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2018年2月の見聞録



2月2日

 西谷修『アメリカ異形の制度空間』(講談社(講談社選書メチエ)、2016年)を読む。ヨーロッパ人にとってアメリカは、自分たちが定めた秩序の外側にある世界であったため、国際法の例外地帯と見なされて自由に振る舞える土地であった。その自由のもとでアメリカ合衆国は、本国に対する自由や経済的自由を訴えて独立した。やがて合衆国はさらに西へと領土を拡大していくが、ローマ法に基づく先取取得の観念が、かつてと同じくそれを正当化した。さらに合衆国は、新たに作り出された移民による国家であり、それまでの関係から分かれて自由になった個人が市民の範型となった。そして現在は、その自由の制度空間を海外へ輸出して、合衆国的な自由を受容する政権が各地で生まれるも、しばしば親米的軍事政権でもあり得るという構図へと至った。かつてのアメリカが共産主義を蛇蝎のごとく嫌ったのも、土地の私有によって自由を実質化した合衆国の根源を揺るがすと見なされたためであろう。さらに私有の自由は経済的な自由にもつながった。だからこそ合衆国では、政府の仕事が企業活動にたとえられる。
 アメリカ合衆国の制度がグローバル化していった流れを、歴史的な流れを抑えつつもわかりやすく示していると思われる。最低限の知識がいるとは思うが、アメリカ合衆国についての入門書としておすすめできるのではなかろうか。
 以下メモ的に。合衆国による領土拡大は、ノアの一族に神が「生めよ、増やせよ、地に満ちよ」と命じた「創世記」の記述に重ね合わせて正当化された。やがて「明白な運命」という独善的なイデオロギーを生むことになる(134頁)。


2月12日

 川北稔『イギリス近代史講義』講談社(講談社現代新書)、2010年)を読む。あとがきによれば、7時間前後で一気に語り下ろしたものをまとめたもの。これまでの著者の他の本で述べられた内容をまとめたとも言えるが、近世・近代イギリス史について学ぶところは多い。まずは、そのあたりについてメモ的にまとめていく。
 都会と田舎の違いは匿名性にある。都会の人間はお互いに見知らぬ人間ばかりである。これに対して田舎では全員が顔見知りである。その点からすれば、中世に都市はあるけれども都会はない。イギリスでは、都会は16世紀のロンドンで発生している(22頁)。
 イギリスで16世紀前半に盛んに施行された贅沢禁止法は、身分を超えた服装をさせないための法律だった。しかしながら、新たに議員となっていったジェントリは、自分たちの作る商品が売れないと困るので、反対派に回った。そのため17世紀はじめに全廃された。これ以後は、上流の格好をしている人が上流だと見なされるようになっていく(47〜52頁)。
 都市的な生活環境は、人々の生活を自給から購入へと転換させる。商品化されたものやサービスは、経済統計上の生産となる。家庭内の子育ては生産ではないが、人に預けて保育しに育ててもらえば、保育サービスが生産されたことになる。それは経済成長へ寄与する。近代的な経済成長の開始は工業化ではあるが、消費の側から見れば成長を推進してきたのは都市化である(81〜82頁)。
 それまでよりもよい生活をせねばならないという考え方が、資本主義の定義の1つでもある。とすると常に成長せねばならないという考え方がある、これは一種の強迫観念でもあり、「成長パラノイア」と言える(86〜87頁)。
