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2019年3月の見聞録



3月9日

 的場昭弘『ネオ共産主義論』(光文社(光文社新書)、2006年)を読む。共産主義と社会主義の違い、共産主義のルーツ、共産主義内の種類、共産党の位置づけ、今後の共産主義をそれぞれ扱った5つの章から構成されている。
 松本佐保『バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘』や広岡正久『ロシアを読み解く』を読んだ際に、「共産主義の思想は最後の審判の後の至福と同じだと思う」と書いたのだが、そのあたりについて書いてあるものはないかと思って共産主義関連の書籍を幾つか眺めてみたところ、とりあえず本書を見つけたので読んでみた。『旧約聖書』に記された、エデンの園における欲望の制限と固有の否定、追放後における我慢や財産の独占の禁止などは、共産主義に通じると言える(71〜75頁)。さらに、ユートピア思想と千年王国論の流れも受け継いでいる。ユートピア主義は地上にエデンの園を実現させようというユダヤ教とキリスト教の思想につながる。千年王国論は、新たに現れる世界へ導くメシアが現れるという思想である。ただし、現実に幸福の場所を求める前者とは異なり、後者は未来に向かって幸福を追求し続けている(75〜78頁)。共産主義が前者と結びつくと、未来を語ることに終始するあまり、現実分析が手薄になる。後者と結びつくと、未来を予測する術としての神の啓示が、科学的手法へと姿を変える(104〜105頁)。なおマルクスは、共産主義そのものについては曖昧にしか語っていない点で、後者に近いと言える(46頁)。
 これ以外の点においても色々と教えられる知見は得られたのだが、だからといって共産主義に特に賛同しているわけではない。本書も共産主義の理想は評価していても現実に実現しようと考えているようではなさそうである。巻末には「バラ色の未来という甘言、革命への性急な行動に対しては、くれぐれも気を付けた方がいいでしょう。それは資本主義を手放しで礼賛するのと同様の行為であると共に、今よりさらに悲惨な状況への扉を開くことになりかねないからです」(241頁)とある。ただし、だからといって現状に対する改革案が提示されているわけではなく、「新しい共産主義は、そうした他者との喜びを実現するものでなければならないでしょう」と述べるに留まっている。共産主義は、本書で示されているように、ヨーロッパで過去から信じられ続けた理想論であり、その理想が一度は失敗している以上は、もはや安易に復活させようとすべきものではないであろう。その失敗から学ぶにあたって、共産主義の歴史を学ぶのはありだと思うし、そこから何かアイディアを拝借するのもありだと思う。だが、現実に共産主義を近づけようというのは無理なのだと思う。
 以下メモ的に。19世紀のドイツの政治学者・社会学者であるローレンツ・フォン・シュタインは、社会主義が個々人の自由を認めつつもそこから生まれる無政府状態を組織する思想であるとするならば、共産主義は財産の共同体によって自由も規制してしまう思想と見なした(42頁)。
 モーセは、ユダヤ人がエジプトから得た金でつくって崇めていた金の雄牛を、焼き捨てている。ここには、貨幣が有する物神性への批判が込められていると言える(68頁)。
 プラトンの哲人国家は厳しい統制下にある。このユートピアモデルは、共産主義の規律と統制のモデルをつくりあげる運動へと発展していく(83頁)。
 トマス・モア『ユートピア』において、主人公ヒロスディーは、勤勉さを復興させる世界をつくるべきと主張している。こうした勤勉の礼賛は、労働が人間にとって重要であると見なしている点で、後のマルクスにつながる近代的な問題意識が潜んでいる(90〜91頁)。
 「ヨハネ黙示録」には、未来の王国について具体的に書かれている箇所が第21・22章くらいしかなく、大部分はそうした世界が実現する前の現在がいかにひどい世界かについての記述である。こうした点でマルクスの共産主義と類似している(100頁)。
 サン=シモン『新キリスト教』では、「人間は互いに兄弟として振る舞うべし」というキリスト教の基本原理である隣人愛の思想を踏みにじったと、これまでのキリスト教が批判されている。原始キリスト教には貧者への愛に満ち溢れていたが、それ以降のキリスト教にはなかった、と述べている(120頁)。この兄弟が、隣人愛を示すのか、信者同士の団結を示す兄弟愛を示しているのかが、少し気になる。


