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2010年5月の見聞録



5月2日

 柳沼行『ふたつのスピカ』(メディアファクトリー)第10111213141516巻を読む(第1〜9巻まではココ)。アスミたちは、宇宙飛行士養成コースの3年間の課程をついに終えるのだが、最終学年の4年に進学できるのはごくわずか。そして、宇宙船に乗り込んで宇宙から帰ってきた者も、残された者も、自分の進むべき道を歩み始める…。
 これで完結だが、巻末のオマケマンガによれば、シュウとライオンさんとの別れは描きたかったとのことだから、両者をつなぐライオンさんからウサギさんへというラストの流れもおそらく最初から思い描いていたのであろう。最後まで気恥ずかしくなるようなノスタルジーを醸し出す展開だったし、自分たちが仲間として結びついていくことを嬉しく思う台詞なども、読んでいてくすぐったいような気分になることもあるものの、その雰囲気に心地よく浸ったまま読み終えることができた。以前から書いている通り、ノスタルジー小説は好みではないのに、このマンガは決してそうではない。第9巻までを読んだときには、「オッサンのノスタルジーは駄目で青春のノスタルジーは大丈夫、というのは矛盾しているのかもしれないが、このマンガには過去の美化や妙なナルシズムがないからかもしれない」と書いたが、地に足が着いているか否か、そしてもがき苦しんで到達した後の台詞だという点が大きいのかな、と。
 いくつか台詞を引用してみたい。「叶わない夢があったとしても、誰かを失ったとしても…そんな風に上を向いて歩いていけるものですか?」「空が美しいと気づいたら、誰だって上を向いて歩くもんだよ。自分はこんな生き方しかできないけど、夢を追って生きてきた道に悔いはないよ」(第12巻、57頁、マリカの問いに答えるアスミの父の言葉)」、「宇宙学校で初めて心の底から笑った。初めて息が切れるまで全力で走った。初めて別れの悲しさを知った。初めて私を私と認めてくれる大切なともだちに出会えた。そこにどんな意味があるかなんて私にはわからない。私はただそれでも宇宙を目指す皆とずっと一緒にいたいだけなの」(第13巻、138〜140頁、マリカが父親に宇宙学校へ通う理由を答えたとき)、「私ひとりではここまでこれなかった。鴨川さん、近江さん、府中野くん、鈴木くん、皆がいてくれたから、ほんとうのともだちがいてくれたから今まで頑張れた」(第14巻、146〜147頁、最後の課題訓練にてマリカがアスミに告げた台詞。次の頁には、宇宙ステーションを眺める2人の見開きの絵がある)。「行けるところまで行こう。最後の最後まで一歩でも前に進もう」(同巻、151頁、訓練の課題には失格になったけれども2人がゴールの宇宙ステーションに歩いていく時のアスミの言葉)。「君たちは私にとっても初めての生徒なのだ。〔中略〕全員が今日でこの校舎とも制服とも別れて、それぞれの新たな道を進むことになる。その道は輝かしいものばかりではないかもしれない。多くの困難に直面することもあるだろう。困難とは常に痛みを伴うものだ。心も身体も疲弊させ足を止めてしまう。それでも生き抜いて欲しい。夢を持って生きて生きて生き抜いて欲しい」(第15巻、174・178頁、卒業式後の教官の言葉)
 こうやって台詞だけ抜き書きするとやはりクサイのだが、それでも嫌な感じはしない。オッサン小説によく見られがちなノスタルジーは、上から目線で偉そうに語ったり、宙にフワフワと浮いているかのような自己陶酔に酔っている。つまりは、等身大の自分をより大きく見せようとする、妙なプライドめいたものが透けて見えてしまう。ところが本書の登場人物は、あくまでもその時の自分自身の状況を踏まえながら、前を見据えていこうとする言葉を放っているように感じる。その辺りが、ノスタルジー小説との違いなのだと思う。
 ところで第11巻では、生徒たちが宇宙飛行士ロボットと作業スピードを競い合うなかで、人間にできることは難なのかを考える場面がある。ちなみに、ロボットを作る技師の父親は墜落したロケットに乗っていた船長であり、だからこそ誰ももう死んで欲しくないとの思いで宇宙作業用のロボットを開発していた。それでもアスミは、先に作業を行った人たちが情報を教えてくれる中で、経験を人に伝えることが、人にしかできないことなのか、と考えるようになる。正直言って、士郎正宗『攻殻機動隊』(講談社、1991年)などを見ていると、そうした情報の伝達さえ記憶装置の発展によって人間を超えてしまう気が知れない気もするのだが(あとは津田雅美『彼氏彼女の事情』第9巻(花とゆめC(白泉社)、2000年)に描かれた、劇中劇に登場する人間の能力を超えたアンドロイドの出現など)。
 けれども、だからといって人間に何ができるのかについて考えるのをやめるわけにはいかない。それと関連して、このマンガに出てくる先に書いたような台詞を見たときに思い出したのは、以下の「子供」に関する言葉だった。この文章はアスミの疑問の答えの1つではないかと思う。
 「子供とは未熟な大人のことではない。反対に子供とは、断じて未熟であることを欲さず、絶えず変容しながら同一に留まるこの世界の荘厳な戯れを脅威と驚嘆の眼ざしで見守り、その本質と一致することを願って止まない我々の内なる衝動である。子供たちの無邪気な信頼、驚嘆の入り交じった問い、不屈の活力と一途な冒険心に対してのみ世界は開かれている。そして、成長と変化と運動を渇望する人間の内なるピュシスの奥深い声は、結局、何者もこれを封ずることはできない」(関曠野『プラトンと資本主義』(北斗出版、1982年(リンクは改訂新版))、395頁)。
 なんともとりとめのない文章になってしまったが、もうちょっと色々と考えてみたいな、と。まだうまく言葉にできないのだけれど…。