 18世紀中ごろまで、経済問題を論じるイギリス人は、大方の労働者は治療不能な怠け者だから、賃金は低く抑えて食糧価格は高い方がよい、と見ていた。しかし、それ以後には、労働に対して報酬を上げる方がよいという考え方へと変わっていく。ここには、賃金の上昇分を消費の拡大に向け始めた労働者の姿であり、さらに贅沢を需要の拡大として評価する新しい経済理論であった(90〜91頁)。そもそも、この当時であれば、日給が2倍になったら次の日には働きに来なくなる。現在のようなますます働いて生活をよくするという発想はなかった。身分制社会であるので上昇しようという発想はなかったと思われる(88頁)。稼いだらむしろ休むというのは、武田晴人『仕事と日本人』にて、江戸時代の農民は休日の日数が増えた、と指摘されていたことと同じであろう。
 中世ヨーロッパの人間に「あなたほどこの人ですか」と聞けば、住んでいる荘園や教区の名前を言ったはずで、もう少し大きいくくりでと求めればクリスチャンであると言ったであろう。宗教改革をきっかけとして主権国家の考え方が強くなる。主権国家同士が互いに経済面で競うようになると、政治的な支配を他地域に及ぼさない近代世界システムヨーロッパが中核になっていく大きな要素となる(93頁)。競うための武器の開発競争と、その背景としての経済の競争も生まれる(96頁)。そのための学問として政治算術も新たに生まれる。そのなかで、国力の中心となる人口がどうなっていくのかを計算した時系列的な数表が現れるが、これが経済成長という近代世界システムの基本イデオロギーになったと思われる(110頁)。
 イギリスがカリブ海で生産していた砂糖は、他国も砂糖を生産するなかで競争力を失っていくが、イギリス議会で大勢力となったプランターたちは、外国の砂糖にかかる関税を引き上げてイギリス産の砂糖の保護市場を形成した。その結果として、カリブ海の生産地はイギリスに依存せざるを得なかった。逆に北米のたばこ産業は商品価値が高かったので、イギリスを経ずとも商売が可能となり、独立へと進んだ(136〜137頁)。
 イギリス本国で社会的上昇の野心を満たせない人間や、イギリス本国では食べていけない人間が、植民地に解決策を見出していた(146頁)。詳しくは知らないのだが、同じようなことは他のヨーロッパ諸国もやっていたような気がする。なのに、なぜイギリスだけが植民地経営に大成功したのかは不思議な気がする。
 綿織物は、軽い、毛織物に比べて易い、鮮やかな色が付けられるなどの特徴がある。だが、決定的なことは洗濯ができることであった。綿織物の普及によって、イギリス人の生活は急速に清潔になり、平均寿命の延長にもつながったとされる(161頁)。綿織物は、毛織物に通気性があるので、下着に適していたという理由はないのだろうか。
 マーティン・ウィナー『英国産業精神の衰退』(1981年)は、イギリスの国家エリートが人文主義的教養が高く評価されるのに対して、アメリカではマサチューセッツ工科大学のようなところをつくっており、技術の分野ではアメリカに負けてしまうと論じた。そのうえで、広い教養を身に付けた人間が社会の上に行くべきという発想が間違っていると主張した。なおこの著者は、中小企業の経営者などからたくさんのファンレターをもらったという(240〜241頁)。
 ただし、個人的に一番印象に残ったのは、あとがきの冒頭で「私は祭りが嫌いです」(257頁)と述べて、「私にとって、村祭りは、田舎の共同体の排外的な雰囲気の象徴でしかありません」と断言しているところである。だからといって、頭ごなしに農村を否定的に見ているわけではないのだが、自分の置かれた環境が研究分野を決めることはあるのだな、と。
 そして、歴史学が現実に向き合うことを重視しているのだが、サッチャーによってイギリス衰退論の議論が利用されたという箇所を読むと、歴史家が何らかの政策を作り出すのではなく、単に利用されるだけで終わってしまっているにすぎないと感じる。