3月19日

 松崎有理『架空論文投稿計画 あらゆる意味ででっちあげられた数章』(光文社、2017年)を読む。蛸足大学の助教・ユーリー小松崎は、自分の研究分野であるメタ研究心理学の実験のために、駆け出し作家の松崎有理と一緒に嘘論文のでっちあげ投稿を開始した。しかし、正義を振りかざす謎の機関「論文警察」が迫る…。
 本文中にも述べられているとおり、ソーカル事件の張本人であり、アラン=ソーカル・ジャン=ブリクモン『知の欺瞞』にてポストモダン論者をさらに具体的に批判した、ソーカルの行いをさらにパロディ化した小説。話の本筋そのものよりも、そのでっち上げ論文がいかにもといった感じで面白い。「ぶぶづけいかが」は戦略的行動か、反据え膳行動に基づく猫と経済学者の比較、図書館蔵書に書き込む人間のプロファイリング、オヤジギャグ、ハゲは長生き?、「ねえ、太った?」は存在証明、機械は修理を依頼した後に直る、恋愛成功率におけるプラス思考とマイナス思考、目標は紙に書くと実現するのか、あくび伝染反応時間による初対面好感度の類推、などである。なんとなくパオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』が批判する社会学を思い起こさせるなあ、と思っていたら、架空論文の参考文献に、その著作が挙げられていた。


3月29日

 浜本隆志『謎解きアクセサリーが消えた日本史』(光文社(光文社新書)、2004年)を読む。日本にも、指輪、耳飾り、首飾り、腕飾りなどのアクセサリーは古代には存在していたにもかかわらず、奈良時代以降には近代に入るまで殆ど見られなくってしまう理由を探る。結論として述べているのは、天皇制、農耕民、地理的要因である。天皇制については、アニミズム的な呪術の独占に関わる。縄文時代には、ヒスイの勾玉のように、アニミズムを理由とした呪術的な理由でアクセサリーを身に付けていた。その後の古墳時代にも、大陸からの影響で支配階層でアクセサリーが用いられた。だが、天皇による祭祀権の独占は、天皇祭祀の神道の道具としてアクセサリーを独占し、さらには仏教の鎮壇具や荘厳具などに変容させられてしまった。農耕民については、定住化による動産の価値上昇と関わる。天皇の絶対的な支配はそれほど続いたわけではない。遊牧民であれば、貴重品としてのアクセサリーが貴重な財産となった。農耕民であれば、土地や家などの動産が財産として重視されるし、農作業にはアクセサリーはむしろ邪魔である。地理的な要因としては、日本という環境による文化交流と異民族の侵入である。異民族の侵入がしばしば生じれば財産としてのアクセサリーも意味を持ちうる。中国のように遊牧民がしばしば侵入すればその遊牧民のアクセサリー文化の影響を強く受ける。しかし日本の場合には、もちろん文化交流はあったが、それが途絶えがちになると影響を受けにくくなるし、遊牧民の侵入は被っていない。こうした理由から、日本では近代にヨーロッパの文化が大量に流入するまで、アクセサリーはほとんど見られなかった、とする。
 何となくは納得できるのだが、釈然としない思いも残る。ヨーロッパでも、アクセサリーの文化が盛んであった平和な元首政ローマ期は、動産が重視されていたのではなかろうか。日本でも天皇が祭祀権を独占したといっても、それほどの強大な権力ではなかっただろうし、戦国時代でなくても地方ではしばしば動乱も生じている。確かに中世ヨーロッパのような遊牧民の侵入は生じなかったが、それでも中世ヨーロッパの封建制にとって動産は何よりも重要だったはずである。このように素朴な疑問は浮かぶものの、アクセサリーに基づく日本史という切り口は面白いし、説得力が全くないというわけでもないので、興味があれば読んで損をしたと感じはしないであろう。
 以下メモ的に。1950年代には結婚の際に夫からダイヤの指輪を贈られる新婦は数パーセントにすぎなかったが、1970年には過半数を超え、1994年になると90%以上がダイヤモンドとなる(148頁)。なお、これについて「巧妙な宝石会社の世界制覇の野望に、人々が踊らされていたといえよう」(149頁)とあるが、何か宝石会社に強い感情があるのだろうか。
 婚約時に指輪を渡す風習は古代ローマ時代に出現している。婚約成立時に指輪がその代金支払いの証拠として未来の花嫁の父親に渡されていたのは、指輪のお金というローマ法にも残されている言葉から分かる。やがて前3世紀には、契約の時に用いられた印章指輪が婚約指輪として使われるようになった。なお、ローマには自宅の鍵が付いた指輪があったが、これが主婦権のシンボルになって婚約指輪に転化したとも考えられる。こうして婚約が成立すると、未来の花嫁に婚約指輪を渡す風習が広まった(172〜173頁)。


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