5月7日

 永江朗『本の現場 本はどう生まれ、だれに読まれているか』(ポット出版、2009年)を読む。本をめぐる状況について、出版点数や販売金額、ネットとの関連、ライターや編集プロダクションなどの生産現場や、そして朝の読書運動や新書ブーム、本屋大賞などの読む側の立場から多角的に論じていく。本書の核となる主張を強引にまとめてしまうと、本が売れなくなっているのは事実かもしれないが、1990年代頃から、新しい本を次々と出版することで赤字の穴埋めをしようとする自転車操業が目立つようになっていること、最近の若者は本を読まないと批判されることが多いものの、データからはそう言い難い可能性が高いということ、この2点になるだろう。
 まず出版状況について。書籍の販売部数は、1960年の約1億4千万冊から1989年の約9万4千冊まで右肩上がりに上昇したものの、1990年代には下落傾向となり、2000年代には7億から8億冊という1970年代末と同じ状況にまで落ち込んでいる。ただし、書籍の新刊発行点数は増え続けている。1959年の約1万1千点から1990年の約3万8千点までは正比例のような形で増加し続けたのだが、ここから急に跳ね上がり、1995年には約6万点を超えると、2008年には約7万5千点となっている。これはどういうことなのか。
 そもそも1990年代初頭にはバブル経済がはじけているし、消費の中心となる若者の人口減少が予測できたのだから、市場を縮小して出来る限りダメージを回避するという方法もあり得た。ところが出版業界は、新刊の出版部数を増やすことでこれに対応しようとした。日本の出版業界は出版社・取次・書店からなる再販制度いう構造であるが、このことがそうした原因を生んでいる。
 出版社は取次に本を回し、そこから書店へ本を卸すが、再販制度があるため売れ残った本も同じ価格で買い取ってもらえる。書店は、売れれば差額を収入にできて、売れなくてもプラスマイナスゼロである。一方で、出版社は取次に一括して卸すことで、書店での売り上げと関係なくとりあえずはお金を得られる。しかし、返品が帰ってきた際にはその分の代金を取次に支払わねばならない。出版社は、代金を払う代わりにそれを上回る金額になるだけの新刊を出版することで、支払い分を相殺しようとする。となると出版部数を増やせばよいわけだが、本は売れなくなっている。そこで部数ではなく出版する新刊点数そのものを増やすことで、これに対応した。しかし、新刊点数が増えても本屋の面積は増えるわけではないので、おのずと店に並びにくくなるし、そもそも販売実績は低迷している。そうなると新刊の売れ行きはますます悪くなっていき、それの穴埋めをするためにさらに新刊点数を増やすという悪循環に陥っている。その一環を担っているのは新書ブームであるとも言える。
 出版状況の悪化については書店側にも問題があると言える。書店は出版社に対して売れ筋の本が入ってこないという文句を言うことが多い。しかし、再販制度があるために、安易に仕入れをして売りさばこうとする傾向も強い。たとえば、直木賞・芥川賞の候補作が発表されると、それらを在庫として抱えておいて、受賞作が発表されるとそれ以外のものを返品するという場合が見られる。
 また、子供の読書離れという言説はしばしば見られるが、決してそうとは言い難い。たとえば、1990年代後半から急速に普及した朝の読書運動は、子供たちに読書をするきっかけを生んでいる。朝の読書運動はみんなでやる、毎日やる、好きな本でいい、ただ読むだけ、という原則があるにすぎない。感想文を書かせたり、評価をするなどは一切しない。しかしこれにより、生徒が着席しない、私語をやめないと行ったことが減少する結果となっているという。いくつかの大学の生協でも、読書マラソンが効果を現している。参加は自由で、本を読んだらスタンプカードにスタンプを押すと共に、1冊ごとにコメントを書いてもらう。そのコメントカードを本と一緒に展示すると、その本が売れる。
 こうした最近の傾向のみならず、毎日新聞による読書世論調査から窺える傾向から見ても、決して読書離れがあったとは言えない。書籍読書率は4800人を対象とした調査で毎年行われているが、これを見ると70年代半ばから90年代半ばまで40%台前半を上下していたが、2000年を超えると50%以上となることもあった。従って、読書傾向が悪化したとは言えない。