2月22日

 エミリー・オスター(土方奈美訳)『お医者さんは教えてくれない妊娠・出産の常識ウソ・ホント』(東洋経済新報社、2014年)を読む。経済学者である著者が、自分の妊娠を機に、統計データに基づいて妊娠や出産に関する事象の検証を行っていく。そうした事項については以下にメモ的に挙げていくが、信頼できるデータに基づく出典をきちんと挙げた上で、大丈夫なことや危険なことを説明していくので、現時点での最新の科学的な知識となりうるであろう。そのうえで、何らかの主観的なバイアスはやはりかかるのだなとも感じた。というのは、著者は会陰切開は選択しなかったり、母乳育児へのこだわりがあったりするからだ。それ自体を批判する気はないのだが、事象についての検証を行う前に、情報の取捨選択以前の選別があるとも言える。とはいえ、それでも最新の知識をきちんとしたデータに基づいて得られるので(各次章の末尾にまとめがあるのでそれだけを拾い読んでもよい)、興味があれば読んで損はない。
 以下メモ的に。著者の夫は、2才になる前にテレビが見られるようになった地域の子供と、2歳を超えるまではテレビが普及しなかった地域の子供を選んで、学業成績に差異があるかを調べた結果、影響がないと判明した。なお、1940年代から50年代にかけては地域によって普及率に差があったので、その違いのある地域を選んでいる(13頁)。
 2001年に学術誌『小児科学』に掲載された論文は、500人ほどの調査を行い、少なめの飲酒でも子供の行動に影響を及ぼすと述べている。しかし、妊娠中にまったく飲酒をしなかった女性の18%が、1日1杯以上の飲酒をした女性の45%が、それぞれ妊娠中にコカインを使っていたという差異がある。となれば、むしろコカインが子供の行動問題が生じる可能性を高めていると言える(74〜75頁)。なお、脚注をみると、この論文の刊行年が2008年になっている(註3頁8番)。
 妊娠第1期の週に1〜2杯の飲酒、妊娠第2・3期の1日1杯までの飲酒がマイナスの影響を及ぼしたというデータは今のところない。ただし、それ以上の飲酒や一気飲みはよくない影響を与える(80頁)。
 コーヒーも適度な量ならば問題はない。1日2杯のコーヒーが悪影響を及ぼした証拠はない。さらに、3〜4杯でもほぼ大丈夫である。ただし、4杯を超えると問題が生じる可能性がある。
 トキソプラズマへの感染は先天性トキソプラズマ症を発症する可能性があるので避けるべきである。感染源は主に十分に火の通っていない肉類や洗っていない野菜や果物でありであり、まれに乾燥あるいは塩漬けの肉類である。加えてネコの糞からの感染もある。なお、妊娠前にすでに感染してしまっていれば、胎児へのリスクはゼロとなる。なので病院で検査してもよい(116頁)。
 リステリア菌も同様に危険だが、完全に避けるのは困難である。可能性が高いのは生乳チーズとデリターキーである(120〜121頁)。
 水銀暴露の高い女性と低い女性の間では、IQ3.5ポイント分に相当するので、できれば水銀の含有率が高い魚は避けた方がよい。ただしDHAが豊富に含まれている魚もいる。したがって、できればDHAが多く水銀が少ない魚が好ましい。これはサケ、ニシン、イワシなどである。水銀も多いがDHAも多い魚は寿司用マグロやメカジキである。なお、水銀が少ないとは言えないがDHAが多めの魚は鯖や甘鯛である。逆に水銀が多くてDHAが少なめなのはツナ缶やハタ、オレンジ・ラッフィー、キング・マッケレルである(126頁)。
 妊娠5〜8週の妊婦の約50%はつわりと嘔吐を報告している。17週までには15〜20%未満に低下する(130頁)。つわりの対処法は、食事の量を減らす、ビタミンB6とジンジャーエール、ビタミンB6+ユニソム(つまり、ベンディクティン)、処方薬の順番となる(138頁)。
 無侵襲的検査で好ましい結果が出れば、胎児に染色体異常のあるリスクは6000分の1にまで減る(145頁)。ダウン症の発見率は年齢によって異なり、20歳では82%、30代前半で89%、40歳では96%である。ただし、偽陽性の可能性も高くなり、それぞれ3.0%、7.0%、25.0%である(152頁)。絨毛検査に伴う流産リスクはおよそ800分の1となるが、対象となるデータが大きくないため、リスクの上昇が少ない可能性も否めない(163頁)
 妊娠中のヘアカラーが悪影響を及ぼす危険性はない(ヘアカラーの注射はもちろんよくない)。美容師の女性の胎児は出生児の体重が低くなるが、それは毛髪染料ではなく、立ちっぱなしで仕事をしているなどの別の要因によるようである(174頁)。
 妊婦の体温上昇は神経管の欠陥による出生異常のリスクを高めはする。ただし、問題となるのは体温がおよそ38度以上に上がることなので、ぬるい風呂や30度前後で行われるホットヨガならば問題ない。なお、この欠陥は妊娠第1期に限られているので、その時期を過ぎれば問題ない(175〜176頁)。
 放射線による出生異常のリスクは、許容量の約20倍の放射線を浴びたときである(178頁)。なお、人工放射能の1年間の許容被曝量は1ミリシーベルトとされる。歯科撮影は0.01ミリ、胸部のX線は0.1ミリ弱、胃のX線は10ミリ弱とされる。ただし、100ミリ以下では癌の異常発生は見られないようである(「放射線と健康」(『ちょっと詳しく放射線』))。
 妊娠時に標準体重であった女性の90%は、妊娠中に体重が増えても、出産24ヶ月後までに標準体重に戻っていた(186頁)。妊娠中に体重が4.5キロ増えても、子供のBMIは約0.13高くなるだけである(190頁)。推薦体重よりも増加した妊婦は、胎児の体重が妊娠期間に比べて大きくなる可能性が高い(193頁)。ただし小さすぎると、呼吸障害などの問題を引き起こす可能性も高い(194頁)。
 骨盤底筋運動を行ったグループとそうでないグループとでは、前者の方が妊娠後期から出産半年後に掛けて尿失禁が少ない(214頁)。
 妊娠後期にベッドで安静にすることが早産を防ぐというデータは認められていない(233頁)。
 お産の間はものを食べる気にはならないので、シュースやスポーツドリンクを用意した方がよい。なお、分娩のために病院へいく前に食事もしておいた方が良い。たいていの病院は分娩室では食事を禁じている(286〜287頁)。


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