讃えるものもいれば、彼女に手ひどく騙されたと吐き捨てる者もいたし、けなげに生きているようにも見えれば、男を手玉に取りつつ女の力だけで社会をのし上がっていったしたたかな女であるようにも見える。はたして彼女の死の真相はどこにあるのか…。
 最後の最後まで公子の台詞は一言ももなく、インタビューを受けた関係者の一人称ですべて書かれている。謎に包まれた公子の人生を再構成していくという一種のミステリなのだが、証言という史料からその人物を再構成しているという意味で、歴史書的なフィクションとも言える。歴史家の作業というのは、1つの「真実」を探し当てることではなく、何らかの事実の周りをぐるっと取り囲んでいってぼんやりとした全体像を提示するものだと思うのだが、歴史とはこういう学問なんだよ、と歴史学の初学者にお薦めしたい気もする。
 ところで、女性のための高級社交クラブの事務員の証言のなかで、昭和33年に公娼制度が廃止されることで、世の中の風儀の乱れが訪れた、という説明がある(244頁)。あくまでもフィクションとしての台詞なのでこれが事実というわけではないのだが、原著が出た1978年の段階でそのような言説がある程度は受け入れられていなければ、このような台詞は書けなかったであろう。つまり、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』や河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス 治安の法社会学』にてデータが示されている昭和30年代半ばの少年犯罪数の激増が、感覚で理解されていたことを示しているのではなかろうか。あくまでも感覚なので、これを安易に証拠として用いるべきではないのだが。


10月14日

 神永正博『不透明な時代を見抜く「統計思考力」 小泉改革は格差を拡大したのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2009年)を読む。前半部分は、具体例を使ってよく言われているような言説が正しいのかどうかを確認し、後半部分では統計学の基礎的な知識を述べていっている。後半部分は具体例を用いた統計学の概説のような感じで、個人的にはそれ以上でもそれ以下でもなかった。前半の題材として取り上げられているのは、若者の読書離れと小泉改革。一般的に、若者は本を読まなくなっているといわれている。確かに、書籍も雑誌も1997年をピークに売り上げが落ちている。しかし、小学4年生から高校1年生までを対象にした学校読書調査に基づき、1月に1冊も本を読まない者の割合について1978年と2008年を比べると、小学生は14.3%から5.0%へ、中学生は35.1%から14.7%へと、それぞれ明らかに減少している。高校生は20世紀末まで上昇し続けているが、2000年代にはやはり減少しており、2008年は51.5%と1978年とほぼ変わらない。大学生の場合、学生の消費生活に関する実態調査を見ると、読書時間は確かに減少しているが、これは大学進学率の上昇と共に、本を読まない層がどんどん進学しているからであろう。さらに、公共図書館の図書貸出数は一貫して上昇し続けている。
 小泉改革は格差を拡大したといわれているが、ジニ係数、完全失業率、非正規雇用率、生活保護者数、平均給与などの数値は、確かに悪化しているものも多いが、小泉政権の間に極端に悪化したことが特に確認できない。つまり、日本は右肩下がりの時代であるという状況の方が要因である可能性が高い。
 以上のような、検討結果を提示しているのだが、その全体的な方向性は正しいと思うものの、少しだけ疑問に感じるところがある。まず、学校読書調査に関してだが、1978年までしか検証しなくていいのか、ということ。確か1950〜60年代からすでに行われているはずなので、それを含めれば、何かまた違った点が見えるような気もする。また、小泉改革に関しては、その効果が現れるのは、小泉政権が交代してからしばらく後のことのような気もする。ただし、これについてはちょっとよく分からないのだが。
 いずれにせよ、統計学とはどんな学問なのだろうかとについて知りたい人が、まずは読んでみるものとしては、具体例も分かりやすくて取っつきやすいのではなかろうか。