 さて、私個人としては、紙の本という形態に愛着もあることだし残っていって欲しいと思ってはいるが、それを絶対視して他人に強制する気もない。以前、B.L.ホーキンス・P.バッティン『デジタル時代の大学と図書館』を読んだ際に、デジタル書籍は、「印刷物の最大の利点である「見たいところまでパラパラめくってしまえる」という利便性に勝てるのか」と書いたが、iphoneで指を画面上にすべらせてページをめくる機能は、本をパラパラめくる体感にかなり近づいている。まだ紙の本ほど多くのページをめくることは難しそうだが、ここまで来れば何とかなる気がする。あとは紙の本と同じように書き込みするような機能が備わり、端末を買い換えてもデータを問題なく移し換えることができるのかなどの問題がクリアされれば、一気に状況は変わるかもしれない。
 若者の読書離れという言説の疑わしさについては、本書では言及するのみに留まっている学校読書調査の結果も著者の主張の正しさを裏付けている。学校読書調査は毎年約1万人の小学生・中学生・高校生を対象に行われているのだが、「2009年度の第55回調査の結果」(『全国学校図書館評議会』)によれば、1980年代から2000年代初頭にかけては読書しない不読者の割合は中高生で少しずつ増加しているものの、小学生では横ばい傾向だし、それ以後には明らかに減少していっているからである。たとえば2009年度の中高生の不読者は13.2%、高校生の不読者は47.0%だが、これらは1979年から現在まで最も低い。小学生は5.4%であり、1979年以後これより低いのは2007・2008年のみである。また読書冊数も同じように増えていることが明らかに読みとれる。
 読書によって物事を深く読みとれる知識も得られるし、感情を揺さぶる物語が描かれた書籍もたくさんある。安易に「最近の若者は本を読まない」とか「本が廃れていく」と偉そうに嘆くのではなく、読書の面白さをきちんと伝わるように言葉にすることこそが大事なのだと思う。
 以下メモ的に。ネットに由来する本は携帯小説やブログ本を始めとして増えているが、マンガ雑誌こそネットに移行するかもしれない。たとえば韓国では、1997年のIMF危機で出版インフラがほぼ壊滅した後に、ネット上のマンガ雑誌が盛んになり、その後神の単行本で出版されるというサイクルができているらしい。日本のマンガ雑誌は赤字分をコミックの売り上げで埋め合わせしているのだが(このあたりは、鈴木みそ『銭』第1巻でも描かれていた)、雑誌をネットに移行してしまえば、かなり楽になる(53頁)。スクゥエアエニックスなどはすでにこれをガンガンONLINEにて試みつつあるが、不正コピーをうまく防ぐ手段さえ備えられれば、ipadなどとも連携して軌道に乗るかもしれない。
 フリーライターの状況は、インターネットの影響によって悪化している。ウェブは原稿料が安くて当たり前と見なされていたため、ウェブ上で面白い原稿を書くアマチュアライターがいれば、わざわざ原稿料を必要とするプロのフリーライターに原稿を依頼する理由はない。さらに著者は、ライターと同じく作家の原稿も結局は同じようなものではないか、といっている。これに関しておそらくその通りだと思うのは、「表現物の唯一性と代返不可能性は作家だけが信じているにすぎない」(66頁)という文章。
 朝の読書推進協会の調査によれば、朝の読書運動の地域別の実施率にはかなりばらつきがある。たとえば2006年時点で、鳥取県では92%だが、北海道や大阪府では30%、東京都では28%とかなり低い。調査時期のずれがあるため、実際にはもう少し高い可能性もあるとはいえ、大都市では読書よりドリルという傾向がある。教員がコンセプトを理解していない場合もあり、毎日やらなかったり、感想文をや本の評価を書かせたりする教員もいる。また、本不足も原因だが、これには行政の側の問題もある。国は学校図書館整備5カ年計画を2002年度より実施しており、毎年130億円が交付されている。しかし地方交付税であるため、7割の自治体は他の目的に予算を流用している(98〜101頁)。
 トーハンが発行する「出版フォーラム」2007年12月号に、「通勤電車の読書事情」と題する1万5千人に対するアンケートが掲載されている。1986・1988・1997・2004年にも調査が行われている。社内で書籍を読んでいる人の割合は2007年で16.3%であり少ないように見えるが、1986年は9.7%、2004年は12.0%と数値は微増している(124頁)。


