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2018年3月の見聞録



3月4日

 池田嘉郎『ロシア革命 破局の8か月』(岩波書店(岩波新書)、2017年)を読む。タイトル通り、1918年のロシアにおける二月革命から十月革命までの状況を追ったもの。
 著者いわく、「(20世紀を)各国が総力戦に備えねばならない時代として把握し、ロシア革命とソ連こそがそうした時代潮流を最も良く体現していたと論じた」(v頁)という和田春樹『歴史としての社会主義』(岩波書店(岩波新書)、1992年(未読))や、「混乱するばかりの大衆の要望を安定させるために、ソ連置ける共産党の独裁や、その他諸々の権威主義的な体制が生まれた」(vi頁)とした石井規衛『文明としてのソ連 初期現代の終焉』(山川出版社(歴史のフロンティア)、1995年(未読))とは異なり、二月革命において成立した臨時政府がなぜ挫折して、なぜポリシェヴィキは成功したのかを論じていく。第一次世界大戦に参戦させられた農民や労働者が政治の社会へとなだれ込んで二月革命は生じるものの、そうした民衆は政治制度に組み込まれず、不満が高まる。西欧諸国との結び付きのしがらみをすべて断ち切ったのが、ポリシェヴィキであった。彼らは共産主義革命による新たな世界秩序の接近を信じていたし、だからこそ政権獲得後には民衆を含む反対者を平然と弾圧した。ただし、民衆にとっては言論の自由の消滅すら、臨時政府の関係者も含むそれ以前のエリートと自分たちという二分法を解消するものに映っていた。
 仕事の都合があって読んだのだが、歴史的な事実が細かく述べられている現代史によくあるタイプのスタイルであり、楽しめたわけではないものの、だからこそテーマに関する基本的な事実はおさえられる。本書の記述そのものがそれまでとは異なる最新の研究をどこまで反映したものなのかも、こちらの無知ゆえにわからないのだが、興味があれば読んでもよいだろう。ロシア革命に興味がある人が、いま現在どれだけいるのかなという気もしたのだが、amazonのカスタマーレビューを見るとコメントの数はそこそこあり、好評もあると同時に厳しい批判もある。私がわかっていなかっただけで、ソ連史および近現代史に関心のある人はそれなりにいるようである。
 以下メモ的に。近代ロシアは西欧と異なり、中間市民層が十分に成長していない。エリートと一般民衆に別れており、エリートは民衆を軽んじていた。民衆たちは、現在ある秩序はこつこつと修正するものではなく、一瞬によって転覆されるべきものであった。その一方で、革命時の自由主義者は「公衆」を自称したエリートであり、革命は自分たちだけでなすべきものであり、ロシアを率いるのも自分たちのみと考えていた(16頁)
 ストイルピンは自営農民の創出を行ったが、二月革命後はそうした農民が共同体に引き戻された。その結果、共同体とその絆の復活、ないしは再強化がもたらされた(54頁)。


3月14日

 松本佐保『バチカン近現代史 ローマ教皇たちの「近代」との格闘』(中央公論新社(中公新書)、2013年)を読む。近代に入ってのバチカンは、近代国家との関係をできるかぎり結ぼうとしており、その中にはイスラーム国も含まれている。ただし信仰を否定する共産主義国家とは国交を築けていない。近現代ヨーロッパ史をバチカンという視点から追っているが、近現代史に興味があれば得るものがあるだろう。個人的には共産主義の思想は最後の審判の後の至福と同じだと思うので、この両者の争いは骨肉の争いではないかと思う。
 以下メモ的に。ナポレオンは、新たな教皇となったピウス7世に利用価値があると見て、教皇領を復活させた(13頁)。1801年に両者は政教条約を結び、カトリックをフランス最大の宗教と認める代わりに、自由と平等が世俗国家の理念であると認めるという内容であった(15頁)。しかし1809年にはナポレオンは教皇領を接収し、破門宣言をした教皇を軟禁した(16頁)。
 イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の葬儀はカトリック教会ではなく、古代ローマを起源とする異教信仰の神殿であるパンテオンで行われた。中世からはキリスト教会に埋葬されていたがと、非カトリック化することで、初代国王を「祖国の父」として神格化するために、パンテオンに埋葬した(54頁)。
 1891年にレオ13世が発した回勅は、いきすぎた工業化や資本主義の弊害について警告を発し、労働者の権利と尊厳を訴えた。各階級には神から与えられた義務・任務があるとはしているが、バチカンから離れたイタリア人の心を取り戻す効果があった(67〜68頁)。
 ピウス12世は、ドイツに対して寛容な態度を取った。これはソ連の脅威に対抗できる国家としてドイツが必要だと感じていたためである(103〜104頁)。大戦後の冷戦下では、もともとピューリタンが建国したという点で決して友好的ではなかったアメリカ合衆国に近づいたのもそのためである(116頁)。ピウス12世は1947年の書簡で「キリスト教誕生以来、教会が2000年間戦ってきた悪魔との戦い、すなわち共産主義との戦いにおいて、全能なる神が米国をお助け下さる」と書き記している(126頁)。こうしたピウス12世に対する批判的な論調が大きくなるのは冷戦終結後の1990年以降であった。ヴァチカンは冷戦中に反共産主義の牙城でもあったためである(111頁)。なお、バチカンが日本の満州国設立を承認したのも、反共産主義勢力と見なされたためであろう(112頁)。