10月19日

 小野不由美『東の海神西の滄海(十二国記)』(講談社文庫、2000年(原著は1994年))を読む(前巻はココ)。新しい王である尚隆が立ち、ようやく復興への道を乗り出し始めた雁国。かつて出会った妖魔に育てられた少年・更夜の訪問を懐かしく受け入れた延麒は彼に捕らわれてしまう。更夜は元伯に仕えており、延麒を人質にして反乱を企てていたのであった。争いを嫌う延麒と騒乱に立ち向かう尚隆の運命は…。
 前巻からさらに数百年遡って、ようやく再興し始めたころの雁国の物語。元州の反乱が語られると共に、延麒・六太と尚隆が出会うまでの話も挿入されている。今までのなかで一番戦争っぽい場面が多いが、それでも謀略めいたやり取りや国とは何かを語るような場面が多いのが、いかにもこの作品らしく感じる。人によっては、クライマックス近辺で六太が「歩けない。負ぶって」と言う場面で萌えを感じるのかもしれない(この作品が出たころに萌えという概念はなかったと思うが)。


10月24日

 小林弘人『新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に』(バジリコ、2009年)を読む。ネット上で新たなメディアをいくつも起こしてきた著者によるネットメディア論。ネットメディアでの成功例や失敗例などの具体例を挙げつつ、今後の展開などの予測も行っている。いかにしてビジネスとして成功するのか、ということには特に関心がない(もちろん、そんなことが出来る能力があるとも思っていない)。なので、読み流すような感じになったのだが、あらためて気づかされたのは、旧来の紙媒体に関わる人たちのなかには、傲慢な者が少なくないのだということ。別にネットは素晴らしいと持ち上げる気もないが、新たなメディアの1つとみなさなければならないのは確かだろう。絶対の権威者のようにふんぞり返るマスメディアの関係者は、かつて映画やラジオがテレビに取って代わられた過去を覚えていないのだろうか。新聞社の人間と話をしていると、ジャーナリズムを体現するのは自分たちだけだという矜持を持つ者も少なくないらしい。以前、岩瀬達哉『新聞が面白くない理由』などでも書いたことがあるが、自分の名前を出さず会社の名前で仕事をしているという指摘が本書でもある。ただし、The Economistは執筆者名を出さないらしいので、一概に無記名だからダメというわけでもないようなのだが。
 ところで本書では、アメリカにてブログで取材費を集めて取材にあたるという例が紹介されているが、ブログによる個人発信が行えるのであれば、取材のあり方も変わる気がする。誰かやってほしいのは、出来る限り匿名のない地域密着型の政治的なニュースの発信。新聞を読んでいると、議会である議員が反対した、とか、ある中堅議員によれば、という表現にしばしば出会う。特によくない意味での妨害発言などをしている議員だったりすると、その議員の名前を明かしてくれ、ともどかしく感じることが珍しくない。その後に取材の相手をしてもらえなくなるから匿名で、という理由だと思うが、誰がそれを語っているのかという情報の開示を、誰か個人の記者でやってくれないだろうか。
 ちなみに、電子媒体になった時の情報のメリットは、リンクで関連する情報をすぐに閲覧できることにあるのではないかと思う。Wikipediaが利用されるのも、データの豊富さよりも情報を次々と渡り歩ける便利さゆえではなかろうか。私自身は、あくまでも自分のためのそうしたサイトとしてここを使っているのだが。こうした即座に閲覧が出来るという特質を生かした小説が出てきたら、面白い気がする。


10月29日

 ゆうきゆう・ソウ『おとなの1ページ心理学』(少年画報社、2009年)第1巻を読む。「マンガで分かる心療内科・精神科・カウンセリング」の作者たちによる、連載マンガ。個人的には本書よりもあちらの方が面白いと思うのだが、少年誌の下ネタのようなべたなギャグは何も考えずに楽しめる。ちなみに、重箱のスミをつつくような指摘をしておくと、マリー・アントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいのに」という台詞でネタをつくっているが(9頁)、現在は彼女がこの台詞を言ったわけではないと見なすの一般的である。
 なお、駆け込み乗車で電車が5秒遅れたとすると500人×5秒で40分も損をした(女王様の女医が私の時間は常人の1秒が100年分に値すると言い放って、自分の奴隷をつくる、というネタにつながるのだが)という話があるのだが(55頁)、同じような台詞を噂で聞いたことがある。その噂によると、とある大学教員は、つまらないと見なしたゼミ発表が終わった後に、君の発表時間の40分×人数分の時間の損をどうしてくれるんだ、というようなことを学生に言ったとか言わないとか…。


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