5月12日

 吉田秋生『真昼の月 海街diary 2』(小学館(フラワーコミックス)、2008年)『陽のあたる坂道 海街diary 3』(小学館(フラワーコミックス)、2010年)を読む(前巻はココ)を読む。季節の移り変わりと共に描かれる幸田家の4姉妹の話、というのは前巻と変わらないが、長女・幸の不倫の恋の行方や、4女・すずとその周りの恋愛模様などが中心で、共に1つの結末を迎えるといったところ。
 何か劇的な事件が起こるわけでもなく、恋愛だけではなく病気や仕事、家族の喧嘩などどこにでもありそうな素材をもとに描いているのに、面白い。これはいわゆる純文学ではなかろうか。純文学、という言い方はそもそも好きではないのだけれども、マンガだから幼稚だという言いぐさはもはやできない水準にまで到達したマンガではなかろうか。所々に散りばめてあるマンガ的なギャグが決して古くさく思えないこともポイントが高い。前にも書いたけれども、作者はもう結構な年齢なのに、こうした感性が古びないのは本当にすごい。ちなみに、この方面のセンスは私にはないのだが、登場人物達の着ている服もおそらくかなり今風だと思うのだが、それよりもうまいのは2巻に登場する幸田家に子供たちを残して再婚した母親の服装は微妙にださいこと。母親としてはオシャレしているつもりだが年代を感じさせるファッションを描くというのは、センスのある女性を描くよりも難しいと思うのだが、やはりこのあたりの感覚は凄い。