3月24日

 大内裕和『奨学金が日本を滅ぼす』(朝日新聞出版(朝日新書)、2017年)を読む。現在の大学生は半数以上が奨学金を借りており、返済の負担が重くのしかかっている状況を示そうとする。これは現在の大学生の置かれている状況の苦境化が関係しているとする。大学の授業料は値上がりを続けており、それは国立でも変わらなくなっている。かつてならば親がそれを負担できたのだが、1990年代後半の不況から現在に至るまで親の収入は減少傾向にあるため、奨学金で学費を負担せざるを得ないし、就職しても賃金が上昇していないために返済に困ってしまう。だからといって大学へ進学せずに、高卒で就職しようにも高卒からの採用は減少しつつ大学へ行かざるを得ない。にもかかわらず、日本は諸外国に比べて給付型奨学金が少ないという状況にある。さらに1990年代までに奨学金をもらっていた世代は、特に教員であれば返還せずに済んだので、現在の若者の苦境を分かってあげられていない、とする。
 著者の教え子たちが、著者のアドバイスを受けつつ、「愛知県学費と奨学金を考える会」を結成して、その活動の影響も受けて延滞金の利率が年5%から10%へ下がったのは、賞賛に値することだとは思う。ただし、給付型奨学金が諸外国に比べて少ない、大学進学率が諸外国に比べて低い、大学生への投資額に比べて公財政への貢献は高い、といった事実を訴えて、富裕層から財源を引き出そうとするのはおそらく無理であろう。富裕層には自分たちへのメリットが直には感じられないからである。もちろん、利己的な考えだけに染まっているのは決して肯定できるものではない。とはいえ、互いにメリットがある形で訴えなければ、難しいのではなかろうか。私自身もできないことを偉そうに言う資格はないのだが、そこはやはり気になる。
 以下メモ的に。全国大学生活協同組合連合会「学生生活実態調査の概要報告」によれば、1995年には月に仕送り10万円以上の学生が全体の62.4%を占めており、仕送り5万円未満は7.3%でそのうち仕送りゼロは2.0%だった。これが2015年には、10万円以上は30.6%、仕送り5万円未満は24.9%でそのうち仕送りゼロは9.1%となっている(32〜33頁)。
 厚生労働省「高卒・中卒新卒者の求人・求職状況」によれば、1992年に高卒の求人数は167万6001人でピークに達した。しかしその後は減少し、1995年には64万7290人、2011年には19万4635人とピーク時の11.6%にまで低下した(51〜52頁)。
 奨学金は1984年に有利子枠が創設された。これは日本経済が成長し続けるという前提に沿ったものであり、有利子であっても返済できると考えられていたためである(144頁)。
 日本学生支援機構で働いている職員は2016年現在だと正規職員が204人で非正規職員は214人である。日本育英会の時には429人中、奨学金に関わる377人の職員すべてが正規雇用であったのとは対照的である。さらに、電話相談を最初に受けるコールセンターの業務はNTTマーケティングアクトという会社に外部委託されている(199〜200頁)。
 国立教育政策研究所の「教育の効果について」によれば、学部・大学院在学中の学生1人あたりの公的投資額253万7524円に対して、大学・大学院卒業者の公財政への貢献は、608万4468円となっており、約2.40倍の効果があるとされている。矢野眞和『大学の条件 大衆化と市場化の経済分析』(東京大学出版会、2015年(未読))によれば、生涯賃金が増える私的収益率は国立大学で7.4%、私立大学で6.4%、税収が増える財政的収益率は、国立大学で2.3%、私立大学で9.6%、社会的収益率は国立大学で6.0%、私立大学で6.7%だという(245頁)。なお、原著を見ていないので判断はできないのだが、これ以外の要素における数値を出してみなければ、大学進学の収益率のメリットは訴えられないのではなかろうか。


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