前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ


2018年4月の見聞録



4月3日

 吉川洋『人口と日本経済 長寿、イノベーション、経済成長』(中央公論新社(中公新書)、2016年)を読む。日本の経済成長は、人口増加によって支えられたわけではない。実際に日本の人口の伸び率は、実質GDPの伸び率に遙かに及ばない。労働生産性の上昇は広い意味での技術進歩であるイノベーションによってもたらされている(74頁)。技術の進歩は人間の労働を奪うのではなく、新たな産業を生み出し経済発展の支えとなっている。戦後の日本は、寿命や健康の面においても、収入の面においても、それ以前に比べれば格段に平等な社会になった。それを支えた経済成長を決して無視すべきではないし、今後も経済成長の土台となるイノベーションを伸ばすべき、とする。
 過去の分析についても、イノベーションを伸ばすべきというのもその通りだと思う。その点に関して本書の最後では、かつての企業は借金をして投資をしていたが、現在は貯蓄に回している点を批判している。もちろん企業はそんなことは分かっているのではななかろうか。長引く不況に際して倒産したら元も子もないからこそ貯蓄に回しているのだろう。著者だってそれは分かっていて批判しているのだとは思う。しかしながら、イノベーションをすべきという旗振りをしても、実際に案を出すのは企業の人間であり、本書ではすでに成功した過去の事例が紹介されているにすぎない。新たに開拓をしなければ先がないことは分かって、いまでも必死にがんばっているのではなかろうか。具体案を出さずに大きなことを言うのは、それほど難しくはないのでは、と自戒を込めて考えてしまった。
 以下メモ的に。20世紀前半まで、先進国ですら多くの国が過剰な人口に悩まされ続けてきた。1750年のヨーロッパの人口は6000万ないし6400万人であり、1792年の中国の人口3億人と比べると明らかに少ない。ただしヨーロッパの人口は1850年には1億1600万人まで増加した(15〜16頁)。
 国債/GDP比率は多くの先進国では100%いかにとどまっている。これに対して日本は、地方債も含めた公債/GDP比率は、200%に達している(60頁)。
 日本の都市人口の上位には、1878年には金沢が5位、和歌山が7位、富山が9位、福井が15位、松江が16位、鳥取が18位、弘前が19位、米沢が29位、彦根が30位など、現在とはかなり異なっている。これらの都市は江戸時代の城下町であった(70〜71頁)。
 1900年の日本の1人あたりの所得は、イギリスの4分の1程度にすぎず、日本は貧しい国であった。にもかかわらず平均寿命はイギリスやアメリカと同程度であった。これに関する有力な説は都市化がはるかに遅れていたことである。19世紀末の段階で都市は農村に比べて遙かにリスクの高い危険な場所であったが、多くの人口が農村部に住んでいた日本は、これを回避できたわけである(108〜109頁)。
 1950年の日本では、97%が自宅出産を行っていた。医療機関での出産比率が最も高かった東京でも自宅出産は78%であった。1947年の出生児1000人に対する乳児死亡率の全国平均は76.7人(なお、東京は62.4人)であった(114〜115頁)。
 最上位0.1%の所得シェアは、先進国では戦間期から戦後に掛けて下落していき、8〜5%から3%未満となった。しかし、フランスと日本を除き、特にアメリカやカナダ、イギリスなどは1980年代に再上昇して戦間期のレベルにまで戻っている(126頁)。ただし、住居の不平等は解消されている(129〜130頁)。


4月13日

 小池寿子『内臓の発見 西洋美術における身体とイメージ』(筑摩書房(筑摩選書)、2011年)を読む。内蔵の発見というテーゼに基づいているというよりは、内蔵に関するコラム的なトピックを集めた感じなので、それぞれの話題は面白くあるものの、個人的には少し肩すかしだった。これはあくまでもこちらの関心に基づくものなので、中世からルネサンスのキリスト教に興味があれば、十分に楽しめるであろう。
 以下メモ的に。「ヨハネ福音書」には、復活を疑うトマスの指をイエスが傷口から指を突っ込ませる記述がある。これを基にした図像は、成立した5世紀から13世紀までは、傷を指さしたりそっと触れる程度であった。ところがそれ以後には、傷口に指を差し込ませる図像へと変わっていく。それとともに、イエスは悲壮な姿へと変わっていき、傷口を開いて水と血を滴らせる姿に変貌していった(22〜24頁)。


4月23日

 田中素香『ユーロ危機とギリシャ反乱』(岩波書店(岩波新書)、2016年)を読む。2010年のギリシア危機を通じて生じたユーロ崩壊の状況について解説を行う。簡単にまとめてしまえば、ギリシアをはじめとしてアイルランドやポルトガルやスペインといった中堅国が身の丈を超えた消費・不動産投資を行ったのは、西欧の大銀行が行きすぎた貸出をした結果である、といったところ。ここには、西欧が中心で南欧・東欧が周辺という本質も映し出されている。ユーロの金融政策を担う中央銀行である欧州中央銀行が資金を供給して銀行破綻を阻止したが、自国の利益に固執するドイツが足を引っ張っている、とする。ドイツに対してあまりにも批判的であるのが、個人的には印象に残った。ドイツにも言い分はあると思うし、そもそも著者自身も、フランスはギリシアの地政学的な重要性を重視してユーロ離脱を防止しようとしたとある(200頁)。やはり損得勘定は大切なのだと感じる。文化的な統合を訴えても、ナショナリズム的な揺り戻しによって危うい状態になっているようにも感じるし、こうした状況では人文学が何か役に立つような方策を提示できるようにも思えない、と感じた。
 なお中国は、中国物産を送り込むための入口として、ギリシアの地政学的優位を活用しようと考えているそうである。実際にギリシアは中国の投資を歓迎しており、2015年2月に入港した中国軍艦艇での式典にチプラス首相が参加している(201頁)。


前の月へ   トップに戻る   インデックスに戻る   次の月へ