5月17日

 柳父章『ゴッドと上帝 歴史のなかの翻訳者』(筑摩書房、1986年)を読む。19世紀の中国において、欧米の宣教師たちがどのように中国語へ翻訳したのかという観点から、文明間の思想的な相違とその衝突を探っていく。著者の主張をものすごく簡単にまとめてしまえば、翻訳に際して、対象となる言語にまったく正しい翻訳語を与えることは不可能であるはずなのに、それが可能であると考えることは、もともとの言語を翻訳可能な普遍的な言語として無意識のうちに優位づけている、といったところか。
 第1部はアヘン戦争における翻訳語の問題が中心で(これはこれで面白いのだが)、本書のタイトルと関連性があるのは第2部である。1840〜1850年代の中国にて中国語訳聖書の改訂が進められたが、そのときGodをもともとの訳である「神」ではなく「上帝」と訳すべきという主張が唱えられて論争となった。中国語における「神」は唯一最高の存在ではなく、至るところにある魂のような意味だから、至高の存在という意味で使われる「上帝」の方が相応しい、というのがその主張である。これに対して、「上帝」は現世的な言葉であり、文脈を重視すれば「神」という言葉でよいという反論がなされた。しかし、ここには英語は完全に中国語に翻訳することが可能であるという英語の優位性が潜んでいるというわけである。
 ただし、本書ではこのあたりに関する考察が決してメインとはなっておらず、興味深い記事はあるもの、やや雑多な印象が強い。もう少し神と上帝の由来に焦点を当てて欲しかった気もする。とはいえ、異文化同士の相互理解は可能であるという考え方それ自体に、無意識のうちに自分たちを優位に置く考え方が潜む危険性について気づかされる。分かり合うことは大事だが、究極的には分かり合うのは不可能であり、それでも長い時間をかけたそれは相互の擦り寄りを行うしかない、というわけだろう。
 以下メモ的に。1834年、イギリス総督が送った手紙を中国側は受け取りを拒否した。そこに「両広総督大人に書す」とあったからである。「書」はletterの訳語だが、中国語では「書」は対等の関係であり、当時の慣行に基づけば、イギリス人が清の役人に文書を出すときには「稟」、英語で言うところのpetitionと書くのが一般的だった(42〜43頁)。
 洪秀全は「上帝」という言葉を用いたが、それはもともと上記のようにGodの訳語として用いられた言葉であった。だが、洪秀全の用い方の背後にはGodという言葉との直接的なつながり方が窺えず、むしろその言葉から「上帝」が中国の伝統的な唯一の至高者であるという概念を新たにつくりあげていった(244頁)。


5月22日

 ヤマザキマリ『テルマエロマエ』第1巻(エンターブレイン(ビームC)、2009年)を読む。ハドリアヌス帝期のローマ。風呂の設計技師であるルシウス=モデストゥスは、自身のアイディアを拒絶されたことに苛立ちながら公衆浴場の湯船に浸かっていた。その湯船の底になぜか穴が開いており、そこに引きずり込まれたルシウスは、現代日本の銭湯へとタイムスリップしてしまう…。
 その後ルシウスは、銭湯で見た浴槽の富士山の絵やフルーツ牛乳などを真似して成功を収めるのだが、その後も風呂に潜るか溺れるとタイムスリップするという分けのわからない能力を生かして、日本の風呂のアイディアを拝借してきて、ローマ人にとっては斬新な風呂を設計していく、というのが基本的なパターン。訪れるのは、公衆浴場に続き、露天風呂、家庭の風呂場、浴室のモデルルーム、湯治場。ルシウスが日本の風呂文化に面してその質の高さに驚く、という展開の繰り返しなのだが、ローマの文明力に誇りを持つがゆえに、いちいち屈辱的な気分を抱く心情を大げさに表現するのがなんともユーモラスで面白い。
 ふと感じたのが、当たり前だと思っていることにも技術の積み重ねがあるのだな、ということ。たとえばルシウスがフルーツ牛乳を再現しようとしても、現代の瓶のようには綺麗な形に作れずに嘆く場面がある。確かに、今さら瓶の形が綺麗なことに驚く人間はいないだろう。だが、あれを作れといわれても、普通の人(もちろん私も)ならば作り方がわからないのではなかろうか。身の回りにある品物すべてが細かい技術の積み重ねなのだな、と。
 ところで、歴史学者はこのマンガに対してどのような態度を取るのだろうか。細かいところに関する揚げ足を取るだけで終わるのだろうか。確かに、突っ込みを入れようと思えば入れられる。たとえば、ルシウスはラテン語読みならばルキウスではないか、とか、4〜5階建てのアパートのインスラを文明の発展のように捉えているが、どちらかといえば貧乏人のための密集住宅だろう、とか、ユダヤ戦争をローマの側から一面的に捉えすぎている、などである。だがしかし、全体的に見れば、少々のデフォルメやギャグっぽい部分はあっても、描かれているローマ人の心情は決して的はずれではないように思える。歴史小説の場合、まるで現代日本人のお手本のような描かれ方をしていることがあるものの、本作にはそれはあまりない。それどころか、物語と絡めつつハドリアヌスに「ローマ人の力の源は浴場にあり」と語らせることで、歴史家には書けそうもない言葉でローマ人の特質を端的に表すことにも成功している。これが正しいか間違っているのか、ということは問題ではない。歴史家が同じように端的に表すことができるかなのだ。
 歴史学は、実証の積み重ねをしているのだから、そのような簡単な言葉で歴史性を表せるものではない、という反論が挙がるかもしれない。だが、その態度は傲慢にしか見えない。歴史家には歴史家のやり方があり、物語には物語のやり方があり、両者はそれぞれに補完し合うことで1つの世界観を築き上げていくべきなのではなかろうか。歴史家は、本作に対してどのような態度を取るかで、その資質をさらけ出すと思う。


5月27日

 ニコラス・ハンフリー(垂水雄二訳)『喪失と獲得 進化心理学から見た心と体』(紀伊國屋書店, 2004年)を読む。進化心理学という立場から記されたエッセイ集として面白いのだが、学問的な意味で興味の湧いた章を特に抜き書き的にメモしていく。
 第7章「洞穴絵画・自閉症・人間の心の進化」では、旧石器時代の洞穴絵画と自閉症の人間が描いた絵画の類似性から、論を起こしていく。両者は共に、輪郭線の一部を二重にすることで動物の躍動する姿を描いており、またある一頭の図の上に重ねて別の一頭を描くという部分においても類似している。このことは、洞穴絵画の頃の人類には自閉症患者と同じく言語がなかった可能性を示唆する。だが洞穴絵画の様式は、新たに文明が登場する頃には失われてしまう。「つまるところ、自然主義的絵画の消失は、詩の到来に対して支払わなければならなかった代価だったのかもしれない」(145頁)。著者自身が追記で認めているように、洞穴絵画のような自然主義的な絵画はルネサンス期まで現れなかったというのは、ギリシア・ローマに写実的な壁画がいくらでも存在していることから言い過ぎではある。それでも、確かにオリエントの諸文明期には明らかに退化しているという現象を説明するのに、言葉とさらにそれによって語られる詩を原因とする説はかなり魅力的なものに映る。
 人類は何かを得たことで何かを失ったのではないかというこの仮説が、ひっくり返った形で主題となっているのが、第8章「奇形の変容」であるる。たとえば、人類が火を使用し始めたのは、体毛を喪失したために体を温かく保つ技術を発達させるように突き動かされた、と主張する。また、記憶力が低下したからこそ、それを埋め合わせるために数字や記録を発展させていったとするわけである。個人的には、前者についてはそうかもしれないと思うが、後者については技術を発達させたから記憶力が低下したというプロセスな気がする。
 第14章「法の前における虫と獣」は、前近代のヨーロッパで生じた動物に対する裁判の意味を問う。この裁判は決して見世物のような扱いだったのではなく、人間同士で行うのと同じように、動物が被告として召還されて、弁護や証人喚問さえ行われた後に判決が下されるという、ごく真面目なものとして行われていた。これを中世人の迷信的な非合理的な行為と見なすべきではない。同じような行為は合理性を重んじた古代ギリシアでも行われており、命を持たない物体さえも裁判にかけられていた。そこにあるのは、自分たちの住む世界が実は法に従う場所などではないのではないかという恐れだった。動物による悪しき行為は説明がつかない場合も多いが、それを犯罪として定義し直すことこそが必要とされたわけである。
 歴史学とあまり関連していない話題については単に読み流しただけに終わってしまったのだが、上記のような関連性のある話題はなかなか興味深く読んだ。特に洞穴絵画の話は、歴史学者や考古学者にはできないような発想だろう。付記を見る限り、かなりの反発を喰らったようだが、実証主義が必ずしも万能ではないということに、歴史学者や考古学者はもっと気を付けねばならない気がする。
 ただし、著者は科学を万能と考えすぎているような箇所があって、そこは少し気になる。科学と非科学の違いは、前者の方が優れた考え方をするという点よりも、自分自身でなぜそれを信じるべきかを学ぶ点にあるとする。たとえばキリスト教ならば、それは聖書に書かれているからという権威に寄りかかった説明をしてしまうだけで終わることがある。ここまでは同感である。しかし、科学的な説明を受け入れた後に、非科学的な代返案を受け入れることはまったく起こらない、とまで言ってしまうのはどうか。起こるべきではないかもしれないが起こってしまうことはあり得るのは、オウム真理教の入信者に理系のエリートもいたことから明らかだ。起こらない、と断言してしまうことは、単純な二分法であり危険な気がする。
 以下、個別事例をメモ的に。肉体の痛み自体は、体の損傷あるいは機能障害の症例ではない。その役目は、更なる損傷から身を守り、休息するように仕向けることにある。したがって、具合を悪く感じ続けることが良いこととも言える(226〜227頁(第10章「希望 信仰治療とプラシーボ効果の進化心理学」))
 後2世紀のシリア人ルキアノスは、超能力めいた行為をするペテン師の例を挙げていたが、キリスト教徒はイエスの行為がこうしたペテン師とは異なる奇跡だと証明しようとした。だがそもそも、イエスが奇術師めいた行為をしなければ、後世の信徒たちがイエスを弁護せねばならない立場に追いやられることはなかった(271〜273頁)。心理学的に考えれば、イエスにそのような奇跡を起こせる人間と信じ込ませたのは、自分が救世主の星のもとに産まれてきたと人々に見なされていたことであろう(280〜281頁(以上、第13章「人間を見よ 人間性と超自然信仰」))。そして、やがて周りの人間がイエスの行為を本物だと見なすことで、彼の能力は奇跡だと証明されて新たな何かを行うという循環論法的な詐欺行為が行われ続けた、と著者は言いたいようだ。これをユリ=ゲラーと対比させているのだが、保守的なキリスト教徒は確実に反発するだろう。
 なお訳者は、巻末の解説において、動物裁判に関しては池上俊一『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス』(講談社現代新書、1990年)よりも本書の解釈の方がはるかに真実に近いように思える、と書いているが、その根拠がよく分からない。というのは両者の解釈はさほど異ならない気がするからだ。本書の解釈を歴史的な流れに敷衍させて、なぜ動物裁判のピークは迷信めいたものが信じられていた中世盛期ではなく、それらの考えが廃れていった近世なのか、という答えを提示しようとしたのが『動物裁判』だと思うのだが(ちなみに、簡単に言えば、自然に対する脅威が薄れていく中で、自然が人間の上に立つ存在という考え方が教化されたため、人間を自然が裁くべきという考えへといった、としている)。ただ、知ったかぶっていちゃもんを言いたかっただけのように見えてしまう。


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